1991/04/24 - 1991/04/25
40位(同エリア156件中)
がおちんさん
西双版納の州都・景洪にある曼景蘭は、タイ族の暮らすのどかな村でした。
曼聴路にある食堂やゲストハウスは外国人旅行者から人気があり、自然豊かな西双版納の風情を楽しむバックパッカーの姿が見られました。
美味しいタイ族料理を食べて、ぶらぶらと村を歩く。それだけで一日が終わる。曼景蘭には、そんなゆったりとした時が流れていました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
-
1991年4月24日(水)
景洪は西双版納の都だが、街のはずれにある曼景蘭では長閑な村の光景が広がっている。
朝は鶏の声に包まれ、明るくなってから散歩に出かける。暑い日中は昼寝をし、夕方から再び散歩へ。
特に何をしなくても、飽きることがなかった。 -
曼景蘭村の曼聴路にはタイ族料理を出す食堂兼ゲストハウスが数軒あった。
どの店もタイ族民家風で情緒があり、酸っぱくて辛いタイ族料理や糯米は日本人の味覚にも合う。また、タイ族の笑顔と親切さは、当時のハードな中国旅行に疲れた旅行者にとって楽園のような所だった。
残念なことに、中国人団体旅行者が増えるにつれて店が乱立し、歌謡ショーやカラオケが行われるようになる。漢族客の無遠慮な振る舞いと、夜中まで続く大騒ぎのおかげで、曼聴路は下品な歓楽街に変わっていった。
のどかだったのは、この年までだったと記憶している。 -
さあ、今日も散歩に出かけよう。
曼聴路から曼景蘭村の横道に入ってみる。 -
鶏のにらみ合い。
-
飛び蹴り。
-
ブーちゃん、授乳中。
-
村をぬけると、広々とした所へ出た。
水牛が草を食べてる。 -
農作業から帰るタイ族女性。
-
向かいから沢山の水牛がやって来た。
端に寄ってやりすごす。 -
流沙河に出た。
渡し舟がいたので乗ってみる。 -
流沙河にて、わずか数分の船旅。
-
上陸地点から道を誤り、水田に入ってしまう。
決死のジャンプを敢行する妻。 -
ぬかるみにもがく私。
わざとです。 -
ようやく悪路を脱出し、田舎の道に出た。
-
午後の版納は暑い。
汗をかきかき歩く。 -
夕方、流沙河にかかる橋に来た。
ここは私のお気に入りスポット。
ローカルさがたまらん。 -
土手に座って橋を行き来する人を眺めつつ、ボーッと過ごす。
日も暮れたので、宿に帰ろう。 -
当時、曼景蘭で定宿にしていたのが玉池旅社。
正式名は、「玉池椰楼イ泰家飯店」といい、曼聴路の一番奥にあった。
岩丙さんという、ハマコーに似たタイ族のおじさんが1988年から経営しており、内庭が池になっていたのと、若くて綺麗なタイ族娘たちが働いているのでバックパッカーに人気があった。宿は1泊4元。
写真は、岩さんが自ら野菜を品定めしているの図。 -
岩さんの三男と従業員のイーゴンさん。
彼は会うたびに「アリガト」と言う。
いつもホウキで掃除していた。 -
ダイ族料理の美味しさは格別。
その美味しさの秘密に迫るべく、調理場にお邪魔しました。
まずはコンロに火をくべる。
※以下、3ヶ月前の冬(1月)に撮った写真も含みます。 -
「葉子蒸肉」を作る。
豚肉のミンチに香辛料を混ぜて、バナナの葉っぱに包む。 -
蒸し器に並べて蒸す。
出来上がると、なんとも香ばしい匂いにお腹がグーッ。 -
ナンミーに使う葉っぱを洗う。
-
ナンミー(たれ)にはピーナッツ味(花生喃味)とトマト味(番茄喃味)の2種類ある。
このタレに葉っぱをつけて、クレソンのように生で食べるのだ。
生食をしない中国において、サラダが食べられるのは貴重だ。
葉っぱの種類も何種類かあった。 -
ナスを切っているところ。
女性従業員は全員17歳だった。 -
烤猪肉(あぶりチャーシュー)を切る。
-
前列左がナスとタマゴの天ぷら。
前列右が酸筍鶏(酸っぱいタケノコと鶏のスープ)。
後列左は紫米。
後列右は烤猪肉(あぶりチャーシュー) -
あぶり牛肉も追加する。
-
前列左から花生喃味と葉っぱ、あぶり牛肉。
-
魚や鶏肉に、レモングラスやコリアンダー、唐辛子などをまぶす。
-
竹の棒ではさみ、炭火であぶる。
-
グリル監督はおばあさん。
焼き方など、従業員に細かく指示を飛ばす。
だから美味しいんだね。 -
お金の計算をする、玉池のマダム。
-
客には親切だったけど、従業員には厳しい。
常連になると、食事代をまけてくれた。 -
客のいない午後、長閑に過ごす従業員。
タイ族の女性は本当にスリムだ。 -
旅社の裏側にある池の前でショット。
-
皆さんキュートな女性でした。
-
玉池の米線も人気のメニューだった。
朝はこれを食べないと始まらない。 -
小碗米線が1元。
巷の倍の値段だが、具沢山でスープの味も良かった。 -
宿を出発するときは、いつも笑顔で送り出してくれる。
中国には「ガオーッ」という猛犬タイプの女性服務員が多いので、ここに来ると本当にホッとする。
文句なしに、西双版納で一番の宿でした。
黔東南の田舎をめぐる〜貴州の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10676208
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- パパ旅行者さん 2012/06/02 02:09:11
- 曼聴路!
- 私は今の曼聴路しか知りませんが、今からは想像できない、のんびりした田舎の景色ですね。(この写真自体は、曼聴路から少しいったところだと思いますが)。
- がおちんさん からの返信 2012/06/02 17:22:38
- RE: 曼聴路!
- パパ旅行者さん、こんにちは。
コメントをありがとうございます。
曼聴路まで来ると、まわりはダイ族の家と水田ばかりでした。当時は景洪自体が田舎で、大きな建物は電話局と百貨大楼、それから王宮跡に建てられた版納賓館ぐらいだったと記憶しております。写真は、曼聴路の奥から横に入ったあたりです。今はこのあたりもビルが並んでいるようですね。
ちなみに留学時代、雲南民族学院の外事辦公室にシップソーンパンナー最後の王様の娘さんが働いていました。刀さんというなかなか美人な女性でしたが、よく居眠りしてました(笑)。
がおちん
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
40