2011/12/11 - 2011/12/11
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がりさん
三陸の沿岸の街へ行くのには、心に迷いがあった。
今はまだ、行くべきではないのではないか?
結局はっきりと答えは出ず、仙台まで行って気が進まなければ、平泉の観光にでも変更しようと考えていた。
そして、12月11日。
よく晴れた、あの日から9ヶ月目の朝を迎えて、やはり行こう、と決めた。
もしかしたら、まだ来るべきではなかったと後悔することになるかもしれない。
でも、それも行ってみなければわからないこと。
今回の東北旅は、三陸の沿岸へ行かないことには意味がない気がした。
行ったのは宮城県の気仙沼と岩手県の陸前高田。
どこまでの写真を載せていいのかわからない部分があるし、これを旅行記と呼ぶのは少し抵抗がある。
ただ街を訪れたひとつの記録として、残しておきたい。
気仙沼にも陸前高田にも、また来たいなと思った。
そしていつか、復興した街の姿を見に来たい、と。
-
12月11日。
震災からちょうど9ヶ月目の日だ。
今日はやはり、三陸の沿岸まで足を運ぼう、と思った。
津波の被災地へ行くことには、まだ心に迷いはある。
ただ行かないで帰れば、東北の被災地の本当の姿を見ないで帰ることになり、東北まで来たそもそもの意味がなくなってしまう。
実際に行って、来て良かったと思うかもしれないし、来るべきではなかったと後悔することになるかもしれない。
でもそれを知るためだけにでも、行く意味はあると思った。
そしてなにより、行かなければわからないことが他にもたくさんある気がした。 -
まずは気仙沼へ、高速バスに乗って行く。
気仙沼は宮城県の北東部にある港町。
気仙沼へ行くことにしたのは、仙台から直通バスが出ていてアクセスしやすい、ということもあったけど、なにより沿岸の街のなかでいち早く観光復興を進めていると聞いたから。
JR大船渡線も気仙沼駅まで復旧してるけど、今回は便利なバスを選んでみた。 -
宮城交通の大船渡行きのバスに乗車。
このバスは一関、気仙沼、陸前高田を経由して、4時間近くもかけて大船渡まで走る。
陸前高田や大船渡は鉄道が復旧してないから、バスが唯一の公共交通機関。 -
バスの乗客は家族連れや若い女性、中年の男性など様々で、けっこう混んでいた。
やはり被災者の人もいるのだろうか?
誰かへのプレゼントなのか、クリスマスの包みを持った人など、車内は明るく賑わっていた。
家族連れの男の子が田んぼに立つ鉄塔を見て「東京タワー!」と言ってるのが微笑ましかった。 -
途中の金成パーキングエリアで休憩。
ここは昔、砂金の里として栄えた場所で、その黄金は奈良東大寺の大仏造営に献上されたり、平泉の藤原文化の象徴となった。
おっ、気仙沼ホルモン!
この前、東京で食べたけど、味噌ニンニクだれが美味しかった。 -
一関の辺りは雪景色。
バスは一関で高速を下りて、国道を東へ走る。 -
再び雪はなくなって、綺麗な青空。
岩手内陸の山里の風景はとても美しかった。
なんてことのない風景だけど、田んぼや集落ののどかさが心に沁み入ってくる。
東北って美しい、日本って美しい。 -
そしてバスは気仙沼駅前に到着。
僕と一緒に、乗客の多くがここで降りた。
仙台から3時間近く、さすがに三陸は遠いなと実感した。 -
とりあえず、まずは駅へ行くことにした。
気仙沼へ来たのは今回が初めてだった。
ここが何度もニュースで見た、気仙沼の街なのか。。
気仙沼は宮城県内では石巻市に次ぐ大きな被害を受けた街だ。
歩きながら、気持ちが緊張していくのを感じた。 -
気仙沼駅も、駅の周りの街並みも、驚くほどに平穏だった。
津波の痕跡はまったくない。
どうやら駅があるのは高台で、ここまでは津波が来なかったらしい。
駅前にはタクシーが停まっていて、ふつうにお店も営業している。
僕はなんとなく気仙沼の街全体が被災したようなイメージを抱いていたけど、実際は被災しなかった地域も多いようだ。
正直、この駅前の平穏さが僕には意外だった。 -
駅前には大きなクリスマスのリースがあって、「絆」と大きく書かれている。
気仙沼でこの文字を見ると、「絆」という言葉が持つ意味の大きさを実感できる。 -
小さな駅舎を覗くと、一関へ向かう列車を待つ人達の姿があった。
メッセージノートが置いてあって、そこにはたくさんの復興への願いが書かれていた。
キヨスクに売られている新聞には、震災関連の記事が並ぶ。
そして千羽鶴があった。 -
まずは港の方へ向かいたい。
港まではここから2kmほどあるみたい。
歩いて行こうかと思ったら…。 -
駅前に観光案内所があって、レンタサイクルをやっていた。
中に入って女性に聞くと、通常通りやっているとのこと。
そこで、500円のレンタサイクルを利用させてもらうことにした。
このレンタサイクル、意外に利用する人が多いようだった。
たぶん観光やボランティアだけでなく、いろいろな目的で利用されているんだろう。 -
駅を出発すると、すぐに踏切を見かけた。
大船渡線の線路があって、向こうに気仙沼駅のホームが見える。
気仙沼から先のこの線路を走る列車は今はない。
陸前高田、大船渡、釜石、宮古まで、三陸沿岸は不通となっている。
列車が走ることのない線路に寂しさを感じた。 -
途中、片浜屋というスーパーがあった。
お正月のしめ飾りやミニ門松が売っている。
一人のおばあさんがしめ飾りを買っていった。
この街にもふつうにお正月がやってくるんだなぁ。。 -
駅から緩やかな坂道を下ってきた。
この辺りの街からはとくに津波の被害は感じられない。
昔からやってそうな土産屋や瀬戸物屋などがある。
いかにも日本の田舎らしい風情があって、いい雰囲気だ。 -
気仙沼市役所。
ここも津波の被害はとくに感じない。
近くの建物に、十八鳴浜と九九鳴き浜の天然記念物指定を祝う垂れ幕があった。
指定されたのは震災で津波の被害を受けた後。
鳴き砂が有名で津波にも耐えたんだそう。
これからの観光復興につながっていけばいいなと思う。 -
向こうが安波山かな?
お笑いコンビのサンドウィッチマンが気仙沼でロケをしているときに被災したのは有名だけど、彼らが避難したというのが安波山だった。
彼らの判断は正しかったけど、もし判断を間違っていればどうなっていたかわからない。
たぶんその微妙な判断が多くの人にとってひとつの分岐点になったんだろうな。。 -
港が近付くと、風景は一変する。
そこには津波に呑まれた街があった。
さっきまでなんの変哲もないふつうの街だったのが、あるラインを境にして、津波の被災地に変わる。
このラインがすごく残酷なものに思えた…。
正直、どこまでの写真を載せていいのか、載せるべきなのかわからない。
ただ僕が率直に感じたこととともに、必要と思われる写真だけ載せてみたい。 -
気仙沼港はカツオやマグロ、サンマの水揚げで日本有数の港だ。
あの日、ここを大津波が襲った。
9ヶ月経った今も、津波の痕跡はくっきりと残っている。
港の横にあるコンビニは津波に突き破られて悲惨な状態で、ピンク色の看板だけが鮮やかに輝いていた。
信号が復旧していなくて、警察官が手信号で誘導している。
僕がこの風景を見て感じたのは、ショックや驚きとかよりも、現実感が無い風景だな…というものだった。
まるで作り物の街を見ているような気がした。
現実にこんなことがおこるのだろうか…という信じられない気持ち。 -
港の道は異様な緑色に変色していた。
あの日、地震が起きてすぐにテレビを付けた。
NHKでは津波が来る前の気仙沼港の生中継の映像が流れていた。
映像を見るかぎり、街は地震による大きな被害はなかったようで、平穏な3月の気仙沼の街…に見えた。
しかし、あの直後、この街は大津波に呑まれた。
あれほどの津波ってどれだけの人が予想できたんだろう。 -
港周辺は半壊状態の建物が多かった。
やはり現実感が無くて、この風景の意味がわからない。
これはなんなんだろう。 -
港には森進一の「港町ブルース」の歌碑があった。
歌詞に「気仙沼」が登場するから、ここに歌碑が作られたみたい。
津波のせいで斜めに傾いてしまっている。
震災後に森進一がここに来て、被災者の人達を励まそうと歌を歌ったんだそう。 -
東北最大の有人島、気仙沼大島へ向かうフェリー。
「ドリームのうみ 江田島市」と書いてある。
広島県の江田島市から借りているフェリーらしい。
同じ港町同士、こうやって支え合うっていいことだよなぁ。 -
イチオシ
青空に恵まれた日曜日、気仙沼の海は穏やかだった。
気仙沼は湾の入り口に大島があるから湾内は常に穏やかで、天然の良港となっている。
初めてこの街に来たけど、こんなに綺麗な海がある街だとは知らなかった。
気仙沼は穏やかで優しい、日本の美しい港町だった。
これが気仙沼の海の本来の姿。
あの日、この海が大津波に姿を変えたなんて、とても想像できない…。 -
見上げると「防潮堤の高さ T.P6.2M」と横断幕。
気仙沼では高さ6.2mの防潮堤を作る計画があり、景観を破壊すると反対意見もあるんだそう。
この横断幕は6.2mの高さを実感してもらうためのものだという。 -
日曜日の港は静かだった。
漁業関係者の人も少しいたけど、のんびりした雰囲気。
車で来て、写真を撮っていく人もけっこういたけど、あまり騒がず静かに観光している感じだった。
津波の痕跡とこののどかさが不思議なアンバランスだ。 -
港を離れて、鹿折地区へ行ってみた。
この鹿折地区は気仙沼でもとくに被害が大きかった場所だという。
完全に津波に流された家が多かったらしく、家そのものが消えていた。
広大な空き地がただ広がっているように見えた。 -
この風景が意味するものはなんだろう。
少し高台の家は残っているけど、低い土地の家は消えている。
僕は被災する前のこの街の風景を知らないから、「ここに街があった」ということがうまく想像できない。
だからこの風景を見ても、本当の津波の恐怖というのがよく実感できないと思った。
たぶん本当のところは、被災した街の人にしかわからないことなんだと思う。 -
鹿折地区は多くの建物が消えていて、残っている建物もかなりひどい状態だった。
観光案内所で貰った地図を広げると、「浜町郵便局」や「セブンイレブン鹿折店」が出ているけど、もちろんそんな建物はない。
建物が残っていた旅館は3階部分までめちゃくちゃになっていた。
さっきの港周辺のほうが海に近いけど、被害はあきらかにこっちのほうが大きい。 -
今、気仙沼で多くの人が足を止める場所がある。
それがこの鹿折唐桑駅前に打ち上げられた巨大な漁船だ。
この第十八共徳丸は、海岸から600m近くも離れたこの場所まで流されてきた。
あまりにも現実離れした光景で、感じるのは人間の無力感だけだった。 -
ここで車を停めて、写真を撮っていく人がすごく多い。
ある意味でここは気仙沼の観光スポットになりつつある。
実際、漁船を保存して、この一帯を復興記念公園にする計画が出ているという。
ただ一方で、この船に自宅をなぎ倒された人もいて、賛否は分かれているらしい。 -
どうなんだろう?
残すべきか、撤去すべきか。
考えてみれば、広島の原爆ドームもそうだった。
「戦争の記憶を伝えたい」から残すべきという意見と、「戦争の記憶を思い出す」から取り壊すべきという意見とで、賛否両論だったはず。
でも今ではその原爆ドームは平和の象徴として世界遺産となっている。
もちろん原爆ドームと震災の被災地は違う。
けれど、象徴的な「負の遺産」は残すものもあっていいんじゃないかな、という気がする。
少なくともここにこの漁船がある限り、津波の記憶を忘れることはないはずだから。。 -
鹿折唐桑駅の前にはなにかの記念碑のようなのがあって、焼け焦げている。
この鹿折地区は津波だけでなく、火災の被害も深刻だった。
タンクから流失した重油に引火して大規模火災が発生…、そういえば陸上自衛隊が撮影した火災の映像はよく覚えている。 -
ここには駅舎があったはずだけど、何もない。
ぽつんと空白があるだけだった。
こんな所まで津波が来たのか。。 -
駅のホームや線路は残っていた。
列車の走らない線路は赤く錆びつき、草が生い茂っている。
ホームの向こうに家があって、そこは津波の被害がなかったらしく、ふつうに洗濯物が干されていたり生活の匂いを感じた。
背後の風景とのギャップがすごいよなぁ。 -
自転車で走ると、被害の規模の大きさが実感できる。
これだけの広い地域が津波に呑まれた。
そしてたぶんこういう街が東北の沿岸にどこまでも続いている…。
本当に大変なことが日本で起きたんだなとあらためて思う。 -
港の方へ戻ると、こんな看板があった。
「この地域の避難場所は気仙沼小学校です」 -
気仙沼小学校への道は急な坂道だった。
この急な坂道がかなり長くつづく。
なるほど、だから避難場所か。。
やはり津波で大切なのは、どれだけ遠い場所へ逃げるかではなく、どれだけ高い場所へ逃げるか、ということなんだと感じた。 -
気仙沼小学校はまったく被害もなくて、校庭では親子が仲良くキャッチボールを楽しんでいた。
ここはフリーアナウンサーの生島ヒロシの母校だという。
ここへ避難した人はみんな助かったんだろう。
ただお年寄りの人などはあの急坂を無事に上れたのだろうかと考えると、複雑な気分になる。 -
僕が感じたのは土地の高低差による被災状況のギャップだった。
低い土地にあった家はそっくり消えてしまっていたりする。
けれど、少し坂を上って高台へ行くと、そこにはまったく被災していない平穏な住宅街がある。
この同じ街にも被災した人としなかった人がいる。
この家は問題ないけど、ひとつ下隣の家は大変な状況…とか。
同じ市民の間でも感情は様々なんだろうな。。 -
南気仙沼駅へ行ってみたけど、やはり駅は消えていた。
地図を見ると、この辺りには「ミヤコーバス気仙沼営業所」があったらしく、バスが何台も被災したまま残っていた。
道はがたがたで、風が吹くと砂埃が舞い上がる。 -
南気仙沼も信じられないような風景が広がっている。
店の看板などが生々しく残っていて、見た目の悲惨さでは気仙沼で最もひどいかもしれない。
爆心地のようだ、という表現が正しいかどうかはわからない。
けれど、想起するのはまさにそれだった。 -
街にはいまだに津波による海水が残っている。
まるで池のような不思議な光景だった。
ここにはどんな街並みが広がっていたんだろう? -
南気仙沼小学校。
ここは津波の被害が大きく、今は校舎は使われていない。
子供達はさっきの気仙沼小学校へ通っているようだ。
ここはマジシャンのマギー審司の母校だという。
校庭には被災した車が山積みになっていた。 -
イオンがあったので行ってみた。
津波はここの1階まで来たという。
震災直後は屋上を利用して営業していたらしいけど、今ではすっかり元通りの営業をしている。
日曜日ということで、たくさんの客で賑わっていた。 -
イオンの中へ入って驚いた。
そこにはどこにでもある、ごくふつうの日曜日のスーパーの風景があった。
クリスマスのケーキやクッキーが売っていて、ミスドもケンタも銀だこも大賑わいだった。
家族連れも若いカップルもおばあさんも、誰もが明るい表情をしていた。
皆が楽しそうに買い物をしたり、お昼を食べたりしている。
明るく楽しく平和な日曜日の気仙沼だった。
ほんとに信じられない、と思う。
この光景だけ見て、ここが震災の被災地だと思う人は誰もいないだろう。
でも確かに、このすぐ近くには、さっきの爆心地のような風景がある。
どっちも被災地の本当の姿。。 -
イオンのクリスマスツリー。
「がんばろう!気仙沼」 -
「たまごっちのゲームの物がほしいですください」かぁ。
子供達にとっては難しい復興の話より、そういう願いがほんとの気持ちなんだろうな。
ここにもふつうの日常がある…。 -
気仙沼名物のクリームサンドが売ってたので、買ってみた。
コッペパンにピーナツバターのクリームが挟んである。
これがとても美味しかった!
なによりクリームがものすごくたくさん入ってるのが嬉しい。 -
そして気仙沼で最後にやって来たのが、復興屋台村・気仙沼横丁!
実はここが気仙沼で一番行きたいと思っていた場所だった。
ここには津波で被災した店の仮設店舗が集まっていて、11月にオープンしたばかり。
ここは10年規模計画の起点とかで、仮設店舗は一時的なもの、「被災地の観光化」の第一歩を掲げている。
その言葉通り、意外なほどたくさんの観光客で賑わっていた。 -
気仙沼横丁にはいろんな店が並んでいる。
マグロ料理、イタリアン、居酒屋、寿司、うどん、韓国料理…、鮮魚店やカニの専門店まである。
店の人の話では、地元の人以上に観光客が多く訪れてくれているという。
最近では応援バスツアーで来る人もいるようだ。 -
僕が入ったのは、あたみ屋というラーメン屋。
市内の階上地区でラーメン屋をやっていたけど、津波ですべて流されたという。
しかし、避難所で自慢の餃子をスタッフに振る舞ったとき、「美味しい」と言葉をもらい再起を誓った。
店はおばさんが一人で切り盛りしていて、たくさんの客で混んでいて忙しそうだった。
でもなんだろう、このあったかい感じは。 -
みそラーメン。
美味しい!!
ちょっと札幌ラーメンっぽくて、冬に食べたい味。
被災地の風景を見て緊張していたせいか、心がほぐれていくのを感じた。 -
そして自慢の手作り餃子。
家庭的な美味しさで、まさに手作りの温かさを感じる。
あぁ、いいな、このラーメン屋。
近くにあったら、通いたくなる。
というか、この横丁の雰囲気が素敵だ。
みんなそれぞれに頑張っているんだな…と人の温もりを実感できる。 -
イチオシ
高さ8mの「祈りのビッグツリー」。
被災地への祈りを込めて制作されたツリーで、気仙沼らしく漁網が使われていたりする。
ツリーの幹は「きずなの塔」だ。 -
土産屋があったので覗いてみた。
気仙沼に来てくれるのは、あなたのような関東の若い人が多い、と店の女性。
「こうやって実際に来て、街の風景を見て頂くことは本当にいいことだと思う。実際に来ないとわからないから」
女性もまた被災者だった。
自宅は全壊で、今は仮設住宅で暮らしているという。
「でも全壊でよかったかなと思うんです。半壊だと後片付けが大変だから」と明るく話していた。
僕は気仙沼へ来た感想を正直に話した。
現実とは思えない風景、だからうまく実感できない被害…。
女性はそれでも大変な状況を話してくれたあとで、「でも、なんとかやってます!」と明るく言ってくれた。
「頑張ってください」と言って店を出た。
考えてみれば、被災者の人に直接、頑張ってと言ったのは初めてだった。
来てよかった、と思った。
本当に来てよかった、この言葉を言えただけでも。 -
僕には女性の笑顔は、本当の自然な笑顔に見えた。
むしろ僕のほうが、なぜか励まされたような気がした。
お土産に買った、海の子ホヤぼーやのストラップ。
ホヤぼーやは以前から存在した気仙沼のゆるキャラだけど、震災を機に注目されているらしい。
ストラップは市内の知的障害者施設で作られている。
なかなか可愛い? -
ビッグツリーのきずなの塔。
高さ8mというのは、実はこの街を襲った津波の高さを表している。
8mの津波に襲われた気仙沼。
たぶんこの街はこれから少しずつ、観光復興が進んでいくと思う。
個人的には、観光客が集まることはいいことだと思う。
人が来ない場所には何も生まれない。
人が集まることで笑顔が生まれ、力が生まれるはずだから。 -
やはり陸前高田まで行こう、と思った。
陸前高田市は岩手県だけど、気仙沼市とは隣接している。
陸前高田は気仙沼以上に被害が深刻と聞いていたから、行くべきか迷いがあった。
でも気仙沼横丁の女性が言った「見て頂くことはいいこと」という声が後押ししてくれた。
ちょうど大船渡へ行くという若者がいて、一緒にバスを探した。 -
岩手県交通のバスに乗る。
このバスは一関から気仙沼、陸前高田、大船渡までを1日2往復している。
鉄道が復旧していない今、気仙沼から陸前高田へ行こうとすれば、このバス以外に交通手段はない。
乗客は予想以上にかなり多かった。
途中で小さな集落をいくつか通り過ぎる。
高台の集落は無事で、低い土地にある集落は壊滅していた。 -
正直、バスの中で、やはりここまで来るべきではなかったのではないか、と絶望的な気持ちになった。
車窓に映る陸前高田の風景が、想像以上にひどいものだったからだ。
こんな所でバスを降りていいのだろうか。
だけど大船渡まで行くわけにもいかず、仕方なく「高田第一中学校前」というバス停で降りた。 -
陸前高田には、何も無かった。
一面の更地が広がっていて、果てしなく広大な風景があるだけだった。
ここに確かに街があったはずだ。
でもその街そのものが、消滅していた。
人がいない。
音も無い。
無の風景、と思った。 -
瓦礫の多くはすでに撤去されている。
ここにどんな街があったのだろう。
どんな生活が営まれていたんだろう。 -
そのとき、大切なことを思い出して、腕時計を見た。
時刻は14時46分になろうとしていた。
そうだ、9ヶ月前のちょうど今、この街を震災が襲った…。
とくにそれを告げる放送とかは流れなかった。
この街には今は人がいないのだから、それも当然かもしれない。
海の方へ向かって、そっと手を合わせた。 -
浄土寺へ行ってみた。
山門にはくっきりと津波の跡が残り、本堂は修復工事中だった。
海から2km近くも離れたこんなところまで津波が来たとは驚かされる。 -
浄土寺からは2km先の海がはっきりと見える。
あったはずの街は、消えている。
この街には逃げ場所がないと思った。
逃げようと思ってもすぐに逃げられるような高台が見当たらない。
陸前高田は岩手県でも最も被害が大きかった街だ。
その理由が少しわかった気がした。 -
11月、浄土寺には桜が植えられた。
これは津波が到達した最高地点を結びながら1万本以上の桜を植えていく「桜ライン311」というプロジェクト。
津波の記憶を後世に伝えたい、という願いが桜に込められている。
ここに植えられたのは神奈川県松田町から提供された河津桜だ。
河津桜は早咲きで、3・11までには咲くという。
震災から1年後の新しい春、桜はどんな花を咲かせるのだろう。 -
どうしても、ここに街があったということが想像できなかった。
震災が起きる前にこの街に来ておけばよかったな、と思った。
僕も前はよく、JRの切符などを使って日本各地を旅していた。
だけど、この三陸へは来ることがなかった。
もし震災前にこの街に来ていれば、今の風景を見て思うことももっと多かったはず。
どうして来なかったんだろう。
初めて見る陸前高田の風景が、一面の更地というのが悲しかった。 -
陸前高田市役所。
今は使われてなくて、高台に仮庁舎が建てられている。
建物の3階部分まで窓がなく、相当な大津波だったことが実感できる。 -
市役所の中は荒れ果てた状態だった。
「4月29日捜索終了」と書いてある。
市役所の正面玄関には車椅子や女の子の赤いランドセルが放置され、写真アルバムが広げられた状態で置かれていた。
見ると、3歳くらいの男の子の写真が貼ってあった。
玄関には位牌と焼香台が置かれていて、ここでも手を合わせた。 -
どうやらこの辺りが陸前高田の駅前だったらしい。
近くにロータリーの跡がある以外は、ほとんど何も残っていない。
向こうには瓦礫の山。
荒涼とした砂漠の真ん中にいるような気分だった。 -
ホームの跡は残っているけど、線路は消えている。
ここにふつうに列車が走り、駅があって、街があった…。 -
岩手県立高田病院。
震災のとき、約100人が病院で孤立し、屋上で救助を待ったという。
ここも3階部分まで津波が来た跡がある。
たぶんあの日、この一帯は海のようになったのだろう。 -
千昌夫が昔、オーナーを務めていたというホテルがあった。
もちろん今は営業を停止している。
千昌夫の実家はかなり内陸の竹駒町にあるが、津波はそこまで到達し、母は間一髪のところで助かったという。 -
陸前高田は車の通行は多いけど、歩いている人はほとんどいない。
今この街には、家も店も、何も無い。
だから、車で通過するだけの、人の気配が感じられない街になっている。
生活の匂いも、人の声も、何もかもが消えていた。 -
陸前高田には気仙沼の比ではないくらいの絶望感が漂っていた。
気仙沼の場合は、長い時間がかかっても、いつか復興できるのではないか、という気がする。
だけど、この陸前高田の場合は、安易にそんなことを言えない雰囲気だ。
崩れるのは一瞬でも、それを作りなおすのには大変な時間がかかる。
この広大な風景を前にしてそれを思うと、絶望が襲ってくる気がした。
それでも、いつか、この街が復興してくれることを信じたい。
やはりこれは、安易な言い方だと思う。
でも、復興を信じないことには何も始まらない気がした。 -
海岸の方へ行ってみた。
ここにもまた瓦礫の山。
そして、その向こうに…。 -
奇跡の一本松があった。
7万本の高田松原で唯一、津波に耐えて残った一本松は、陸前高田だけでなく、東北の復興のシンボルだ。
本当に奇跡のように、海を背にして一本の松が立っていた。
まるでみんなを頑張れと励ましているような、力強さを感じる。
この街で唯一、気持ちの緊張がほぐれていく場所で、まさに希望の「光」そのものだった。 -
イチオシ
でもこの一本松も、塩害により枯死に至ったという。
けれど、これで希望の光が失われるわけではない、と思う。
一本松の接ぎ木から苗の育成に成功し、子孫を残すことができそうだ。
そして、多くの人がこの一本松を見て、希望を感じたはずだった。
諦めちゃいけない…、街が消えた陸前高田で唯一残った一本松は、多くの人に希望の光をそそいでくれた。 -
また来よう、と思った。
気仙沼にも、陸前高田にも。
そしていつか、復興した街の姿を見て感動したい。
そのときのために、街の景色をどこまでも目に焼き付けた。
きっといつか、この街は復興を遂げるはずだ、と信じながら。
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この旅行記へのコメント (16)
-
- ぺでぃまるさん 2012/03/31 22:59:54
- 考えさせられます
- がりさん、こんばんは。
非常に考えさせられました。その当時の町の状態も、テレビや新聞以外の日常もあるのですね。
一瞬にして日常を奪い去った津波、でも前向きに生活している方々。
支援の仕方っていろいろあると思います。近くに行って寄り添うのも遠くで見守るのも、どちらが正解とは決まっていません。
でもできたら近くで一緒に気持ちを通じたいと思います。
ぺでぃまる
- がりさん からの返信 2012/04/01 00:47:43
- RE: 考えさせられます
- ぺでぃまるさん、こんばんは!
東北旅行記、続きまで読んで下さり、ありがとうございます♪
> 非常に考えさせられました。その当時の町の状態も、テレビや新聞以外の日常もあるのですね。
今回の震災はあまりに規模が大きすぎて、テレビや新聞では伝えきれない部分がある気がしますね。
一面の更地の光景は、本当に信じられないものでした。
そこにたくさんの人々の人生があったのかと思うと、あまりに重すぎる光景でした。
やはり今できることは、忘れないで伝えていくこと…なんでしょうね。
> 支援の仕方っていろいろあると思います。近くに行って寄り添うのも遠くで見守るのも、どちらが正解とは決まっていません。
きっとまずは、気持ちが大切なんでしょうね。
こうしてブログで現地の写真を公開することも、どうなのか迷いました。
写真を載せることが正解なのか、載せないことが正解なのか…。
でもやっぱりそれはどっちが正解ということではなく、その人の気持ち次第だと思いました。
まずは被災地に寄り添う優しい気持ちを持つことが大切なんだと感じてます。
あれから一年経ちましたが、これからも風化させずに、東北に目を向けていきたいですね〜。
-
- ちゃべすさん 2012/01/26 23:39:23
- いつまでも忘れずにいたいですね(^^)
- がりさん、はじめまして
気仙沼・陸前高田にいかれたんですね。
すばらしいことと思いますよ。
がりさんの旅行記を拝見させていただいて、
最近の気仙沼の様子を写真で見れて良かったです。
私は4月に気仙沼(派遣)と7月に陸前高田(ボランティア)に行きました。
当時の気仙沼、陸前高田ともにまだまだ大変な状況でした。
先日私も悩んだ上に、気仙沼でお世話になった方に話し、
当時の様子の写真をUPしました。
気仙沼観光担当の方も大阪でアピールをされてました。
これからは観光に行くことも、おおいに復興支援になります。
私も当時の仲間と観光に行きたいと話しています。
被災地はまだまだ支援が必要な状態ですね。
現地の様子を拝見させていただいて、ほんまにありがとうございます。
それではまたおじゃまします。
ちゃべす
- がりさん からの返信 2012/01/27 23:25:03
- RE: いつまでも忘れずにいたいですね(^^)
- ちゃべすさん、はじめまして!
東北旅行記を読んでいただき、ありがとうございます。
> 気仙沼・陸前高田にいかれたんですね。
> すばらしいことと思いますよ。
行くべきかとても迷いましたが、結果的にはほんとに行ってよかったと思ってます。
被災地の風景を実際に見ていろいろなことを考えさせられたということもありますし、復興へ向けて頑張る街の人達に出会えたことも、大切なことを学ばせて頂けた気がします。
被災地へ行ってから、震災のニュースなどをすごく身近に感じるようになりました。
遠い土地の話…だと感じてたのが、自分にも身近な問題なんだと捉え直すことができたと思います。
> 私は4月に気仙沼(派遣)と7月に陸前高田(ボランティア)に行きました。
ちゃべすさんは東北への支援活動をされているのですね。
みんなが力を合わせて被災地を支援するって、ほんとに素晴らしいことで、東北各地で優しいメッセージや絆を見ることができました。
ちゃべすさんの旅行記、さすがに震災直後の気仙沼は津波の生々しさを感じますね。
僕が行ったときはすでに瓦礫が片付けられて更地になってる場所が多くて、ここに街があったとは信じられませんでした。
それでも気仙沼の港の辺りは屋台村ができたり、少しずつ活気を取り戻しつつあるようで、僕にはそれがすごく明るく見えました。
海も穏やかで綺麗で、気仙沼はほんとに日本の港町らしい風情がある、素敵な街ですよね。
> 私も当時の仲間と観光に行きたいと話しています。
> 被災地はまだまだ支援が必要な状態ですね。
気仙沼は元々、観光の街でもあったので、早くふつうに観光客が訪れるような街に戻ってほしいですね。
フォートラでもまだまだ被災地を訪れた旅行記は少ない。
行きたい気持ちはあっても、やはり迷ってる人も多いんだと思います。
けれどやっぱり、誰も人が来ない街より、観光でも人がたくさん集まってくる街のほうが、賑わいが生まれるし、復興への力も生まれるはず。
だからぜひ、少しずつでも観光客が戻ってきてほしいと思ってます。
僕もまた三陸、行きたいです!
-
- 白い華さん 2012/01/18 21:25:28
- 「東北の 復興!・・・ ひたすら、応援しましょう。」デスネ〜。
- 今晩は。
がりさんの 東北旅行記!後半・・・は、「震災!の お話」でしたが、
皆、同じ・・・被害!の イメージ。でしたが、
「陸前高田・・・は、 何も・・・ない。」には、 驚いて・・・しまいます。
千昌夫さんが、出身地。で 紅白・・・にも 出ていましたよね。
バブル!最盛期・・・の 千昌夫。は、 大金持ち。でしたが、
今・・・は、どうなんだろう。そして、陸前高田の 被害。と、
人生・・・って 解らない。もの・・・だ。と しみじみ、思いますヨネ。
私が、選んだ・・・一枚。「男山」って、 造り酒屋・・・だったかなぁ〜。
私が、好き!な 全国・各地・・・レトロ!な 町並み。の 雑誌。にも、
かつて・・・この 「レトロ & モダン」な 建物。が 写っていて、
洋風・・・なのが、 印象的!だったの。
でも、がりさん・・・の お写真。。で 津波!で 傾いてしまったんだね。
何か・・・ ショック。
そして、 「僕・・・イケメン」の 狩野英考・・・の 実家!の 神社・・・を 思い出す。
そうそう・・・ 震度 7・・・を 記録した! 宮城県・栗原市。にも 足を 伸ばしたのですね〜。
「震度 7」 って、聞いたこと・・・ない。
けれど、 大津波。の 被害・・・って、やっぱり、凄さ。が 違うんですね〜。
早朝、 往復・・・8km!の 距離。
歩いて、 実際に 眺めた! 朝焼け・・・の 大池。は、
鳥たち!の 姿。も 美しく、頑張って・・・歩いた、甲斐。が ありましたね。
私達、日本人・・・も すっかり、節電・意識・・・が 身に付いた。って 思いませんか〜?
皆、 震災・・・以来、 何か・・・が 違う。
震災の 前!は、 「電気代!が もったいない」 と、 自分の お金!節約・・・に 「節電」でしたが、
今・・・は、 「被災者!の 辛さ・・・に 比べれば、 節電!位・・・せめて、 協力して、 寄り添いたい」
そんな・・・ 意識。が ある。と 思うんですよね。
我が家!も 「日本車・・・応援」の 気持ち。で せっかく、新車!も 来た・・・ので、早速、スタッドレス・タイヤには、替えて、いつでも、
東北旅行!には、行ける・・・のですが、
旦那様!が、「東北 行く」って 言いながら、なかなか、日程。や 場所。が 決まらない。
でも、被災地・訪問!・・・は、 大事・・・かもしれませんね。
真剣!に 心配する、日本人・・・なら、 行って、確か!に、何か・・・を 感じて、
東京に 帰宅後、 違う・・・「小さな・・・応援!生活」が、始まる。と 思う・・・ので。。。
がりさん、 いつも、 素晴らしい〜!旅行記。で、
いい〜!ですね。(♪)
これからも 頑張って・・・下さい。
それでは また
- がりさん からの返信 2012/01/19 00:27:35
- RE: 「東北の 復興!・・・ ひたすら、応援しましょう。」デスネ〜。
- 白い華さん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
> 「陸前高田・・・は、 何も・・・ない。」には、 驚いて・・・しまいます。
本当に、陸前高田の光景にはショックでした。
あそこに街があって、人々の生活があったと思うと、それが一瞬で消えたってあまりに重い現実ですよね。。
千昌夫さんは、正直言うと最初は、震災があったからってテレビにたくさん出るようになっちゃって、なんかなぁ…って思ってたんです。
けれど今は、まあそれでいいのかなって思ってる。
たぶん陸前高田の人にとって千昌夫さんって街の誇りだと思うので、テレビに出ることで街の人が勇気付けられるなら。。
> 私が、選んだ・・・一枚。「男山」って、 造り酒屋・・・だったかなぁ〜。
気仙沼ってほんとに綺麗な港町なんですよね〜。
今回初めて行って、三陸はこんなに魅力的な場所だったんだって知りました。
震災で逆に注目を集めることになった気仙沼のゆるキャラ・ホヤぼーやも、福島の浪江焼きそばもそうだけど、街の知名度が上がったことで、これから復興していく中で、観光客も戻ってきたらいいなぁと思います。
> そうそう・・・ 震度 7・・・を 記録した! 宮城県・栗原市。にも 足を 伸ばしたのですね〜。
そうです、狩野英孝の神社がある街!(笑)
狩野やサンドウィッチマンは募金活動とか頑張ってましたね。
栗原は自然が豊かでいい街です♪
> 私達、日本人・・・も すっかり、節電・意識・・・が 身に付いた。って 思いませんか〜?
ほんと、震災で日本人の意識、かなり変わりましたよね。
震災後の計画停電もそう。
あの計画停電があったことで、関東民も少し被災地の痛みを分かち合うことができて、よかったかもって思う。
被災地の人ばかりが大変な思いをするのは違うと思うんですよね〜。
東北の旅、どこへ行くにしても、ちょっとした復興支援につながると思います♪
やっぱり人が集まることで、街にも元気が出てくるはず。
ぜひフォートラのブログでもたくさんの人に東北の良さをアピールしてもらって、観光客が増えてもらえれば〜と思います。
白い華さんの東北旅も楽しみです!
-
- エンリケさん 2012/01/15 18:20:41
- 読みごたえのある東北旅行記でした!
- がりさん
こんにちは。
たいへん読み応えのある東北旅行記、わたしも読んでいていろいろ考えさせられることがありました。
気仙沼の漁船の観光地化、撤去しようという意見も当然あると思いますが、原爆ドームのように残して人々の記憶に永遠にとどまるようにしようという意見もまた是だと思います。
原爆とは違って今回ふりかかってきたのは自然現象ですが、こんな科学が進んだ時代でも“大自然の驚異には勝てない”ということを後世に伝えていくモニュメントが必要なのではないかと思いますね。
“復興”というのは、“復旧”と違って、未来に向かってそういう人々の意思もあわせて盛り込んでいかなければならないですよね。
気仙沼のイオン、人々が普通に買い物をしている姿があって、なんだか慰められたような気がしましたが、その後に訪れた陸前高田は、気仙沼との対比から一層悲しい気持ちにおそわれました・・・。
これからどんな復興を遂げていくのかはまったく想像できませんが、何年か先、何かしらの目的で普通に人々が訪れることができるような場所になってもらいたいですね!
こんなふうに東北旅行記を素晴らしい構成にまとめあげてくれたがりさんにも拍手です!
また次の旅も期待してます!
- がりさん からの返信 2012/01/16 00:49:03
- RE: 読みごたえのある東北旅行記でした!
- エンリケさん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
三陸の被災地へ行くこと…、とても迷いましたが、でも行ってよかったかなと思ってます。
帰ってきてから被災地のニュースを見ると、今までは遠い土地のことと感じてたのが、とても身近なこととして感じるようになりました。
それと、現地で復興の屋台村やそこで頑張る人達に出会えて、少し復興への「光」を感じることができたのはほんとによかったです。
> 気仙沼の漁船の観光地化、撤去しようという意見も当然あると思いますが、原爆ドームのように残して人々の記憶に永遠にとどまるようにしようという意見もまた是だと思います。
津波の記憶を後世に伝えていくこと、大切ですよね。
やっぱり人はどうしても、忘れていってしまう気がするので。。
あの3月11日だって、僕もそうですけど、たぶんそれほど大きな津波は来ないだろう、と甘く考えていた人も多いと思うんです。
なので、確かに悲しい遺産ではあるけれど、こういうものをモニュメントとして残しておくのは、意味のあることだと思いますね。
> これからどんな復興を遂げていくのかはまったく想像できませんが、何年か先、何かしらの目的で普通に人々が訪れることができるような場所になってもらいたいですね!
ほんとにそう思いますね。
元々、気仙沼も陸前高田も観光地として賑わっていたはずで、三陸を巡る旅など人気があったと思うんです。
いつか、以前と同じように、普通に観光客が楽しく訪れることができる街として、復興していってくれたらなぁ、と願ってます。
そのときは僕もまた、三陸の旅、してみたいです♪
> こんなふうに東北旅行記を素晴らしい構成にまとめあげてくれたがりさんにも拍手です!
あっ、実はあと、もう1編だけあるんです。。(笑)
このあと、宮城県の栗原と塩竈へ行きました。
栗原では伊豆沼へ日の出とマガンの飛び立ちを見に行ったのですが、本当に綺麗な朝でした。
エンリケさんのミャンマー旅行記の続きも、楽しみにしてます!
-
- alohamanaさん 2012/01/15 00:22:54
- はじめまして!
- がりさん,こんばんは!
気仙沼と陸前高田の様子,拝見しました。
被災地の様子は,何度もテレビで見たのですが,
なかなか実際に足を運ぶには勇気がいります。
がりさんの写真を見ていたら,涙があふれてきました。
特に,陸前高田は数年前に家族でキャンプをした思い出の地。
本当に街がなくなってしまったのですね。
一度訪れただけの私でもこんな気持ちになるのですから,
地元の方はどんな気持ちなのか・・・。
実は,私も年末に大船渡と釜石に行って来ました。
陸前高田ほどではありませんが,津波の跡が残る様子に
声が出ませんでした。
カメラを向けていいものか,ブログに載せていいものか
悩むところですよね。
がりさんの記録を見て,やはりいつか陸前高田をこの目で見たいという気持ちになりました。
まだ受け入れられるか不安ですが・・・。
貴重な記録をありがとうございました。
被災地の復興していく姿をみんなで見守っていきたいですね!
- がりさん からの返信 2012/01/16 00:14:56
- RE: はじめまして!
- alohamanaさん、はじめまして!
旅行記読んでいただき、ありがとうございます。
> 被災地の様子は,何度もテレビで見たのですが,
> なかなか実際に足を運ぶには勇気がいります。
alohamanaさんは大船渡と釜石へ行かれたのですね。
僕も行く前は、とても迷いました。
被災地を見世物のように扱うことになりそうな気がして、やっぱり行かないほうがいいんじゃないか、って直前までためらって。。
けれど、日本人として見ておく意義はあると思って、思い切って行きました。
やっぱり行くにしても、気持ちが大切だと思いましたね。
見させてもらう、学ばせてもらう、という気持ち。
そういう気持ちで行くのであれば、それはすごく意義があることだと思うんです。
> がりさんの写真を見ていたら,涙があふれてきました。
> 特に,陸前高田は数年前に家族でキャンプをした思い出の地。
陸前高田でキャンプの思い出があるのですね…。
あの街も、高田松原や三陸の海など、綺麗な街だったようですね。
僕は今回初めて三陸へ行ったのですが、海や山などこれほど美しい場所だとは知りませんでした。
もっと早くに旅行に来ていればよかったな…と、ちょっと後悔してます。
だから陸前高田に思い出があるalohamanaさん、羨ましいです。
そのキャンプの思い出、大切にされてくださいね。
> がりさんの記録を見て,やはりいつか陸前高田をこの目で見たいという気持ちになりました。
きっと、感じることがたくさんあると思います。
僕の場合は初めて行ったので、一面の更地を見ても、被災前の街の風景を知らないから、どうしてもここに街があったとは信じられませんでした。
だから、以前の街を知っているalohamanaさんなら、僕よりもっといろいろ感じることや考えることがあると思いますよ。
長い道のりだけど、復興できると信じていきたいですね。
いつか、復興した街を、あらためて旅するのが夢です♪
-
- ニッキーさん 2012/01/11 12:57:16
- こういう旅もありますね
- がりさん、こんにちは。
行くべきか行かざるべきか、興味本位と受け取られないか、旅行記に載せるべきか載せざるべきか迷った・・・その気持ちわかります。でも、がりさんの旅行記を読んで、自分が実際その場に行って初めてわかることがあるんだなとよくわかりました。
うちも主人が10月に被災地へ行って来ました。でもがりさんの旅行記を読むとまだまだ知らなかった現実がたくさん。まだ手つかずで残っている部分も多い気仙沼。そして何もなくなってしまった陸前高田。鉄道も不通。バス停で降りても何もないって・・・。津波の到達ラインで別れた明暗もがりさんの写真でよくわかりました。報道で部分的に知ってはいても、行った人の話を聞くと、知らないことがまだまだあることを改めて痛感します。
私の原爆ドームの旅行記を見て、震災の後だったせいか4年前より考えさせられたとがりさんコメントくれましたよね。その時、私も同じです、と返事書きましたが、がりさんは東北の被災地を自分の目で見て来た直後だったから尚更感じるところがあったのですね。私も同じと軽く言えなかったなと、これ読んで思いました。
亡くなられた方々、ご家族縁者のことを思うと本当に心が痛みます。そして今なお避難生活を余儀なくさせられている方々。復興への道のりは気の遠くなるような道のり。日本人みんなで支え合って復興させて行かねばと強く思いました。
私にとってこれまでの旅は美しいものや感動を求めてのものでしたが、旅ってこういう旅もあるんですね。若い人たちが来てくれてるっていう土産物店の女性の話にもありましたが、復興のためには人々の認識と理解が大切。迷ったあげくのがりさんの旅、現状を理解するうえでも、私のように行ってない人に伝える意味でも意義があったと思います。思い切って行ってよかったですね。
ニッキー
- がりさん からの返信 2012/01/12 01:49:52
- RE: こういう旅もありますね
- ニッキーさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
> 行くべきか行かざるべきか、興味本位と受け取られないか、旅行記に載せるべきか載せざるべきか迷った・・・その気持ちわかります。
フォートラでも震災後に被災地を訪れた旅行記は、まだまだ少ない感じですね。
たぶん、今は行くべきではない、と思ってる人も多いんだと思います。
これはとても微妙な問題ですよね。
実際に現地へ行くと、陸前高田の一本松など、車で来て写真を撮影していく人はけっこう多くいます。
たぶん現地の人の間でも気持ちは様々だと思います。
僕が会った女性のように来てくれるのを喜んでくれる人もいれば、迷惑に感じる人もいるかもしれない。
だから結局、僕らの自己判断で…ということになりますね。
僕としては、静かに節度を守って訪れるのであればいいかな、と思いましたが、意見は人それぞれでしょうね。。
> 報道で部分的に知ってはいても、行った人の話を聞くと、知らないことがまだまだあることを改めて痛感します。
「被災地」とか「被災者」とかって、ひとくくりでは語れないのかなと思いましたね。
同じ被災地でも気仙沼と陸前高田ではぜんぜん違うし、被災地の中にも被災した人としなかった人がいる。
今回の震災は本当に複雑な問題なんだな…と感じました。
現地へ行って感じたのは、目の前の光景がうまく理解できない、というものでした。
初めて行って一面の更地を見ても、以前の街の風景を知らないから、いまいちピンと来ないんです。
ここに街があったなんて、どうしても信じられない。
たぶん以前に行ったことがある人とない人で、受ける印象は大きく違うと思います。
僕も三陸を鉄道で旅してみようかと思ったこともあったのですが、それも今では叶えられない旅。
いつになるかわからないけど、本当の復興を遂げたとき、三陸の旅をしてみたいですね。
そのときは、あの街がこんな立派な街に生まれ変わったのか、って驚きたいです。
> 迷ったあげくのがりさんの旅、現状を理解するうえでも、私のように行ってない人に伝える意味でも意義があったと思います。
そう言って頂けて嬉しいです。
震災をもう少し自分の問題として考えるようになれた気がして、本当に行ってよかったと思います。
現地の人も明るく前向きな人が多くて、救われました。
早く東北の被災したすべての人が、元気に立ち直ってくれるように、願っています。
-
- ぽちこさん 2012/01/10 12:43:27
- 希望♪
- こんにちは、がりさん。
やはり迷われましたか…
実はぽちこも昨夜、旅行記のタイトルを見て、迷い、今読ませていただきました。
まだ語れません。
行かなければわからない、その通りだと思います。
でも見ないより見たほうが…という逃げの気持ちもあります。
私もこちらで少しだけかかわってますが
復興というか、現実に立ち向かっていってるのは被災された方々が一番で私たちはまだまだなんでしょうね…
その中でがりさんが「希望という名の光」と書かれたこと。
なんとなく分かります。
神戸でも思いましたけど、未来がありますもん、いやでも時は過ぎてくんですもんね。
漠然と過ごすのと、目的持って過ごすのと…
まだ永遠のテーマかも知れませんが。
ありがとうございました。
ぽち
- がりさん からの返信 2012/01/11 00:40:34
- RE: 希望♪
- ぽちこさん、こんばんは。
いつもありがとうございます!
> やはり迷われましたか…
> 実はぽちこも昨夜、旅行記のタイトルを見て、迷い、今読ませていただきました。
読んで頂けて、感謝します。
現地へ行くことに迷い、旅行記を作ることに再び迷いました。
日本人としてこの光景は見ておくべきなんじゃないか、という思いがありました。
けれど、それは被災地を見世物扱いするのと同じ気がして、行くべきか葛藤があったんです。
ただ、広島の原爆ドームやニューヨークのグラウンド・ゼロのように、「負の遺産」と捉えて見るのであれば、行ってみるのもいいかなと思いました。
実際行ってみて、本当に行ってよかった、と思ってます。
現地へ行ったからといって、すべてがわかるというものではないです。
ほんとのところは、被災した人にしかわからないことが多いと思います。
けど、現地の360度の風景の中に立つと、匂いや音、風…などを感じて、いろいろな感情が湧いてきます。
それはテレビで被災地の映像を見て思うことより、ずっと生々しい感情で自分の問題として考えました。
数日前に福岡の高校が修学旅行であえて被災地へ行った、というニュースがありましたが、それもとてもいいことだと思うんです。
あの光景を見て心を動かされない人はまずいないし、大切なことを考えるきっかけになるはずだから。
本当に震災のことを語れるのは、被災者の人たちだけかもしれないですね。
だから僕が言っても薄っぺらく聞こえるだけなんだけど、希望だけは失わないでほしいな、と。
復興は本当に大変だけど、復興を目指す気持ちだけは常に持ち続けないと、と感じました。
あとは被災した人が一人でも多く、早く元気に立ち直ってくれれば、と思います。
- ぽちこさん からの返信 2012/01/11 08:54:39
- RE: RE: 希望♪
- がりさん、おはようございます。
丁寧なお返事ありがとう。
私もねぇ、現実から目をそむけちゃいけないとは思ってますけど…
今でもTVや新聞で…泣いてしまうんですよ。
今も考えながら書いてるとウルウルしちゃうんです。
私って友達に言わせると「すごく苦労してる」らしいんですが、自分で考えても、何度も立ちあがって強い人間かな…と思ってたんです。
そう3月11日までは。
自然の前での人間の無力さになんか…
若い未来ある命が消えて、何もできなかったって…
TVで車が流されて消えて行った中に人がいるはずで、それを見ているなんて…
若いころには考えなかった「命の重さ」が今になって少しは分かるようになってきて
修学旅行で行かれたのをニュースで知った時は、いいことだと思いました。
自分は行かないくせにね…
でもいつかいつか行きたいと思ってます。
がりさんの旅行記、読んで良かったと思ってます。
ぽち
- がりさん からの返信 2012/01/12 00:30:14
- RE: RE: RE: 希望♪
- ぽちこさん、こんばんは。
今日は震災から10ヶ月目の日でしたね。
ちょうど震災の発生時刻にNHKで陸前高田の中継をしてました。
神戸から運んだという「希望の灯り」に向かって、街の人達が黙祷をしていました。
それ見ながら、今どれだけの人が震災のことを思ってるんだろうなぁ、って。
いやもちろんみんな忘れてはいないと思うけど、ただこれから1年、2年…と過ぎていけば、確実に風化していくものはあるような気がするんです。
だからぽちこさんの、今でもまっすぐに被災地を思う気持ちは素敵なことだと思います。
命の重さ、考えちゃいますね。。
2万人近い人が犠牲になったって簡単に言うけど、それだけの数の人生があの日に終わったと思うと、本当に今回の震災の重みを感じます。
その一方で、自ら命を絶つ人が3万人超とか。。
命ってなんなんだろうって、わからないですね。
でも、永遠の悲しみはないと、信じたいです。
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