2012/03/20 - 2012/04/13
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HYRONさん
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前回の旅行記に続き、もう少し東京にある洋館を廻ってみました。
洋館と言うよりは近代建築と言った方が良いような建物も多いですが、お付き合い頂ければ幸いです。
各建築物のデータは【所在地/建築年/設計者/その他情報】
の順で記載しています。
*写真は国際子ども図書館(台東区上野)の階段。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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東京復活大聖堂(ニコライ堂)
【千代田区/明治24年/J.コンドル/国定重要文化財】
駿河台に立つニコライ堂は御茶ノ水のシンボル。
日本ハリストス正教会の大司教座聖堂であるこの建物は、日本正教会の創建者である聖ニコライ(正教会において列聖)から依頼を受けたロシア人建築家によって基本設計がなされ、コンドルが実施設計を行い建設されました。
建設当時、高台に建つ大聖堂は東京中のどこからでも見えたそうで、東京のシンボルタワー的な存在であったようです。
関東大震災でドームが倒壊してしまいましたが、1927年から29年にかけて建築家の岡田信一郎によって構造補強および修復が行われ、現在の姿になります(この修復工事により鐘楼が低くなったらしい)。
毎日のように目にしているニコライ堂ですが、中に入ったのは今回が初めて。信徒以外の入場はかなり制限されるのが難点ですがイコンは一見の価値があります。 -
旧前田侯爵邸
【目黒区/昭和4年/塚本靖/都定有形文化財】
駒場公園は、もともと加賀藩主前田家の土地でしたが、明治期に入ると駒場農学校が建学され、東京帝国大学農学部となった際に農学校が本郷に移転したため、再び前田家が移り住んだという複雑な経歴です。
16代当主の前田利為侯爵は、この地を駒場本邸とし、昭和4年に洋館を、翌年に和館を建築し、現在の姿になりました。
第二次大戦中に出征した利為がボルネオ沖で消息を絶つと、この邸宅は他人の手に渡り、戦後は他の例に漏れず、この建物も連合軍により接収されます。
接収解除後は東京都の所有となり、現在は公園内の施設として一般開放されています。 -
正面玄関ポーチの扁平したアーチはチューダー様式(イギリス後期ゴシック様式)の特徴の一つ。
地下1階、地上3階の建物ですが、公開されているのは、1〜2階のみでした。 -
玄関ホールも堂々としたもの。
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二階へと続く階段。
単に洋風の建物というだけでなく、欄干の美しい細工など、和風テイストな雰囲気が楽しめるのが日本の洋館の魅力です。 -
中庭に面した大きなサロン。
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中庭側から見る洋館。
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洋館の隣には和館が建っています。
日本庭園を眺める景色。 -
旧音楽学校奏楽堂
【台東区/明治23年/山口半六・久留正道/音響設計:上原六四郎/国定重要文化財】
日本最古の本格的な木造洋式音楽ホールとして重要文化財に指定されている建物です。老朽化のため、愛知県犬山市にある明治村への移転が決定していましたが、日本の近代音楽の発祥地としての上野に建物を残す運動が高まり、1987年、芸大構内から隣接する上野公園に移築・保存される事になりました。
現在も音楽ホールとして利用されていますが、耐震検査により一時的に閉鎖される予定です(2013年春以降に対応詳細決定)。 -
奏楽堂のホールです。
舞台にあるパイプオルガンは、大正9年に徳川頼貞侯がイギリス(アボット・スミス社製)から購入し、昭和3年に東京音楽学校に寄贈されたもの。 -
国際子ども図書館(前・帝国図書館)
【台東区/明治39年/久留正道・真水英夫/東京都選定歴史的建造物】
ルネサンス様式の建物はどこかの宮殿のようですが、もともとは帝国図書館として建築されたものです。
1949年、国の図書館としての機能は永田町の国立国会図書館に引き継がれ、大半の蔵書が移管されたため、以降は分館として利用されてきました。
1990年代に入ると、施設の利用方法が見直され、現在は児童書の専門図書館として利用されています。 -
国際子ども図書館の建物は鉄骨補強煉瓦造の第一期(1908年)、鉄筋コンクリートにより増築された第二期(1929年)の2度に渡り建築されました。
2002年に行われた大改修では、建物裏側(西面)がガラスのカーテンウォールによって増築されました。建物の改修と施設の機能向上を両立させたこの改築コンセプトは高い評価を受けたそうです。
2012年3月下旬から3年間の計画で西側に新館が建築される予定で、本館側にも工事用の囲いなどが設置される予定で景観が悪くなるようです。 -
東京国立博物館 表慶館
【台東区/明治42年/片山東熊/国定重要文化財】
ネオバロック様式の威風堂々とした建物は、皇太子(後の大正天皇)の成婚を祝福する為に建てられた博物館。このため、表慶館と名付けられました。
関東大震災においては、J.コンドルの設計による本館や当時存在した2号館、3号館が大破し使用不可能になる中、災害を耐え抜き、1937年に現在にも残る本館が竣工するまでの14年の間、国立博物館の陳列を一手に担っていたそうです。
2011年11月から耐震補強工事による休館中で開館予定は未定・・・。現在、国立博物館では表慶館の対面にある東洋館も耐震補強工事中(2009.6〜2013)で、東洋館の工事後に表慶館の工事が行われると考えると、再オープンは2016年頃?? -
京成電鉄博物館動物園駅跡
【台東区/昭和8年/中川俊二/】
1933年(昭和8年)、京成電鉄の開設に合わせて、上野恩賜公園への最寄り駅として開業した駅舎です。1997年まで使用されていましたが、ホームが短く(4両編成までしか停車できない)、停車する本数が激減した結果、乗客も隣の京成上野駅を利用するようになったため、廃駅となりました。
建物自体は現在も定期的にクリーニングされているそうで、小さな国会議事堂の様な雰囲気は今も健在です。 -
黒田記念館
【台東区/昭和3年/岡田信一郎/国指定登録有形文化財】
洋画家・黒田清輝(1866〜1924)の死後、遺族によって寄付された遺品や作品を運営費として帝国美術院付属美術研究所(現・東京文化財研究所)が開所、2000年に新庁舎が近隣に出来るまで、事務所として使用されていました。黒田清輝の油彩画や素描が公開・展示されていましたが、2012年の4月より耐震補強工事のため休館となりました。(再開は未定) -
東京藝術大学大学美術館 陳列館
【台東区/昭和4年/岡田信一郎/都選定歴史的建造物】
大学美術館本館が出来るまでは、芸術資料館のメインギャラリーでした。小規模な企画展などは、こちらの建物で行われているようです。
入り口にある街灯は、架け替えられる前の皇居の二重橋に設置されていたものだそうです。 -
東京藝術大学大学 赤レンガ1号館
【台東区/明治13年/林忠恕(工部省技師)/都選定歴史的建造物】
東京藝術大学の正門横にある建物。
教育博物館書籍閲覧所書庫として建築された建物のため、煉瓦を使用し頑丈に作られたそうです。しかし関東大震災で被災し、屋根部が崩落。より頑丈な建物に再建されました。
東京都内にある最も古い煉瓦造の建物とされています。 -
東京藝術大学大学 赤レンガ2号館
【台東区/明治19年/小島憲之/都選定歴史的建造物】
1号館同様に書庫として建設され使用されてきた建物です。開口部に取り付けられた鉄扉は竣工時の写真では確認できないため、関東大震災以降に取り付けられたものと考えられています。この事から1号館の鉄扉も同様に、竣工当時には無かったと考えられているそうです。 -
赤レンガ酒造工場
【北区/明治36年/妻木頼黄/】
大蔵省醸造試験所の煉瓦造の建物で、現在は独立法人酒類総合研究所の一角に建っています。普段は非公開ですが、近隣にある桜の名所 飛鳥山公園の桜が見頃になる時期に合わせて、数日間一般公開されています。
公開時に配布されていたパンフレットによると、当時は冬期に限られていた日本酒の醸造を四季を通して行えるようにするため、ドイツのビール工場を参考にして設計したのだそうです。 -
オランダ大使公邸
【港区/昭和3年/ガーディナー・上林敬吉/】
オランダの大使館が現在地に建てられたのは1883年(明治16年)。木造2階建の洋館が建てられましたが、関東大震災で焼失してしまい、1928年に再建されたものが現存しています。
設計はアメリカ人のJ・M・ガーディナー。横浜の「外交官の家」のなどを設計者した、日本近代建築界のビッグネームの一人です。
ガーディナーが施工中に他界した為、ガーディナー建築事務所の上林敬吉が設計を引き継ぎ完成させました。 -
洋館好きな人には有名なオランダ大使公邸庭園の一般公開。公邸内には入れませんでしたが、チューリップが咲く庭園から眺める洋館はなかなかのものでした。
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旧大田黒邸
【杉並区/昭和8年/不詳/】
大田黒公園は、日本における音楽評論の草分け的存在である大田黒元雄の自邸を整備し開園した公園。
遺族から寄贈された土地に周囲の敷地を合わせ、日本式回遊庭園として開園しました。記念館として保存されている旧邸は明るい煉瓦色(ピンク?)のモルタル塗り。建築年代から想像すると板貼りかスクラッチタイル貼りだったものを、後年に改修した物だと想像されます。 -
ピアノは100年以上前のスタインウェイ社製で、勿論、ハンブルク工場製。たまに演奏会が行われているようです。
*スタインウェイは生産拠点がニューヨークとハンブルクにありますが、アメリカ製は北米・南米へ、ドイツ製は欧州、アジアへ輸出されていたため、日本にある年代物のピアノはドイツ製が殆ど。現在はアメリカ製を購入することも可能らしいてす。 -
旧乃木邸と厩舎
【港区/明治35年/北沢虎造/】
日露戦争において難攻不落の旅順要塞を攻略した事で有名な乃木希典将軍の邸宅は、明治天皇の大葬の日に乃木夫妻が自刃した場所でもあります。
現在は乃木夫妻を祀った乃木神社の一角にあり、邸内は夫妻の命日である9月13日前後に一般公開されているようです(2012年4月時点では震災の影響による修復工事を予定)。建物は明治22年に新築、明治35年に改築されていて、現存する邸宅は改築後のものです。
乃木大将がドイツ留学中に見たフランスの連帯本部兵舎を模して設計を指示したと言われていますが、和洋が混在した不思議な建物でした。 -
厩舎は明治23年の新築時より建つものです。
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この旅行記へのコメント (5)
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- yquemさん 2012/06/08 07:07:47
- 洋館訪問集中月間とは!
- HYRONさん
なんとも素敵なタイトル!いいですね。
都内も通り過ぎれば気づかない見所がたくさんあるのですね。
私はついついお食事所とワインバーしか
目に付かないからお恥ずかしい。。。
テーマを決めて1ヶ月を過すというライフスタイル!!
いつも知らず知らずに時が過ぎるので
参考にさせていただきたいと思います!
お写真の中で
特に音楽堂と日本庭園の見える和室が気になりました。
他にも素敵な場所がたくさんですね。
いつか訪ねてみたいと思っています。
yquem
- HYRONさん からの返信 2012/06/11 12:21:23
- RE: 洋館訪問集中月間とは!
- yquem さま
メッセージありがとうございます。
第三弾を考えていたのですが、梅雨入りしてしまいました・・・。
横浜にも山ほど見ておくべき建物が沢山あり、秋には実行したいなと考えております。その際はyquemさんのブログ(昨年のクリスマス)を参考にさせて頂きますね。
HYRON
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- わんぱく大将さん 2012/05/03 09:23:52
- 日本の洋館とヨーロッパの建物
- HYRONさん
またもや、しつこく拝見させていただき、日本における洋館とヨーロッパ建築の(といっても、今はカタルニアだけになりますが)違いを。これはすべてにおいてではないと思うのですが。。。
先ずは、天井が低い。(日本) 玄関ホールが立派(こちら)
ステンドグラスが豪華(こちら) 変わった建物が多い。というか、見せるための家と言う所もあるような。 日本のは先づは住むためが一番というか
(一概にはいえませんが)無難な形が多い日本 ?
大将
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- わんぱく大将さん 2012/04/15 05:12:31
- 今だに家の役割を
- HYORONさん
こちらも同じようなもんで、そこの家の人が途絶えるとか、もう、家を維持できる力がなくなってくると、人出に。 建てた当時は良かったんでしょうがね、そのあとのことはみんな考えないもんです。かと言って、人が変わっても、家そのものの住むところ、ということで住んで使われている所も多いです。
大将
- HYRONさん からの返信 2012/04/15 12:03:55
- RE: 今だに家の役割を
- 大将さま
BCNでもそうなのですね。
東京の都心部の場合、土地代が高すぎるので低層の建物は、文化財などに指定する前に、建て替えてしまうそうです。仕方ないのかもしれませんが、なんと現実的なのか・・・。
HYRON
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