2012/03/15 - 2012/03/21
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城壁フェチさん
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三国時代からの古都・南京の石頭城に始まり、無錫では三国城の映画村で三国志を体感、蘇州盤門に感動し、久しぶりに中華!を味わう旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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3月15日午後1時発の中国東方航空、成田のターミナルは毎回中国行きなので一番端っこ!
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シャトルに乗って一番奥まで突き進む、いよいよ中国へ行くぞ!と言った気分になります。
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東京は気持ちよく晴れていたけれど、南京は雨!
15時半南京到着後最初の見学地石頭城へ。 -
4トラの皆様に薦められていた南京城壁!漸く来る事が出来ました・・・でも雨!
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イチオシ
この下層部分は孫権が造ったと云われる南京城壁。
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岩の様に為っている処が2000年近くも経た城壁!雨に霞んで良く見えないけれど、スゴイな〜!
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石頭城の外側にある濠の柳もやっと芽吹き始めたところです。
風も吹き土砂降りに近い荒れ模様で、早々に初日の見学終了。この旅雨に祟られるのかな〜・・・ -
初日の夜は雨も酷いので早めの就寝。
2日目の朝、傘を差そうか差さなかろうか、迷う程度になったのでホテル近隣を散策。 -
朝7時過ぎの南京夫子廟歩行街、静かです。
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こんなモニュメントも誰にも邪魔されずに撮れます。
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夫子廟脇からの入り口には、ここでも誰憚ることなく太極拳をする人あり。
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その人を遣り過ごして夫子廟(孔子廟)へ
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夫子廟から更に歩行街を進み
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子供の頭は皆撫でたく為るものなのですね、ピカピカ!
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旅行を決めてから絶対此処へは来ようと決めていた江南貢院!
この江南貢院の科挙試験を受ける人達が、最後の神頼みをするために夫子廟がすぐ近くに出来たようです。納得! -
イチオシ
江南貢院前に立つ林則徐、陳舜臣の『阿片戦争』以来のファンです。
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貢院の門には早くも中国ツアー客が開門待ち。開門までは未だ1時間はあるのでは?
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夫子廟の正門もまだ閉じてます。
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夫子廟正門・・・やはり朝の太極拳
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幸運の樹・・・先ずは財から・・・鄧小平の発想もここから来てるの?
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昔は江南貢院の敷地内だった処に建つ状元楼酒店、ここに2連泊します。
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そして2日目の観光はホテルから歩いても来れそうな中華門へバスに乗って・・・そうそう今回も勿論ツアーですが、今回のツアー客は83歳を筆頭に70代2名・60代2名・そして私のたったの6名、少な!集合かけても直ぐ集まります、忘れて置いてけぼりの心配なし!
確か城門の上には城楼が在った様な?何時から無くなったのでしょうか? -
イチオシ
中華門のこの奥行の深さは凄い!
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朝のお掃除、辛苦了!
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奶奶、今日も元気に太極拳。
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一番内側の城門
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城門の上には7ヶ所?の蔵兵洞(兵士溜り)3000人も収容できるとか。武器を立てて入る為か、洞の高さも相当なものです。
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霧に霞む城壁
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イチオシ
三重の甕城の中華門、一つの城楼も見えません。
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其処へ歴史研究グループの高校生が現れ、チョッとした交流が展開されました。
高校生の率直な質問『日本人は皆名古屋市長の様な、過去の戦争への歴史観を持っているのか?』ここは南京!その上つい最近の河村市長の南京大虐殺は無かった発言。当然の第一声ですね。
当方長老No2のKさんが『日本には名古屋市長の様な考えの人も居るけど、そうでは無い人達も沢山居る、あなた達の様に日中の若者には、是非これからずっと仲良くして欲しい』と。高校生たちは頷いて呉れました。
丁度今回成田の三省堂で加藤嘉一の『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』を購入し、ホテルで寝る前に少しづつ読み始めていたところだったので、こんな空気の前兆だったのかな? -
高校生達と和解?の記念撮影をして中華門を降りてきました。
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春節の飾りが残り、門の上の中華門の表札が見えませ〜ん!・・・真面目な交流の後なのに軽すぎ!
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南京城壁を後にして、明孝陵・中山陵へ向かいます。
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明孝陵前の梅は咲き始めていました。
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明孝陵参道
明の太祖朱元璋と後姤の陵墓。 -
咲き始めている梅は数本、まだまだ蕾が多い今年の江南の寒さ。関東の我が家の辺りより寒いようです。
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龍樹
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宮粉梅・・・宮中の女性が付ける白粉の様に淡い色合いの梅
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孫権墓
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とは言え孫権墓はこの下では無いとか。発掘もしていないので非公開!
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そんな中、紫金山にも日本軍のトーチカが残されていました。南京は至る所に日本軍が爪痕を残しています。
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中山稜(孫文陵)
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中山稜は何処よりも中国観光客が多い様です。この日は金曜日なのにこの人出。
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紫金山からの眺めが気に入り、孫文は生前からここに墓を造りたいと望んでいたそうです。
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民族・民権・民生の三民主義の標語
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登って来た階段は上から見ると階段が見えなくなり、平らに見えるように設計されています。これも民生の意義か?
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ボケてしまった孫文像。後ろの扉の向こうに遺体が安置されています。
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イチオシ
またまた日本軍の爪痕、鼎に打ち込まれた銃痕。中山陵の麓にあります。
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外側から中へ突き抜けていました。
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中山稜下の土産物店に変わったものが有りました。丸鶏を土で覆い焼いたものとか。
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紫金山から更に北東へ、長江に近い栖霞寺へ
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栖霞寺毘盧殿
この栖霞寺は南京事件の避難民2万人が避難してきたという、ここにも戦争の傷跡が・・・他にも太平天国の乱で焼失したりと幾多の歴史が有るようです。人類の歴史ですね・・合掌! -
上部の千仏に目が奪われましたが・・・ブレていました。
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仁寿舎利塔
最上部には飛天の彫刻があり、敦煌莫高窟と同時代の作とか。 -
千仏龕石窟
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ここは文革で大分壊されたようです。
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そして黒ラブの爪痕?・・・Sさんは大きい犬は苦手の様でした・・・私に飛び付けば良かったのに。
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栖霞区辺りで並走していた列車、今回は乗車なし。
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武定門を潜ってホテルへ戻ります。
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午後4時にホテルに到着したので、ガイド氏引率で江南貢院へ。
20元で入館、70歳以上はタダですよと集票所の人が怒鳴るように言っていました。だから3名はタダです!以下3名は20元! -
イチオシ
蒼穹の昴でも貢院内部の様子が細かく書かれていましたが、実物大で見ると判りやすいです。
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李鴻章・曽国藩・林則徐他多数、幾多の有名人を輩出した江南貢院。
西遊記の著者・呉承恩も出身者です。
建康(南京)貢院は南宋時代1168年の創建、清同治年間の貢院の規模は試験場20644部屋、敷地30万平米以上で中国最大の郷試試験場でした。
江南貢院で行われた最後の郷試は、1903年(清光緒29年)9月28日。 -
イチオシ
明末の様子が写真に残されていました。広大な敷地に何百もの棟が連なる試験場です。
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林則徐・曽国藩・李鴻章も江南貢院の試験監察官で、これは曽国藩が答案用紙を採点する様子。
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ホテルへ戻ると結婚式が行われていました。
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午後6時外のレストランへ行き夕食
メニューも聞かずに食べました。 -
中々美味しゅうございましたが・・・
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これは見ての通りの麺!他にも色々出ましたが割愛。
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夕食後タクシーにて鼓楼区のはずれに在る呉宮沐足というマッサージ店へ。
ガイド氏行きつけの店に、3人+ガイド氏で行きました。 -
誰の足!お湯に浸かってふやけます。
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他2名の方のマッサージはシャが掛って・・・只のブレですね!皆さん若いお兄さんにやって貰ってるけど、私はカワイイ女の子でした。
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こちらはガイド氏の足・・マッサージの最後は真空にした壺で足裏吸引。痛かった、でも終わった後はとても足軽、ホテルまで走れそうなくらい爽快でした。そしてこの夜は熟睡!
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この旅行記へのコメント (2)
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- beijing-fanさん 2012/03/24 20:29:46
- 良いですね!
- 城壁フェチさん
又、お出掛けだったんですね。
今までの所はご無事で、
後半を楽しみにしています。
凄い城壁でしたね。萌え萌えでしたね。
僕は中国に行けませんでしたが、中国に言って来ました。トホホです。
beijing-fan
- 城壁フェチさん からの返信 2012/03/25 23:27:52
- RE: 良いですね!
- beijing-fanさんこんばんは
ご無沙汰してます。投票2票も!ありがとうございます!
今回はアクシデントも無く、ご期待に添えず申し訳ありません(^-^)v
アップに手間取ってます、ボチボチ行きますので気長に見てやって下さい。
アップが終わりましたら、beijing-fanさんのブログにも訪問させて頂きます。
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