2012/05/10 - 2012/06/02
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アーサーさん
鉄道を利用して、春爛漫の西ヨーロッパを周遊してきました。(23日間)
5月10日〜13日 オランダ
5月14日〜18日 ベルギー
5月19日〜20日 バルセロナ
5月21日〜24日 南仏
5月25日〜6月1日 パリ
熟年夫婦の 計画準備不足による珍道中となりましたが、無事に日本に帰ってきました。(少し疲れました。)
その1 オランダからバルセロナまで
その2 南仏からパリまで
の二編に分けて掲載します
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 2.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(13)-5月21日(月)
(211)ホテルを7時30分に出て タクシーでバルセロナ サンツ駅に行く。
時間があったので 列車の乗り場を確認して、駅構内のマックで朝食を買ってから フィゲラス=ビラファント駅行のA233普通列車改札の列に並ぶ。
改札で1等パスとTGVのスペインの「フィゲラス=ビラファント駅」からフランスの「ニーム駅」指定席特急券を見せたが、フィゲラス=ビラファント駅行の予約券の提示を求められ、持っていないと述べたら、窓口で購入するように言われる。
慌てて 窓口に行くが「売り切れ」と言われ、あらん限りの英語で説明するが 「どうしようもない。」とスペイン語で回答しているみたい。
8時16分の出発予定時間が過ぎ、では どうしたら フランスのニームまで行けるか 尋ねたら 日本で見慣れたドイツ鉄道の検索ページから調べた駅・時刻を打ち出し、9時16分発の列車でサンツ駅を出発して、Cerbere駅へ行き、乗り換えて、更にPerpignan駅へ行き そこでTGVに乗り換えれば 15時26分ニームに着くとスペイン語で説明してくれる。悪い人でないことはそれなりに分かった。
不安だが 本日中にニームまでは行けることが分かる。 少し冷静になり マックに戻り 朝食のハンバーガーを食べる。味覚を失った感じ。
1時間遅れの 普通電車でCerbere駅へ出発。
写真は サンツ駅のプラットフォーム。朝の通勤の人達が 足早に通り過ぎていく。 -
(212)窓口のやり取りで「Cerbere駅」がフランス側の駅で そこに行かないと スペイン側では詳しいことは分からない と言うことを漠然と理解した。
定刻に発車した列車は坂を上り 人家の少ない山の方面に走っているみたい。どこを どう走っているのか分からず、不安は増す。
(ピレネー山脈とかが スペインとフランスに国境にあったな。そんな山奥で放置されたら どうしよう?)
写真は その車窓の風景。前々日寝台車で 通った風景とは違うみたい。 -
213)2時間半程 各駅停車運行の不安の後 突如 海が見えだした。
これで 自分のいるところが 地中海側と分かり、一安心。 -
214)フランス側の国境の駅Cerbere駅に着き 切符売り場でPerpignan駅からのTGVの予約をしようとした。ところが満席と断られ、あとはフランス語で何か言っている。こちらは絶体絶命の気分。
らちがあかないと思ったのか、係りの人はフランス鉄道(SNCF)の時刻表のパンフレットを示し、ペンで印をつけて渡してくれた。とにかくCerbere駅発の普通列車に乗れと言っていると理解してプラットフォームに行こうとした。そこで普通電車の行先表示を見たら「Avignon」。
今晩の宿泊予約地のアビニヨン。 この列車に乗って行けば アビニヨンに着くことができると分かった瞬間一気に力が抜けた。
写真はその国境の小さな駅 Cerbere駅と停車中の普通電車。
(列車の出発まで10分ほど時間があったので 取りあえず 自動販売機で水とお菓子を急いで購入。) -
215)車内に落ち着いて 渡された時刻表のパンフレットを見れば この普通電車に乗って行けば、ニームに着くのは 途中でTGVに乗り換えて行くのと 20分位しか変わらないことが分かった。(このことを駅員さんは 言いたかったのかと理解。)
もともと 本日は バルセロナからフランスのニースへ行くのに 長時間列車に乗るのを避けるための 中間宿泊の日だった。
折角ニームを通るなら ローマ時代の競技場でも見て 法王庁跡の見学も兼ね アビニヨンで宿泊しようか という計画だった。
ニームの見学を諦めると 14時アビニヨン着予定が 16時20分着に変更すれば済むということが分かった。
写真はSNCFの普通電車車内。カラーのトーンがスペインの列車と異なり 明るい。 -
216)対応が分かってしまえば 安心。約4時間のローカル列車の旅を楽しまなければ。
天気は曇りだが 南欧の景色の移り変りも楽しい。
後日 日本での列車予約の私のミスが分かる。ドイツ鉄道の資料に普通電車A233の記載に「Subject to compulsory reservation」と確かに書かれていた。日本のレイルヨーロッパの発券オンラインにその予約列車が無いこと理由に 一等座席もない 普通自由席電車と 勝手に自己解釈。(エライ目にあった。)
ただ 何故スペイン鉄道がA233を予約必要車両にしたのかは 乗客側の立場からは意味不明。(少し極端にいえば 横浜駅から新横浜駅の普通直通電車を座席指定にしたのと同じ感覚。TGVの予約は理解できるが。)
(EUがまだ国家の枠の部分で動いているところが残存している為か と思った。) -
217)列車はフランスの地中海に沿って 走る。
護岸工事のないところを走ると 自然のままでいいなぁと思う反面 津波国日本から来た身には 恐怖も感じる。
写真は海際を走る風景。空は残念ながら 曇っている。 -
218)列車はアビニヨンに16:20到着。
駅から一本道の 本日の予約先 「ホテル・ド・ロルロージュ」へ歩いて向かう。
「時計台広場」の角に ホテルがあるはずだったが 発見できず。英語で尋ねても観光客の人が多く 少し困る。カフェの従業員の方に尋ねて 分かる。
更に細い道を曲った所に ホテルの入り口があった。
写真は その入り口。(思ったより 狭い。) -
219)チェックインして ホテルの部屋から 街を眺める。
(ホテルは小さかったが、内装が新しく気分が良い。)
城壁に囲まれた 中世の雰囲気がの残る町並み。
旧市街はこじんまりしていて 道も狭い。 -
220)暫し休憩後 街の観光に出かける。城壁まで 歩いて直ぐ。
写真 街を囲む城壁を写す。一方通行が多く 自動車の運行は難渋している。 -
221)写真 (城壁の外側) ローヌ川の途中で崩壊した「アビニヨン橋」
12世紀の完成時には 中州を超え 向こう岸まで900mの長さだったとか。
現在は100m位が残る。 風に吹かれて往時をしのぶ。 -
222)崩壊した橋の先端から 振り返り 法王庁宮殿方向を撮影。
「アビニヨン橋で踊ろうよ。・・」の歌を口ずさむ。
朝の 何処にいるのか、何処に向かっているのか 分からない不安から 抜け出し こうして 予定通りアビニヨンにいる幸運に心も軽い。 -
223)夕食の場所を探して 街を歩く。
観光の都市。(ベルギーのブリュージュと似た雰囲気。)
お目当ての オペラ座裏のレストランはまだオープンしていなくて 結局ホテルの近くに帰り、パン屋兼のカフェに入る。
若い女性が親切で こちらの下手な英語に対応してくれた。
気分的には 今朝からの騒動で こうして アビニヨンで夕飯を食べているのが信じられないほど。
街のケーキ屋さんで 本日の慰労も兼ね デザートのケーキを買い 部屋で食す。 -
224)翌日の朝も利用した 地元の人ご用達のパン屋兼用カフェ。
写真は朝食を撮影。
焼き立てパンが美味い。 -
(14)-5月22日(火)
225)朝 法王庁宮殿入口。(日本語オーディオガイドを借りる。)
昨夕のアビニヨン橋入場の際 にアビニヨン・パッシオンを手に入れておいたので、入場料が割引。 -
226)学童グループも見学学習。
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227)法王庁宮殿は建物装飾も含め内部造作物は何もない。
でも 建物のスケルトンから当時の広さが分かる。 -
228)法王の「アヴィニョン捕囚」と高校時代の世界史授業しか 覚えていないが、フランス国王の権力の増大を実感して、それなりのイメージが広がる。
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229)ローマ法王の権威の盛衰をドラマとして想像できて 以降の歴史の転換点として興味深い。
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230)装飾物がないことが かえって 想像力を増す。
来て良かったと思った。 -
231)法王庁の帰り 狭い道を抜けていると 古い教会に出くわす。
調べると「サン・ピエール教会」 -
232)中に入ると 小さいけれど 雰囲気のある 昔からの教会。
現在も 人々の日常の生活で使われて 生きている教会。
先ほど見た もぬけの殻の「法王庁宮殿」との落差が大きいだけに ちょっと驚く。 -
233)それから ホテルに戻り チェックアウト。
11:30の列車でカンヌに向かうため タクシーで街外れのTGV駅へ。
写真はそのアビニヨンTGV駅。駅舎は随分奇抜なデザイン。(確かに 空港をイメージしてデザインしたのが分かる。)
駅で その列車でニースまで行先変更したいと相談したら ちょっと調べて 空席は無いので そのまま乗って行けとのこと。??? -
224)プラットホームに 列車編成が表示されていたので写す。
表示があると 乗る位置が分かりやすい。 -
225)TGVの入線。
フランスのTGVは日本の新幹線と異なり 在来線を走ることが 地方では多かった。また都会部分では 何故かスピードを落として走行することが多かった。
思った以上にフランスでは TGVの路線がパリを中心に広がっていたのを知る。
(日本の新幹線の強力なライバルであることが分かった。) -
227)TGV一等車内。ほぼ満席状態。
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228)車窓には南仏の海岸線の風景が広がる。
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229)ニースに14時半頃到着。
(カンヌからニース迄 空席が増え、チェックも来なくて 確かに 継続して座っていても 問題は無かったが。)
写真はニース駅 -
230)ニースでホテルは海岸に比較的近いところを予約していた。「Hotel de Suede」
駅からタクシーでホテルへ。
(多弁な運転手だった。メーターが分からず、15ユーロを指定され払う。
後日 ホテルから予約して駅まで利用したが、渋滞して迂回したにも拘らず メーターで13ユーロの支払。何となく フランスでは同種の気分的に引っかかること多し。)
写真はホテルの部屋から 海岸方向を写す。 -
231)眼下の通りを写す。観光客の人通り多い。
妻の体調優れず。ホテルで休息。
私一人でニース駅まで歩いて戻り、カンヌへ普通列車で約40分かけて行く。
(カンヌ駅の荷物の預かりロッカーが閉鎖されている情報を先に得ていたので、ニースでチェックインして荷物の手離れを優先した。) -
232)カンヌには映画祭が行われているので 折角通るのならば 寄るだけでもの計画プラン。
一般人には全く関係のない祭典ということは知っていたが、駅を降りると それなりの熱気を感じる。
「追っかけ」「派手な格好でアピールする人」「ホテルの従業員か借りてきたタキシード風の人」「名前のワッペンを首からぶら下げたマスコミ人」が道路をウロウロ。
写真は小さなカンヌ駅。
(駅から海岸まで目の先。) -
233)映画祭の会場「パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ」
よく報道される赤い絨毯が見える。 -
234)海側から映画祭会場を写す。白い小さなテントが各マスコミ用のテント?
南のイメージを演出して、海岸は砂浜で結構きれい。 -
235)もう一度 会場近くに戻り 撮影。
周辺には 私のような野次馬さんが多くいた。
それから 駅に戻り 普通電車でモナコへ。 -
236)約1時間の乗車で 七時過ぎ モナコ到着。
途中 海岸沿いに豪華な別荘風の家を見かける。空も晴れてきて 南欧の雰囲気充分。
モナコ駅の地下側出口から出て 直ぐに F1グランプリの準備が進む公道に出くわす。
(明後日からここをレーシングカーが唸りを上げて走るはず。)
街を挙げて 国を挙げて F1グランプリ一色の感じ。 -
236)仮設スタンドの座席案内も表示され 観客席の準備も完了のように見える。
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237)岸壁に豪華クルーザーが 数多く停泊して F1観戦の一等地。
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238)F1当日は多分この金網に目隠しシートが掛けられ 公道と遮蔽するのだろと思う。沿道のマンションの三階位からも絶好の観戦場所。
歩いてモンテカルロのカジノへ。 -
239)カジノ前景。時間が早い為か 人通りは少なく 寂しい感じ。
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240)パスポートを提示して 10ユーロの入場登録料を払い 内部へ。
(写真は撮影禁止。)
建物装飾は絢爛豪華だが カジノの優雅さは無い。
意外にも 寂れた賭博場の感じ。
モナコの国家予算の大半をカジノの収入から得ていた話は過去のこと。
カジノでトイレを借りて、玄関で煙草を吸って 冷めた気分で帰る。
写真は煙草を吸った玄関。 -
241)写真は こちら側のプラットフォームはフランス行き、あちら側のプラットフォームはイタリア行きの駅構内の表示。
両大国に挟まれたモナコが極小国家であることが分かる。
昔 観光と賭博で立国した君主国が 今 観光と「タックスヘイブン」で立国する君主国。EC問題等を考えると少し複雑。(無政府資本主義のあだ花)
ニース駅からホテルまで歩いて帰る。15分程。駅前の道だけれど 最短の道を選択したためか 暗い。
妻は風邪気味。
10時を過ぎ 面倒になり 一人 角のハンバーガ屋で バーガーのセットを頼む。
深夜 腹痛で目覚める。(食べ過ぎ。) -
(15)-5月23日(水)
242)
二人とも、大事を取って 午前中はホテルの部屋で休息。
昼近くになって 海岸に出かける。
海の色が乳白色に光り、柔らかい。
(沖縄やオーストラリアのグレートバリアリーフの海ほどではないが、都会に隣接する海としては 美しい。) -
242)日差しも温かく、日光浴をする人も散見。
浜は砂利石の浜辺。 -
243)湘南の風景を巨大にした感じ。
思っていたほど「プライベートビーチ」の占有率は高くなく解放されている。
途中で妻は日差しに参り、大事をとって、ホテルに。 -
244)「マセナ美術館」かどうか自信がないが、南国らしくて 海岸通りから写す。
-
245)花市の「セレヤ広場」に行くつもりが、反対方向に歩いてしまい、
途中で気づき (海岸道路を歩くのが 日差しがきつくて) 市街の道を通ってホテルに戻る。
途中で街の中の公園。バラが咲いていた。 -
246)夕方近くなって 元気が回復してきたので エズに行こうということになる。
近くのマセナ広場に行き、長距離バスターミナルまでのトラムに乗車しようとする。トラムが接近する状況で自販機で切符を購入しよとして 購入切符の種類の選択画面で慌ててしまい、少し手間取る。その時 後方の若い女性が手助けをしてくれる。
トラムに飛び乗る感じで乗ったが 最後に乗ったその女性が後ろ足を ドアに挟まれてしまう。
責任も感じて 両手で必死にドアを開けようとする。妻も。
トラムは動き出したが 直ぐに停車して ドアを解放。
すると その女性は降車。続いて2人の中年の女性も降車して 私の心配を余所にトラムから離れて 去っていく。トラムは動き出す。
写真は帰りに写した「マセナ広場」とトラム -
247)ホッとすると同時に 何かおかしいと感じ、ショルダーを見てみると異常は無し。妻がポシェットを確認すると財布がない。妻もホテルを出るとき財布を入れたかどうか自信がないという。
(以前 ホテルの部屋に財布を置き忘れて、外出して 途中で心配したことがあった。)
とりあえず 即座に打つ手がないので そのまま 「エズ」に向かう。
写真はその直後のトラムの車内。結構混んでいた。
後ほど ホテルに戻り確認したが やっぱり 掏られていた。
若い女性の救出に注意が行ったとき 背後の女性二人組に狙われたのだと思う。
プロの仕業。でも被害現金は数千円。カードが三枚。
(カードは即刻連絡して停止。) -
248)バスターミナルでエズ行のバスに乗り、旧市街を通り山へ。
山の別荘風の住宅街を通り 約40分で エズの入り口へ。
そこから 徒歩でエズの古い町並みを登る。
写真は 昔の石畳の狭い道。(観光資源として上手く利用。) -
249)山頂の「エズ公園」
何故サボテンかは分からないが サボテンと彫刻の公園。
南欧の空に映える。 -
250)山頂から地中海の眺望が広がる。
少し 歩いて登ってきたことも 気分を高揚させる。 -
260)確かに「鷹の巣村」の歴史も 観光売り出しの一役も買っているのだろうが 観光資源の利用、演出が成功している。
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261)負け惜しみに近いが 故郷 瀬戸内海の島々も やり様によっては 近い資源を持っているのに と悔しく思った。
屋根の陰に猫が。 -
262)
猫がのそっと出てくる。
ホテルに帰り、盗難が判明後 カード会社に私が電話する。
1社は 心配ない旨 伝えようとしてくれた。
1社は 本人が出るように言い、幾つかの質問で 更に妻が落ち込む。
1社は 日本でしか電話を受けず、深夜の為 子供達に処理を依頼。
始めての海外盗難経験で、色々と感じるところがある。
(保険会社、カード紛失時の連絡先は日本の家族連絡先とともに、日本で作成し、緊急連絡等のメモをを携帯していた。)
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(16)-5月24日(木)
263)11:34発のTGVでパリに向かう。
写真はニース駅改札のモナコ「F1GP」行の専用レーンを写す。大変な混雑ぶりらしい。(10時から走行開始なので もうピークは終わっていた。)
場合によっては F1グランプリを私だけでも 当日券を買い 10分だけ見学体験をしようと思っていたが 時間的に余裕のない計画の実行を危惧して取りやめ。
残念ではあるが。
駅のキオスクで 車中での水とスナック菓子を購入した時 若い係りの人に ショルダーからお金を出そうとして 「強盗、スリに気をつけろ。」と忠告される。どこか私に「すき」があると思ったのだろうと自戒する。 -
204)パリまで約5時間半のTGVの旅。フランスを南から北に走る。
確かにフランスは粗放の農業国。畑で働く人は見かけない。地方の資本集積も少ない感じ。
昼過ぎ 列車の売店で簡単なランチを購入。係りの人は一人だけ。レンジを利用して暖かい料理を提供していた。(新幹線価格より高い。)
車窓の写真は実りを迎えた広大な畑。 -
205)
パリ到着駅リオン駅の20分前位からやっと 都会的車窓風景に変化。
(それまでは農村地帯風景)
17時過ぎリオン駅到着。
駅から 偶々ベンツの新車のタクシーでホテルへ。
ルーブル美術館の近くの ホテルアパ-トを予約していて 運転手にホテル発行の所在地図も見せたが、道がわからず。
同じところを右往左往して 結局 大通りで下され、フランス語で 方向を指さされる。
仕方がないの尋ねながら探す。
写真はリオン駅の 駅名看板。(パリに帰ると 日本に近ずいてきた気分。) -
206)写真は探し当てた 「シタディーヌ パリ レアルホテル」の玄関。
確かに シャトレ駅の繁華街の雑踏に位置して 再開発の大規模工事中の為 殆んど一方通行で 車のルートが分かりにくいのは理解するが 隣のホテル「ノボテル」にはタクシーが出入りしているのを目撃すると 不親切なドライバーに当たり 重いスーツケースを引っ張った不運を恨む。 -
207)広い部屋と、当座の生活用品が完備した アパートには満足。ネットのスピードも速い。
写真はキッチンとバスタブを写す。
電磁調理と食洗機がキッチンの右側に。
冷蔵庫は反対側に。レンジオーブンが使い勝手が日本と違い 少し手間取る。調味料のみ用意されていないかった。 -
208)都心での行動を考え あまり滞在日数に余裕がなかったので 分かりやすい立地のホテルを選択。パリのホテル費用が馬鹿高く、最後まで ネットで探したが 結局このホテルに落ち着く。
(値段を考えると腹立たしいが このアパートホテルを存分に利用することは出来たと思う。)
写真はアパートホテル隣の噴水広場「イノサンの泉」 (この向こう側を 3分ほど歩くと 「ポンピドーセンタ」)
レセプションで教えてもらった 近くのスーパーに行き 早速 食材購入。
帰って 夜 コイン洗濯機と乾燥機で 洗濯。10ユーロ。便利だが 高くて以降は利用せず。 -
(17)-5月25日(金)
209)パリの朝。窓のカーテンを開けると日差しが強い。
下を見ると 噴水広場の片隅で 寝袋を利用して 数名が就寝中。ホームレスにしては統制がとれているなぁと思いながら眺めた。 -
210)食材と調理器具が揃ったので、豊かな朝食。
卵は高いが野菜は安くて美味い。
(日本とは野菜の鮮度が異なる。パリには近郊野菜の産地が残るため?) -
211)本日よりパリミュージアムパス(6日間)使用開始。
ルーブル美術館の9時オープンに間に合うように 8時50分ごろ アパートを出る。
9時過ぎリシュリュ翼側から入り、一旦地下へ。入場手続きをして 慌ててシュリー翼の建物に入り、それから間違いに気付き 「モナリザ」のあるドノン翼に入りなおす。
写真はルーブル美術館の入り口を探していて リヴォリー通りから写す。 -
212)37年前の記憶が残る 「サモトラケのニケ」
同じところで 迎えてくれた気がする。 -
213)それから 取りあえず「モナリザ」へ。
昔は もっと身近に見られたのに 今はロープ越しに少し距離を置いて見る。
老けた印象を感じる。(私の目が年老いたためか?) -
213)ミロのビーナスにも再会
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214)「瀕死の奴隷」には初めて会った気がする。
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215)展示内容に圧倒され続ける。途中 セルフのカフェで暫し休憩。
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216)学童グループが 先生に引率され 模写している横で 話を聞いている。(有色人の学童が多かった。)
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217)今回は3時間以上をかけて 一応 館内全域を見て回った。
さすがに 疲れたが満足してルーブル美術館を後にする。
写真はカミーユ・コローの「真珠の女」 -
218)地下の「ピラミッド」側から リシュリュ翼側の出口へエスカレータ登っているとき 先を行く妻と余韻のおしゃべりしていたが、手すりに手を置いた左の腕の辺りに 微かな違和感を覚え、視線を左に動かした。エスカレータの壁に 近接してくる手が写る。思わず、咄嗟に「こらぁ」と大声を上げ 振り向いた。若い身なりの良い(美術館見学に相応しい恰好の)女性がいて、「Excuse me.」と言って、次の踊り場ステップで降りて下って行った。もう少し年配の女性と二人連れだった。私は左側にショルダーを下げていて、それを狙ったかどうか確証は持てないが、目に入る限り エスカレータには私達夫婦と その二人連れしか乗っていなかった。間を詰めてくる必要はない。
油断は出来ないなぁと思った。
写真は「いかさま師」 -
219)アパ-トの部屋に戻り、軽いランチと休憩。
2時過ぎ シテ島の観光に歩いて向かう。
写真は 途中のセーヌ川ジャンジュ橋。
(パリも自転車の利用が多い。) -
220)シテ島は古くからの建造物が多い。
まず 「ノートルダム大聖堂」へ行く。
観光客も多く 入場待ちの行列。 -
221)中に入る。
観光地の雰囲気で静寂とは言い難い。
ステンドグラスは見事だが。 -
222)
南「塔」への入り口の前に 待ち行列が出来ていたので、暑くもあり 登るのはパス。 -
222)写真はバラ窓
シテ島を歩いていて 道を女性のガードマンに尋ねたら テキパキとした英語で答えてくれた。(後で知ったが、パリ警視庁の警官だった。シテ島には仏最高裁もある。)
それから サンミッシェル橋を渡り パリ左岸からシテ島を見て また 来た道を戻り、「サント・シャペル」へ行ったが 待ち時間が長そうなので 「コンシェルジュリー」へ行く。見学通路を間違えて「蝋人形」の方には行けずに出て アパートへ帰る。 -
223)アパートで 一休みして 4時過ぎ 日差しも和らいだので 周辺の散策も兼ね 外出。(アパ-ト周辺の地理、特に駅の出口との位置関係を頭に入れたかったので。)
ルーブル美術館の方向に裏道を通り 「パレロワイヤル」を取りあえず目指した。途中「骨董品店街」のビルに入り込み、見物するも何もなし。(空きスペース多し。)更に ルーブル美術館との間の催しテントを見るが 興味を持つものなし。・・・写真撮影(向こう側にルーブル美術館が見える。)
斜めの道「オペラ通り」から パレ・ガルニエが見えたので そちらに歩く。 -
224)道すがら 道路標示に「観光案内所」の表示があったので そちらに寄り、パリ・ヴィジット(三ッ日券)を購入。市内地図、路線図を貰う。窓口の人は 簡単な英語で親切。
(私は 旅行案内書に「ピラミッド」と記載されてたので ルーブル美術館のピラミッドの所にパリの「観光案内所」があると誤解していた。)
写真は歩いていて見かけた ガラスをふんだんに使用して 開放的なビル。
(地震国日本では無理だなぁと思った。) -
225)ついでに 近くのJCBプラザ・ラウンジに寄り、共通交通チケット10枚セットの「カルネ」を購入し、その他の情報を入手。
対応してくれた人は親切。日本語の会話は楽と実感。
この辺りまで来ると、「パレ・ガルニエ」が近くて、写真撮影。(後日の訪問が楽しみ。)
パレ・ロワイヤルの外側だけ見て、スーパーで夕食の材料を買い、アパートへ帰る。
夜 「フォーロム・デ・アール」の地下商店街と駅の出入り口を確認に散策。
警官多し。
(夜 犬を散歩させる若い女性を見かける。確かに 脱糞の後の処理をしていない。朝 路上に忘れ物が多く、踏みつけると悲惨。)
金曜の夜の為か 深夜まで外は煩い。 -
(18)-5月26日(土)
226)本日は まず朝9時半オープンのオルセー美術館に向かう。
昨日購入した「パリ・ヴィジット」の使用を開始する。
写真は アパートの建物の道を隔てて直ぐ隣の敷地の地下入口エスカレータ。
「Chatelet Les Halles」駅。RERのB線、A線、D線に連結の駅。
更に メトロの4号線の Les Halles 駅、1号線、4号線、7号線、11号線、14号線の Chatelet 駅、 と地下で複雑に繋がっている。
乗る時は (メトロ4号線を利用するとき以外は) この写真の入り口から入り、構内の指示表示に従った。(4号線を利用の時は アパートの玄関の前の地下入口から乗った。)
列車を降りた時は ともかく地上に出て 位置を確認して 地上道路を使い アパートに戻った。
(4号線の出口以外に出口番号のどれが アパートに適切なのかは分からなかった。) -
227)オルセー美術館の入り口では開館前の行列が出来ていて それに並ぶ。
残念ながら ここは写真禁止。
監視の目をくぐり、一枚だけ 二階からの美術館の雰囲気を撮る。
ここが駅舎であった歴史は感じる。 -
228)展示作品は ルーブル美術館の作品より年代が新しく、親しみをおぼえるもの多し。
ミレーの「落穂拾い」、ゴッホの「自画像」、ゴーギャンの「タヒチの女たち」など。
写真は五階のレストラン。時間が早くオープンしていないが 随分派手な装飾。 -
229)途中 休憩に五階の屋上テラスで休む。
セーヌ川越しにルーブル美術館、オランジュリー美術館が見える。
いやでも フランスが過去の有名な絵画、彫像の一大収集実績国であることを認識させらる。 -
230)11時ごろ 満足して オルセー美術館を出る。
サンゴール橋から 右側の本日鑑賞した「オルセー美術館」、左側の昨日鑑賞した「ルーブル美術館」を写す。 -
231)写真はオランジェリー美術館。
オルセーの展示作品よりも更に現代に近付き
モネの「睡蓮」8枚が代表展示作品だが、ルノワールからセザンヌ、ピカソ、モディリアニの作品までと数多い。
特別企画展では日本の北斎の浮世絵風景画も出展されていて驚く。
(帰国して知ったが、「ドビュッシー」の関連で出展されていたらしい。)
ここも撮影禁止。外観のみ記念に撮影。
若干 短時間に多くの展示を見て、圧倒され 印象が混乱気味。 -
232)それから コンコルド広場に行き、歩きながら見学。
広場からエッフェル塔がはっきり見える。 -
233)マドレーヌ教会に行く ロワイヤル通りで レストラン「マキシム」があったので ランチに入る。25ユーロ。
創業の由緒ある店らしいが 料理を含めて 期待外れ。 -
234)それから「マドレーヌ教会」に行く前に その横の「キオスク・テアトル」で当日のミュージカルの安売り半額券を購入。マンマミーア。(モガドール劇場 午後の部しか空席なし。)44ユーロ。
写真は「キオスク・テアトル」で購入の列。 -
235)「マドレーヌ教会」の正面入り口。
ギリシャ、ローマの宮殿風で教会の入り口とは 思いにくい。 -
236)教会の内部。一部フランス現代風の装飾。
正直 教会は見慣れて 少し感動が薄い。 -
237)それから 地下鉄で「オペラ座」へ。
15時開演のミュージカルに時間調整するため、百貨店「ラファイエット」をぶらつく。食品の売り場が 日本の常識と異なり上の階にあり驚く。
写真はオペラ座の正面 -
238)「モガドール劇場」は「ラファイエット」から 歩いて直ぐ。ミュージカル中心の小規模劇場。ほぼ満席で土曜日の午後の為か家族連れが目につく。
座席は後方中央付近で良い席だった。
マンマ・ミーアは映画で見ていたので フランス語は分からなくても 何とかなると思った。
写真は開演前の様子。 -
239)軽い感じでミュージカルは進み、観客席は笑いが一杯。幕間休憩が一度あり、そしてフィーナーレ。客席も明るくなり、舞台と客席が一体化し 立ち上がり 拍手する。特に女性客のノリが凄い。
その高揚の雰囲気で 写真機を取りだし、ノーフッラシュで4枚撮影して 上手く撮れないのでバックに写真機を仕舞った。
その仕舞っている途中から 数本の赤色レーザーポインターの光が顔や目に当たってくる。こちらに撮影の落ち度もあるが 執拗に続き、「罰」の意味かと腹立たしかった。
写真は その撮影したフィーナーレの挨拶。 -
240)地下鉄で一旦 アパ−トに帰り、6時過ぎ ポンピドーセンターへ。
西日が強く ガラスフードの長いエスカレーターがキツイ。
(この暑さ 夏場どうするのだろうと思った。)
写真は屋上から見た アパートの建物と「イノサンの泉」広場。遠くにエッフェル塔が。
眼下の広場では 大道芸を多くの人が見物。 -
241)少し右側には モンマルトの丘に サクレクール聖堂が見える。
都心部の高層化は規制されているのか あるいは再開発が難しいのか 高い建物は無い。 -
242)ポンピドーセンターの「国立近代美術館」は 展示対象が現代に近く、
感性を澄まさないと 分かりづらい。
朝から 鑑賞を続けてきたので 食傷気味。
でも 作品は 確かに凄いの連続。
写真撮影も可能。
モディリアニーの「Gaston Modot」 -
243)上階でマティスの特別展もやっていたようだが。
-
244)フェルナン・レジェの「2羽のオウムのいるコンポジション」
-
245)絵画以外に映像やインテリアの展示もあり。
-
246)屋上の水を張った所に立つ人物の彫刻
後ろ左に、ノートルダム大聖堂、後ろ右にモンパルナスタワーが見える。 -
247)アパ−トで夕食を取ることにして 帰宅。
写真は 「イノサンの泉」側からアパートの4階自室を写す。
ホテルアパ-トは 料金は1泊2万円以上して 私にしては高いが 毎日 消耗品(パック、ミルクなど)を補充してくれ、タオル、布巾などの交換、ごみ搬出、ベッド手直しをしてくれ スタッフも親切。
週一の清掃日には ベッドシーツ交換、清掃、皿、鍋洗い等を実施してくれる。
セキュリティもしっかりしていて 一度ドアを完全に閉めずに 在室していたら
見回りの方が 注意を喚起してくれた。人的サービスは不満なし。 -
(19)-5月27日(日)
248)朝起きて 先日待ち行列が長かった為 パスした「サント・シャベル」へ まず地下鉄で向かう。9時25分頃着。日本人観光客のオープン前 行列多い。
写真は構内に入ったところ。
(フランス最高裁の敷地内にあるため、入場チェックが厳しい?) -
249) 入ってみると 別に特別どうと言うことの無い小さな教会かと思った。
-
250)ところが 少し階段を登り 次の建物に入ると ステンドガラスの光の中に取り込まれていく。 驚嘆。
-
251)残念ながら 片側は工事中で覆いが掛かっているが、想像するだけでも素晴らしい。
確かに一見の価値はある。
(「夕日の頃が素晴らしい。」とネットに書いていたのも 頷ける。) -
252)
出口から フランス最高裁の威厳を感じる建物を撮影。 -
253)それから 地下鉄でブーローニュの森へ。
パリの市内交通機関は 路線数も多いが 乗り慣れてくると 分かりやすい。
私は 事前にアクセス情報得て 初日から乗りこなせられた。
(パリの観光案内所で貰った路線図「Paris Tourisme」が大判で 老眼の身には 分かり易かった。) -
254)地下鉄駅「PORTE MAITLLOT」で降りて、バスに乗り換え、ブーローニュの森の「パカデル公園」へ。
写真はバス停から「パカデル公園」への道。 -
255)尋ねながら「バラ庭園」部分に行く。
見事に満開に近い。
多くの楽しむ市民。バラのコンテストも行われるそうだ。 -
256)広いので 解放感もひとしお。青空で良かった。
-
266)パリの中心から40分程で こんな素晴らしい環境があり、入場料が無料。羨ましい。
-
267)公園の道では 数羽の孔雀が放し飼い。遠来の客に 挨拶代わりの羽を少しだけ広げてくれた。
-
268)それから 元来たルートを引き返し、「凱旋門」へ。
ロータリーの地上から凱旋門を写す。
ここまで来たら 門の屋上へと思い、(若い係りの人が利用使用としているのを見て)老齢ゆえにエレベーターの同乗利用を申し出たが けんもほろろに断られる。
仕方がないので 階段を使って登る。 -
269)凱旋門の上から。
真っ直ぐに伸びた道。扇状に広がる道。市外の広がる高層ビル群。
フランスが過去の資産を大切にしていることは よく分かる。 -
270)地上に降り、凱旋門から「シャンゼリゼ大通り」を写す。
-
271)シャンゼリゼを歩き、有名ブランド店の入場制限の列を見ながら、コンコルド広場の方に歩く。
(昔37年前、シャンゼリゼのレストランに一人で入り、フランス語が分からず、一方的に出されたトンカツもどきを食べたのを 懐かしく思い出す。)
トイレにも行きたかったので、行きあたりの店に入り、英語のメニューを見て サンドイッチと水を 妻はピザと水を頼む。
食事後 お勘定を頼むと、持ってきたレシートが油で汚れ 判読できない。再発行を依頼したが その上に手書きで61ユーロと書く。なんでと思い、言い合うが有色人種のウエイターはフランス語で捲くし立て、区切りで「YES!」と大声を上げる。
不愉快だが大人げないと思い、お金を払い店を出る。(多分 日本人の多くは 私と似たような行動をとったのだろうと思う。)
写真はそのレストラン。「ル・ドーヴィル」
帰国して 口コミを調べたら 同じような不愉快にあった口コミ投稿が数件あった。 -
272)それから 地下鉄で ABBESSES駅にいき 少し歩いて 急な坂はケーブルカーに乗り モンマルトの丘の「サクレ・クール聖堂」に行く。
写真はそのケーブルカー。
(ケーブルカーは到着駅まで200メートル以下の短い行程。でも歩くと大変そう。「パリ・ヴィジット」利用で乗れた。) -
273)「サクレ・クール聖堂」前の階段から パリ市内を眺める。多くの観光客。
-
274)「サクレ・クール聖堂」の威容。
-
275)教会内部も広く、キリスト像が手を広げて迎えてくれる。
-
276)近くのテルトル広場では 路上の絵描きさんが観光客目当てに数多く出店。日曜日の為か混雑度が酷く、退散。
(素晴らしい絵画を見続けたので 何となく 路上の絵の購入は躊躇われた。) -
272)ケーブルカーで下に降り、カフェで休む。白人のウエイターは親切。
夜は危険な街とか ネットに書いてあったが、昼は 混雑はともかく健康的。
写真は地下鉄駅前で小規模の「蚤の市」を見かけて写す。(買うものは 見つけられず。)
それから帰りに「サン・ラザール駅」で途中下車して SNCFの切符売り場で31日のロワール行きのTGVの予約をしようとしたが、満席とのこと。ほぼロワールの古城行は諦める。
駅構内のスーパーで買い物をして 地下鉄で帰る。 -
(20)-5月28日(月)聖霊降臨祭の翌月曜日で祝日
273)朝 妻の体調 もう一つ。9時過ぎ迄待つが回復せず。一人で外出。
地下鉄でIENA駅へ。東洋美術の「ギメ美術館」訪問。
アジア人は自分の文化、文明の価値、大切さを 少なくとも19世紀末には
自覚していなかった証拠みたいな美術館展示。 -
274)日本の屏風絵も展示。
-
275)信仰の対象の仏像を売却して、どうするのかと言いたいが、考えによっては これだけ大切にしてくれて、上手く展示してくれているのだから 人類の財産と考えれば 有りがたいことかも知れない。かつまた 東洋の文化の中で 日本文化を直接比較できる機会を与えてくれている訳だから。
少し複雑な思いで見学した。 -
276)それから 地下鉄でTrocadero駅まで行き シャイヨ宮からエッフェル塔を眺める。
(塔を眺めるビューポイントらしい。写真撮影) -
276)イエナ橋を渡り 塔の下まで近づく。
巨大な鉄の構築美であることを確認。
待ち行列が長く 上に行くことはパス。 -
277)それから セーヌ河沿いに地下鉄のBIR HAKEIM駅へ行き、モンパルナス駅に向かう。
途中 公衆トイレに並ぶ人の列が長いのを見る。19世紀末に巨大な鉄の遺産を残したのに この辺りにトイレが無いらしい。(観光都市パリらしからぬ、と思った。)
写真はセーヌ川の方向から入構してくる地下鉄13号線。パリの地下鉄の車両モデルは号線によって形式が異なっている。古そうなモデルも走っている。
(車内でバイオリン演奏などをして、糧を得ている人を見かけた。上手だし 堂々としている。) -
278)モンパルナスの地下鉄駅から、TGV駅への乗り換えについて ネットで色々と記載があったので、翌々日の予行練習の為 実際に確認して歩いてみる。
一応 駅構内の案内表示に従って ひたすら国鉄の列車マークを辿れば 行きつくことを確認。
写真はTGV駅の入り口。 -
279)駅の外に出て 「モンパルナスタワー」に上る。
(エッフェル塔に登らなかった代わりに。)
祝日でタワーのビジネス部分は休み。閑散としていた。 -
280)屋上からエッフェル塔方向を写す。その背後に新高層ビル群。
-
281)セーヌ川沿いの ルーブル、オルセー、オランジェリー各美術館が見える。少し右側に ポンピドーセンター。そして 遠方にモンマルトの丘、サクレ・クール聖堂が見える。
360度見渡して 東京ほどではないが やっぱりパリは大きい と実感。 -
282)直下の58階?が丁度 内装の模様替え工事中。
珍しくて写す。 -
283)軽いランチ後 左岸文化の象徴と言われる サン・ジェルマン地区へ。
最初に 地下鉄駅傍のサン・ジェルマン・デ・プレ教会に。 -
284)ゴシック様式以前のロマネスク様式を残した 古い教会の伝統を引き継ぐ教会だそうで、確かに素朴な感じがする。
(いつものカトリックの感じがしない。) -
285)日本の木製観音さんのような聖人像に一輪の花が手向けられていた。
-
286)それから 近くの「ドラクロワ記念館」へ。
普通の民家風な 小さな美術館。中庭に季節の花が咲いていた。 -
287)現代風の「砂漠のマドレーヌ」19世紀末の作品
携帯電話の呼び出し音が鳴り、直ぐに切れたので、アパートへ地下鉄で帰る。
呼び出しは妻からではなく、妻は回復していたので 再度妻と外出。 -
288)昨日 時間がなく 訪ねられなかった「パレ・ガルニエ」へ。
オペラ座の公演はパリ滞在中に開催予定がなかったので 見学でしか入れなかった。
(入場時、客席部分は見れませんと念を押され承諾。シャガールの天井絵は見れず。) -
289)絢爛豪華な 内装。
-
290)正面の階段。ここを着飾った人たちが優雅に登ったと夢想できる。
-
291)正面バルコニーから ルーブルが見えるオペラ大通り。
それから「ラファィエット」へ行く。祭日の為もあり ブランド店の入場は諦める。(若い中国人の購入パワーに圧倒される。) -
292)アパートに帰り 購入してきた惣菜を中心に夕食。
アパートホテルのロビーでリンゴとセルフの飲み物は無料で提供してくれていてありがたく利用。(抽出されたコーヒが 帰るとすぐ飲めるのは嬉しい。)
夜 8時前 駅の窓口が開いている内に 明日のベルサイユ行の切符を購入しておこうと 出かける。(自動販売機での購入に自信がなかった為。)
往復でお願いしたが、結果片道切符だった。
「パリ・ヴィジット」3日券は本日で使用期間終了。カルネとの損得勘定比較は何とも言えないが 失くさない限り「パリ・ヴィジット」の方が気を使わない分楽だと思った。 -
(21)-5月29日(火)
293)「Chatelet Les Halles」駅のB線地下プラットフォームで 列車の進行方向に自信がなかったので 駅の係りの人に ベルサイユに行きたいと伝えたが 知らなかった。停車中の車内からお客がC線で行けばよいと答えてくれた。(駅の係り アルバイト?)
8時頃 St・Micehel駅で予定通りC線に乗り換え、ベルサイユに向かう。
車両は少し観光列車風。
撮影の時 写真機に電池が入っていないことに気付く。(充電の後の装着忘れ。)仕方がないので、携帯電話の写真機で撮る。 -
294)ベルサイユ駅に9時15分前に到着。人の波に従って進み 宮殿前に着く。
開場待ちの列あり。10分程入場に時間が掛かった。 -
295)さすがに豪華そう。
-
296)「鏡の回廊」は見事。
でも 正直なところ 「え! これだけ。」 と見終わると思った。
約1時間で見終えていた。
前評判が大きすぎた。それとも私の誤認識、妄想。 -
297)仕方がないので 庭園に入ろうとしたら、「PARIS MUSEUM PASS」は使えず、8ユーロを支払う。日差しがきつく プチトランに乗車して周遊。(料金約7ユーロ)
写真はプチトランから庭園を写す。 -
298)マリー・アントワネットの離宮に入ろうとしたら、12時からオープンとのこと(そういえばそうだったと 納得。待ち時間が馬鹿らしく諦める。)
写真はその離宮。 -
299)「大運河」の辺りで ランチでも思って カフェを覗いたが、馬鹿高く これも諦める。(有料庭園でトイレも更に有料???)
「ここの庭園は宮殿から見るもの。」と妻が言ったが 確かに 日本庭園のような繊細さは ベルサイユ庭園については無かった。
12時前に退出して、(その時 門前の待ち行列はかなり伸びていた。)駅近くのカフェでサンドイッチのランチを食べる。かなり安い。
(帰りの切符を自動販売機で買ったが 英語版画面を選択して簡明に利用できた。) -
300)それから エッフェル塔の駅で電車を降り、近くから出る セーヌ川クルーズに乗船。
(バトー・パリジャン「プロムナードクルーズ」約1時間の航行。日本で乗船券購入済み。) -
301)どうも私は セーヌ川クルーズに夢を持ち過ぎていた。
まず日差しが強くて耐え難い。(5月末の日本の感覚と異なる。)
船にトイレが無い。飲料水の自販機もない。船内を自由に歩けられない。フランス語の分からない私には 案内放送も単調。
料金は安いけれども、船は接岸しているのに約40分乗船待ちの列に立ったまま並ばされ、案内所の不愉快な英語対応は客商売らしくない。後方の客が背もたれに衝撃を与え続ける。とかとかで私としては面白くない時間の拘束だった。
船を降り 地下鉄のBIR HAKEIM駅へ行く手前で 「日本文化会館」があり、トイレ拝借。館内の飲料自販機で冷たいものを飲み、ホッとする。
歳取ると、少し思い通りにならないと幼児のようになると自戒。 -
302)シャンゼリゼで買い物をして アパートに帰る。
一休みして「Chatelet Les Halles」駅の向こう側を歩いて散策する。
偶然 行き当たったのが写真の「パッサージュ・デュ・グランセール」 -
303)短いアーケード商店街(それぞれの店は個人商店のイメージ)だけれども パリらしい商品が陳列された印象。
値段も普段価格で手に入る範囲。
その中の一軒で ペンダントを記念に購入。
帰って調べたら 歴史のあるアーケード街だった。
写真はガラスのアーケード。 -
304)その近くは パリ庶民の通りの感じで 1時間ほどブラブラする。
八百屋では 夕食用の白アスパラ等を買って 帰る。
写真は人通りの多い 裏通り。 -
305)写真は本日の夕食。白アスパラが美味い。
本日で実質的に、「PARIS MUSEUM PASS」6日間 の使用終了。
感想として 切符を購入する手間を省けれる。躊躇なく行動できる。等の利点があったが ロンドンパスのような日本語案内本が無い為 若干不便。 -
(22)-5月30日(水)
306)アパートの窓から パリの「朝焼け」を写す。
本日は「モン・サン・ミッシェル」に行く予定。
前日 ネットで再確認して パリへ帰るTGVの予約レンヌ発18:33発は バスに連結できない恐れがあることを知った。
日本でバス会社のサイトを見たとき、バス連結TGVの時間はパリ着の時間(21:11)しか記載していなかった。ドイツ鉄道の時刻表で見たとき それに該当する列車が無くて それに近い 約19分早くパリに着く列車を予約してしまっていた。バス会社がスケジュールを変更するだろうとの勝手な思い込みで。
ともかく モンパルナス駅へ行って再予約をしようと出かける。 -
307)先日の予行練習で 地下鉄からTGV駅まではスムーズに行けた。(約15分)
モンパルナスTGV駅の窓口で 変更予約を依頼するも こちらでは予約できない。レンヌで尋ねるようにと言われる。
行きの列車は押さえているので 取りあえず 予定の9時過ぎレンヌに向かう。 -
308)TGV列車には空席があり、4人席を2人で占用。
車窓は農業地帯。
(他に 日本人のグループも乗っている。) -
309)11時17分 レンヌに着き 急いで長距離バスターミナルに行く。
係りの女の人に 帰りのバスの時刻を尋ねた。モンサンミッシェルからレンヌ行は14:20発と17:15発のみ。
帰りのTGVの予約切符を見せたら 18;33発のTGVは 17:15発のバスでは レンヌ着18:40だから連結できないと断られ、SNCFで予約変更を勧められる。最悪1時間だけの現地見学を覚悟してバスの切符を先に購入。
SNCFの駅に戻り、パリへの予約変更を依頼。
結果 バスと連結したTGVは満席だが 1時間遅れでレンヌを出発して 約2時間遅くパリに着くTGVなら 空席ありと回答を得る。、迷ったが それにする。
急いでもどって 11:40発のバスにギリギリ間に合い、モンサンミッシェルへ。
写真はほぼ満員のバス内。(日本人が半数の感じ。) -
310)明日 最後の観光日に ロアールの古城を訪ねるプランを持っていたが、先日TGVの席が満席で諦め、場合によっては ユーレイルパスが使えるので「フォンテーヌブロー」へでも行こうかと 思っていたが 今晩のパリ着が11:24では もう無理をするのはやめることにした。
それで 今日の「モンサンミッシェル」を楽しもうと思った。
バスは2時間20分かけ予定通り進んでいく。
車窓の風景、家並みは ノルマンディの田舎で 英国の「コッツウォルズ 」を彷彿させるものあり。 -
311)岬近くのホテル街、建設中の広い駐車場を通ると 島への一歩道。
左手に「モンサンミッシェル」が 霞んで見えてくる。 -
312)一般車両の立ち入りは禁止されたらしいが バスは 島の直ぐ近く迄行き、Uターンして 定刻通り13:00に停車。
写真は この路面に色表示しているところから 17:15帰りのバスは出発する。
(約4時間の滞在時間) -
313)「モンサンミッシェル」の全貌が見える。
空は曇って暗く 風も冷たい。
カモメが一羽飛ぶ。
時間は充分あると思い 島に歩いて近ずく。 -
314)昼もだいぶ過ぎ 空腹を覚えたので、上に行く前に 入って直ぐの オムレツ有名店に入ることにする。
写真は帰りに城壁からレストラン「ラ・メール・プラール」を写す。 -
315)席に着き 私に英語のメニューが渡され、老眼鏡を取り出そうとしたら、妻が日本語のメニューだと言うので、妻に頼んだ。メニュの一番最初の3000円位のオムレツで良いかと言うから 了解した。(2番目、3番目の料理の価格が高くなっていた。)
妻がオーダーしていて 何かやり取りをして、「小さい方」と答えているのも聞こえた。「ドリンクは?」と聞いたので私が「ノーサンキュー」と答えたら、無視して 即座に「ガス?スティル?」と聞かれ 嫌な気分がしたが、「スティル」と答えた。
そして出されてきたのが 写真の料理。オムレツに片身の海老が付いていた。
「あっやられた。」と瞬間覚悟した。これで3000円の訳は無い。
諦めて 美味しくいただいた。
結果。請求書は一人8000円。 -
316)帰りに表のガラス越しショーウインドーに 日本語のメニューがあり 見たら 料金の後ろに 「 /100g」と小さく書いてあった。(2番めの55ユーローのメニューにはない。)
帰って 日本の口コミを見たら、騙された人多く 怒りの投稿あり。
旅行書も推薦するならば トラブル例も記載しておいてほしい。 -
317)気を取り直して、修道院へ登る。
-
318)1000年以上前に この島に建築資材を持ち込み 建築したのは感心する。
実際の修道女の姿も見る。 -
318)山頂修道院の中庭。
石の人工建造物に 自然の庭、広がる天空 上手い演出。 -
319)中庭には花が咲いていた。
-
320)砂州化防止の工事が進められているのが 上から見える。
(将来は橋になるとか。) -
320)島が要塞や牢獄でもあったことが分かる建物。
-
321)時間が充分あるので 島の周回をしながら ゆっくり降りる。
-
321)昔のままの道を 多くの観光客が行き交う。
日本人多し。
(城壁から写す。) -
322)帰る頃には少し青空も。
巡礼の信仰の島、軍事要塞の島 監獄の島
そして今は観光の島。そしてこれからは?・・・「モン・サン・ミッシェル」
まぁ充分楽しめられたと思った。 -
323)帰りのバスも満席近い。
(私は予約券を持っていなかったので、ドキドキ。
満席で乗れなかったら どうなるのだろう?)
バスはスピード規制以下で走り、定刻18:40前にレンヌに着いた。
やはり、18:33発のTGVには間に合わなかった。
(その意味では 先に気付いて助かった。)
念のため 駅の窓口で 19時過ぎのパリ行の空席を確認しようとしたが 窓口は長蛇の列、諦める。 -
324)レンヌの駅で1時間少し時間があったので、駅前を散策。
出来れば、夕食を と思い探したが 適当な店がなかった。
仕方なく 駅の構内のカフェで食べた。
レンヌ駅舎を写す。 -
325)レストランを探した時、反対側からレンヌ駅方面を写す。
午後8時過ぎのレンヌ発 パリ行のTGVに乗車。朝と同じく コンパートの4人席で 他に客が居なかったので 寝転んで帰る。
モンパルナス駅に近ずいても パリは暗かった。
アパートに帰ったら12時を過ぎていた。 -
(23)-5月31日(木)
326)朝 起きるのをゆっくりして 昼近くに 地下鉄で 妻の希望も入れ モンパルナスの南 「アレジア」へ行く。「ストック」(アウトレット)店がならぶ界隈。
開いていない店も多くあったが、男性洋品店、女性ファッション店で一応買い物は出来た。確かに価格は安い。
写真はその通りを写す。 -
327)遅いランチを 地下鉄駅の近くのカフェで食べる。
ここまで来ると 観光客もいなくて 客も地元の人と言うイメージ。
私が 店内で食べるのに、間違った注文をしていると 店の人も 横の客も 丁寧に訂正してくれる。隣の客も分かり易い英語で話しかけてくれる。
少し ホッとする。
写真は注文したケーキセット。 -
328)出された料理にも 満足。二人で20ユーロ。
あまり 緊張なく楽しめられた。 -
327)それから セーヌ川沿いを歩きたくて 地下鉄の「セント・ミッシェル駅」まで戻り セーヌ川の堤防を降りる。
歩きながら 川面から見る風景は クルーズで見た風景と少し違う。
19世紀この風景を眺めた日本人は 江戸、東京との違いに驚嘆したであろうことが容易に推測される。
「いつかは 日本もこのような都市を」と思ったであろう。 -
328)シテ島を右手に「ボン・ヌフ」橋まで歩く。
フランスは第一次世界戦争、第二次世界戦争と傷つきもしたが 戦勝国の側だった。過去の栄光とともに「大国」意識、リードする「先進国」の意識は更に増したのではないのだろうか。
労働力の経済的メリットもあったであろうが 移民の受け入れには 人権思想の基盤もあったであろう。
-
329)「ボン・ヌフ」橋を渡り、ルーブルを眺める。
この地を訪れる 多くの日本人は フランスの文化に圧倒され 憧れの気持ちを抱き続けたであろう。
フランスも「イメージ」をアピールする手法に長けていた。
「華の都パリ」「芸術の都パリ」と。 -
330)少し左に目をやれば エッフェル塔が遠くに見える。遠目でみれば 確かに一幅の「絵」。
しかし、近寄れば 落書きだらけの街。
路上には 煙草の吸殻の多い街。
失業率の増加に伴う (特に若年)漂う人の群れ。
行き交う人々も 有色系の移民の増加による 緊張感。
「ボン・ヌフ橋」にも身障者の「物乞い」。 -
331)それから 裏通りを通って アパートに帰った。
アパ-トの下の「イノサンの泉」の公園では 今日も人が集まり、小さな「つどい」が開かれている。アパ-トに最初に来た日から 毎日 24時間集まっている。朝 寝袋で寝ている人を見て 最初は ホームレスの小集団かと疑ったが それは違うみたい。
政治的グループか、宗教的グループか 私には分からないが 毎日真剣に 仲良く「つどい」をやっている。
(写真は その「つどい」の様子。)
部屋に帰り 明日の 出発に備え 荷物を ゆっくりまとめた。 -
(24)-6月1日(金)
332)パリとお別れの日。
朝 少し早めに7時半ホテルアパートをチェックアウト。RERのB線でシャルル・ド・ゴール空港に向かう。(途中まで 朝の通勤客・・・スーツを着ている人は皆無・・の多い車内。)
空港では セキュリティーチェックが厳しく(かつ コントロールが悪く非効率) 少し手間取る。
妻は 免税店を見物に。私はJALと提携した エアーフランスのラウンジでパソコンを開きに。
写真は 広い「シャルル・ド・ゴール空港」 -
333)写真は ラウンジのパソコンルーム。
そこで 友人に以下のような メールを送信した。
丁度現在「ユーロ」の「不信」がニュースとなる時期 ベルニクス2国 フランスなどを訪れた。
私は統一ヨーロッパの考え方の基本理想は広く根付いていると思う。
「国」の単位は厳然とありながら、人、物、情報、金の移動障壁は低くなっている。
その中で それぞれの文化を維持して 新しい「超国家」の形の模索は続く。産みの苦しみは続いている。
確かに 一国財政の限界を中心として 超国家の制度は不備だらけだろうが ヨーロッパの共通歴史が その課題を 時間をかけ克服していく可能性を 私は信じたいと思う。
(つづく) -
335)(つづき)
最後に パリに8泊した。
短期間のためか 私はパリに馴染めなかった。
フランス語を全く理解しない私にパリは冷たいと感じた。緊張を感じた。
この四年余の中 ドイツ、英国、アイルランドと今回の訪問の国の中で フランスが大国の理想の故に 一番「産みの苦しみ」に喘いでいると思えた。
パリの朝、歩道には 噂通りに犬の糞が実際よくあった。
この「利己主義」を 「超国家」の新しい哲学創出の中で 「共和制」の革命を混沌の中で成し遂げたフランス人は 生かしていって欲しいと願った。
折り合いの役割を果たして欲しいと思った。・・・以下略
写真はラウンジの軽食。(パンは やはり美味い。) -
336)11:00 定刻にJL042分は 「シャルル・ド・ゴール空港」を飛び立った。
写真は昼食にサービスされた機内食。和風メニューが無いのが残念。
(旅の反省として)
今回は 「ユーレイルパス」に妻が当選したことから 列車の周遊旅行となった。
それはそれで良い経験になったが 次に行くとしたら 歳のせいあり 拠点間の4時間以上の移動は 航空機を使うだろうと思った。安価な飛行機も飛んでいるし、ルールが国際共通化していて慣れていて オンライン予約も便利だから。
それと 計画する時間が少なかったため 列車の予約を 日本の「RAILEUROPE]のオンライン予約を利用させて貰った。
その予約をフランスのSNCFで変更して 発行された座席指定予約券の価格欄を見ると 3ユーロと記載されている。日本で支払った額は 予約手数料以外に 9ユーロ 1100円。
終わったことを調べても仕方がないが 時間あったら もう少し 列車の価格面にも調べる必要があったのかもしれない。
-
337)11時間の飛行で 羽田には朝6時に着いた。
飛行機の中では殆んど眠れなかったが 時差が8時間で パリ時間の夜の10時だから 家に帰って 深夜1時には 布団で眠れる感覚。気分が楽。
空港から蒲田までバスで行った。いつもは そうは思わないが この朝は 「日本は清潔そうな街だなぁ。」と誇らしく思った。
写真は朝日に映える羽田空港 「国際ターミナル」
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