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NHK大河ドラマ『龍馬伝』の観光キャンぺーンに乗り、高知まで行ってきました。 <br /><br />天気予報では、一週間前からずっと雨の予報が変わらず、仕事の合間にようやく取れた日程も梅雨のために楽しさ半減かと残念がっていました。 <br /><br />しかし伊丹空港に着くと、外は快晴。 <br /><br />伊丹空港から明石まで出て、明石海峡大橋を渡って四国に入り、香川で寄り道して讃岐うどんを満喫。 <br /><br />夕方近くになり、ようやく高知に入ることができました。

高知へ 開国と近代化の夢を駆け抜けた土佐人

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2010/06/19 - 2010/06/21

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倫清堂

倫清堂さん

NHK大河ドラマ『龍馬伝』の観光キャンぺーンに乗り、高知まで行ってきました。

天気予報では、一週間前からずっと雨の予報が変わらず、仕事の合間にようやく取れた日程も梅雨のために楽しさ半減かと残念がっていました。

しかし伊丹空港に着くと、外は快晴。

伊丹空港から明石まで出て、明石海峡大橋を渡って四国に入り、香川で寄り道して讃岐うどんを満喫。

夕方近くになり、ようやく高知に入ることができました。

  • まずは土佐国一之宮の土佐神社に参拝。 <br /><br />参道には立派な楼門が聳えていました。 <br /><br />土佐神社は風土記にも記載のある古い神社で、有史以前から祭祀が行われていたとされる磐座が境内に残されています。

    まずは土佐国一之宮の土佐神社に参拝。

    参道には立派な楼門が聳えていました。

    土佐神社は風土記にも記載のある古い神社で、有史以前から祭祀が行われていたとされる磐座が境内に残されています。

    土佐神社 寺・神社・教会

  • 御祭神は味スキ高彦根神と一言主神。 <br /><br />かつては土佐大神が祀られていましたが、雄略天皇との争いによって土佐に流された賀茂氏が、大和国葛城で篤く崇敬していた二神を勧請して今に到ったと考えられています。

    御祭神は味スキ高彦根神と一言主神。

    かつては土佐大神が祀られていましたが、雄略天皇との争いによって土佐に流された賀茂氏が、大和国葛城で篤く崇敬していた二神を勧請して今に到ったと考えられています。

  • 中世には武家の崇敬が篤く、元亀元年に長宗我部元親公が本殿・弊殿・拝殿を再興し、慶長6年には、この地に移封された山内一豊公が社領を免許し、二代藩主忠義公が鳥居・楼門・鼓楼などを増築しました。

    中世には武家の崇敬が篤く、元亀元年に長宗我部元親公が本殿・弊殿・拝殿を再興し、慶長6年には、この地に移封された山内一豊公が社領を免許し、二代藩主忠義公が鳥居・楼門・鼓楼などを増築しました。

  • 磐座であった礫石は境内北東にあり、参拝を終えて見に行きました。 <br /><br />言い伝えによると、かつて賀茂氏が始めにお宮を建てたのは浦の内という場所でしたが、御祭神が現れて、その場所は神慮に叶わないので投げた石が落ちた所に宮をたてるべしと、お告げがあったそうです。 <br /><br />この石が落ちたのが今の礫石の場所で、言い伝えの通り、この場所の地層とは全く性質の違う石なのだそうです。

    磐座であった礫石は境内北東にあり、参拝を終えて見に行きました。

    言い伝えによると、かつて賀茂氏が始めにお宮を建てたのは浦の内という場所でしたが、御祭神が現れて、その場所は神慮に叶わないので投げた石が落ちた所に宮をたてるべしと、お告げがあったそうです。

    この石が落ちたのが今の礫石の場所で、言い伝えの通り、この場所の地層とは全く性質の違う石なのだそうです。

  • 次に高知縣護國神社に参拝。 <br /><br />高知市内を見渡せる五台山のふもとに鎮座しています。

    次に高知縣護國神社に参拝。

    高知市内を見渡せる五台山のふもとに鎮座しています。

  • 明治元年11月、土佐国主山内豊範公が、高知致道館で明治維新志士四天王である武市半平太命・坂本龍馬命・中岡慎太郎命・吉村寅太郎命をはじめ、陣没した藩士105柱の御霊を招魂し、翌年にこの地に遷座したのでした。 <br /><br />大東亜戦争に到るまでの、高知県出身の御英霊4万千余柱をお祀りしています。

    明治元年11月、土佐国主山内豊範公が、高知致道館で明治維新志士四天王である武市半平太命・坂本龍馬命・中岡慎太郎命・吉村寅太郎命をはじめ、陣没した藩士105柱の御霊を招魂し、翌年にこの地に遷座したのでした。

    大東亜戦争に到るまでの、高知県出身の御英霊4万千余柱をお祀りしています。

  • 境内には、満洲開拓民殉難者2千余柱を祀る開拓神社が鎮座し、多くの慰霊碑が建てられています。 <br /><br />行きは裏参道を登り、帰りは表参道の石段を下りました。 <br /><br />石段は苔むしていて、雨上がりの湿気によってぬめっており、かなり慎重に歩かなければなりませんでした。 <br /><br />この時、自分は南国にいるのだという実感が初めて湧いたのでした。

    境内には、満洲開拓民殉難者2千余柱を祀る開拓神社が鎮座し、多くの慰霊碑が建てられています。

    行きは裏参道を登り、帰りは表参道の石段を下りました。

    石段は苔むしていて、雨上がりの湿気によってぬめっており、かなり慎重に歩かなければなりませんでした。

    この時、自分は南国にいるのだという実感が初めて湧いたのでした。

  • ホテルに車を停めて、夕食を兼ねた市街観光に出ました。 <br /><br />駅前には、『龍馬伝』の特設サテライト会場である高知・龍馬ろまん社中がありましたが、営業時間が過ぎていたのでひっそりとしていました。 <br /><br />このサテライト会場は高知市内に4カ所あり、安芸は岩崎弥太郎、梼原は維新の6志士、土佐清水はジョン万次郎をそれぞれ特集しています。 <br /><br />大河ドラマで使用された小道具などが展示されており、NHKの商業臭が強く臭って来ますが、地域密着のおもしろい試みでもあると思いました。 <br /><br />すべて廻ると高知の名産品がもらえるサテライト会場は、大河ドラマ『龍馬伝』の放映が終了するまで開かれています。

    ホテルに車を停めて、夕食を兼ねた市街観光に出ました。

    駅前には、『龍馬伝』の特設サテライト会場である高知・龍馬ろまん社中がありましたが、営業時間が過ぎていたのでひっそりとしていました。

    このサテライト会場は高知市内に4カ所あり、安芸は岩崎弥太郎、梼原は維新の6志士、土佐清水はジョン万次郎をそれぞれ特集しています。

    大河ドラマで使用された小道具などが展示されており、NHKの商業臭が強く臭って来ますが、地域密着のおもしろい試みでもあると思いました。

    すべて廻ると高知の名産品がもらえるサテライト会場は、大河ドラマ『龍馬伝』の放映が終了するまで開かれています。

  • 高知市内は路面電車で移動します。 <br /><br />土佐電気鉄道、通商「土電」は明治37年の開通で、日本一長い歴史を持つ路面電車です。 <br /><br />高知駅からまっすぐ南に線路が延び、はりまや橋駅で東西線と交差しています。 <br /><br />高知は子供たちのヒーロー、アンパンマンの作者であるやなせたかし氏の故郷でもあり、アンパンマンのデザインの路面電車も見かけることができます。

    高知市内は路面電車で移動します。

    土佐電気鉄道、通商「土電」は明治37年の開通で、日本一長い歴史を持つ路面電車です。

    高知駅からまっすぐ南に線路が延び、はりまや橋駅で東西線と交差しています。

    高知は子供たちのヒーロー、アンパンマンの作者であるやなせたかし氏の故郷でもあり、アンパンマンのデザインの路面電車も見かけることができます。

  • 路面電車に乗ってはりまや橋駅に到着。 <br /><br />はりまや橋は日本三大ガッカリ観光地の一つとのこと。 <br /><br />名前は有名ですが、確かにビルの谷間にかかる小さな橋は見ごたえはありません。 <br /><br />藩政時代に、堀で隔てられていた播磨屋と櫃屋が、互いの往来のためにかけた私橋は、もともとは簡素な木造りでした。 <br /><br />昭和に入り、歌謡曲や映画の影響によって全国に知られるようになり、現在の橋は全国から寄せられた680件のイメージをもとに、江戸期のはりまや橋として再現されたものです。

    路面電車に乗ってはりまや橋駅に到着。

    はりまや橋は日本三大ガッカリ観光地の一つとのこと。

    名前は有名ですが、確かにビルの谷間にかかる小さな橋は見ごたえはありません。

    藩政時代に、堀で隔てられていた播磨屋と櫃屋が、互いの往来のためにかけた私橋は、もともとは簡素な木造りでした。

    昭和に入り、歌謡曲や映画の影響によって全国に知られるようになり、現在の橋は全国から寄せられた680件のイメージをもとに、江戸期のはりまや橋として再現されたものです。

    はりまや橋 名所・史跡

  • そこから飲食店街を歩き、居酒屋大吉という店に入りました。 <br /><br />高知は鰹が有名で、ぜひ地元で揚げられた鰹を食べたいと思っていました。 <br /><br />生の鰹も好きですが、たたきを出す店が多いようです。 <br /><br />鰹のたたきは、土佐藩主となった山内一豊公が食中毒を警戒して鰹を食べることを禁じたのに対し、領民が表面を焙って刺身ではないとして食べたことから始まったものです。 <br /><br />この店では、塩たたきというメニューがあり、珍しいので注文してみると、塩の風味が鰹独特の生臭さとぴったり調和して、非常においしいく、生姜を少し添えて食べると格別な味です。

    そこから飲食店街を歩き、居酒屋大吉という店に入りました。

    高知は鰹が有名で、ぜひ地元で揚げられた鰹を食べたいと思っていました。

    生の鰹も好きですが、たたきを出す店が多いようです。

    鰹のたたきは、土佐藩主となった山内一豊公が食中毒を警戒して鰹を食べることを禁じたのに対し、領民が表面を焙って刺身ではないとして食べたことから始まったものです。

    この店では、塩たたきというメニューがあり、珍しいので注文してみると、塩の風味が鰹独特の生臭さとぴったり調和して、非常においしいく、生姜を少し添えて食べると格別な味です。

    居酒屋大吉 グルメ・レストラン

  • 他に、地元で作られている「船中八策」というお酒も味わいました。

    他に、地元で作られている「船中八策」というお酒も味わいました。

  • 翌朝、早起きして朝食をとり、有名な日曜市を見に行きました。 <br /><br />路面電車の蓮池町通駅から高知城のある高知公園まで、車道に約300件の露店が軒を並べます。 <br /><br />そこで売られているのは、新鮮な野菜から日用品、子供のお菓子からインテリアまで様々。 <br /><br />そして早朝なのに多くのお客さんで賑わっていました。

    翌朝、早起きして朝食をとり、有名な日曜市を見に行きました。

    路面電車の蓮池町通駅から高知城のある高知公園まで、車道に約300件の露店が軒を並べます。

    そこで売られているのは、新鮮な野菜から日用品、子供のお菓子からインテリアまで様々。

    そして早朝なのに多くのお客さんで賑わっていました。

  • ちょっとした土産物などを買い、そのまま高知城まで歩きました。

    ちょっとした土産物などを買い、そのまま高知城まで歩きました。

  • 大手門の右手には、山内一豊公の騎馬像があります。 <br /><br />一豊公は織田信長公と豊臣秀吉公に仕え、姉川の合戦が初陣を飾りました。 <br /><br />賤ヶ岳の戦いでは伊勢亀山城攻めの一番乗りを挙げるなど、武勇に秀でた人物でした。 <br /><br />秀吉公の没後、家康公に従って上杉景勝討伐に赴き、石田三成との決戦のために居城の掛川城を家康公に差し出すことを決断したため、東軍はますます優位に立ったのでした。 <br /><br />関ヶ原の決戦ではさしたる武功はなかったものの、土佐一国を与えられたのでした。

    大手門の右手には、山内一豊公の騎馬像があります。

    一豊公は織田信長公と豊臣秀吉公に仕え、姉川の合戦が初陣を飾りました。

    賤ヶ岳の戦いでは伊勢亀山城攻めの一番乗りを挙げるなど、武勇に秀でた人物でした。

    秀吉公の没後、家康公に従って上杉景勝討伐に赴き、石田三成との決戦のために居城の掛川城を家康公に差し出すことを決断したため、東軍はますます優位に立ったのでした。

    関ヶ原の決戦ではさしたる武功はなかったものの、土佐一国を与えられたのでした。

  • その一豊公が築城したのが高知城で、全国に12しか現存しない木造天守閣を持つ城の一つです。 <br /><br />完成したのは、2代藩主忠義公の時でした。 <br /><br />もともとは大高坂山城と呼ばれ、南北朝時代には後醍醐天皇の第7皇子の満良親王が迎えられたという歴史があります。 <br /><br />享保12年の大火で、大手門を除いて城郭は全て焼失してしまいますが、8代藩主豊敷公によって再建され、今に到っています。

    イチオシ

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    その一豊公が築城したのが高知城で、全国に12しか現存しない木造天守閣を持つ城の一つです。

    完成したのは、2代藩主忠義公の時でした。

    もともとは大高坂山城と呼ばれ、南北朝時代には後醍醐天皇の第7皇子の満良親王が迎えられたという歴史があります。

    享保12年の大火で、大手門を除いて城郭は全て焼失してしまいますが、8代藩主豊敷公によって再建され、今に到っています。

    高知城 (高知公園) 名所・史跡

  • 土佐出身の自由民権運動家、板垣退助像も公園内にはあります。

    土佐出身の自由民権運動家、板垣退助像も公園内にはあります。

    板垣退助銅像 名所・史跡

  • 高知城の見学を終えた頃から雨が降り出して来たので、タクシーで高知駅まで戻り、龍馬ろまん社中を見学しました。

    高知城の見学を終えた頃から雨が降り出して来たので、タクシーで高知駅まで戻り、龍馬ろまん社中を見学しました。

  • 前日に入れなかった龍馬ろまん館を見学し、次の目的地に向かいました。 <br /><br />天気予報が一日遅れで当たったらしく、雨が強くなって来ました。 <br /><br />向かったのは山内神社。 <br /><br />山内一豊公をはじめ、歴代藩主をお祀りしています。 <br /><br />もともと高知城内にあった藤並神社に初代一豊公と2代忠義公が祀られていたため、最後の藩主である16代豊範公が3代忠豊公から14代豊惇公を明治4年に祀ったのが始まりです。 <br /><br />その後、藤並神社との合併や15代豊信公・16代豊範公の合祀を経て現在に到ります。 <br /><br />また、「まつ」として知られる一豊公の夫人も祀られています。 <br /><br />結婚してしばらくは貧乏な暮らしでしたが、嫁入りの持参金や臍繰りで夫のために鏡栗毛の名馬を購入し、信長公の目にとまって加増された話など、内助の功の話が多く残されています。

    前日に入れなかった龍馬ろまん館を見学し、次の目的地に向かいました。

    天気予報が一日遅れで当たったらしく、雨が強くなって来ました。

    向かったのは山内神社。

    山内一豊公をはじめ、歴代藩主をお祀りしています。

    もともと高知城内にあった藤並神社に初代一豊公と2代忠義公が祀られていたため、最後の藩主である16代豊範公が3代忠豊公から14代豊惇公を明治4年に祀ったのが始まりです。

    その後、藤並神社との合併や15代豊信公・16代豊範公の合祀を経て現在に到ります。

    また、「まつ」として知られる一豊公の夫人も祀られています。

    結婚してしばらくは貧乏な暮らしでしたが、嫁入りの持参金や臍繰りで夫のために鏡栗毛の名馬を購入し、信長公の目にとまって加増された話など、内助の功の話が多く残されています。

    山内神社 / 山内容堂像 名所・史跡

  • 山内家の代々の当主の中で一豊公に次いで有名なのが、容堂の名で知られる15代豊信公です。 <br /><br />分家に生まれながら藩主の嫡男が次々に早逝したため、嘉永元年に本家を相続しました。 <br /><br />将軍継嗣問題では、一橋慶喜を強く推して井伊大老と対立し、後に謹慎の命が下ります。 <br /><br />隠居した頃から、容堂と号するようになりました。 <br /><br />謹慎中に土佐藩で起きたクーデターでは、側近の吉田東洋が土佐勤王党の武市瑞山によって暗殺されています。 <br /><br />謹慎が解けた文久3年、公武合体の理想を通すために土佐勤王党を弾圧し、武市瑞山を切腹させます。 <br /><br />そして慶應3年、幕府が自ら進んで政権を朝廷にお返しすることが日本のために最善の選択であるとして、大政奉還を将軍に建白したのでした。 <br /><br />境内にある山内容堂公像は、1日1升を飲んだ酒好きの公らしくギヤマンの杯を手にしており、自ら「鯨海酔侯」と称した生涯が偲ばれます。 <br /><br />土佐山内家宝物史料館が隣接しています。

    山内家の代々の当主の中で一豊公に次いで有名なのが、容堂の名で知られる15代豊信公です。

    分家に生まれながら藩主の嫡男が次々に早逝したため、嘉永元年に本家を相続しました。

    将軍継嗣問題では、一橋慶喜を強く推して井伊大老と対立し、後に謹慎の命が下ります。

    隠居した頃から、容堂と号するようになりました。

    謹慎中に土佐藩で起きたクーデターでは、側近の吉田東洋が土佐勤王党の武市瑞山によって暗殺されています。

    謹慎が解けた文久3年、公武合体の理想を通すために土佐勤王党を弾圧し、武市瑞山を切腹させます。

    そして慶應3年、幕府が自ら進んで政権を朝廷にお返しすることが日本のために最善の選択であるとして、大政奉還を将軍に建白したのでした。

    境内にある山内容堂公像は、1日1升を飲んだ酒好きの公らしくギヤマンの杯を手にしており、自ら「鯨海酔侯」と称した生涯が偲ばれます。

    土佐山内家宝物史料館が隣接しています。

  • 次に若宮八幡宮に参拝。 <br /><br />山内一豊公が転入する以前、土佐を拠点に四国統一を果たした戦国武将、長宗我部元親公ゆかりの神社です。 <br /><br />御創建は文治元年。 <br /><br />源頼朝公が壇ノ浦で平氏を倒した後、祖父為義公の冥福を祈って京都六条にあった為義邸跡に石清水八幡宮から御霊を勧請し、六条若宮八幡宮を創建しました。 <br /><br />その際、土佐国吾川軍を神領地として奉納し、神地守護の神として創建されたのが若宮八幡宮です。

    次に若宮八幡宮に参拝。

    山内一豊公が転入する以前、土佐を拠点に四国統一を果たした戦国武将、長宗我部元親公ゆかりの神社です。

    御創建は文治元年。

    源頼朝公が壇ノ浦で平氏を倒した後、祖父為義公の冥福を祈って京都六条にあった為義邸跡に石清水八幡宮から御霊を勧請し、六条若宮八幡宮を創建しました。

    その際、土佐国吾川軍を神領地として奉納し、神地守護の神として創建されたのが若宮八幡宮です。

  • 長宗我部元親公が父国親公に従って本山氏と戦った際、神社の馬場先に陣所を構えて戦勝祈願して初陣に臨んだところ、見事に討ち破ったことから、出陣祈願の社と決めたのでした。 <br /><br />四国統一への道は、永禄3年のこの時から始まったのでした。

    長宗我部元親公が父国親公に従って本山氏と戦った際、神社の馬場先に陣所を構えて戦勝祈願して初陣に臨んだところ、見事に討ち破ったことから、出陣祈願の社と決めたのでした。

    四国統一への道は、永禄3年のこの時から始まったのでした。

    若宮八幡宮 寺・神社・教会

  • そんな武勇の誉れ高い元親公も、子供の頃はおとなしく、「姫若子」と呼ばれていました。 <br /><br />初陣で勝利を収めた元親公は、その後急逝した父を継いで20代目当主となり、天正3年に四万十川の戦いで一条氏を破って土佐を統一しました。 <br /><br />その後、織田信長公と同盟を結び、天正6年には阿波と讃岐を制圧します。 <br /><br />しかし伊予では強い抵抗を受けて支配は進まず、その上信長公からの臣従の申し入れを断ったことで同盟関係が敗れ、信長公の助力を受けた三好氏と十河氏からの反撃で窮地に陥ります。 <br /><br />その時、本能寺の変で信長公が倒れ、天正13年に四国統一を果たしたのでした。 <br /><br />その後、豊臣秀吉公の四国攻めによって阿波・讃岐・伊予は没収され、土佐一国のみ安堵となりました。 <br /><br />死後、後を継いだ盛親公は関ヶ原の戦いで西軍についたために領地は没収。 <br /><br />大阪の役で豊臣方についたため、子女とともに討ち首となり、長宗我部氏は断絶したのでした。 <br /><br />神社から少し歩いたところにある長宗我部元親公初陣銅像は、元親公没後400年を記念して地元有志の方たちによって建てられました。

    そんな武勇の誉れ高い元親公も、子供の頃はおとなしく、「姫若子」と呼ばれていました。

    初陣で勝利を収めた元親公は、その後急逝した父を継いで20代目当主となり、天正3年に四万十川の戦いで一条氏を破って土佐を統一しました。

    その後、織田信長公と同盟を結び、天正6年には阿波と讃岐を制圧します。

    しかし伊予では強い抵抗を受けて支配は進まず、その上信長公からの臣従の申し入れを断ったことで同盟関係が敗れ、信長公の助力を受けた三好氏と十河氏からの反撃で窮地に陥ります。

    その時、本能寺の変で信長公が倒れ、天正13年に四国統一を果たしたのでした。

    その後、豊臣秀吉公の四国攻めによって阿波・讃岐・伊予は没収され、土佐一国のみ安堵となりました。

    死後、後を継いだ盛親公は関ヶ原の戦いで西軍についたために領地は没収。

    大阪の役で豊臣方についたため、子女とともに討ち首となり、長宗我部氏は断絶したのでした。

    神社から少し歩いたところにある長宗我部元親公初陣銅像は、元親公没後400年を記念して地元有志の方たちによって建てられました。

  • 次に桂浜に向かいました。 <br /><br />高知県立坂本龍馬記念館の駐車場に車を停めました。 <br /><br />近くには、元親公の居城、浦戸城の天守跡があります。 <br /><br />小雨が降ったりやんだりですが、気温と湿度が上がっています。 <br /><br />そこから有名な坂本龍馬銅像まで歩いたのですが、距離はそれほどでもないものの、起伏が激しい地形と高い不快指数によりバテ気味でした。

    次に桂浜に向かいました。

    高知県立坂本龍馬記念館の駐車場に車を停めました。

    近くには、元親公の居城、浦戸城の天守跡があります。

    小雨が降ったりやんだりですが、気温と湿度が上がっています。

    そこから有名な坂本龍馬銅像まで歩いたのですが、距離はそれほどでもないものの、起伏が激しい地形と高い不快指数によりバテ気味でした。

  • ようやく辿り着いた坂本龍馬銅像の周りは、やはり観光客であふれていました。 <br /><br />先日のニュースで、鳥の糞などを洗い流す掃除が行われたことを聞いていましたが、ピカピカになっていて龍馬も嬉しそうでした。 <br /><br />山内家は転入後、長宗我部氏の遺臣を藩士以下の郷士として取り込みますが、彼らと山内氏の家臣の対立が根強く残っていました。 <br /><br />坂本龍馬は、そうした郷士の家に生まれたのでした。 <br /><br />この銅像は、坂本龍馬を慕う高知の若者たちの募金活動によって、昭和3年に建てられたものです。

    ようやく辿り着いた坂本龍馬銅像の周りは、やはり観光客であふれていました。

    先日のニュースで、鳥の糞などを洗い流す掃除が行われたことを聞いていましたが、ピカピカになっていて龍馬も嬉しそうでした。

    山内家は転入後、長宗我部氏の遺臣を藩士以下の郷士として取り込みますが、彼らと山内氏の家臣の対立が根強く残っていました。

    坂本龍馬は、そうした郷士の家に生まれたのでした。

    この銅像は、坂本龍馬を慕う高知の若者たちの募金活動によって、昭和3年に建てられたものです。

  • 桂浜には、土佐闘犬センターや桂浜水族館など、見どころがたくさんありますが、龍王岬へ登ることにしました。 <br /><br />砂浜と太平洋の荒れた海を眺めながら、龍王岬へ向かいます。

    イチオシ

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    桂浜には、土佐闘犬センターや桂浜水族館など、見どころがたくさんありますが、龍王岬へ登ることにしました。

    砂浜と太平洋の荒れた海を眺めながら、龍王岬へ向かいます。

    桂浜 自然・景勝地

  • ここには海津見神社と早高神社が鎮座しています。 <br /><br />坂本龍馬も訪れたことがあるのかなと、ふと考えたのでした。

    ここには海津見神社と早高神社が鎮座しています。

    坂本龍馬も訪れたことがあるのかなと、ふと考えたのでした。

  • 高知市内の観光を終え、安芸市まで足をのばすことにしました。 <br /><br />安芸氏は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の故郷です。 <br /><br />父の弥次郎は郷士の株を売った浪人で、鳥かごを売って生計を立てていました。 <br /><br />まず訪れたのは岩崎弥太郎生家。 <br /><br />田んぼばかりののどかな農村の真ん中にあり、現在は所有者の御厚志によって無料で公開されています。

    高知市内の観光を終え、安芸市まで足をのばすことにしました。

    安芸氏は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の故郷です。

    父の弥次郎は郷士の株を売った浪人で、鳥かごを売って生計を立てていました。

    まず訪れたのは岩崎弥太郎生家。

    田んぼばかりののどかな農村の真ん中にあり、現在は所有者の御厚志によって無料で公開されています。

    岩崎彌太郎生家 名所・史跡

  • ここでの見所は、土蔵の鬼瓦にある三菱マークの原型「三階菱」の紋。 <br /><br />三階菱の紋を、山内家の家紋の三ツ柏と組み合わせて、大阪で始めた九十九商会の船旗号として三菱のマークが作られたとされます。 <br /><br />また、世界雄飛を夢見て日本列島の形に並べた石組みも見ることができます。 <br /><br />弥太郎は、日本さえ自分の家の庭にあると思えるようなスケールの大きい人物でした。 <br /><br />生家からすぐの所には妙見山があり、そこには弥太郎がよく訪れていた星神社が鎮座しています。 <br /><br />弥太郎は東京遊学に際して星神社に参拝し、「志を得ずんば再び帰りてこの山に登らじ」と社殿の雨戸に書いて旅立ったとされます。

    ここでの見所は、土蔵の鬼瓦にある三菱マークの原型「三階菱」の紋。

    三階菱の紋を、山内家の家紋の三ツ柏と組み合わせて、大阪で始めた九十九商会の船旗号として三菱のマークが作られたとされます。

    また、世界雄飛を夢見て日本列島の形に並べた石組みも見ることができます。

    弥太郎は、日本さえ自分の家の庭にあると思えるようなスケールの大きい人物でした。

    生家からすぐの所には妙見山があり、そこには弥太郎がよく訪れていた星神社が鎮座しています。

    弥太郎は東京遊学に際して星神社に参拝し、「志を得ずんば再び帰りてこの山に登らじ」と社殿の雨戸に書いて旅立ったとされます。

  • 次に安芸市立歴史民俗資料館を見学。 <br /><br />一豊公が姉川の戦いの際、顔面に刺さった矢を顔を踏ませて引き抜かせたのが、郎党の五藤為浄でした。 <br /><br />五藤為浄は後に家老となり、その時の鏃は後藤家代々の家宝とされ、現在はここ歴史民俗資料館に展示されています。 <br /><br />今年1月には、岩崎弥太郎の母がへそくりに用いていた壷が市内の民家で発見され、その実物も展示されています。 <br /><br />資料館の学芸員は「弥太郎のためにコツコツへそくりをしていたのではないか。美和の堅実さを裏付ける資料だ」と話しているそうです。 <br /><br />壷は安芸市に伝わる「内原野焼」の陶器。 <br /><br />中には寛永通宝など177枚が入っていたとのことです。 <br /><br />つぼが納められていた木箱には、母が高知を離れる際に知人に譲ったことが記されています。 <br /><br />史料館は安芸城跡に位置し、隣には全国初の書道美術館である安芸市立書道美術館があります。

    次に安芸市立歴史民俗資料館を見学。

    一豊公が姉川の戦いの際、顔面に刺さった矢を顔を踏ませて引き抜かせたのが、郎党の五藤為浄でした。

    五藤為浄は後に家老となり、その時の鏃は後藤家代々の家宝とされ、現在はここ歴史民俗資料館に展示されています。

    今年1月には、岩崎弥太郎の母がへそくりに用いていた壷が市内の民家で発見され、その実物も展示されています。

    資料館の学芸員は「弥太郎のためにコツコツへそくりをしていたのではないか。美和の堅実さを裏付ける資料だ」と話しているそうです。

    壷は安芸市に伝わる「内原野焼」の陶器。

    中には寛永通宝など177枚が入っていたとのことです。

    つぼが納められていた木箱には、母が高知を離れる際に知人に譲ったことが記されています。

    史料館は安芸城跡に位置し、隣には全国初の書道美術館である安芸市立書道美術館があります。

    安芸市立歴史民俗資料館 美術館・博物館

  • 山内一豊公が土佐を治めることになり、安芸を知行したのが、五藤為浄の弟で上士の為重でした。 <br /><br />為重の家臣は身分に応じて安芸城の周りに屋敷を構え、幕府による一国一城令で安芸城が廃されて五藤家が安芸城跡横に屋敷を構えた後も、家臣たちはそのままの場所に住み続けました。 <br /><br />これが、土居廓中という武家屋敷が並ぶ一画です。 <br /><br />数多く残された古い屋敷の中でも、特に異色なのが野良時計です。 <br /><br />土居村の大地主の家に生まれた畠中源馬氏が、明治20年にアメリカ産の八角中の掛け時計を見て時計の仕組みに興味を持ち、独学で全てを一人で作り上げたのでした。 <br /><br />このようなエネルギーを持っているのが土佐の人たちの特色なのかも知れません。

    山内一豊公が土佐を治めることになり、安芸を知行したのが、五藤為浄の弟で上士の為重でした。

    為重の家臣は身分に応じて安芸城の周りに屋敷を構え、幕府による一国一城令で安芸城が廃されて五藤家が安芸城跡横に屋敷を構えた後も、家臣たちはそのままの場所に住み続けました。

    これが、土居廓中という武家屋敷が並ぶ一画です。

    数多く残された古い屋敷の中でも、特に異色なのが野良時計です。

    土居村の大地主の家に生まれた畠中源馬氏が、明治20年にアメリカ産の八角中の掛け時計を見て時計の仕組みに興味を持ち、独学で全てを一人で作り上げたのでした。

    このようなエネルギーを持っているのが土佐の人たちの特色なのかも知れません。

    土居廓中 名所・史跡

  • 龍馬であい博サテライト会場、安芸・岩崎弥太郎こころざし社中を見学し、最後に岩崎弥太郎銅像を見に行きました。 <br /><br />生誕150周年を記念して建てられた銅像で、東洋の海上王の呼び名にふさわしい、堂々とした姿でそびえています。 <br /><br />台座には、弥太郎の生涯で特に重要なエピソードを、一枚一枚の石板に削って並べています。 <br /><br />岩崎弥太郎生誕150周年を記念して建てられました。 <br /><br />安芸市は「春よ来い」など数々の童謡を作曲した弘田龍太郎の故郷でもあり、市内10カ所に歌碑が建てられています。 <br /><br />これらを探しながらゆっくり歩く旅も、よいものかも知れません。

    龍馬であい博サテライト会場、安芸・岩崎弥太郎こころざし社中を見学し、最後に岩崎弥太郎銅像を見に行きました。

    生誕150周年を記念して建てられた銅像で、東洋の海上王の呼び名にふさわしい、堂々とした姿でそびえています。

    台座には、弥太郎の生涯で特に重要なエピソードを、一枚一枚の石板に削って並べています。

    岩崎弥太郎生誕150周年を記念して建てられました。

    安芸市は「春よ来い」など数々の童謡を作曲した弘田龍太郎の故郷でもあり、市内10カ所に歌碑が建てられています。

    これらを探しながらゆっくり歩く旅も、よいものかも知れません。

    岩崎弥太郎銅像 名所・史跡

  • 名物のちりめん丼を食べ、遠い道を帰ることにしたのでした。

    名物のちりめん丼を食べ、遠い道を帰ることにしたのでした。

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