1993/02/15 - 1993/02/20
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がおちんさん
西盟旅行記の第三弾です。
今回は、西盟で最もワ族社会の文化が残されている岳宋を訪ねました。
来客者が一方的に損をする「アワ理」(ワ族の道理)や、やや強制的な酒、野生的な食事など、これから急速に失われていくであろう少数民族の風習を味わいました。
また、モンスオの街子(定期市)に行くと、小ワ族(首狩りをしないワ族)の女性たちが耳を財布代わりにしているのが印象的でした。
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1993年2月15日
西盟の夜が明ける。
雲海が見事だ。 -
今日は岳宋へ向かう。
西盟から道路が通じているので、人民政府でジープをチャーターした。
岳宋の地名は2ヶ所あり、国境付近の村は辺防検査場の先にある。
行きは運転手の顔パスで通過したのだが、これが後で問題となり、翌日帰るときに捕まってしまうことになる。 -
未舗装のガタガタ道を走って岳宋に到着。
子供達が駆け寄ってきて、いきなりクレクレ攻撃に遭った。
開放されたばかりの辺境なのに、妙に人慣れしている。 -
岳宋村の幹部たち。
手製の民族バッグが素敵だ。
右から3番目のモーガン・フリーマン似の男性が村の書記。一応は村の代表だが、実際は老人たちの権力が強いそうで、「私の言うことは何も聞いてくれない」と語った。 -
書記に村を案内してもらう。
馬散と同じく、山深い地に集落がある。
西盟は海抜が高く、最も高い山は2000メートル以上あるという。 -
村に入る前に、「タバコや飴をたくさん買っておくように」と言われた。
実はここ数年、テレビや映画の撮影が村で行なわれたらしく、撮影スタッフが村人に言うことを聞かせるために物を沢山あげたらしい。それ以来、村人は来客者に物を要求するようになってしまったそうだ。 -
ワ族の家。
高床式で、玄関はスライド式になっている。 -
書記から、「あの老人にタバコをあげなくてはならない」と言われた。
それも1本ではなく、一箱である。
理由を聞くと、「こっちを見てるから」。それがアワ理(ワ族の道理)だという。
私がタバコを渡すと、老人は何も言わずにポケットにしまった。
そうやって村を歩くうちに、2カートン買っておいたタバコはすぐに無くなってしまった。 -
ガッハッハと笑いながら、村のメイン通りを歩くワ族婦人。
銀の頭飾りと腕輪をつけている女性が多い。
これは大馬散では、あまり見られなかったものだ。 -
木鼓や塹壕など、ワ族の風習を感じさせるものはないか書記に尋ねたが、それらはもう村に残っていなかった。
ただ、首狩りが行なわれていた頃は、この場所に頭を供えてお祭りをしたそうだ。 -
向かいの山はミャンマー領だ。
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完成したばかりの集会所。
男たちがブライ(水酒)を飲んでいる。
私も、やや強制的に飲まされた。 -
ブライは小紅米を発酵させて作るアルコール度数の低い酒で、米のとぎ汁のような色をしており、やや酸っぱい。ネパールのチャンと同様の味だ。
酒盛りでお腹がガボガボになってしまった。
ここで書記と別れて、村の写真を撮りに行く。 -
岳宋は山の斜面に村がある。
竹を背負った女性が、ゆっくり坂を下りていった。
竹の中には水が入っているのだ。 -
ワ族の家と子供。
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木を運ぶ女性。
貫頭衣を着ている。 -
肉体労働をしているのは女性ばかり。
沢山の木を背負い、下腿三頭筋が躍動していた。 -
水を運んでいた少女。
典型的なワ族の民族衣装である。 -
とても重そうだった。
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こちらも、水を運ぶ幼女。
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同じく、水を運ぶ子供。
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汲んできた水を入れ替える。
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村にある水道設備。
山の斜面を利用したもので、水道管は竹製。 -
水を汲みに来た子供。
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縫い物をする女性。
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赤子をあやす老人。
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子供をだっこするお母さん。
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村の呪術師。
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機織りをする女性。
服がオシャレだ。 -
銀細工が素敵なワ族の婦人。
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米をつくおばあさん。
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籾殻をとばす。
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民族服の素敵な女性がいたので撮らせてもらう。
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ワ族の人は肌が黒いので、銀細工が引き立つ。
やはり民族衣装は、その民族を最も美しく見せる服だと思う。 -
書記の家に荷物を置かせてもらっていたので取りに行くと、さっき干しておいたはずの赤いネルシャツが無くなっていた。
書記に聞くと「知らない」と言う。
おかしいなと思ったが、気がつくと書記の妻が私の服を着ていた。
「それは私の服なんだけど」と言うと、奥さんはワ族語で何か言い返す。
書記に訳を聞くと、「お前の服は色がいい」と。
で、「色がいいから、これは私が着る」と言う。
そんなのあるかと文句を言ったけど、「アワ理だ」と書記。
そういう理由で、エドウィンのネルシャツは返してもらえなかった。
恐るべし、アワ理。 -
1993年2月16日
昨夜は村の公所に泊めてもらった。
今日はお祝いがあるので豚をつぶしたらしい。
肉を持って歩く村人を何人も見かけた。 -
内臓を抱えて嬉しそうに走る少年。
ご馳走だ。 -
後の女の子も、肉を持っている。
真ん中の男の子、子供とは思えない貫禄だ。 -
集会所が完成したので、村人に食事が配られる。
ワ族の米は赤い色をしている。
今で言う古代米のような品種だ。 -
まな板とボールを兼用したような丸太の台所用品にて、豚肉を切る。
これは便利そう。 -
よく見ると、肉からは毛が生えたままで、足とかもそのまま入っている。
なんとダイナミックなクッキング。 -
「おっ、ソーセージだ」と思った間抜けな私。
勧められて食べてみると・・・ -
ゲーッ、糞の味だ。
もちろん糞は食べたことないけど、きっと糞を煮たら、こういう味になるだろうというような味。しかも、これは豚の腸に違いない。豚は人の糞も食うわけで、病気にならないかとショックを受けた。
おそらく顔が凍りついていたのだろう、「記念に写真を撮ってやる」と村人に笑われた。 -
「これが一番美味いんだよ」と、ワ族の方々。
フリーマン書記も旨そうにほおばる。
そういえば、雲南民族学院のワ族の授業で、「牛の腸を食べる」という話は聞いたことがあった。「牛糞腸」と呼ばれているらしい。
これはその豚バージョンか。 -
大人も子供も同じ分量を配るのが、ワ族の習慣。
剛毛つきの肉(ほとんど脂身)と、糞の詰まった腸をご飯の上にのせていく。 -
こっちはお土産用。
竹の皮に包んで持ち帰る。 -
写真も撮れて満足したので、迎えの車を頼むことにした。
電話が通じている上の村へ歩いていく途中、辺防検査で呼び止められた。
昨日、下の村に行くときに手続きしなかったのが原因であり、私がミャンマー側から来たために、中国側に通すわけにはいかないと言う。パスポートを見せ、旅遊局で作ってもらった通行証(村への紹介状)も出したが、40分ぐらい尋問を受けるはめになった。かなり高圧的な態度で参ったが、こちらも必死に説明し、ようやく解放された。
旅遊局に電話をして迎えに来てもらい、ジープで西盟へ戻る。 -
1993年2月18日
今朝は西盟からモンスオの定期市を見に行く。
バスが無いので、再びジープをチャーターすることにした。 -
モンスオの市にて。
なんと馬鹿なことか、ここでフィルムを3本も2重感光してしまい、大切な旅の記録を無駄にしてしまった(涙)。
リバーサルとネガをケチケチ使い分けていたため、フィルムを途中で巻き戻して出していたのが原因だ。
幸いにも、数枚は生き残っていた。 -
モンスオには地元で「小ワ族」と呼ばれる、首狩りの習慣を持たないワ族の人々が買物に来ていた。
民族服も「大ワ族」とは異なるが、興味深いのが、耳輪用の穴に紙幣を通して財布代わりに使っていたことだ。
これはスリから身を守るのに都合がいいのだという。 -
こちらのご婦人も財布耳。
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こちらのおばあちゃんも財布耳。
頭の花もキュート。 -
モンスオに会合で来ていた、小ワ族の婦人。
幹部らしく、流暢な中国語を話した。 -
モンスオからの帰りがけ、ジープの運転手及びその連れ(3人)が「湖に行くべきだ」というので、龍潭湖に向かった。
湖までの道は原始森林の中を行き、なかなか秘境の感があった。 -
いかだに乗って楽しそうな運転手一行。
なんだか、彼らの遊びにつき合わされている形になってしまった。 -
ドボーンと飛び込む運転手。
要するに風呂代わりだったようだ。
このあと、腹が減ったというので途中の食堂に寄る。私は5角の米線を食べたが、彼らが勝手に飲み食いした料金(3人で45元)まで翌日に旅遊局から請求されて激怒する。「車代以外は払わない」と突っぱねたが、窓口となった石さんという青年の顔を立てて払うことにした。 -
1993年2月20日
昆明に帰る際、西盟政府の一行が思茅に会合に行くというので乗せてもらえることになった。
私に面子を守ってもらった旅遊局の石さんが、そのお礼にと頼んでくれたようだ。
写真は山の中でパンクしているの図。右端の男があくびをしながら「アイヨー」と背伸びをしたとこでシャッターを切った。
10日間にわたる西盟の旅は終わった。
少数民族の祭り 大姚曇華山・彝族の挿花節(前編)〜雲南の旅1993に続く
http://4travel.jp/travelogue/10679758
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この旅行記へのコメント (2)
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- keiさん 2014/01/22 17:52:00
- 本当の
- ワイルドって、こんな旅をいうんだろうなぁ。
豚糞腸をかじりながら 「ワイルドだろぉ?」ニッ♪
がおちんさん、こんにちはお久しぶりです。
がおちんさんの旅行記を読んでいると、こたつに入りながら
ぬくぬくとしている自分はどこの世界にいるのだろう?って
錯覚してしまうときがあります。
此処でこうしていてはいけない気もします。
どうしてだろう、何かしなければと焦ってしまうのです。
山岳民の「我々は生きている!!」という姿を見せつけられて
しまうからでしょうか。。。。
けれど結局それは思いだけで、何もできない私です。
シャツは気に入ったからって勝手に取るなんて酷いですねー。
どんな理屈だよ!って思ってしまいます。
外部から閉ざされた彼らと仲良くするのはやはりそれなりの
貢物も必要なんですかね。
タバコはそのためにたくさん持っていったのですか?
耳財布もかなり衝撃的でした。
かえって危ない気もしますが.....
kei
- がおちんさん からの返信 2014/01/23 20:15:25
- RE: 本当の
- Keiさん、こんにちは。
若い時しかできない旅ってありますよね。私も今なら、わざわざ時間かけて雲南の僻地に行かないし、豚糞腸(!)を食べたりはしないです。それに、もう食べることもできないでしょう。今や少数民族もスマホを持つ時代ですので。
でも当時は、「雲南省に24種類の民族が住んでいて、それぞれの文化・風習をもって暮らしている」ということにとても魅力を感じたのです。それに急いで行かなくてはならない理由もありました。少数民族の地域が対外開放されて時間が経つと、中国色(漢族色)が強くなって魅力を失うからです。だから未開放が多かった1991年頃まではまだよかったのですが、その後はどんどんつまんなくなりました。まあ、旅行者の勝手な思いですが。
ワ族はとても個性が強く、西盟の旅は刺激的でした。旅行記には書きませんでしたが、地元の青年から、「ミャンマー側に行って麻薬をしないか?」と普通の顔で言われてドン引きしたり、村の老人に酔ってからまれて困ったり(刀を持っていますからね)、「金をくれればスガンリ(ワ族の聖地でミャンマー側の山中にある)に連れて行ってやる」と言われて真剣に悩んだりしました。その場所は民族学的には大変貴重な場所だからです。でも、私はただの旅行者ですから、そこまでしませんでした。もちろんスガンリには現在も行くことができません。いえ、今のほうがより行くのが難しい。あのとき行っておけばよかったと思います(笑)。
> シャツは気に入ったからって勝手に取るなんて酷いですねー。
> どんな理屈だよ!って思ってしまいます。
私はふだん村を訪ねるときに貢物など用意しませんが、このときは村の書記に便宜をはかってもらう(宿泊や食事など)ために、街でお菓子と酒を買って持っていきました。だから礼はつくしたつもりですが、奥さんはよっぽど私のネルシャツ(赤い色)が欲しかったのでしょうね。正直にそう言ってくれればあげたのに、「どんな理屈だよ!」と私も思いました。でも、雲南民族学院でワ族研究の教授から「アワ理」のことを聞いていたので、それほど腹も立ちませんでした。タバコも書記に言われて沢山買っただけです。普通はそんなことしません。
ちなみに、スガンリに連れて行ってくれると言ったのは書記です。私にとっては不法越境行為になるのですが、彼にとっては近所へ遊びに行く感覚だったのでしょう。
下痢してなければ行ったのになあ(笑)。
がおちん
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