2012/05/01 - 2012/05/06
27位(同エリア206件中)
Chocoさん
- ChocoさんTOP
- 旅行記33冊
- クチコミ16件
- Q&A回答0件
- 49,609アクセス
- フォロワー7人
ベトナム中部にある世界文化遺産「フエ」、「ミーソン」、「ホイアン」の3か所を巡る旅です。
フエに続いて『ミーソン』です。チャンパ王国の聖域と呼ばれる遺跡群。宿泊したホイアンのホテルから車で40分位だったでしょうか。
ちなみに、ベトナム中部はインドシナ半島西側(ベンガル湾)からの風がラオスとの国境付近にある山脈の影響でフェーン現象を起し、異常に暑くなります。旅行中の体力を考えると、早起きをして涼しいうちの観光をお勧めします。
参考までに日程を再記載します。
○ 5/1 NH931 成田→ホーチミンシティ ホーチミン泊
○ 5/2 午前:ホーチミン観光 午後:フエに移動 フエ泊
○ 5/3 午前:フエ観光 午後:ホイアンに移動 ホイアン泊
○ 5/4 午前:ミーソン観光 午後:ホイアン観光(ランタン祭り) ホイアン泊
○ 5/5 午前:ダナン観光 午後:ホーチミンに移動・観光 深夜NH932
○ 5/6 早朝:成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 航空会社
- ANA ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
PR
-
今回宿泊したホイアンのホテル、『ヴィクトリア・ホイアン・ビーチリゾートアンドスパ』。参加したツアーはリゾートホテルに泊まることが目玉ひとつ。
このような場所に慣れていない我々は、どう振舞えばよいのかわかりません(笑)。欧米人のようなスマートなバカンスの過ごし方を覚えたいものです。プールサイドで本を読むよりも、観光や買い物で時間を使うのはリゾート慣れしていない証明ですね。 -
ウエディングドレスのお店
観光は車での移動がほとんどなのですが、道路沿いに矢鱈目ったら目にします。お客さんいるの?といった感じの場所でもなぜかあります。しかも数件単位で。ここにも、そこにも、あそこにも。
結婚適齢期の男女が多いことと、刺繍などの工芸が盛んであることは理解できますが、多すぎでしょう。勝手に心配してしまいました。 -
ミーソン聖域の入り口
アンコール遺跡群程ではありませんが、かなりの山中にあり、木々が生い茂っています。当時王都があったとされるダナン近郊から考えると、険しい山中にあり外部の侵入を拒みたかったと推察できます。歴史的には4世紀末にチャンパ王によって祠堂が建てられたのが始まりと言われています。 -
遺跡群の直前にお土産屋さんとトイレ、そして演場があります。そこで定時に民族舞踊を見学できます(追加料金なし)。タイやカンボジアのそれと似て非なる舞踊です。
ただ、その後がいけません。照明が暗くなり、赤いランプが怪しく光ります。露出の非常に多い踊り子さんが官能的な踊りを見せますが、ストリップを見ているみたいです。欧米のおじさんには大受けでしたが・・・。
どうも、この場所にはそぐわないと思います。 -
ミーソンはチャンパ王国の聖地とされています。チャンパ王国はチャム人を主体とする国ですがチャム人の統一国家ではなく、都市国家の連合王国のようなものとされています。チャム人はシヴァ神を主神とするヒンドゥー教を信仰していました。
またチャンパ王国は近隣の諸国と抗争を繰り返しています。ただお互いを完全に殲滅する戦いではなく、大がかりな略奪に近いものです。それぞれの国家が断絶していないからです。アンコールトムの壁画にはチャンパとの戦いが生き生きと描かれています。 -
この「リンガ」があることがシヴァ神信仰の明確な証明の一つです。そして想像通りこの「リンガ」はシヴァ神の男性器の象徴で、土台となっている石は「ヨーニ」といい女性器の象徴。シヴァ神が性交している状態を女性側から見ていることになります。照れながらガイドさんが説明していました(笑)。
この「リンガ」に水をかけ、流れた水は聖水として用います。 -
石と煉瓦で寝殿や祠堂を建造しています。その煉瓦ですが、煉瓦と煉瓦の接合部分に漆喰などの接着剤を使用せずに十分な強度を持たせています。どのような技術で接合したのか今日でも謎の一つです。また煉瓦はこの地の土ではできておらず産地が不明です。
-
煉瓦の彫刻がほぼ完全に残っています。彫刻と建築の高い技術がうかがえます。建築当時、金で覆われていた祠堂もあったといわれています。
チャンパ王国は「海のシルクロード」の中継地点の一つとして栄え、その交易を通してインド文化の影響を強く受けたとされています。その中で技術と富を得たのでしょう。 -
風化や人的破壊によって遺跡自体が自然に帰りつつあります。現在60〜70棟の祠堂跡が確認できるそうです。そのうち数世紀にわたり25棟程度が残っていました。しかしベトナム戦争で戦地となり、20棟がかろうじて残りました。
-
ベトナム戦争時の爆撃跡(クレーター)
写真では見難いかもしれませんが、大きな穴が開いています。米軍の爆撃によるものです。この辺りはベトコンが潜んでいると徹底的な爆撃が加えられたそうです。その煽りを食らい遺跡も大部分が破壊されてしまいました。爆撃で破壊されなかった遺跡も、米軍の工兵隊がヘリで来て直接爆破したそうです。
フエの王宮といい、戦争は歴史的価値のあるものを簡単に破壊してしまいますね。非常に残念です。 -
イチオシ
最後にフランス名物路上キス
周りに観光客がたくさんいるのに気にせず、チュー。フランス語らしき言葉を発していたので、フランス人と決めつけました(笑)。
ベトナムはフランスの植民地だったせいもあるのでしょう。フランス人が多いですよ。上記ホテルのゲストは大部分がフランス人です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
11