2012/03/20 - 2012/03/20
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ぶんちゃさん
啓蟄も過ぎて多少暖かくなってきたので、名古屋城から大須界隈を散策に行ってきました。
栄から徒歩で名古屋城。地下鉄で大須へ移動。
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久屋大通り公園からスタート
テレビ塔を背にして北へ向かって歩きます。 -
名古屋市はメキシコシティーと姉妹都市なので、記念に贈られたアステカ暦のレプリカ
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南京市から贈られた華表
南京市とは友好都市提携をしています
最近、名古屋市長の発言が物議を醸していますが、なんとか仲よくしてもらいたいものです -
愛知県庁
昭和13年完成
6階建てのビルの上に城郭風の塔屋を載せた変った建築
帝冠様式というらしいです -
こちらは名古屋市役所
愛知県庁舎と同じく帝冠様式ですね。 -
地下鉄市役所駅の入り口に到着
凝った造りです。 -
二の丸南側の空堀に沿って進みます
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二の丸大手二の門
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恩賜元離宮名古屋城
明治の初めに尾張徳川家から明治政府に献上され、昭和5年まで離宮となっていました。 -
正門
江戸城にあった蓮池御門が明治時代に移築され、戦災で焼失しましたが天守閣再建と同じくして復興されたものです -
金鯱のレプリカ
これは雌です -
金鯱のうろこ
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はち丸くんと遭遇
エビザベス嬢とは会えませんでした。 -
はち丸くんのうしろ姿
どことなくユーモラス。背中の荷物はなんでしょう。 -
大天守閣
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本丸表二の門と東南隅櫓
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本丸では御殿の再建工事が進んでいます
全体は素屋根で覆われていますが、見学者用通路から工事の様子を見ることができます -
こけら葺きってんですかね。当然ですけど純木造建築です。
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屋根の構造がよくわかります。
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こちらは別棟の工事見学コーナー
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大天守東面
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金鯱
右(北)が雄、左(南)が雌だそうですが、違いがわかりません。 -
石落とし
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小天守閣
ここを通らなければ大天守閣に入れません -
大天守南面
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大天守入口
鉄板張りの頑丈な造りです
大天守と小天守は橋台と呼ばれる通路で結ばれています -
エレベーターで5階まで上がり、最上階へは階段で
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最上階
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最上階から見た二の丸北の水堀
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千両箱17個半
金鯱1匹だったか一対だったかに要した金はこのくらい
1万8千両弱 -
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町屋が再現されています
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お殿様の居室を再現
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お殿様の食事
美味しそうです -
障壁画の再現模写
竹林豹虎図
昔の人は虎の奥さんは豹だと考えていたようです -
同じく模写
これは奥さんと子供になります -
城内の復元模型
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大天守の横にある不明門
普段は全く使われることの無かった開かずの門 -
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橋台の塀にある忍び返し
槍の穂先のようなものが突き出しています。 -
深井丸から西の丸への通路。
かつてはここに門がありました。 -
東南隅櫓
昔風で言うと辰巳櫓 -
加藤清正像
清正は名古屋城築城の時、天守台の石垣を担当したそうです。 -
埋門跡
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二の丸北にある埋門の跡です。
普段は、この下に船が係留してあって、いざというときはここから脱出して中山道方面へ逃げ出す計画でした。 -
幕末のころ、尾張藩でも勤皇・佐幕の対立があって佐幕派が粛清されるという事件がありました。この碑は二の丸にあります。
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搦手馬出(からめてうまだし)の石垣が膨らんできて危険なので修復中。
搦手馬出というのは本丸東の出入口の外側に設けられた防御用の設備のことです。正面には大手馬出というものがあったんですが、離宮時代に馬車の通行に邪魔だってんで破却されました。 -
二の丸北にある南蛮たたきという工法で造られた鉄砲狭間
この穴から鉄砲を突きだして敵を狙うということですね -
深井丸西北にある清州櫓
清州城の天主を移築したものといわれていますが正直なところ不明です。
城内の他のやぐらと違って内側にも破風(庇の上の三角形の装飾)があります。 -
これは乃木倉庫。乃木はあの乃木希典のことです。
レンガ造りの上から漆喰で塗り固めた構造です。
第2次大戦中は本丸御殿から外した襖絵などを、ここに避難させていました。 -
甲冑武者登場
兜の前立てが織田木瓜なので織田信長かな? -
城外へ出て、正門前にある能楽堂に向かいます。城外といっても三の丸になります。
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能楽堂正面
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能楽堂玄関ホール
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からくり人形がありました。
東照宮祭に使われた山車「橋弁慶車」のからくり人形を復刻したものです。八代目・玉屋庄兵衛の作だそうです。時間が合わなかったので残念ながら動くところを見ることができませんでした。 -
能面が置いてありました。
手にとって顔にあててみることができます -
能舞台
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能楽堂を出て市役所方向へ戻ります。これは二の丸にある第六連隊の碑。
二の丸は終戦まで大日本帝国陸軍の兵営がありました。戦後、兵舎は名古屋大学の学生寮として使われていました。 -
二の丸の愛知県体育館
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愛知県体育館の食堂で醤油ラーメン
味は・・・・ノーコメント
でも店員のお姉さんはきれいで元気良かったです。 -
ここから寺院巡り遍
大須観音です。真言宗智山派別格本山北野山真福寺寶生院が正式です。
元は岐阜県羽島市大須にあったんですが、名古屋城築城の際徳川家康の命で現在地に移されました。江戸時代の地図を見ると、周辺は殆どがお寺ばっかりです。この大須観音を中心に、参拝客目当ての芝居小屋や飲食店などが立ち並ぶようになり、この地方随一の盛り場が出来上がっていきました。 -
本堂です。参拝客で賑わっていました。
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本堂内ご本尊です。
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境内には大正琴発祥の地の碑が
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仁王門
この門前の道を仁王門通りといいます。 -
鐘楼
屋根に比べて柱が華奢な感じです。 -
時刻になると織田信長の人形が出てきます。
あと1時間後だったので残念 -
善光寺
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七寺(ななつでら)、正式には稲園山正覚院長福寺(とうえんざんしょうかくいんちょうふくじ)。江戸時代には七堂伽藍を備え尾張徳川家の祈願所となるような大寺院でした。しかし、第2次大戦の空襲で堂塔を全て失うという悲運にあい、寺域は縮小して町中に埋もれるようにひっそりとしています。
本堂と鳥居と雨ざらしの仏さまの組み合わせが奇妙です。 -
継ぎはぎだらけが痛々しい。
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大光院
この門前の赤門通りはこのお寺の赤門に因んでいます。
昔は左右に仁王さんを安置した巨大な楼門だったようです。 -
大光院の明王殿。
烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)をお祀りしています。この明王はあらゆる不浄を清浄に清める神通力を持っていたそうで、大須に遊郭があった頃は遊女たちの信仰を集めたということです。毎月28日の縁日には大勢の参拝客特に女性が多いと聞きました。 -
大光院の末寺にあたる陽秀院です。大光院の向かいにあります。
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紙張り地蔵。
紙を地蔵さんに貼ってその上から水を掛けてお参りすると具合の悪い個所を治して下さるということです。元の姿が見えないお地蔵さんと人形やら千羽鶴やらが不思議な雰囲気を出しています。
因みに、お地蔵さんに貼る紙は2枚で10円です。 -
陽秀院の本堂。
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境内には阿武松緑之助(おうのまつみどりのすけ)の碑。
彼は相撲の六代目横綱です。
このお寺となんか関係があったのでしょうか。 -
極楽寺
浄土宗のお寺です。 -
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ぼけ除け観音がありました。
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総見院。
織田信長とその子の信雄の菩提寺です。
門は閉ざされていて入れません。 -
山門の仁王さん
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山門の扉には織田木瓜
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万松寺通り商店街
大変な人です -
万松寺に到着
このお寺は織田信秀によって建てられました。
江戸時代には2万2千坪の寺域があったそうですが、大正時代にその大部分を開放して以後、大須が繁華街となっていきます。
本堂はこの右手の奥に新しいビルとして建っています。 -
白雪稲荷
白雪咤枳尼真天(はくせつだきにしんてん)といいます。
萬松寺が一時困窮した時、このお稲荷さんがお金を工面して助けたとの言い伝えがあります。なので、商売繁盛・家内安全にご利益があるそうです。 -
織田信長の父親信秀の墓所は、この階段を下りた先にあります。
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沢山の提灯の下をくぐって
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信秀公の墓
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重軽地蔵
鉄格子がはまっているのでさわれません。
そろそろお腹が空いてきたので、この辺で家に帰ります。
次回は大須通りから南の寺町を巡ってみます。
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