1991/04/23 - 1991/04/24
40位(同エリア156件中)
がおちんさん
西双版納にある国境の村・打洛(ダールオ)。
当時、モンフンから先は未開放だったのですが、中緬国境を見たくなった外国人旅行者が打洛に向かい、公安に捕まって罰金を払わされるという図式ができていました。
バスで打洛に行くのは公安に見つかるリスクが高いので、地元の人と一緒にトラクターで出発。悪路に辟易しながらも無事に到着し、のどかな南覧河(打洛江)の眺めやタイ族の村を歩いて楽しみました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
1991年4月23日(火)
アク族の村からモンフンに帰ると、フェニックスホテル(鳳凰旅社)の従業員から「打洛に用事があるんだが、一緒に来ないか」と誘われた。バスではなく、トラジ(トラクター)で行くという。
妻はモンフンに残り、私だけ行くことにした。 -
私が乗ったのは、こんなタイプ。
トラジの乗り心地は最悪。悪路で跳ねるため、振り落とされないようにしっかり捕まらなくてはならなかった。
打洛までは4時間もかかり、走行の衝撃で腰や頭まで痛くなってしまった。
トラジで長距離はもう沢山だ。 -
ひっそりとした打洛の集落。
フェニックス旅社の従業員と別れ、歩き始める。 -
中緬国境を流れる南覧河(打洛江)。
川にかかる橋を渡ると、公安のお出迎えがあるらしい。罰金は50元から300元とまちまちというから、おそらく小遣い稼ぎになっているんだろう。
まるでゴキブリホイホイのような橋である。
近寄らぬが吉だ。 -
打洛は盆地にあるため、かなり暑い。
南覧河では沐浴するタイ族の姿をよく見かけた。
男女が一緒に水浴びすることはなく、一定の距離をおいて入るのが習慣である。 -
こちらは沐浴をするタイ族の男性。
刺青がみごとだ。 -
そもそも国境なんて、後から勝手につけたもの。
地元の人にとっては近所に過ぎない。
私も裸になり、泳いで川を渡る。 -
しばらく歩くと、南覧河の支流に出た。
こちらは浅そうだ。 -
タイ族の女性が川を渡ってきた。
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お姉さんの話では、村の先からがミャンマーだという。
なんのことはない。山間部は川が国境になっているが、平地の部分は川を越えても中国領土になっているのだ。
領土といえば、1985年に出版された西双版納ダイ族自治州概況(『雲南民族出版社』)には、「第2次大戦中に旧日本軍の飛行機が侵入、爆撃をし、ビラを撒いたり、低空飛行をしながら拡声器を使い、日本に投降するようタイ族人民を扇動した」とある。
打洛江が戦地になっていたとは驚きだ。西双版納のタイ族からそういう話を耳にしたことは無かったし、むしろ文革の時に家族を殺されたり、寺を焼かれた話を聞かされることが多かった。
中国のことだから、そのうちここにも中国軍戦勝碑なるものが立つのかもしれない。 -
途中で見かけた仏塔。
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元気なタイ族の子供たち。
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村が見えた。
おそらく曼蚌という集落だ。 -
豚、鶏、小坊主。
どこの村でも目にする光景。 -
タイ族の家。
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寺で勉強していた小坊主。
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ワーッと走って来た子供たち。
高床式の倉庫が見事だ。
この先は山道になっていた。 -
しばらく歩き続けるが、国境を示す知らせなどは無かった。
山道が続くばかりなので、戻ることにする。
後年、すぐ近くのモンラの集落に金と色にまみれた歓楽街ができるなんて、この頃は想像も出来なかった。 -
スコールが来そうな空。
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再び、南覧河を渡り、打洛の集落に戻る。
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打洛に戻り、フェニックス旅社の人と再び会う。
トラジはもう勘弁なので、彼の知り合いの家に泊まり、翌朝のバスでモンフンに帰った。
景洪逍遥・曼景蘭と玉池旅社の人々〜西双版納の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10674350
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