2012/02/27 - 2012/02/27
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野江水神社は1533年、三好宗三(政長)がこの附近に榎並築城の際水害を被ったので、水波女大神を水火除難の守護神として城内に祀ったのが現在の社殿の位置と言われている。1583年、豊臣秀吉も大阪築城に際し水火除難の守護神として水波女大神を祀り国家泰平を祈願したをいわれている。1702年の大洪水では一面水海と化し住民が困窮していた時に快晴の祈願をしたところ雨がやみ洪水は減退したと伝えられている。1803年の大洪水にも当神社は無事であったと榎並八箇洪水記に絵で記録されている。現在の社殿は1883年の造営後修築を重ねたもの。三好 政長(みよし まさなが、1508−1549年)は三好勝時の次男で官位は越後守、後に出家し半隠軒宗三と称した。従甥にあたる惣領・三好元長とは仲が悪く、主君の細川晴元に讒言して一向一揆を起こさせて元長を討つ。以後木沢長政・茨木長隆らと共に晴元政権の重鎮となり、榎並城主として室町幕府料所河内十七箇所を元長に代わって代官として統治した。しかし1549年に元長の嫡男・長慶と河内十七箇所の代官職をめぐって対立、主君の晴元を味方に引き入れるのには成功したが六角義賢の援軍が到着する前に長慶と摂津中島の江口で合戦し討死した(江口の戦い)。これによって長年に渡って幕政を担ってきた細川政権は一挙に崩壊し消滅する。三好 政長は茶人としても著名で、天下三肩衝の1つ新田肩衝を所有し宗三と号した。後に今川義元や織田信長が所持した名刀左文字は、元来三好政長の所有物だったので宗三左文字とも呼ばれる。
「八幡大神宮のお旅所」に立ち寄った。八幡大神を主神とし「不焼宮(やけずのみや)」と呼ばれている。
建武年間(1334―36年)僧誠阿は後醍醐天皇下賜の天得如来と男山八幡宮の宝物を拝領し帰途についたが同輩たちがねたみ如来を奪い取ろうとした。誠阿は古堂に逃げ込んだが、同輩たちは古堂に火を放ち焼け殺そうとしたが幾度試みても火は直ぐに消えてしまった。同輩たちは誠阿の徳の力に感心し悔いて弟子になった。以後、この古堂は不焼宮(やけずのみや)と呼ばれたとの言い伝えがある。
(写真は野江水神社)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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