2011/03/06 - 2011/03/06
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夜間飛行さん
2011年3月のプラハ旅行 第2日(その1d)プラハ国立技術博物館 航空機編
2-1 プラハ国立技術博物館 総集編
2-1d - 飛行機編
2-2 軍事史博物館
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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Praha (1904)
1892年に、チェコ航空協会が設立され、この国の飛行機史が始まった。このPrahaと名づけられた気球はフランスのGodard社から購入され、写真家のJan Plischkeが、この気球から最初のプラハの航空写真を撮影した。
#1103-09108(#9199) -
Kaspar JK-Bleriot (1911)
初期のチェコ航空開発史において最も重要な1シーンは、チェコの技術者ヤン・カシュパル (Jan Kaspar) による、パルドゥビツェ (Pardubice)でのテスト飛行である。彼は、1910年にフランスから輸入されたブレリオXI/3気筒アンザニエンジンで短いテストを行った。翌1911年にはブレリオから直接取り寄せた機体により強力な4気筒のダイムラーエンジンを取り付けた飛行機を製作した。1911年5月13日、Pardubice からプラハ近郊のChuchleまで、121km、92分間の飛行に成功した。
#1103-09258 -
Kaspar JK-Bleriot
#1103-09237 -
Kaspar JK-Bleriot
#1103-09151 -
Knoller C.II (1917)
1916年にウィーンの教授Richard Knollerが設計した多用途単葉機。3ヶ所の工場で量産されてオーストリア=ハンガリー帝国空軍で使われたが、1917年に1機が事故により失われると生産は中止になり、運用中の機体は地上スタッフの訓練用に使われた。展示は、現存する唯一の機体。
#1103-09195(#9200) -
Knoller C.II
#1103-09255 -
Knoller C.II
#1103-09118 -
L.W.F.Model V Tractor (1917)
チェコスロバキアの成立に大きな役割を果たしたのは、チェコとスロバキアの義勇兵から成る軍団で、連合側に立って戦った。そのうち最大の軍団はロシアで創設され、当初はオーストリア=ハンガリー帝国と戦い、のちにはロシアのボルシェビキと戦った。そのため、この軍団が国にシベリアとウラジオストックを経由して国に帰ってきたのは、ようやく1920年になってからのことだった。このLWF Model Vは軍団とともにチェコスロバキアに帰国した。
#1103-09210(#) -
L.W.F.Model V Tractor
#1103-09165 -
Anatra DS Anasal (1917)
1918に設立されたチェコスロバキア空軍は、多くの外国製航空機を採用した。Anatra DS はそのうちのひとつで、ウクライナのオデッサで生産された。もともとはオーストリア=ハンガリー帝国軍が購入して訓練用に使用していたが、帝国が崩壊したため、23機が新設チェコスロバキア空軍に引き継がれた。展示は、現存する唯一の機体。
#1103-09209(#9208) -
Anatra DS Anasal
#1103-09259 -
Avia BH-9 (1924)
1919年に設立されたプラハアヴィア飛行機製造会社 が開発。軽量複座低翼単葉のBH-5は、1923年に開催されたベルギー旅客機コンテストでベルギー国王賞を受賞していた。それを受けて国防省はBH-5に小改造を加えたBH-9を、訓練機として採用した。
#1103-09172(#9173) -
Avia BH-10 (1924)
1920年代、Pavel Benes とMiroslav Hajnの設計による、軽量の単発複座低翼単葉機シリーズBH-5、BH-9、BH-11がスポーツ機として成功を収めていた。より小さな単座機バージョンであるBH-10は、チェコスロバキア軍により発注され、訓練用に使われた。
#1103-09241(#9200) -
Etrich E.VIII (1929)
航空機のパイオニア Igo Etrichが設計した飛行機でよく知られているのは、1910年からドイツ、オーストリアで生産された単葉機タウベである。Etrichが最後の設計したのは、この複座高翼単葉のEtrich E.VIIIであるが、プロトタイプがつくられただけで、量産はされなかった。
#1103-09158(#) -
Etrich E.VIII
#1103-09117 -
Zlin Z-XIII (1937)
靴の製造で知られるBeta社は、戦間期には飛行機の製造を行っていた。1935年から1938年まで201機を製造した Z-XII スポーツ用単葉機で成功を収めたあと、つづくモデルとしてZ-XIIIのテストフライトを1937年に行なった。1930年代チェコスロバキア航空機産業の到達点といえる機体だったが、国際情勢の悪化のため、プロトタイプが一機作られたのみだった。
#1103-09144(#9145) -
#1103-09119(#)
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Supermarine Spitfire LF Mk.IXe
スピットファイアは、WWIIにおける連合側の戦勝の象徴する兵器の一つであり、1940年から1945年まで、3つのチェコスロバキアスコードロンでもつかわれた。RAF傘下、No.310チェコスロバキアスコードロンのメンバーが、1945年にこの機体で帰国した。
#1103-09206(#) -
Supermarine Spitfire LF Mk.IXe
#1103-09141 -
Aero HC 2 HELI BABY (1955)
チェコスロバキアで唯一量産化されたヘリコプター。チェコスロバキア軍で使われたほか、民間用途としても使われた。
#1103-09212(#9213) -
Aero L-39 C Albatros (1978)
亜音速ジェット練習機・軽攻撃機。L-29 Delfinの後継機で、1970年から1997年までに3000機以上が生産され、社会主義圏での標準練習機として使われた。
#1103-09027(#9230) -
Aero L-39 C Albatros
#1103-09217
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この旅行記へのコメント (2)
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- 一歩人さん 2012/06/06 07:46:26
- なかなか
- ふ、ふ、毎日、羽田へ向かう上空の旅客機の爆音を数分おきに聞きながら
江戸川区の船堀でマンション管理人をやっている、一歩人です。
ふ、ふ、機体の美しさでは零戦かな。
こうして平和な?地震国日本で、戦闘機の旅行記ははめずらしいですよね。
そういえば、昔、航空博物館へ行ったことがあります。
羽田や、成田の旅客機をみるのはとても楽しいですよね。
ありがとうございました。
失礼しま〜す♪
- 夜間飛行さん からの返信 2012/06/10 20:52:01
- RE: なかなか
- 一歩人さん、
こんにちは。メッセージをありがとうございます。
プラハに限らず、ヨーロッパの科学・技術系の博物館では、各分野にわたって本当にたくさんの現物が展示されています。科学技術の発展に貢献してきたという誇りが、そうやって次世代に受け継がれていくということは、うらやましいことです。
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