2012/05/26 - 2012/05/26
13位(同エリア35件中)
ベームさん
3日目、5/26。
ゾースト~ミュンスターオスナブリュック~ブレーメン。
ヴェストファーレンからニーダーザクセン地方の旅です。今日も良い天気が続きます。半袖で十分です。
ミュンスター:人口28万人、ドイツでは大きい都市。9世紀初頭カール大帝が司教座を置く。13世紀ハンザ同盟に加入、穀物取引で栄えた。
ここはなんと言っても1648年に30年戦争を終結する「ヴェストファリア条約」が締結された地として名を残している。
大学の町としても有名で、ここの大学(ヴェストファリア・ヴィルヘルム大学)はドイツ第2の卒業生を持つ。
オスナブリュック:人口17万人。ミュンスターの東北約100キロ。13世紀ハンザ同盟。ミュンスターと同時にここでもプロテスタント側の「ヴェストファリア条約」が結ばれた。
郊外にあるトイトブルクという所で紀元9年ゲルマン民族がローマ軍団を殲滅し、以後ローマはライン・ドナウ川以西に後退することになる。
「凱旋門」、「西部戦線異状なし」の作家レマルクは1898年ここの生まれ。
写真はミュンスターの街角に立つ行商人キーペンケアルの像。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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赤まる
南から北へゾースト、ミュンスター、オスナブリュック。 -
ゾースト発7:56のERBでミュンスターに向かいます。
ドイツの鉄道は民営のDB(ドイチェバーン)の運営が圧倒的だがローカル線などは効率化のためその地域の企業体に運営を譲渡しているところも多い。日本でいう第3セクターの様なものかどうかは分かりませんが。その場合地域地域で夫々のデザインの車両を投入しておりそれを見るのも楽しい。このERBオイロバーンもその一つ。ただし切符、パスなどはDBと共通。 -
途中の田舎町の駅。
若い娘さんが二人のんびりと列車を待っています。 -
ミュンスター駅到着。8:47。
発車時刻、到着時刻は時刻表の数字をを書いていますが実際は多くの場合このとおりにはなりません。5~15分遅れるのが普通です。アナウンスとか掲示板に遅れの表示が出て、それが10分になり15分に延びていきます。極論すればドイツの鉄道は走れば遅れる、すなはち遅れないことには走らないのです。
乗換えがあるときは遅れるとはらはらします。しかしそこは良くできたもので乗り継ぐべき列車も遅れてくれるので大概乗り換えできるのです。ドイツの鉄道運行体系は互いに遅れあうことで機能しているようですね。 -
ミュンスター駅。
8:47着。
地方の大きな都市らしく賑やかな駅前です。 -
さて方向は。
荷物をロッカーに入れ駅前から延びるヴィントホルスト通りを行きます。 -
さっそく教会がありました。
クレーメンス教会。 -
クレーメンス通りに出ると向こうに塔が見えます。
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市庁舎の塔です。
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塔を右に曲がるとメインストリートのプリンチパルマルクトです。向こうにランベルティ教会が見えます。
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プリンチパルマルクトのミュンスター市庁舎。
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ミュンスター市庁舎。
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市庁舎の中の平和の間。
ここで1648年に1618年から続いたいわゆるドイツ30年戦争終結の「ヴェストファリア条約」が結ばれました。ミュンスターにはカトリック、オスナブリュックにはプロテスタントが集まり夫々条約が結ばれています。
30年戦争とはドイツの国土を主戦場にカトリックとプロテスタント、それの後ろ盾となる神聖ローマ帝国、ハプスブルク、フランス、オランダ、スペイン、スエーデン、バイエルンなどの諸国が入り乱れて戦った悲惨な戦争で、ドイツの人口は3分の1とも半分に減ったとも言われています。 -
ブレヒトの戯曲「肝っ玉母さんとその子供たち」やグリンメルスハオゼンの「阿呆物語」、シラーの「ヴァレンシュタイン」に30年戦争が描かれている。ローテンブルクのマイスタートゥルンク(3リットルワインの一気飲み)の伝説も30年戦争のお話。
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平和の間。
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平和の間。
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平和の間。
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平和の間。
彫刻が施された腰板。 -
条約締結時に使われたクッション。ボロボロになっています。
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市庁舎のホール。
正面の扉の向こうが平和の間。 -
市庁舎のホールに吊るしてある帆船。
ハンザ時代に活躍した帆船コッゲというものでしょうか。ミュンスターは海からは遠く離れていますが河川、運河で船による交易も行っていたのでしょうか。 -
ミュンスター市庁舎の隣のワインステューベ。。
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プリンチパルマルクトの建物。
昔の都市貴族パトリチアの邸宅が並びます。 -
プリンチパルマルクトの北端にあるランベルティ教会。
1450年。 -
ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
3つの鉄の籠が見えます。16世紀宗教改革のあらしの最中1534年一時プロテスタントの再洗礼派がこの町を支配した。これをカトリックの軍隊が攻め再洗礼派の首謀者を処刑し見せしめのためこの檻に入れて教会の塔につるし晒した。神(宗教)の名のもとに行われる非人道的な行為。特にキリスト教社会の歴史では残酷なことが行われてきました。魔女狩り、魔女裁判などはその最もたるものでしょう。 -
ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
重厚な建物です。 -
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ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
主祭壇と後陣。 -
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パイプオルガン。
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ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
マリアが足を大きく広げてどっしりとキリストを抱えている構図はミケランジェロのピエタとそっくりです。 -
ランベルティ教会。
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ランベルティ教会。
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プリンチパルマルクトからロッゲン通りに続くハンザの盛時を偲ばせる豪商たちの建物。
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トラム。
二階建てです。 -
なんのお店の看板だったか。ビールのブランド、ヴァルシュタイナーの名があるから酒場でしょう。
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ドミニカーナ教会。
プリンチパルマルクトの付近にはいくつか教会があります。 -
ドミニカーナ教会。
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アポステル(使徒)教会。
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アポステル教会。
この近辺教会が多いです。忙しい。教会名も間違っているかもしれません。 -
キーペンケアルの像が建つボーゲン通りの広場。
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行商人キーペンケアル像。
商人の町ミュンスターの象徴。この像を探していてわからず人に訊くと、これですよと目の前を指され笑われました。
この行商人、とても粋ですね。品物はなんでしょう、林檎かな。 -
路傍に建つ十字架像。
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ミュンスターのドーム、聖パウルス大聖堂にやってきたが市場が開かれていて思うように進めません。
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ドーム広場の露店市。
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白アスパラ/シュパーゲルが山積み。
緑色の普通のアスパラガスも並んでいます。 -
ところがなんと、大聖堂は大修復中で板囲いされていて入れない。隣の宝物館の人に訊くと、”今年のクリスマスまで閉鎖されている。来年おいでなさい”とつれない返事。私はEUの陸続きの国からきているのではない、飛行機ではるばる日の出ずる国からきているのだ。
やんぬるかな、有名な天文時計が見たかったのに。 -
大聖堂。
ということで外から眺めるだけ。 -
大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂の横にあるビショフスパレス/司教館。
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次の教会を目指します。
ユーバーヴァッサー教会。 -
ユーバーヴァッサー教会。
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ユーバーヴァッサー教会。
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ユーバーヴァッサー教会。
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ユーバーバッサー教会。
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ミュンスターの街並み。
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プリンチパルマルクトに戻りルトゲリ通りを南に下りルトゲリ教会。
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ルドゲリ教会。
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ルドゲリ教会。
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ルトゲリ教会。
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ルトゲリ教会。
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ルトゲリ教会。
パイプオルガンの練習中でした。 -
ルトゲリ教会。
ここまで来ると大聖堂での落胆もあり足も痛み気力喪失、駅に急ぎオスナブリュックに向かいます。なんだか教会ばっかりのミュンスターでした。 -
オスナブリュック駅。
ミュンスター12:03発WFB、オスナブリュック着12:39。
WFBはこの地域の鉄道で、多分ヴェストフェーリシェ バーンの略でしょう。
荷物はロッカーに。 -
駅を出てゲーテリンクをまっすぐ行くと最初の大きな建物はやはり教会でした。
ヘルツ・イエズス教会。 -
ヘルツ・イエズス教会。
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ヘルツ・イエズス教会。
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ヘルツ・イエズス教会。
重量軽減のため板張りの天井はよく見かけます。 -
何の像でしょうか。労働者風です。
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ヘレンタイヒ通りを行くと向こうに大聖堂が頭を覗かせました。
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オスナブリュックのドーム、聖ペーター大聖堂です。
当初785年、今のは1277年。オスナブリュックは先の大戦で町のほとんどが破壊されたというからもしかしたら戦後の再建かもしれません。 -
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大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂。
ここは中に入れました。 -
大聖堂。
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大聖堂。
説教壇。どうやって登るのだろう。 -
大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂。
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大聖堂前の広場。
ここでも市が開かれています。ミュンスターのそれよりは小さいです。 -
マルクト広場に向かいます。
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マルクト広場。
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オスナブリュック市庁舎。
1512年。 -
オスナブリュック市庁舎。
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マイバオム(5月の木)の一種でしょうか。
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市庁舎の中、平和の間に関する掲示版。
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市庁舎平和の間。
1648年、ミュンスターと同時にここでもプロテスタントが集まり30年戦争終結のウエストファリア条約が締結された。 -
ミュンスターの平和の間より簡素。プロテスタントらしい。
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平和の間。
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市庁舎の中、レマルクに関する掲示版。
エーリヒ・マリア・レマルク:1898年オスナブリュック生まれ、1970年スイスで死去。第1次世界大戦従軍の経験をもとに書いた「西部戦線異状なし」で文名を馳せる。反戦作家の理由でナチの迫害をうけアメリカに亡命。第2次世界大戦後、開戦前夜のパリを舞台にした「凱旋門」、大戦末期のドイツを舞台の「愛する時と死する時」を発表。
すべて映画化されているが「凱旋門」で薄倖の女性ジョアンを演じたイングリット・バーグマン、ユダヤ人の医師ラヴィックを演じたシャルル・ボアイエ、昔は良い俳優がいた。 -
市庁舎の隣にある聖マリア教会。
起源1173年。 -
聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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聖マリア教会。
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壁の絵や彫り物が面白い。
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拡大。
火、空気、水、大地。 -
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ヴェテキント通り。
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オスナブリュックの繁華街。
ミュンスターを見てオスナブリュックを見て疲れました。予定を早め今日の宿ブレーメンに向かいます。
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