2011/11/11 - 2011/11/16
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annakさん
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スペイン周遊の旅もいよいよ後半に入ってきた。マドリッド~ラマンチャ~グラナダと内陸部を楽しんだが、後半はバレンシア~タラゴナ~バルセロナと地中海沿いの美しい景観のなかを進む事になる。
タラゴナの地中海のバルコニーから望んだローマ遺跡群や地中海の景観も素敵であったが何と言ってもバルセロナである。
サグラダファミリア、グエル公園はさすがに見ごたえ満点であった。
しかしカタルーニャ音楽堂は下車観光、カサ・ミラ、カサ・バドリョと言ったガウディの素敵な建物が車窓観光と言うのはいくらなんでも勿体なかった。バルセロナは何時かフリーで訪れたいと強く思った。
ツアーが終わりホテルのロビーで物足りないと思っていたら、同じように思っていらっしゃるだろうと思われるかたがいらした。なんとなく目が合いどちらからともなく「バルセロナの町に繰り出しましょう」と意見が一致。
話をしてみたら4トラ仲間だと分かり、益々話が弾みとても楽しい時間を共有させていただきました。この出会いがあったことが今回の旅の満足度を大きく上げてくれることになりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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アルファンブラを後にしてエルチェの椰子園に向かう。
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途中高速道路のPAでビュッフェスタイルの昼食
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まあこんなもんでしょう・・・
ビールは美味しいですよ。
ここでひと騒動・・ツアーで同行の方がちょっとしたすきに財布をすられたとの事です。用心の上にお金は小分けしておかないといけませんね。 -
エルチェの椰子園到着。ここも世界遺産なんです。
この椰子園の歴史は古く、エルチェの土地にナツメヤシが植えられるようになったのは、紀元前5世紀のカルタゴの時代だと考えられている。カルタゴの後にエルチェも含めたイベリア半島全域を支配したローマ帝国、ムーア人の統治の下でも、この椰子園は生き残ってきた。
椰子園が現在の形を形成するようになったのは、後ウマイヤ朝の初代アミールアブド・アッラフマーン1世の時代で、エルチェを流れるピナラポ川の水を利用するようになったからである。アブド・アッラフマーン1世は、アラブ世界特有の灌漑システムをこの椰子園に導入したことにより、年間で300mmの降水量しか降らないエルチェでもナツメヤシを育成することに成功した。アラブ世界の灌漑システムがヨーロッパで用いられたのはエルチェの椰子園だけである。レコンキスタ完了後も、エルチェの椰子園は法律のもとで保護され続けている。「ウィキペディアより」 -
実際広いのであろうが、アルファンブラで疲れていたのに加え、あまりにも滞在時間がなく本当にさらっと・・・・
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そしてツアーバスはバレンシアに向け地中海を望みながら進みます。
バレンシアと言えば何と言っても柑橘類が有名ですね。
この辺りまで来てやっと肥沃な大地と感じました。 -
ツアー指定のホテル。
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ホテルの朝食。
ヨーロッパの食事はハムやチーズ、パンがおいしいですね。 -
そしてタラナゴの世界遺産世界遺産タッラコの考古遺跡群に到着。
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ここが地中海のバルコニーと呼ばれる遊歩道である。
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地中海・・・・いい響きですね。
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そしてここから円形劇場 「 1世紀に建造。12世紀に建てられた教会が廃墟となって残っている」が望めます。
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ローマのコロッセオを小さくした感じですね。
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ここでのんびりお昼寝がしたいな〜(笑)
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そしてバルセロナ到着。
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そしてカタルーニャ音楽堂へ、勿論世界遺産です。
カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(Lluís Domènech i Montaner)によってモデルニスモの様式で設計されたコンサートホールである。1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、オルフェオ・カタラ(Orfeó Català、1891年設立)のために建設された。建設にあたってはバルセロナの篤志家たちの財政支援も受けている。この音楽堂の建設によりドメネクは1909年にバルセロナ市より賞を受けた。
1982年から1989年にかけてオスカル・テュスケ(Oscar Tusquets)とカルラス・ディアス(Carles Díaz)による大規模な修復が行なわれた。1997年、カタルーニャ音楽堂はユネスコの世界遺産に登録され、今日では毎年50万人以上の人々が交響楽や室内楽、ジャズ、伝統音楽などを楽しむためにこのホールを訪れている。「ウィキペディアより」 -
素敵な建物ですね。
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入場券売り場
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流石
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入口からパチリ
ここはやはり入場しないとその良さは解りませんね。 -
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バルセロナの街角。
バルセロナは絶対フリーでゆっくりと歩いてみたいと思った瞬間です。 -
そしてガウディのカサ・ミラや
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カサ・パトリョも車窓観光・・・・
どんどんストレスがたまっていきます(悲) -
そうこうしているうちにサグラダファミリア到着。
モチベーション急上昇(笑) -
カタロニア・モダニズムの最も良く知られた作品例であり、バルセロナ市のシンボルであり、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品であり、拡張市街地域に建てられている。綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり[1] 、2008年には270万人を集めた[2]. 生前のガウディが実現出来たのは地下聖堂と生誕のファサードなどであるが、これらは2005年にユネスコの世界文化遺産に指定された。 贖罪教会なので、作業の財政は喜捨に頼っている。そのために、別々の箇所を同時に建設することは出来なかったのだが、1990年代以降は訪問者の流れと作品の世評の高まりが財政状況を好転させた。
2010年11月7日に教皇ベネディクト16世が訪れ、ミサを執り行い、聖堂に聖水を注いで聖別。サグラダ・ファミリアはバシリカとなった。ミサには司教達を含む6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加した。「ウィキペディアより」 -
もうコメントのしようがありません。下手なコメントは完全にイメージを壊します。
画像でご自由にお楽しみください。 -
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続いて有名どころグエル公園に到着。勿論世界遺産です。
施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。グエイ伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。
グエル公園の入口に建つ門衛の小屋と東屋をみてサルバドール・ダリは「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と評した。「ギリシア劇場」と名付けられているテラス、大階段に鎮座する人気のトカゲ、敷地中央にあるホール天井の円形モザイク装飾等、粉砕タイルを使用してのデザインはガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールの貢献が大きい。「ウィキペディアより」 -
ここもannakの下手なコメントはイメージを壊しますので画像をお楽しみください。
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何かのCMで見ますね。
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トカゲの噴水
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グエル公園いいところです。
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そしてツアーで夕食
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パエリア・・・
言うほど美味しいものではないような・・・・ -
そしてホテル到着。明日は帰国の途に・・何か物足りないな・・・・
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ホテルのロビーで女房殿とバルセロナに繰り出す相談をしていると、
何やら同じことを考えていらっしゃる方がいらして、目と目が合い「一緒に繰り出しましょう」ということになりました。
まずはお土産を買いに(カルフール)に行き -
先ほど車窓観光しカサ・ミラへこれも世界遺産です。
カサ・ミラ(Casa Milà)は、バルセロナのグラシア通りにある建築物である。ガウディが54歳の時に設計した。1905年から1907年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設された。1984年にユネスコの世界遺産に登録された。
カサ・ミラは直線部分をまったくもたない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的な建物である。あたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは、隔絶した建築となっている。外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られた。一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という素材を使いながら、まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出している。内側は天井も壁もどこもかしこも波打ち、まるで海底にいるような奥深さに包まれる。屋上には、独特の加工をされた煙突や階段室が立ち並び、月面か夢の中の風景にもたとえられる。
この建築物は通常の建築物というよりむしろ彫刻であると見做すことができる。実用性に欠けるという批判もあるが、圧倒的な芸術性を持つことは否定できない。皮肉にも建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、「石切場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけたが、今日ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっている。
現在内部はガウディ建築に関する博物館になっている。2009年1月現在、9.5ユーロを支払うことで内部の住居部分や屋上も見学することができる。
「ウィキペディアより」 -
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入場したかったですね。
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そしてカサ・パドリョへ。こちらも世界遺産なんです。
バルセロナ、アシャンプラのグラシア通り43番地に位置するカサ・バトリョは、1877年に建設された建物である。大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904年から1906年にかけて、ガウディはこの邸宅の改築を行った。この改築でガウディは、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾を施した。
この邸宅の造形には様々な説がある。第一に、屋根の一部が丸く盛り上がり、まるでドラゴンの背中のように見えることから、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞっているという解釈である。この解釈によれば塔は聖人の構える槍とされる。カサ・バトリョには、ファサードの石柱が骨を想起させることから「骨の家(Casa dels ossos)」というあだ名もあるが、竜退治説によればこの骨もドラゴンの犠牲になったものたちの骨と理解されている。
第二の解釈は屋根をアルルカンの帽子に見立て、ファサードのバルコニーは仮面を、ジュゼップ・マリア・ジュジョールによる様々な色の破砕タイルのモザイク(トランカディス)が祭りの紙吹雪を表しているとする謝肉祭説である。
邸内でガウディは自然光を効果的に取り込み、そのタイルの濃淡を変えている。これらの光と色の効果により海底洞窟をイメージして作られたとする説もある。
ガウディがカサ・バトリョのためにデザインした家具のうち、机とベンチについてはそれぞれ1つずつ邸内で見ることができる。残りの作品はカタルーニャ美術館が所蔵している。「ウィキペディアより」 -
実に美しいですね。
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そして最後サグラダファミリアへ
昼とは違った雰囲気があります。 -
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偶然の出会いをさせていただき、ご一緒頂いた4トラ仲間のfran坊さん。
とても素敵な時間を共有させていただきありがとうございました。
ご一緒させていただいた数時間が今回の旅をとても充実した旅にしてくれました。改めて御礼申し上げます。 -
サヨナラスペイン。
annakの玉手箱にまた新しい宝石が入りました。 -
おまけ画像
関空についてみたら、annakのトランクが湾曲しているではないか・・・
こういうのって本体機能に関係ないため航空会社の補償範囲外なんです。
こういった場合損害保険会社で加入する海外旅行傷害保険の、携行品損害等でしか補償されません。annak商売柄幸いにも加入していたため、保険会社が手配した業者さんが自宅まで取りに来て、また治ったものを届けてくださいました。
海外では健康保険も使えませんし、賠償請求マインドも日本と比べ格段に高いので、海外旅行傷害保険は必須ですね。
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この旅行記へのコメント (4)
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- まつじゅんさん 2012/06/26 19:09:45
- ご無沙汰いたしておりました。
- annakさん、元気に復活されたようで、またよろしくお願いいたします。
暫くぶりの旅行記がスペインということで、ちょっと面食らってしまいました。
(私、外国というだけで震え上がってしまいますので。。。)
会社の制度も良いですね。私の所は最近になってやっと制度化されたのですが、勤続20年で1週間の休みですが、同じ事業所で20年と言うことで、最初の大阪が18年。次が島根で6年。鳥取で10年。そして今岡山で3年目ですから、何処でも貰えないんですよね。
大阪に戻れば、あと3年で有資格者ですが、定年まであと6年ですから、今更大阪より鳥取に戻れればと思っています。
とはいえ、スペインは情熱的な芸術の国という印象が強く、世界遺産や教会等、一度はガイド付きでなら行ってみたい国の一つです。
どちらかというと、富田林の方が。。。等という不届きな私です。
良い旅を!
matujyunn
- annakさん からの返信 2012/06/27 23:55:04
- RE: ご無沙汰いたしておりました。
- まつじゅんさん、今晩は
こちらこそご無沙汰しております。
元気に4トラ復帰いたしました。これからもよろしくお願いいたします。
スペイン楽しんできました。
随分窮屈で不満点があるのですが、純粋に風車群やアルファンブラ
サグラダファミリアを始めとするガウディの建築物に感動しました。
帰国後は「やはり自宅が一番」と思うように、
如何にも日本と言える富田林を楽しみました。
こちらもとても素敵なところです。
まつじゅんさんの会社は同じ勤務地に20年ですか?
それはちょっと難しいですね。転勤拒否制度でもあればいいのですが・・
私の会社は幸いにも入社○×年ですので、仲間の理解があれば
取得できます。
今回も留守をしっかりフォローしてくれた仲間に感謝しています。
またまつじゅんさんの旅記じっくり拝見させてください。
取り急ぎ御礼まで。
annak
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- fran坊さん 2012/06/11 01:36:32
- 編集&Upお疲れ様でした。
- annakさん、スペイン旅行記の後半Upお疲れ様でした。
またまた、とても素晴らしい写真にウットリです。
annakさんの撮影にかかればガウディ建築の美しさも
より一層幻想的に感じられます。
あの景色は忘れられません。
同じ時に同じ感動を共有できたこと、嬉しく思います^^
またファミリア完成後、いや完成前に
ゆっくりと観光したいですよね。
そしてバルセロナの台所である市場散策もしたいです。
私はまだ、ノロノロと昨年春のホーチミン旅行記のUp途中という
作業の遅さなので、スペイン旅行記に取り掛かれるのは
まだまだ先になりそうです(汗)
余談ですが、旅行記の中にも登場する指定のホテルでの
「グリルサーモン」の夕食について
触れないところにannakさんの優しさを感じます(笑)
- annakさん からの返信 2012/06/14 01:15:45
- RE: 編集&Upお疲れ様でした。
- fran坊さん今晩は。
ご訪問、ご褒美ありがとうございました。
やっとスペイン旅記を完成させることができました。
ガウディ建築の夜景、良かったですね。
仰る通りあの景観は忘れることができません。
バルセロナはファミリア含め街並みももっと深く歩いてみたいですし
市場散策も面白そうです。
是非再訪してみたいと思っています。
確かに今回の旅の食事は外れでしたね。
全くフリーにしていただいた方がありがたかったかな(笑)
annak
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