2012/05/01 - 2012/05/06
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Chocoさん
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ベトナム中部にある世界文化遺産「フエ」、「ミーソン」、「ホイアン」の3か所を巡るツアーに参加しました。
今回の日程は以下の通りです。
○ 5/1 NH931 成田→ホーチミンシティ ホーチミン泊
○ 5/2 午前:ホーチミン観光 午後:フエに移動 フエ泊
○ 5/3 午前:フエ観光 午後:ホイアンに移動 ホイアン泊
○ 5/4 午前:ミーソン観光 午後:ホイアン観光(ランタン祭り) ホイアン泊
○ 5/5 午前:ダナン観光 午後:ホーチミンに移動・観光 深夜NH932
○ 5/6 早朝:成田着
写真は王宮の正門である午門です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 航空会社
- ANA ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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ホーチミンから空路1時間20分。
インペリアル・ホテルの16Fにあるキングス・パノラマ・バーからみた香(フォン)河と旧王宮方面です。屋上のテラスで清々しい風に吹かれながらベトナム珈琲を飲みながら夕日を見ていました。
この時は、翌日から続く灼熱の観光をまったく想像できませんでした。 -
夕食は香河河畔のレストランでフエ宮廷料理なるものをいただきました。
フエには地ビールが2種類、「フダ」と「フェスティバ」があります。試してみてはどうでしょう。 -
王宮正門の牛門に登ってみました。門の裏側に階段があり登れます。
さて、門には5か所の入り口があり中央は行程専用、その左右は文官・武官。そしてその外側は庶民となっていたそうです。いまも中央は通れませんが、その左右の入り口は左側が外国人、右側がベトナム人となっているそうです(笑)。庶民口はチケット売り場となっていました。 -
牛門から大和殿を望みました。阮朝当時はこの門に女性は登れず、例え皇族であっても女性は首を落とされたそうです。
残念ですが阮朝の王宮はベトナム戦争で大部分が焼失し、創建当時の建物はほとんど残っていません。この大和殿も再建です。そして内部の撮影は禁止されています。しっかり目に焼き付けてください。 -
大和殿裏側になります。本来ならこの辺りに後宮などがあったはずですが、ベトナム戦争の際破壊されてしまいました。爆撃のクレーターがあるような記事を読みましたが、分かりませんでした。この草地を歩くと王朝の栄枯盛衰や戦争のやるせなさを感じます。
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香河河畔にあるティエンム―寺。別名「天女の寺」。観光ツアーのほとんどが、この寺に立ち寄るそうです。欧米人も多数見受けられます。
そのため、十分気を付けて頂きたいのがトイレ。当然日本とは異なるシステムで、ガイド本の通りトイレットペーパーは有りません。そして流せません。誰が雑なのかわかりませんが、綺麗ではありません(特に女便所)。ここに来る前に済ましておくか、我慢したほうがよいでしょう。 -
イチオシ
嗣徳帝廟
嗣徳帝は阮朝4代の皇帝。阮朝皇帝のなかで最も長い在位で、贅沢三昧の暮らしをしたと伝えられています。100人以上の妃・妾がいましたが、子供はいませんでした。天然痘に罹った影響と言われています。
この廟は皇帝の生前から使われていましたが、莫大な費用と労働力を必要としたため、クーデターの計画も上がったそうです。事前に発覚しましたが。 -
皇帝廟の基本的な決まりの一つとして石碑に後継者(主として子供)が先帝の業績などを刻み、その石碑を覆う石殿があります。ただ、嗣徳帝には子供がいなかったため、碑文は帝自ら起草しました。碑文は漢文で書かれていますが、読めません(苦笑)。反省文が書かれているそうです。
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通常ならばこの中央の祠の下に嗣徳帝が眠っていることになりますが、実際には違う場所に埋葬されています。葬儀にかかわった従者約200人が皆殺されているため、不明となっています。これは廟を守る子孫がいないため、盗掘を恐れたことによるものと説明を受けました。
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啓定帝廟
啓定帝は阮朝12代皇帝。フランスの植民地化が進んだ時代です。当時は複雑な政治状況があったと思いますが、親仏傾向が強い帝であったそうです。そのため、ほかの皇帝廟は異なりコンクリートを多用したベトナム文化と欧州文化の融合が見られます。 -
内部の装飾は中国や日本の陶磁器やガラス瓶など惜しげもなく利用し、モザイクを作っています。四季を表した植物のモザイクがあり、春が主として日本のビール瓶を利用した「梅」の木があります。
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鍍金で覆われた像の18m下に啓定帝は眠っています。啓定帝在位中から建設が開始され、完成まで12年(帝の死後6年後)かかりました。国内が混乱の極みの中、無駄に豪華な装飾ですね。
ちなみに啓定帝が崩御し、後を襲った保大帝が即位した際に司法行政権がフランスに渡りました。
本見学の後、次の宿泊地ホイアンへ移動しました。
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