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いつものように伊勢に行った帰り道、今回は東海道五十三次のひとつ関宿に立ち寄り、今も残る宿場町を歩いてみました。<br /><br />関は古代から交通の要衝で鈴鹿の関が置かれていたところで古くは壬申の乱にも登場します。江戸時代には東海道53次の47番目の宿場として整備され江戸、京、大和、伊賀、伊勢の分岐点として賑わいました。<br />旧東海道の宿場町で唯一歴史的な町並みが残る関宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。<br />

東海道宿場町 関宿

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2012/05/16 - 2012/05/16

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11

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エトランゼ

エトランゼさん

いつものように伊勢に行った帰り道、今回は東海道五十三次のひとつ関宿に立ち寄り、今も残る宿場町を歩いてみました。

関は古代から交通の要衝で鈴鹿の関が置かれていたところで古くは壬申の乱にも登場します。江戸時代には東海道53次の47番目の宿場として整備され江戸、京、大和、伊賀、伊勢の分岐点として賑わいました。
旧東海道の宿場町で唯一歴史的な町並みが残る関宿は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

  • 関宿の観光駐車場に到着したのは午後3時半頃になってしまいました。<br />関宿の範囲は東西追分の間、約1.8kmもあるのですから急がないと回りきれないかもしれません。日が長いとは言え観光地の店仕舞いは早いでしょうから。

    関宿の観光駐車場に到着したのは午後3時半頃になってしまいました。
    関宿の範囲は東西追分の間、約1.8kmもあるのですから急がないと回りきれないかもしれません。日が長いとは言え観光地の店仕舞いは早いでしょうから。

  • 駐車場には足湯もありましたがパスします。

    駐車場には足湯もありましたがパスします。

  • 関宿の中心に位置するのが「地蔵院」で741年行基菩薩の開創と伝えられる名刹です。本尊地蔵菩薩座像は我国最古の地蔵菩薩と言われています。<br />境内は東海道に面しており、東海道を旅する人々の信仰を集め賑わったようです。<br />「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」なんてうたわれていたとは知りませんでした。

    関宿の中心に位置するのが「地蔵院」で741年行基菩薩の開創と伝えられる名刹です。本尊地蔵菩薩座像は我国最古の地蔵菩薩と言われています。
    境内は東海道に面しており、東海道を旅する人々の信仰を集め賑わったようです。
    「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」なんてうたわれていたとは知りませんでした。

  • 地蔵院境内では本堂と愛染堂そしてこの鐘楼が国の重要文化財に指定されています。<br />

    地蔵院境内では本堂と愛染堂そしてこの鐘楼が国の重要文化財に指定されています。

  • 主だった建物が残る関宿東側を先に回ろうと思っていたのに間違って西に向かって歩いてきていました。<br />関宿は「新所」「北裏」「中町」「木崎」の4地区からなっています。地蔵院から西追分までは「新所」で落ち着いた町並みが続きます。

    主だった建物が残る関宿東側を先に回ろうと思っていたのに間違って西に向かって歩いてきていました。
    関宿は「新所」「北裏」「中町」「木崎」の4地区からなっています。地蔵院から西追分までは「新所」で落ち着いた町並みが続きます。

  • 地蔵院近くの新所東側は中二階の町家が多く見られ虫籠窓や格子など伝統的な意匠がよく残っています。<br />新所地区は観光客も少なく、静かな住宅地を訪れた感じで散策できます。

    地蔵院近くの新所東側は中二階の町家が多く見られ虫籠窓や格子など伝統的な意匠がよく残っています。
    新所地区は観光客も少なく、静かな住宅地を訪れた感じで散策できます。

  • 母屋の横に庭を設けて高い塀をめぐらした町家が見られるのも新所地区です。ここはレンガ塀ですね。

    母屋の横に庭を設けて高い塀をめぐらした町家が見られるのも新所地区です。ここはレンガ塀ですね。

  • こちらのお宅は板塀です。

    こちらのお宅は板塀です。

  • 新所西側は平屋が多く地味な町並みですがかえって生活感が漂います。

    新所西側は平屋が多く地味な町並みですがかえって生活感が漂います。

  • 通りでは地元の子供達が遊ぶ姿も見られました。宿場町の佇まいを残す町は実際の生活の場でもあるのです。

    通りでは地元の子供達が遊ぶ姿も見られました。宿場町の佇まいを残す町は実際の生活の場でもあるのです。

  • 西追分の休憩施設まで歩いてきました。<br />西追分は東海道と大和、伊賀街道の分岐点になります。

    西追分の休憩施設まで歩いてきました。
    西追分は東海道と大和、伊賀街道の分岐点になります。

  • 我が家の周りではほとんど見られなくなったツバメがここでは各家の軒先に巣を作り町中をスイスイ飛び回っていました。<br /><br />さて町の東側に向かいましょう。

    我が家の周りではほとんど見られなくなったツバメがここでは各家の軒先に巣を作り町中をスイスイ飛び回っていました。

    さて町の東側に向かいましょう。

  • 地蔵院まで戻ってきました。門前には「会津屋」「洋館屋」「川音」と特色のある町家が並んでいます。<br />「会津屋 」は関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋かとうたわれた関を代表する旅籠のひとつです。また関の小万が育てられたところで当時は山田屋と言いました。その隣には二階に洋風の窓がある「洋館屋」、さらに隣には米をつく水車の音から名前がついた「川音」です。

    地蔵院まで戻ってきました。門前には「会津屋」「洋館屋」「川音」と特色のある町家が並んでいます。
    「会津屋 」は関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋かとうたわれた関を代表する旅籠のひとつです。また関の小万が育てられたところで当時は山田屋と言いました。その隣には二階に洋風の窓がある「洋館屋」、さらに隣には米をつく水車の音から名前がついた「川音」です。

  • 地蔵院から東に伸びる街道の北側は「北裏」と呼ばれる地区で社寺が並び、街道沿いとは違い静かな雰囲気です。<br /> 写真は福藏寺。<br />

    地蔵院から東に伸びる街道の北側は「北裏」と呼ばれる地区で社寺が並び、街道沿いとは違い静かな雰囲気です。
    写真は福藏寺。

  • 福蔵寺境内には小万の墓と記念碑があります。<br />鈴鹿馬子唄にも歌われている関の小万は、女の身で亡き母の意思を受け継ぎ亡き父の仇討ちをしたことで知られています。仇討ち後は小万の名声は高まりましたが、生まれた時から育ててくれた養父母、山田屋(会津屋)の主人夫婦の元で孝をつくし、36歳で亡くなりました。

    福蔵寺境内には小万の墓と記念碑があります。
    鈴鹿馬子唄にも歌われている関の小万は、女の身で亡き母の意思を受け継ぎ亡き父の仇討ちをしたことで知られています。仇討ち後は小万の名声は高まりましたが、生まれた時から育ててくれた養父母、山田屋(会津屋)の主人夫婦の元で孝をつくし、36歳で亡くなりました。

  • 中町に来ました。この地区は本陣や旅籠などが集中している宿場の中心です。町屋は比較的高い二階建てが多く見られます。<br />建物内部が公開されているところもあるので先にこの地区に来ようと思っていたのでした。<br /><br />

    中町に来ました。この地区は本陣や旅籠などが集中している宿場の中心です。町屋は比較的高い二階建てが多く見られます。
    建物内部が公開されているところもあるので先にこの地区に来ようと思っていたのでした。

  • 二階全面に手すりを設けた町家。開放的な作りですね。

    二階全面に手すりを設けた町家。開放的な作りですね。

  • 二階壁面を塗り籠めて虫籠窓を設けた町家。

    二階壁面を塗り籠めて虫籠窓を設けた町家。

  • 立派な虫籠窓の建物は関宿の大旅籠のひとつ「玉屋」です。<br />資料館になっているのですがちょうど板戸をおろし始めたところでした。<br />もう店じまいの時間のようです。

    立派な虫籠窓の建物は関宿の大旅籠のひとつ「玉屋」です。
    資料館になっているのですがちょうど板戸をおろし始めたところでした。
    もう店じまいの時間のようです。

  • 当時の旅籠建築や道具類を見られるはずでしたが、すっかり戸が閉められてしまいました。やっぱり先にこの辺りから見学するべきでした。<br />

    当時の旅籠建築や道具類を見られるはずでしたが、すっかり戸が閉められてしまいました。やっぱり先にこの辺りから見学するべきでした。

  • 玉屋の資料館が閉められたということは・・・と急いで来てみるとやはりこちらの「関まちなみ資料館」もすでに戸が閉まっていました。午後4時30分終了のようです。残念。

    玉屋の資料館が閉められたということは・・・と急いで来てみるとやはりこちらの「関まちなみ資料館」もすでに戸が閉まっていました。午後4時30分終了のようです。残念。

  • 町並みに溶け込むように古い佇まいの商店も何軒か残っています。

    町並みに溶け込むように古い佇まいの商店も何軒か残っています。

  • 立派な看板を上げたこの店は関宿を代表する銘菓「関の戸」の深川屋です。<br />看板の文字は京都側が漢字、江戸側がひらがなになっていて、旅人が向かう方向を間違わないように工夫されています。写真は西側(京都側)から撮ったので漢字になっています。

    立派な看板を上げたこの店は関宿を代表する銘菓「関の戸」の深川屋です。
    看板の文字は京都側が漢字、江戸側がひらがなになっていて、旅人が向かう方向を間違わないように工夫されています。写真は西側(京都側)から撮ったので漢字になっています。

  • 「関の戸」はお土産に買って帰りました。

    「関の戸」はお土産に買って帰りました。

  • 「玉屋」「会津屋」とともに関宿を代表する旅籠のもうひとつ「鶴屋」です。<br />江戸時代の終わりには脇本陣もつとめました。本陣に準ずる宿としての格式を表す千鳥破風が見られます。<br />

    「玉屋」「会津屋」とともに関宿を代表する旅籠のもうひとつ「鶴屋」です。
    江戸時代の終わりには脇本陣もつとめました。本陣に準ずる宿としての格式を表す千鳥破風が見られます。

  • 関宿にある関郵便局は江戸時代には高札場があったところです。

    関宿にある関郵便局は江戸時代には高札場があったところです。

  • 当時の高札も残っています。<br />

    当時の高札も残っています。

  • こちらは百五銀行。町の景観に配慮した意匠で平成9年度三重県さわやかまちづくり賞を受賞したそうです。

    こちらは百五銀行。町の景観に配慮した意匠で平成9年度三重県さわやかまちづくり賞を受賞したそうです。

  • 百六里庭は関宿が江戸から百六里のところにあるので名付けられた公園です。<br />通りに面して建てられた眺関亭に上ると関宿の家並みが一望できるというのですが…

    百六里庭は関宿が江戸から百六里のところにあるので名付けられた公園です。
    通りに面して建てられた眺関亭に上ると関宿の家並みが一望できるというのですが…

  • 私の背丈では屋根ばかりで家並みまでは見晴らせませんでしたが、遠くには鈴鹿の山々が見えます。

    私の背丈では屋根ばかりで家並みまでは見晴らせませんでしたが、遠くには鈴鹿の山々が見えます。

  • 「開雲楼」は芸妓置店だった建物で、表の堅繁格子やこった意匠の二階手摺り、格子窓にそのなごりが見られます。<br />

    「開雲楼」は芸妓置店だった建物で、表の堅繁格子やこった意匠の二階手摺り、格子窓にそのなごりが見られます。

  • 歴史的建造物にお住まいのツバメさん。

    歴史的建造物にお住まいのツバメさん。

  • ここから東追分まで「木崎」の町並みが続きます。中町に比べると華やかさはありませんが伝統的な町並みは維持されています。<br />東追分は東海道と伊勢別街道の分岐点で、伊勢神宮を遥拝するための大鳥居が立っています。<br />

    ここから東追分まで「木崎」の町並みが続きます。中町に比べると華やかさはありませんが伝統的な町並みは維持されています。
    東追分は東海道と伊勢別街道の分岐点で、伊勢神宮を遥拝するための大鳥居が立っています。

  • 山車をしまっておく「山車倉」です。<br />最盛期には16基あった山車は現在は4基が残り、4か所の山車倉にしまわれています。

    山車をしまっておく「山車倉」です。
    最盛期には16基あった山車は現在は4基が残り、4か所の山車倉にしまわれています。

  • 山車倉の小窓を覗いてみると「関の山」の語源にもなった大きな山車の一部が見えました。<br />

    山車倉の小窓を覗いてみると「関の山」の語源にもなった大きな山車の一部が見えました。

  • 駐車場まで帰る途中にもう一つの山車倉がありました。<br /><br />伝統的な町並みが残る宿場町を散策し、江戸時代にタイムスリップした気分で家路につきました。

    駐車場まで帰る途中にもう一つの山車倉がありました。

    伝統的な町並みが残る宿場町を散策し、江戸時代にタイムスリップした気分で家路につきました。

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