2010/07/18 - 2010/07/25
177位(同エリア242件中)
倫清堂さん
自宅から車を使い日帰りで行ける出羽三山は、子供のころに親に連れられて行ったことがありますが、その記憶も薄れてきたことなので、参拝に行きたいという気持ちは高まっていました。
もし晴れたら行こうというくらいの決め方だったのですが、朝が来てみれば天気は快晴。
慌ただしく出発したのでした。
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東北道から山形道に入り、まずは湯殿山に向かいます。
高速道路の無料化実験のおかげで、片側一車線の道路を快適にドライブというわけには行かないのが悲しいですが、何はともあれ湯殿山神社への入口に到着。湯殿山神社 寺・神社・教会
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大鳥居の横には参籠所があり、遠方からの参拝者でも安心してくつろげるようになっています。
また、独特な精進料理を食べられるのも、参籠所のよいところでしょうか。
その手前にあるレストハウスから、湯殿山神社へとピストン輸送をしてくれるバスが出ています。
バスの乗降所には、お遍路さんのような観光客の人だかりができていますが、誘導の係員もいないために列を作れないでいます。
しかしバスは絶え間なく来るので、混乱することなく乗ることができました。
歩けば30分ほどの参道を、バスは8分で運んでくれます。
途中で朱塗りの御沢橋を渡り、くねくねした山道を登って、間もなく終点に到着しました。 -
ここからは徒歩での移動となり、写真撮影も禁止となります。
湯殿山は古来から出羽三山の奥宮とされ、江戸時代には西の伊勢神宮に対する東の奥参りとして、大切な人生儀礼とされていました。
御祓所から先へ進むには、靴を脱いで御祓いを受けなければなりません。
早速御祓いを受け、紙の人がたに穢れを移してから、御神体の鎮座する場所へと進んで行きます。
社殿はなく、御神体は茶褐色の巨大な霊厳で、自然に湧く熱湯が流れる御神体を素足で登ることができます。
斎藤茂吉は、
わが父も母もいまさぬ頃よりぞ
湯殿の山に湯はわき給ふ
と詠んでいます。 -
湯殿山神社の御祭神は大山祇命、大己貴命、少彦名命。
出羽三山とはこの湯殿山の他、月山と羽黒山を含む総称で、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子によって開山されました。
湯殿山から月山山頂へ続く道がありますが、今回は山登りをする装備も時間もないため、参拝を終えて次の目的地へと向かうことにしたのでした。 -
再び山形自動車道に乗り、庄内あさひICで降りました。
時間はお昼近くになっていたので、途中でそばを食べに寄り道しましたが、それほど時間もかからずに羽黒山に到着。
出羽三山神社のある羽黒山山頂までの2キロの石段は一人で登ることにして、家族には車で一足先に山頂に向かってもらいました。
まず見えて来る赤い随神門は、元禄年間に秋田矢島藩主によって建てられたものです。
もともと仁王門と呼ばれていましたが、明治の神仏分離によって、仁王尊は他へ移され、いまは櫛名窓神と豊名窓神が御神域に穢れが入らないよう守護しています。
月山・湯殿山を含む出羽三山全体の表玄関です。 -
随神門を入ってしばらくは降りの石段が続きます。
降り切った所にはいくつかのお社が並んでおり、その先には、かつて修験者たちが水垢離をとった祓川にかかる神橋があります。
橋の上から見えるのは、祓川に落ちる須賀の滝です。
月山から流れ出る沢の水を、ここまで8キロに渡って引いたのは、羽黒山の中興の祖と呼ばれる天宥法印です。
江戸時代の始まりとほぼ同じくして山形に生まれた天宥法印は、永い戦国の混乱で衰退していた羽黒山を復興するために、杉並木や石段などを整備しました。
法印は、徳川家康公のブレーンであった天海和尚に弟子入りして、羽黒山の勢力拡大に努めたのでした。 -
そのまま進むと、天然記念物に指定される樹齢千年を越える爺杉や、羽黒山で最も有名な国宝の五重塔が見えてきます。
羽黒山五重塔は平安時代中期に平将門公によって創建されたと伝えられ、東北地方で最古の五重塔です。
現存の塔は南北朝時代のもの。
純和様の素木造りで、装飾がない分だけ杉並木の景色の中に完全に一体となって溶け込んでいる感じがします。羽黒山五重塔 寺・神社・教会
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五重塔から山頂までは、ひたすら上りの石段が続いています。
杉並木に挟まれた参道とは言え、一段上るごとに体中から汗が噴き出してきます。
あとで知ったのですが、この日、東北地方の梅雨明けが宣言されたのでした。
急な階段には、下から三の坂・二の坂・一の坂と名前がつけられており、各坂の間にはちょっとした休憩処(茶屋)が設けてあります。
前を行く人たちは、そこで一休みしながら冷たいアイスなどを美味しそうに食べていますが、自分は敢えて休まずに頂上を目指しました。
その理由は、家族が先に行って待っているというのもありますが、一度休むと次に歩きだすのがつらくなるという単純なものです。 -
そうこうするうちに、ようやく鳥居が見えて来ました。
石段を上るためにかかった時間は約30分。
運動不足な体を酷使したため、心臓が踊るように打っています。
鳥居の手前、左側には斎館があります。
境内に珍しい寺院時代の建物が残っており、精進料理を食べられる他、参籠もできます。
こうしていよいよ出羽三山神社の境内に入ったのでした。 -
まず左手に見えるのが、厳島神社と蜂子神社。
蜂子神社には、出羽三山開祖の蜂子皇子が祀られています。
蜂子皇子は、蘇我馬子によって弑逆された第32代崇峻天皇の皇子。
皇子は難を逃れるために、丹後国の由良から船に乗って現在の鶴岡市由良に流れ着きました。
岩の上で八人の乙女が踊っているのを見て、その美しさに引かれて上陸したと伝えられており、八乙女の地名が残されています。 -
蜂子神社から少し先に、巨大な社殿が見えます。
ここが出羽三山神社の三神合祭殿、我が国最大の茅葺木造建築です。
ちょうど葺き替えの工事が終わろうとしている時期のようで、一部にだけ組まれた足場が残されていました。出羽三山神社 (三神合祭殿) 寺・神社・教会
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すぐ前には鏡池があり、古くは平安時代のものなど、数百面の鏡が沈められていました。
もともと蜂子皇子が創建した出羽神社には、いではの神と稲倉魂命だけをお祀りしていましたが、後に三山全体を合わせて参拝できるようにと三神合祭殿が建てられたのでした。 -
蜂子皇子は海岸から三本足の烏によって導かれ、ここ羽黒山にたどり着いたと言われています。
羽黒山と名付けられたのは、黒い羽根の烏の御縁なのです。
三本足の烏といえば、八咫烏が連想されます。
初代神武天皇を大和に導いた八咫烏は、時代が変わって皇室の危機に再び現れたのかも知れません。
昭和になって建てられた平和之塔の上には、三本足の烏が羽を広げた姿を見ることができます。 -
このすぐ後ろには、神風によって蒙古軍を撃退した鎌倉幕府によって奉納された巨大な梵鐘があります。
社殿といい梵鐘といい、圧倒するような大きさです。 -
次に、蜂子神社の神主さんに教えていただいた蜂子皇子の御墓へと向かいました。
それは、神社の右手にある細い道を進み、山神合祭殿の廊下の下をくぐったところにありました。
あまり歩く人がいないからか、足元の土は一面苔むしていて滑ります。
そして蚊の大群が舞っています。
手を合わせている間も顔の回りを蚊が飛び回り、逃げるようにしてもとの道へと戻ったのですが、どこまでも執拗にまとわりつく蚊には辟易しました。
その際に見えたのが、石に刻まれた不可思議な文字。
漢字の崩し字にも見えませんが、蚊のことばかり気になって文字のことはあまり気にしないでいると、先ほどの神主さんにまたしても遭遇。
お参りして来たことを告げると、刻まれた文字はアヒル文字という古代文字で、「はちこのみこと」の7文字であることを教えてくれました。 -
家族にも再会し、一緒に境内のあちこちを歩いて、最後に天宥社を参拝しました。
寛永7年、25歳で羽黒山別当に就いた天宥法印は、寛文元年には祭祀や行法もつかさどる執行も兼務することになりますが、代々これらの役職を引き継いで来た大先達たちの反発が強まり、幕府に対して罷免要求が申し立てられてしまいます。
訴状に記された事実の検分を行うことになったのが、これまで羽黒山の領地について争って来た庄内藩酒井氏であったことも災いし、有罪の判決が下されました。
法印は伊豆七島の新島に流され、7年後に82歳で没したのでした。 -
それから15年後、奥の細道の旅でこの地を訪れた松尾芭蕉は、法印の功績と悲運を住民から聞いて、
無き玉や羽黒にかへす法の月
の句を詠みます。
その後、有志によって法印の慰霊祭は続けられ、開山1400年の記念事業の一環として、平成4年に天宥社が竣功されたのでした。
日帰りの旅はこうして終わったのですが、やはり月山へ行けなかったことが大きな心残りとなりました。
帰ってから旅の復習をすると、宮内庁が管理する蜂子皇子の墓所は別にあるということも分かり、どうしても近いうちに再び訪れなければならない気持ちになったのでした。 -
本格的な登山はほとんどありませんが、どうしても行きたいとなると止められない性格なので、翌週は月山へ登山することになったのでした。
出羽三山神社へ参拝した際、月山への道路がものすごい渋滞となっていると聞いたので、なるべく早く着いた方がよいと思い、5時に起床。
前の週は家族を乗せて走った道を、一人で運転して目的地に向かいます。
出羽三山神社への有料道路入り口から、逆の南側へとくねくね道を進むと、標高が高くなるにつれて靄が出て来ました。
車で行けるのは8合目まで。
下界は晴天なのに、山の上は風が強く、当たり前ながら寒いのです。
時刻は8時半。
半袖のブラウスの上にレインコートを羽織って、1本のペットボトルとカメラをバッグに入れ、標高1984メートルの山頂目指して進み始めたのでした。 -
月山レストハウスで登山者用の地図を手に入れ、トイレも行っておきます。
登山の素人でも、登山道にトイレが無いことくらいは知っています。
トイレの水は、6合目から給水車で運んでいるため、その運営資金にあてられる募金箱が壁にかけられていました。
10分ほど、歩きやすく整備された道を進んだところにある月山中ノ宮に参拝。 -
神社と、先祖供養の祠などが一体となっていて、まさに霊場の雰囲気そのものでした。
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月山は牛が寝そべっている姿にも見えることがら、「臥牛山」とも呼ばれて来ました。
夏スキーも楽しめるくらい雪が残ることから、登山できるのは7月から9月半ばまでの短い期間となります。
高山植物も多く群生し、ちょうどニッコウキスゲが咲き誇っていました。
やはり標高が高いせいか、少し歩くと軽く息切れがして来ます。
中ノ宮から先はほとんど砂利の道で、普通の運動靴を履くだけの足ではかなり苦労しました。 -
靄は濃くなったり晴れたりを繰り返しました。
気温はそれほど低くはないようなので、ビニールの雨合羽は内側が蒸れてしまい、ついに脱いで半袖姿になりました。
こうして体温が低下して、そのまま遭難する人もいるらしいです。
登山の途中で出会う人たちとあいさつを交わしながら、何日か前に遭難者が出て救助された話や、今日の天候は恵まれていることなどを聞くことができました。 -
時計は持っていないし、携帯電話の時計表示も敢えて見ないことにしていましたが、かなり早いペースで歩いたので、1時間半はかからずに9合目に到着したと思われます。
ここには仏生池という池があって、やはりお地蔵さんなどが並ぶ霊場の雰囲気でした。 -
地図には「仏生池小屋」と書かれており、宿泊もできるお寺のような建物を想像していたのですが、実際は名前通りの小さな建物でした。
しかし、予約すれば宿泊は可能なようです。
ここで休んでしまうと、先に行くのが嫌になるので、真名井神社にお参りだけをして出発。 -
しばらく進むと、一番の難所と言われる行者返しに着きました。
役行者が月山登拝に来た際、開祖蜂子皇子に仕える除魔童子と金剛童子が現れ、まだ修行が足りないとして追い返した伝説の場所です。
今にも2人の童子が現れそうな雰囲気が漂っていました。
急な勾配に大きな岩が積み重なっており、手を使わなければ登れないほどの険しい道でした。 -
山頂へ近付くにつれ、霧は一層濃くなって行きます。
いくらか歩きやすい道もありますが、雪が行く手を阻んでいる場所もあり、足を滑らせたら谷底へ滑り落ちてしまいそうな危険も感じられました。
しかし道はわかりやすく、どこまでも一本でしたが、山頂の手前で分かれ道となり、迷った挙句ほかの登山者が来るのを待つことにしました。 -
あまり道に詳しくなさそうな夫婦連れが、右の道へ進みましたが、少し待ってから追いついて来た白装束の人たちは、左の道を選びました。
右へ行った夫婦連れのことを心配しつつ、自分も左の道へ進むと、しばらくしてようやく頂上の御室が見えてきたのでした。 -
御室は、厳しい風雪に耐えるために要塞のように築かれた石垣のことで、標高の高い山の上に鎮座する神社は、このような形態をしているものがほとんどです。
本宮入口から先は撮影禁止。
湯殿山の時と同じように拝観料を支払いますが、月山は素足になる必要はなく、お祓いを受けるだけとなります。
そして月読命が祀られる社殿に参拝。
月山の名は、御祭神の月読命から付けられたものです。
月読命は、伊邪那岐命が禊をした時に生まれた三貴子の一人で、太陽をつかさどる天照大御神の弟神に当たります。
天照大御神に比べて神話への記述が少なく、謎の多い神様ですが、全国で農耕神として信仰を集めています。 -
月山神社本宮への参拝を終え、やはり休まずに下山を始めました。
登って来る人としばらくすれ違うことがなく、道を間違えたかと不安になった時もありました。
また、初めて本格的に登山をして気づいたのですが、山は登りよりも下りの方が時間も体力も使います。
特に今回は普通の運動靴しか履いていないので、滑って足首をひねることを繰り返してしまいました。
また、持って来たペットボトルの水を9合目から少し下の辺りで飲みほしてしまい、のどの渇きとの格闘という余計なおまけまで経験してしまったのでした。
ともあれ無事に下山。
中ノ宮にお礼参りをした後、レストハウスで昼食。
時間は午後1時を少し過ぎたところでした。月山神社 寺・神社・教会
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その後、出羽三山神社を再び参拝し、宮内庁が管理する蜂子皇子の御墓を参拝。
1週間かけての出羽三山巡りは、こうして終わったのでした。
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