2012/06/12 - 2012/06/12
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風 魔さん
友人が久しぶりに来静したため、雨のなか2010年国宝に指定された、徳川家康公を祀ってある久能山・東照宮を訪れる。
東照宮は日光にあるものが有名ですが、当初家康公の御遺言により死後の処置に関して、駿河の久能山に祀ることを二代将軍・秀忠公が忠実に守り、元和3年に僅か1年7ヵ月で造営、完成させたものです。
しかし、翌年(1617年)には下野国・日光東照宮に改葬されました。
さらに19年後、三代将軍家光公により日光・東照宮が造営されました。
現在見られる荘厳な社殿への大規模改築(寛永の大造替)が、寛永13年(1636年)の21周年神忌に向けて着手され完成する。
一方、久能山・東照宮の修復作業は、江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われていましたが、2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了しました。
修復作業が完成した 2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
-
東照宮の高い、急な石段を上がる。
家康公と駿府(静岡)とのつながり…
① 幼少時代(幼名・竹千代)に、今川義元氏の人質としては厚遇され、駿府(臨済寺)にて勉学に励む。(寺には、今も竹千代・手習いの間が現存します)
② 家康公は29歳~45歳までの17年間を、浜松城で過ごし駿遠一帯(静岡県・西部地方)を支配する。(天下取りの準備期間)
③ 徳川幕府第一代将軍を隠居後、大御所として駿府城から江戸幕府に対して院政をひく。 -
階段は、通常の高さの1.5倍ほどあり、急斜面のため上りには苦労します。
もともと武田信玄公が自然の要害として、山頂に久能城を築城(出城)したため、敵に容易に攻め込まれない配置と構造になっています。
軍師・山本勘助が築城を担当して、山頂には「勘助井戸」が今でも残っています。その後武田氏が滅亡したため、必然的に駿府を治めた徳川氏の領地となったものです。
<久能山の戦略的位置づけ>
前面 = 見通しのよい海 (駿河湾)
背面 = 切り立った脆い地質の山と谷(屏風谷)
階段 = 1159段の九十九折の階段を登らないと、山頂には到達しない。 -
家康公の好んだ三保・折戸産の丸い茄子。
初夢に見ると縁起が良いとされることわざに、
「一富士、二鷹、三茄子」があります。
このことわざは、徳川家康公が好んだ三つとされていますが、茄子のことも詠まれています。 -
家康公お手植えの紀州みかん。
これは、静岡市葵区の駿府城公園にある、みかんの親木(品種:ほんみかん)から分木されたものです。
平成15年4月に静岡市と清水市が合併し、新市制としての静岡市が誕生し、さらに平成17年4月政令指定都市に移行し、区制導入のため名称を一般から公募した。
(東照宮は、静岡市駿河区根古屋に位置します)
区の名称は、歴史にちなみ葵区・駿河区・清水区となる。
☆ 葵 区 = 徳川家ご家紋 (JR東海道本線の北側)
☆ 駿河区 = 駿河の国 (JR東海道本線の南側)
☆ 清水区 = 清水湊 (旧清水市・由比・蒲原町) -
この度、2010年に国宝指定された本殿。
徳川家康公の神号は「東照大権現」であり、平和・開運・学問・厄除の神として崇められ、久能山・東照宮は全国にある東照宮の根本大社として崇敬されています。 -
50年ぶりの修復作業により、極彩色に塗り直されました。
家康公は、重要な遺言を残した。
「遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたならば、
日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。
そして、八州の鎮守となろう。」
久能山・東照宮が完成して19年後に、日光・東照宮が造営され、現在のおもな極彩色の社殿群は、三代将軍家光公によって寛永13年(1636年)に造替されたものです。 -
何重にも漆塗り様式の社殿。
家康公は、朝廷(後水尾天皇)から「東照大権現」の神号と正一位の位階の追贈を受け、
江戸幕府の始祖として神格化されました。 -
日光・東照宮には、同じような陽明門があります。
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国宝指定表示の看板。
徳川幕府の将軍15人のうち、寛永寺か増上寺のどちらにも墓所がないのは、家康公以外には3代将軍・家光公と15代・慶喜公です。 -
本殿より境内を眺める。
江戸幕府最後の15代将軍・徳川慶喜公は、明治2年
(1869年)9月、戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、駿府(静岡)に居住した。
(その際、幕臣たちは江戸から駿府へ移住し、牧之原台地において茶畑の開墾などに従事する)
初代将軍・家康公と最後の将軍・慶喜公の駿府との「不思議な縁」を感ずる。 -
つづいて、家康公が祀られている神廟を見学する。
参道には、諸藩の大名諸侯より奉納された石燈篭が並べられておりますが、日光・東照宮の境内においても、同じような光景が見られます。 -
宝塔は、関が原の戦いから間もない元和2年(1616年)、いまだ勢力を保つ西国の豊臣方の諸藩より、駿府城〜徳川方を守護するため、家康公の御遺命により西向きに建てられています。(関が原の戦い=1600年)
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東照宮を巡る聖なる三本のライン。(コメントは、パンフレット、HPを参照にする)
東照宮は、風水学上から設営され駿府城から運気のよい南東に位置する。
① 地政学的には、御前崎⇒久能山⇒富士山⇒世良田・東照宮(群馬県:徳川氏祖先の地)さらに延長線上をむすぶと日光・東照宮に至ります。
② 久能山の真西には、駿府城(家康公の居城)⇒鳳来山・東照宮(愛知県) ⇒ 岡崎城(家康公の出生地)さらに延長すると京都に至ります。
③ 日光・東照宮の真南には江戸城が位置し、南西に建つ陽明門には不動の北極星が輝き、天空の星々はこれを巡ります。たとえれば、江戸城 ⇒日光・東照宮の北極星を結ぶ南北線を中心圏に、この世の全ての事象がうまく運行するとされる。 -
歴史を感じる青銅の彫金像。
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三つ葉葵の徳川家・家紋。
観光地には、よく見られますが石灯篭の角が一部削り取られているのは、ご利益を信じた者の仕業ではないかと思われます。 -
この葵のご紋が見えぬか、頭が高い、控えおろう〜
水戸黄門様として知られる徳川光圀公は、水戸藩初代藩主・徳川頼房公の三男、母は側室・谷氏で家康公の孫に当たります。 -
雨のなか、境内を傘の観光客が歩く。
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久能山東照宮博物館の建物。
注目の展示品は、日本最古のスペイン製洋時計、金陀美具足(家康公が着用した黄金の甲冑)など徳川家・歴代将軍の鎧、兜、刀、書画など500件・2000余点が収蔵、展示されています。
(看板の写真:スペイン製洋時計)
洋時計は、スペイン国王フェリペ3世のお抱え時計師ハンス・デ・エロバの製作で、1611年家康公に献上したものですが、久能山東照宮の他に現存している時計は、スペインのエル・エスコリアル宮殿にある1個のみといわれています。
また先月英国から、大英博物館の洋時計部門の責任者
デービッド・ トンプソン氏が来日して、時計を分解鑑定した結果金属部品は当時(1611年)のままで、400年の時が過ぎても非常に保存状態もよく、歴史的価値は高いと認定されました。 -
さん然と輝く、三つ葉葵のご紋。
徳川家の家紋・丸に三つ葉葵は、フタバアオイを図案化したものですが、三つ葉葵とは架空のものです。
本来は、京都の葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)とされています。 -
館内入り口には、狛犬がお出迎え。
ただし所蔵の展示品は、館内撮影禁止でした。 -
帰り道、日本平ロープ・ウェイに乗り、約5分間の空中遊覧をする。
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遠くに、駿河湾の海を望む。
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ロープ・ウェイは、「名勝・日本平 ⇔ 久能山」(1065m)間を結ぶものですが、両駅を同時発車するため、双方のゴンドラは中間地点ですれ違いする。
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ロープ・ウェイには、お殿様、お姫様のお駕籠をイメージしたラッピング・ゴンドラが運行します。
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新緑の木々を眺めた、快適な空中遊覧も終着駅に着く。
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