2012/04/24 - 2012/04/24
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アルプ・グリュムさん
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品川駅から新馬場駅まで旧東海道品川宿の痕跡を求め歩きました。
地元の商店街、まちづくり協議会等により品川宿が整備されてあったので、たくさんの痕跡を見ることができました。
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品川宿の散策は品川駅より開始します。
駅前を通る国道15号線は旧東海道です。 -
品川駅の写真を撮った歩道橋には「港区の花 バラ」の文字がありました。
品川駅は港区であって品川区ではありません。
JR品川駅とJR田町駅間に新駅が誕生する予定ですが駅名が気になります。
京急の北品川駅は品川区の北にあるので、この駅名なのですがJR品川駅の北に位置するので北品川となるのでしょうか?
余談ですがJR目黒駅は目黒区ではなく品川区にあり、東急東横線の中目黒駅が目黒の中心になります。 -
品川駅から南に国道15号線を歩いて行くと地図があり、よく見ると品川宿の入口に当たる八ッ山橋までは港区になります。
日本橋から品川宿まではすべて国道15号線となっていて、旧東海道の痕跡の碑は見られますが、排気ガスの中を歩く気がしません。 -
八ッ山橋には旧東海道の文字が彫られています。
この橋は旧東海道ではありませんので品川宿のある北品川商店街には行くことができません。 -
旧八ッ山橋の親柱は昭和60年に取り壊され、横に残されています。
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八ッ山橋の横にはちょっとした広場があり、案内板と休憩できるイスとトイレが設置されてありました。
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ナマコ壁の建物はトイレで京浜急行の踏切を渡ると品川宿のある北品川商店街となります。
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品川宿の北側にあたる八ッ山口の碑です。
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かって海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て禅問答をしたとされる場所に建つ碑です。
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この門答河岸の碑の横は坂道となっていて、かつてはこの先が海だったのです。
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品川浦舟だまり。
釣り船、屋形船が停泊しているのが見えますが実際の海はかなり先になります。
ここは高層ビルと古い町並みと屋形船を一緒に納めることができる撮影ポイントです。 -
品川浦公園。
案内板の品川百景は旧東海道とは別となっているのでこちらも散策したいと思っています。 -
旧東海道に戻って痕跡をたどります。
和菓子店の桝翁軒は創業年は幕末の嘉永2年(1849)でみたらし団子は絶品だそうです。 -
品川宿で旅籠屋を営む相模屋は、外壁が土蔵風のなまこ壁だったため「土蔵相模」と呼ばれていて震災、戦災後も残っていましたが、今ではコンビニとなっています。
柱の横にその碑が建っています。 -
旅籠屋を営む相模屋は著名人も利用した由緒があった建物だけに残念です。
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近くには現代の旅籠屋 品川宿はパックパッパー、外国人観光客に評判の旅籠です。
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星野金物店
かなり古い建物ですが建てた当時は斬新のデザインだったと思います。 -
善福寺の本殿
宿場町には多くの社寺があるので由緒を求めて歩くのも楽しみの一つです。 -
善福寺の本殿には入江長八の龍の彫刻を見ることができます。
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活気のある北品川商店街。
品川で生まれ住人は江戸っ子とは言わずに品川っ子と呼ぶそうです。
道幅は旧東海道と変わらないので、たまに通行する車は地元関係の車ばかりです。 -
品海公園
日本橋より2里、川崎宿まで2里半の碑が設置されています。 -
同じく品海公園には品川百景の碑が設置してあり、東海道の玄関口として賑わっていたそうです。
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旧東海道から海側の通りに出るといくつかの碑が見られます。
これは、昔むかしここにクジラが迷い込んで大騒ぎしたそうです。 -
利田神社
境内には鯨塚があったらしいのですが、見落としてしまいました。 -
台場小学校と台場保育園の横には灯台が!
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幕府は、ペリー来航を機に韮山代官江川太郎左衛門英龍の意見を取り入れて江戸湾内に十一箇所の台場建設に取り掛かった。安政元年(1854)十一月に完成したのが御殿山下砲台で、この砲台は唯一陸続きだったため、陸(おか)台場とも呼ばれた。跡地は台場小学校となっている。正門横に燈台のレプリカが据えられている。
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嘉永6年(1853)アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求めるため浦賀に来航しました。鎖国をしていた当時の日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守る為急いで品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を造ることにしたのです。
伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍がオランダの書物をもとに砲台造りの指導にあたり、第一から第三台場と第五・第六台場は完成させましたが、残りの第四・第七は中途で工事を中止し、第八以下は着工にも至らなかったのです。その代りとして、陸続きで五角形の砲台を造ることになり
ました。これが御殿山下台場(砲台)です。明治になると埋立てられ姿を消しましたが、幸いな事に台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と形を知ることが出来ます。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分程の面積を占めています。
台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられました。石垣の上に立つ灯台は、明治3年(1870)日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯台を模したものです。現在、品川灯台は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されています -
尾張屋 明治23年に創業の呉服店です。
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品川宿あばちゃんち
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丸屋 創業150年の下駄屋さんです。
いつまでも残しておきたい味のある古い建物です。 -
一心寺
本尊は千葉成田山からの不動明王で商売繁盛の御利益が在ると信じられています。 -
正徳寺横の煉瓦の屋根と塀は歴史が感じられます。
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小泉長屋
この辺りは細い路地が迷路のようにあり、路地の真ん中には井戸があります。 -
この井戸は今でも汲み上げることができます。
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小泉長屋の中程には付近の住民の火伏せ(ひぶせ)の守り神として手厚く祭られている於春(おはる)稲荷神社があります。
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昔は各家庭に水道、井戸がなかったため共同で使用されていたそうです。
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小泉屋長金左衛門が貸長屋を建てたために小泉長屋とよばれるようになったのです。
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再び商店街へ戻ります。
聖蹟公園に品川宿本陣跡が見えます。 -
品川宿本陣跡
本陣とは大名、武家が宿泊するところで宿場の中心にあります。
一般の旅人が宿泊するのは旅籠と呼ばれます。 -
品川宿交流館
ここで一休みして青物横丁駅まで品川宿の散策をする予定でしたが品川神社にある富士山が気になり新馬場駅方向へ向かいました。 -
しながわ橋
松が植えられている風景を見ると広重の浮世絵を彷彿します。 -
北馬場参道通りの商店街を抜けて、品川神社へ向かいます。
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ここは国道15号線に面しているため静けさは全くありません。
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富士山と言えば浅間神社ですが、富士登山の安全を祈願して登山の開始です。
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登山道の風情があります。
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実際の富士山と同様に現在の位置が分かります。
5合目までは普通の坂道です。 -
5合目からは階段となっています。
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頂上には何もありませんが眼下を見下ろすことができます。
その昔はここから海が見えていたそうです。 -
品川富士全景です。
ここは新馬場駅のすぐ横に位置していますが、再び旧東海道に戻って青物横丁まで歩くを予定でしたが、富士山登頂の疲れ?のため、ここで品川宿の散策は断念して後日改めて来る予定とします。
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