2012/05/09 - 2012/05/09
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しゅいぐーさん
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久しぶりに滋賀へ出張でした。帰り道沿いで御上神社などお参りをしてきました。
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これが、8号線沿いにある、三上山。別名「近江冨士」です。
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野洲市にあります。
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三上山の麓に、御上神社があります。
8号線沿いに駐車場がありますので、気軽に行けます。 -
御上神社の由来などの看板
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当神社は、古来御上神社と称し三上神社とも称した。又、三上大明神社・三上大明神・三上山大明神・三上社等と称した事が諸記録に残る。
神体山・三上山は、標高432m「近江富士」ともよばれ、俵藤太のムカデ退治の伝説で知られる。山は二つの峰からなり、男山・女山とよばれ、頂上には巨石の盤座があり奥宮が祀られる。旧暦6月18日には山上祭が行われ、神体山信仰の姿を伝えている。 -
御鎮座年代は不明だが、『古事記』開化天皇の段に「近つ淡海の御上の祝がもちいつく天之御影神」の記事があり、社伝によると孝霊天皇6年6月18日三上山山頂に天之御影命が出現し御上祝が三上山を盤境と定めて祀った。その後養老2年(718年)3月15日に現在地に藤原不比等が勅命により榧の木で社殿を造営した。
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『延喜式』神名帳には、明神大社・月次・新嘗の官幣社として記され、早くから野州川下流域の重要な神社であった。
境内の主要な社殿は、鎌倉時代後期、14世紀始めごろ整備されたと考えられ、本殿・拝殿・楼門をはじめ貴重な建造物が今日に残されている。
古代から中世にかけて三上山山麓一帯は「東光寺」があったといわれ数多くの伽藍・堂舎があった。「三上古跡図」にその様子が描かれている。嘉吉元年(1441年)興福寺の末派社寺を記した『興福寺官務牒疏』には下記のように記されている。 -
東光教寺 在同州野州郡三上郷 三上大寺内 僧房十九字 交衆八口
天武天皇叡願 相続持統帝勅願也 本尊薬師仏也 元興寺道智法師開基 三上神法楽之精舎也
妙光寺 三上大寺内 僧房九字 本尊岩本釈迦仏
三上神 在野州郡三上郷 社僧二人 神主二人
養老元年丁巳年三月十五日降臨 二火二水神為日本第二忌火神 金勝寺四箇所鎮守守神也 -
又、弘仁年間(810年〜824年)成立とされる仏教説話集『日本霊異記』下巻24に「修行の人を妨ぐるに依りて、猴の身を得る縁」の説話がある。又、宝亀年中(769年〜780年)「タガ大神」三上の神が白猿の姿となって「社の辺の堂」で修行していた大安寺の僧に、罪報により猿になりこの身を逃れたいため読経を頼む。この堂は「九間の大堂」記されるが、この史料は近江の神仏習合の文献上の初見であり、御上神社の古くからの神仏習合の様相がうかがえる。この神仏習合は明治の廃仏毀釈に至るまで続いた。
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中世の頃は度重なる戦乱により社殿が荒廃した時期もあった。明応3年(1494年)の棟札には、荒廃の有様が切々と記され、多くの人々の努力により修復がなされたことが読み取れる。
明治31年には、本殿・拝殿・楼門が特別保護建造物に指定された。大正2年には県社、大正13年には官幣中社となる -
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三井アウトレット竜王へ行ってみました。
でも、買うもの有りませんでした。 -
今度は、多賀大社へ行きました。駐車場が無い。。。。探しまくってようやく、裏に御祈祷者用駐車場発見、夕方なので置かせていただき参拝してきました。
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奥の本殿が大きい
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工事中でしたが、静かな良い場所でした。
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古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。 -
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多賀大社本殿裏へ抜け駐車場へ行きます。
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