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国立九州博物館で「聖地チベット」の特別展示がされていたので、福岡へ行く。 <br />ついでに対馬へ行こう!<br />JR西の株主優待券も期限切れが迫っているし…

北九州・対馬・関門海峡旅行記

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2009/05/19 - 2009/05/23

11657位(同エリア13971件中)

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25

おやゆびひめ

おやゆびひめさん

国立九州博物館で「聖地チベット」の特別展示がされていたので、福岡へ行く。 
ついでに対馬へ行こう!
JR西の株主優待券も期限切れが迫っているし…

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円

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  • 10:10博多着 鹿児島本線ホームへ移動、間もなく20分遅れで特急ゆふ号が来る。車両は木製で綺麗。次駅の二日市で下車。 <br />西鉄バス太宰府行きに乗る。車窓から100円クリーニングの看板が見える。九州は物価が安いようだ。 <br />駅伝で有名は筑紫女学園の次が[国立九州博物館]だ。 長い石段を登ると青屋根の博物館が現れた。11:20着

    10:10博多着 鹿児島本線ホームへ移動、間もなく20分遅れで特急ゆふ号が来る。車両は木製で綺麗。次駅の二日市で下車。 
    西鉄バス太宰府行きに乗る。車窓から100円クリーニングの看板が見える。九州は物価が安いようだ。 
    駅伝で有名は筑紫女学園の次が[国立九州博物館]だ。 長い石段を登ると青屋根の博物館が現れた。11:20着

  •  九州博物館を出て、地下道を抜けると、[太宰府天満宮]の境内に出る。実に近い。<br /> 天満宮本殿の脇を抜けて裏の梅林の方へ行くと、クスノキの大樹がある。天満宮本殿を出て南に参詣路をたどると、[心字池]にかかる二つの朱塗りの太鼓橋がかかっている。<br /> [梅が枝餅]を頬張りながら、西鉄太宰府駅へ続く参道を行くと雑貨の店あり。 俵屋宗達の風神雷神をプリントした鳥打帽子を、雷様になった道真公に敬意を表して買う。1000円

     九州博物館を出て、地下道を抜けると、[太宰府天満宮]の境内に出る。実に近い。
    天満宮本殿の脇を抜けて裏の梅林の方へ行くと、クスノキの大樹がある。天満宮本殿を出て南に参詣路をたどると、[心字池]にかかる二つの朱塗りの太鼓橋がかかっている。
    [梅が枝餅]を頬張りながら、西鉄太宰府駅へ続く参道を行くと雑貨の店あり。 俵屋宗達の風神雷神をプリントした鳥打帽子を、雷様になった道真公に敬意を表して買う。1000円

  •  西鉄太宰府駅からコミュニティバス[まほろば]で観世音寺方面へ移動。 斉明天皇のために創建された[観世音寺]は日本最古と言われる梵鐘と5.03mの馬頭観世音菩薩立像で有名。 観世音寺の西へ進むと、[戒壇院]の小さな裏門がある。<br />そこで、ボランティアガイドの田中さんに声をかけられる。ここより、元司法書士の田中孝敏さんのガイドを受ける。

     西鉄太宰府駅からコミュニティバス[まほろば]で観世音寺方面へ移動。 斉明天皇のために創建された[観世音寺]は日本最古と言われる梵鐘と5.03mの馬頭観世音菩薩立像で有名。 観世音寺の西へ進むと、[戒壇院]の小さな裏門がある。
    そこで、ボランティアガイドの田中さんに声をかけられる。ここより、元司法書士の田中孝敏さんのガイドを受ける。

  •  大宰府政庁の裏山、大野山の天満宮寄りの一角に南に大きく突き出た部分があり、そこが[岩屋城跡(281m)]。 天正14年、島津軍の総攻撃で、大友側の高橋紹運が760余名の手勢で奮戦し、全員が討ち死にした跡である。<br /> 左手に九州国立博物館の青い屋根、右手に[大宰府政庁址]が、その向こうに平地を[水城]で遮断し太宰府を守った水城跡が見える。 水城遺跡をなるべく保存するため、九州自動車道と西鉄が上下に走っているそうだ。

     大宰府政庁の裏山、大野山の天満宮寄りの一角に南に大きく突き出た部分があり、そこが[岩屋城跡(281m)]。 天正14年、島津軍の総攻撃で、大友側の高橋紹運が760余名の手勢で奮戦し、全員が討ち死にした跡である。
     左手に九州国立博物館の青い屋根、右手に[大宰府政庁址]が、その向こうに平地を[水城]で遮断し太宰府を守った水城跡が見える。 水城遺跡をなるべく保存するため、九州自動車道と西鉄が上下に走っているそうだ。

  •  さらに奥へ、日本最古の朝鮮式山城、[大野城跡]へ。 白村江の戦いで大敗したあと、大宰府を守るために朝鮮式山城を、この地に築く。 急峻な土塁跡が林道脇に見える。 四王寺山の尾根に築かれた土塁は全長約8kmで、二重の土塁が設けられている。 城の内部には70棟に及ぶ倉庫があったようで、そのうちの礎石跡などに案内される。 662年、白村江の戦いに大敗したあと、わずか1年で水城を含む大野城が造られたそうだ。

     さらに奥へ、日本最古の朝鮮式山城、[大野城跡]へ。 白村江の戦いで大敗したあと、大宰府を守るために朝鮮式山城を、この地に築く。 急峻な土塁跡が林道脇に見える。 四王寺山の尾根に築かれた土塁は全長約8kmで、二重の土塁が設けられている。 城の内部には70棟に及ぶ倉庫があったようで、そのうちの礎石跡などに案内される。 662年、白村江の戦いに大敗したあと、わずか1年で水城を含む大野城が造られたそうだ。

  •  城跡は県民の森に整備され、中心部に森林センターがある。 そこが田中さんのお父さんのふるさとだそうだ。 シャクナゲが咲いていた。 山中には珍しく朴葉(ホオハ)の花が咲いていた。(写真)

     城跡は県民の森に整備され、中心部に森林センターがある。 そこが田中さんのお父さんのふるさとだそうだ。 シャクナゲが咲いていた。 山中には珍しく朴葉(ホオハ)の花が咲いていた。(写真)

  •  その後、律令時代には[那ノ津]と呼ばれた、夕暮れの博多湾が見える場所へ移動。<br /> 夜景の向こうに漢和那国王の金印が発見された志賀島(しかのしま)、その手前に福岡タワーの光が点滅している。 山を下る。 大野城跡は素晴らしいところなのに観光客の姿は見えない。 地元の方もあまり知らないようだ。 最後に、道真の配所跡に建てられている榎社を過ぎて、西鉄二日市駅へ送ってもらう。 予期せずも、古代の遺跡を丁寧に案内していただいて、田中さん、ありがとう。

     その後、律令時代には[那ノ津]と呼ばれた、夕暮れの博多湾が見える場所へ移動。
     夜景の向こうに漢和那国王の金印が発見された志賀島(しかのしま)、その手前に福岡タワーの光が点滅している。 山を下る。 大野城跡は素晴らしいところなのに観光客の姿は見えない。 地元の方もあまり知らないようだ。 最後に、道真の配所跡に建てられている榎社を過ぎて、西鉄二日市駅へ送ってもらう。 予期せずも、古代の遺跡を丁寧に案内していただいて、田中さん、ありがとう。

  •  中洲へぶらぶらと移動。 橋の袂でサクソフォンの演奏、前の楽器ケースには千円札も。 <br /> 中州でたちんぼうをしている子に声をかけると、「私、中国人でよくわからない。」と、うしろの姐を指す。 そのアネゴに安くて美味しい店を教えてもらい夕食。 「あの若くてきれいな中国人は娼婦なんだろうか?」<br /> 中州からからタクシーで、埠頭の正面、「波葉の湯」へ行く。 乗船手続きをした後、ゆっくり湯船につかる。原泉露天風呂は快適。<br /> フェリーの乗客は十数人で、ほとんどが対馬住民。 観光客は飛行機を利用するらしい。 ゲートが開くと一斉に小走りに走る。 二等客なのでお休みスペースを確保するためのようだ。  50円で毛布を借りて、そのまま熟睡してしまった。

     中洲へぶらぶらと移動。 橋の袂でサクソフォンの演奏、前の楽器ケースには千円札も。 
     中州でたちんぼうをしている子に声をかけると、「私、中国人でよくわからない。」と、うしろの姐を指す。 そのアネゴに安くて美味しい店を教えてもらい夕食。 「あの若くてきれいな中国人は娼婦なんだろうか?」
     中州からからタクシーで、埠頭の正面、「波葉の湯」へ行く。 乗船手続きをした後、ゆっくり湯船につかる。原泉露天風呂は快適。
     フェリーの乗客は十数人で、ほとんどが対馬住民。 観光客は飛行機を利用するらしい。 ゲートが開くと一斉に小走りに走る。 二等客なのでお休みスペースを確保するためのようだ。  50円で毛布を借りて、そのまま熟睡してしまった。

  • 下船し、レンタカー会社の車で空港へ行き車を借りる。 7:30から島の北へのドライブが始まる。 車は少ない。幹線道路の国道382号線も細くて山村の細道のようだ。<br /> まず、なだらかな山容をした[千俵蒔山(287m)]へ。 その昔、防人、烽火(とぶひ)が置かれ、朝鮮から対馬に向う船の目標になったといわれている。 山頂には2機の風力発電機が立てられていた。 山道沿いに長細くてお墓のような形をしている箱がある。 資料館で尋ねると、[蜂洞]と言って養蜂箱(写真)らしい。

    下船し、レンタカー会社の車で空港へ行き車を借りる。 7:30から島の北へのドライブが始まる。 車は少ない。幹線道路の国道382号線も細くて山村の細道のようだ。
     まず、なだらかな山容をした[千俵蒔山(287m)]へ。 その昔、防人、烽火(とぶひ)が置かれ、朝鮮から対馬に向う船の目標になったといわれている。 山頂には2機の風力発電機が立てられていた。 山道沿いに長細くてお墓のような形をしている箱がある。 資料館で尋ねると、[蜂洞]と言って養蜂箱(写真)らしい。

  •  佐渡川沿いの集落(友田)でやっと水田を見る。 対馬の地質の大部分は、対州層群(対州は対馬の別称)と呼ばれる約3000万年前に海底に降り積もってできた堆積岩で、地形の多くが岩におおわれているためか、ここまで棚田も畑も見られなかった。<br /> 棹崎公園方面への曲がり角、佐護湾の漁港近くに廃墟のような[天神多久頭魂神社]あり。 草叢の鳥居の傍に石を積んだ3mほどの塔がある。 ヤクマの塔と言い、船の安全を祈ったものらしい。<br /> その近くに[新羅国使殉国の碑]がある。 新しいもので、韓国からの観光客用のようだ。 近くの魚場ではアワビが買えるようで、ホテルのバスが横付けされていた。

     佐渡川沿いの集落(友田)でやっと水田を見る。 対馬の地質の大部分は、対州層群(対州は対馬の別称)と呼ばれる約3000万年前に海底に降り積もってできた堆積岩で、地形の多くが岩におおわれているためか、ここまで棚田も畑も見られなかった。
     棹崎公園方面への曲がり角、佐護湾の漁港近くに廃墟のような[天神多久頭魂神社]あり。 草叢の鳥居の傍に石を積んだ3mほどの塔がある。 ヤクマの塔と言い、船の安全を祈ったものらしい。
     その近くに[新羅国使殉国の碑]がある。 新しいもので、韓国からの観光客用のようだ。 近くの魚場ではアワビが買えるようで、ホテルのバスが横付けされていた。

  •  棹崎公園へ行く前に、[異国の見える丘展望台]へ寄る。 曇っていて異国は見えない。 道沿いにツツジの並木がつづく。 その先は[井口浜海水浴場]、対馬の数少ない砂浜である。<br /> [棹崎公園]の遊歩道を登ると、[日本最北西端の碑(釜山市まで49.5Km):写真]が立ち、昭和11年着工、13年竣工との砲台跡が数か所見える。 灯台も砲台跡に建てられている。

     棹崎公園へ行く前に、[異国の見える丘展望台]へ寄る。 曇っていて異国は見えない。 道沿いにツツジの並木がつづく。 その先は[井口浜海水浴場]、対馬の数少ない砂浜である。
     [棹崎公園]の遊歩道を登ると、[日本最北西端の碑(釜山市まで49.5Km):写真]が立ち、昭和11年着工、13年竣工との砲台跡が数か所見える。 灯台も砲台跡に建てられている。

  •  [和多都美神社]へ。 海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡が手前にあり、そのそばに船蔵があり和船が2艘置いてあった。 [舟ぐろう]といい、お祭りのときに競漕するらしい。 本殿裏の森に、[豊玉姫之墳墓]があり、その先は[神話の里自然公園]になっていて、烏帽子岳山頂へつづく。 山頂から、リアス式海岸の浅茅湾(あそう湾:写真)が広がって見える。

     [和多都美神社]へ。 海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡が手前にあり、そのそばに船蔵があり和船が2艘置いてあった。 [舟ぐろう]といい、お祭りのときに競漕するらしい。 本殿裏の森に、[豊玉姫之墳墓]があり、その先は[神話の里自然公園]になっていて、烏帽子岳山頂へつづく。 山頂から、リアス式海岸の浅茅湾(あそう湾:写真)が広がって見える。

  •  まっすぐルート382を南へ、さらにルート24へ右折する。 中程、箕形の集落は、白村江の戦いで敗れた後、浅茅湾の南岸にそびえる城山にのろし台や防人を配置し城を築いた[金田城跡(かねたのきあと)]の近くである。<br /> 貴重品を保存する高床式倉庫[椎根の石屋根]へ。 田畑の中に数棟の石屋根(写真)が点在する。 帰りはルート21を通って厳原へ帰る。 

     まっすぐルート382を南へ、さらにルート24へ右折する。 中程、箕形の集落は、白村江の戦いで敗れた後、浅茅湾の南岸にそびえる城山にのろし台や防人を配置し城を築いた[金田城跡(かねたのきあと)]の近くである。
     貴重品を保存する高床式倉庫[椎根の石屋根]へ。 田畑の中に数棟の石屋根(写真)が点在する。 帰りはルート21を通って厳原へ帰る。 

  •  5時前、厳原営業所で車を返し、[西山寺ユースホステル]へ送ってもらう。 歩いてすぐなんだけど・・・ <br /> 西山寺ユースホステル(写真)は由緒ある禅寺で、見事な庭園があり、投宿した10畳の和室には花が活けられ、高僧?の掛け軸(漢詩が理解できない)と高価な茶碗がさりげなく置かれている。 宿泊客はニュージーランドの男性客と二人だけ、朝になって韓国の年寄り二人組が増えていた。 美味しい朝食付きで4400円、きれいな宿で感動の安さ。

     5時前、厳原営業所で車を返し、[西山寺ユースホステル]へ送ってもらう。 歩いてすぐなんだけど・・・ 
     西山寺ユースホステル(写真)は由緒ある禅寺で、見事な庭園があり、投宿した10畳の和室には花が活けられ、高僧?の掛け軸(漢詩が理解できない)と高価な茶碗がさりげなく置かれている。 宿泊客はニュージーランドの男性客と二人だけ、朝になって韓国の年寄り二人組が増えていた。 美味しい朝食付きで4400円、きれいな宿で感動の安さ。

  •  夜半の大雨も止んでくれた。 本降りになる前に急いで観光をする。 まずは、[対馬歴史民俗資料館]へ。 亀卜に持ちいられた亀甲(写真)が白いので尋ねると亀の腹側を用いるからとのこと。<br /> 松雲大師(四溟)の像があった。これは韓国・密陽の表忠寺蔵だそうだが、密陽博物館で見たものと似ている。<br /> 朝鮮通信使関係の資料が多く展示されている。

     夜半の大雨も止んでくれた。 本降りになる前に急いで観光をする。 まずは、[対馬歴史民俗資料館]へ。 亀卜に持ちいられた亀甲(写真)が白いので尋ねると亀の腹側を用いるからとのこと。
     松雲大師(四溟)の像があった。これは韓国・密陽の表忠寺蔵だそうだが、密陽博物館で見たものと似ている。
     朝鮮通信使関係の資料が多く展示されている。

  •  対馬藩主・宗家の菩提寺、[万松院]へ。 改築中で、隣の小屋に城主の位牌を陳列していた。 右方に百雁木と呼ばれる石段を登って、歴代城主の墓所へ行く。 万松院は19代・宗義智のこと。 宗氏は朝鮮交易のため惟宗から中国風に改姓したものといわれている。

     対馬藩主・宗家の菩提寺、[万松院]へ。 改築中で、隣の小屋に城主の位牌を陳列していた。 右方に百雁木と呼ばれる石段を登って、歴代城主の墓所へ行く。 万松院は19代・宗義智のこと。 宗氏は朝鮮交易のため惟宗から中国風に改姓したものといわれている。

  •  厳原の街は所々に石で作られた[火切り(防火壁)]と石垣が残っている。<br /> ぶらぶらするうち、また雨になる。 風がきつくて傘もさせない。 この強風に、火切りや石屋根が造られたことを納得する。 観光を切り上げタクシーで埠頭へ行く。

     厳原の街は所々に石で作られた[火切り(防火壁)]と石垣が残っている。
     ぶらぶらするうち、また雨になる。 風がきつくて傘もさせない。 この強風に、火切りや石屋根が造られたことを納得する。 観光を切り上げタクシーで埠頭へ行く。

  •  波高く、5分遅れで連絡船は15:30に博多埠頭につく。 すぐバスで博多駅へ。 近くのビジネスホテルに投宿。 雨なので出かけない。

     波高く、5分遅れで連絡船は15:30に博多埠頭につく。 すぐバスで博多駅へ。 近くのビジネスホテルに投宿。 雨なので出かけない。

  •  7:30チェックアウトし、小倉へ移動。 9時前、西小倉着。 [松本清張記念館]は9:30開館なので、それまで[小倉城庭園]の無料開放エリアを散策。 <br /> [松本清張記念館]は、1階展示室に清張の全作品が左手の壁面に飾られ、さらに年表へとつづく。 1,2階は吹き抜けになって、書斎と書庫が再現されている(写真)。 地階の企画展示室には[1909年生まれの作家たち]の特別展示がある。 尊敬する中島敦の[李陵]原稿が展示されていて、大感激する。

     7:30チェックアウトし、小倉へ移動。 9時前、西小倉着。 [松本清張記念館]は9:30開館なので、それまで[小倉城庭園]の無料開放エリアを散策。 
     [松本清張記念館]は、1階展示室に清張の全作品が左手の壁面に飾られ、さらに年表へとつづく。 1,2階は吹き抜けになって、書斎と書庫が再現されている(写真)。 地階の企画展示室には[1909年生まれの作家たち]の特別展示がある。 尊敬する中島敦の[李陵]原稿が展示されていて、大感激する。

  •  小倉から門司駅へ、リュックをコインロッカーへ預け、下関駅へ。 JR九州の車体はあずき色で美しい。<br />駅の観光案内所でパンフレットをもらい、まずはバスで唐戸へ移動する。 下車すればそこが[唐戸市場]だった。 市場で昼食、400円のトロを食べながらビールを飲む。うまい。

     小倉から門司駅へ、リュックをコインロッカーへ預け、下関駅へ。 JR九州の車体はあずき色で美しい。
    駅の観光案内所でパンフレットをもらい、まずはバスで唐戸へ移動する。 下車すればそこが[唐戸市場]だった。 市場で昼食、400円のトロを食べながらビールを飲む。うまい。

  •  市場前の[亀山八幡宮]を通り抜け、裏階段を降りると、朝鮮通信使や李鴻章が宿泊した引接寺の三門に出る。 東に進むと[藤原義江記念館]に続く階段が見える。 ちょうど修学旅行生が来ていたので入館させてもらう。<br /> 義江の歌うナポリ民謡が流れる。 海に面した芝庭には義江がアリアを歌う風見鶏が風に揺らいでいる(写真:記念館の風見人形は義江のシルエット)。 ここは外交官だった父君の館跡だ。

     市場前の[亀山八幡宮]を通り抜け、裏階段を降りると、朝鮮通信使や李鴻章が宿泊した引接寺の三門に出る。 東に進むと[藤原義江記念館]に続く階段が見える。 ちょうど修学旅行生が来ていたので入館させてもらう。
     義江の歌うナポリ民謡が流れる。 海に面した芝庭には義江がアリアを歌う風見鶏が風に揺らいでいる(写真:記念館の風見人形は義江のシルエット)。 ここは外交官だった父君の館跡だ。

  •  [日清講和記念館]へ。 [李鴻章の道]沿いにあるはずの[本陣伊藤邸跡:松陰、高杉晋作や龍馬など尊攘志士のパトロンだった豪商・伊藤助太夫邸跡]が判らず、歩いてきたテンガロンハットの女性に尋ねると、西遊旅行の利用者で、意気投合し、唐戸の街を案内してもらうことになる。 旅行好きなので軽やかで詳しい。 国道9号線沿いが昔の浜だったようだ。<br /> 散在する[金子みすゞ顕彰碑](写真)、明治33年(1900)築日本最古の現役郵便局舎・[南部町郵便局]、屋根の塔屋が印象的な大正4年(1915)築の[旧秋田商会ビル]へと案内され、別れる。

     [日清講和記念館]へ。 [李鴻章の道]沿いにあるはずの[本陣伊藤邸跡:松陰、高杉晋作や龍馬など尊攘志士のパトロンだった豪商・伊藤助太夫邸跡]が判らず、歩いてきたテンガロンハットの女性に尋ねると、西遊旅行の利用者で、意気投合し、唐戸の街を案内してもらうことになる。 旅行好きなので軽やかで詳しい。 国道9号線沿いが昔の浜だったようだ。
     散在する[金子みすゞ顕彰碑](写真)、明治33年(1900)築日本最古の現役郵便局舎・[南部町郵便局]、屋根の塔屋が印象的な大正4年(1915)築の[旧秋田商会ビル]へと案内され、別れる。

  •  国道9号線を東へ歩き、関門橋を過ぎて[壇の浦]へ。 車の通行量が多く、近くてもバスに乗るべきだった。 下関側の入口からエレベーターで地下へ降り、[関門トンネル人道(距離:780m、夜間は閉鎖):写真]を通り、門司へ。 下関で食料を買って帰る人が歩いている。まさに海底の生活道だ 

     国道9号線を東へ歩き、関門橋を過ぎて[壇の浦]へ。 車の通行量が多く、近くてもバスに乗るべきだった。 下関側の入口からエレベーターで地下へ降り、[関門トンネル人道(距離:780m、夜間は閉鎖):写真]を通り、門司へ。 下関で食料を買って帰る人が歩いている。まさに海底の生活道だ 

  •  トンネルを抜けると[和布刈(めかり)神社]がある。 「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意で、毎年旧暦元旦の未明に[和布刈神事]が行われる小さな社である。<br /> そこより、[めかり観潮遊歩道]を通って[門司港レトロ地区]へ。 [旧門司税関:写真]を中心に明治・大正に建てられた数棟の洋館が残っている。 神戸・北野と同じく、「それがどうした」との感想。 しかしながら、[旧門司三井倶楽部]では松本正雄ガラス工芸作品が展示されていた。アールヌーボー風の四季の草花や果実をモチーフした作品は美しかった。

     トンネルを抜けると[和布刈(めかり)神社]がある。 「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意で、毎年旧暦元旦の未明に[和布刈神事]が行われる小さな社である。
     そこより、[めかり観潮遊歩道]を通って[門司港レトロ地区]へ。 [旧門司税関:写真]を中心に明治・大正に建てられた数棟の洋館が残っている。 神戸・北野と同じく、「それがどうした」との感想。 しかしながら、[旧門司三井倶楽部]では松本正雄ガラス工芸作品が展示されていた。アールヌーボー風の四季の草花や果実をモチーフした作品は美しかった。

  •  門司駅から港へ名門大洋フェリーのリムジンバスで移動。 乗船手続き時に特二等洋室6080円(20%off)に変更。<br /> 風呂に入って、テレビを見ながら、コンビニおにぎりとビールで夕食。 その後、船内をウォッチング、二等和室はちょっと利用するには厳しい狭さだ。 <br /> 朝風呂に入りながら瀬戸内海を眺めているうち、明石大橋を過ぎる。 そろそろ下船の準備をしなければ…<br /> 「皆様、下船後はマスクの着用と感染予防の手洗いをしてください。」と下船前のアナウンスあり。 関西は豚インフルエンザ騒動の真っ最中の舞台であった。<br /> フェリーターミナルからコスモスクエアに乗り換えて大阪港へ、マスクを着用した異様な人々を眺めながら、[海遊館:写真]へ行く。 <br />海遊館で魚たちにご挨拶し、天保山から市バスに乗って大阪駅へ行き、帰路に着く。

     門司駅から港へ名門大洋フェリーのリムジンバスで移動。 乗船手続き時に特二等洋室6080円(20%off)に変更。
     風呂に入って、テレビを見ながら、コンビニおにぎりとビールで夕食。 その後、船内をウォッチング、二等和室はちょっと利用するには厳しい狭さだ。 
     朝風呂に入りながら瀬戸内海を眺めているうち、明石大橋を過ぎる。 そろそろ下船の準備をしなければ…
     「皆様、下船後はマスクの着用と感染予防の手洗いをしてください。」と下船前のアナウンスあり。 関西は豚インフルエンザ騒動の真っ最中の舞台であった。
     フェリーターミナルからコスモスクエアに乗り換えて大阪港へ、マスクを着用した異様な人々を眺めながら、[海遊館:写真]へ行く。 
    海遊館で魚たちにご挨拶し、天保山から市バスに乗って大阪駅へ行き、帰路に着く。

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