2011/12/09 - 2011/12/11
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mas98765さん
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蘇州4大名園かつ中国4大名園の1つで世界遺産にも登録されている留園を回ります。
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前の旅行記から続きます。
拙政園と並び、蘇州4大名園かつ中国4大名園の1つで世界遺産にも登録されている留園を回ります。明の時代(16世紀半ば)に、徐時泰という人が造営して東園と呼ばれていたところを清の時代(18世紀半ば)に劉恕という人が改築して劉園と呼ばれ、その後の改築工事の後、劉が留に変わって留園と呼ばれるようになったそうです。
※周辺の地図はこちら
http://maps.google.co.jp/?ll=31.315075,120.592954&spn=0.005197,0.010568&t=m&z=17&vpsrc=6&brcurrent=3,0x0:0x0,1 -
まずは右手のチケット売場で
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チケットを買います。「留園」の文字の下に「The Lingering Garden」と書かれていて、英語ではこのように呼ぶんですね。中国で使われているのは中国語なのでどうでもいいことですが、英語圏の人の写真やブログをインターネットで検索するときに役に立ったりします。
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裏側には留園の地図があります。
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入口を入ります。
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入ったところはこんな感じになっていて、左手の
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この改札口から入園します。拙政園と同様、チケットの2次元バーコードをかざして通る方式だったと思います。
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棚に留園の案内書が積まれていて、自由に取ることが出来ます。
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こんな感じで、中には見やすい案内図もあります。
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さて、最初はこんな感じの暗い部屋です。正面の口を進むと
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こんな感じになっていて
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正面の口を進むと
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このような少し広い空間に出て
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左手に木があります。1つ前の写真の奥の口を進むと
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このようになっていて、右手に
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花が見えます。
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更にまっすぐ進むと
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このようになっていて
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左手にやはり木があります。案内図によると、この辺りを古木交柯というようです。1つ前の写真で赤い服の人の前あたりには
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このような案内図があって、
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こんな感じです。ここの案内図は光ってしまってうまく写りません。なお、拙政園と同様、このような案内図がいくつもあって、それぞれの場所が赤丸で表示されています。
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さて、正面の壁には飾り窓が並んでいます。向こう側には池を中心とした庭園が広がっていて、このような窓越しにちらりと見えます。
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こんな感じや
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こんな感じの窓があって、この模様はどれも違います。
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ここで左(西)を向くとこんな感じです。正面に
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空窓があって、向こうに部屋がありそうです。左側から回って、
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写真の手前に見える入口を入ると
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こんな感じで
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庭を見渡すことが出来ます。
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部屋の向こう側にも空窓があります。
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部屋を出て先に進むと、
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このようになっていて
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ここで右に曲がると
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視界が開けて庭園が見渡せます。
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右側の赤っぽい部分は小蓬莱といって、池の中の通路の途中にある部分です。後ほど行きます。真正面に見える
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この建物は可亭といいます。後ほど行きます。
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他の方のブログを見ると、もっといい季節には船に乗った女の人が琵琶のような楽器を演奏しているようですが、この寒い時期はさすがにいません。かわりにこんな感じで掃除か何かをしている人がいます。
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小蓬莱の右手に見えるこの建物は曲渓楼だと思います。
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さて、左手にはこのような立派な建物があって、
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中を覗くとこんな感じです。すぐ後で中に入りますが、これは明瑟楼という名前です。1つ前の写真の向こう側に
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回ります。現在西側を向いていて、右に池があります。正面奥に案内図があって、
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現在赤丸のところにいます。
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ここで、左手の建物に入ります。
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中央にはこんな感じの丸いテーブルがあって、
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右を向くとこんな感じで
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左を向くとこんな感じです。拙政園と同じく、主な建物には説明板があって中国語と英語で書かれています。行って読んでみます。この建物は涵碧山房(Hanbi Shanfang)という名前です。清の以前の皇帝のときは巻石山房とか待雲山房とか呼ばれていましたが、前の池の水が涵碧(緑色のひすい)のように透明なので「一水方涵碧、千林己変紅」という詩になぞらえてこのような名前にした、というようなことが書かれています。
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上の写真の左の口を通って向こうの部屋に行ってみると、
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このようになっていて、向こうの方に回ると、
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これは先ほど外から覗いた部分ですね。やはり説明板があります。部屋つづきですが、ここは明瑟楼(Migse Tower)という別の建物です。「水経注」という本の「目対魚鳥、水木明瑟(澄んだ水と緑の木々のところで魚や鳥を見る)」ということばに由来するそうです。
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このようなものが掲げられています。
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再び涵碧山房の出入口から外に出て、壁づたいの通路を西向きに進むと、通路はジグザグになっていて
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やがて北を向き、
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このようなところにたどり着きます。
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ここは聞木〇香軒(〇はきへんに犀)という建物です。
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少し下がって全体を眺めるとこんな感じです。
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先ほどは壁づたいに来てしまいまいたが、石で囲まれたこのような通路が涵碧山房あたりから延びています。これからはこの通路を歩いていきます。
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地面はこのような模様に舗装されています。
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右手に池を見ながら歩きます。
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変わった形の石もあります。
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正面の木の陰に建物が見えてきました。
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こんな感じの建物です。
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天井はこんな感じで
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中央に石のテーブルがあります。この人たちはここでケーキでも食べていたのでしょうか。
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向こう側から振り返ると建物の名前が書かれていて可亭といいます。
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ここから池の反対側に、先ほど行った明瑟楼と涵碧山房が合体した建物が見えます。拙政園の香洲と同じように、これは船の形に似せて造られているそうです。
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手前の紅葉が色づいています。もう冬ですが、紅葉がまだちらほら見られました。
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先を進みます。
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右手の柳が綺麗です。右手に水を渡る通路の入口があって、先ほど向こうから眺めた小蓬莱というところに通じています。後で行きます。
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左手にはこのような建物があります。
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入ってみます。
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ここは遠翠閣(Yuancui Tower)という建物です。説明板によると、留園を造った劉恕はこの建物を空翠、後に含清と呼んでいましたが、後に園主となった盛という人が、窓の外に緑色の山が広がっていることから、このような名前に変えたのだそうです。これは斜めから、真ん中と右側を見たもので、
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左手にもこのような窓があります。
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このようなところを通って
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正面の口を開けたような建物に行ってみます。
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裏側からこの部分に入っていきます。
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すると大きな空窓があって、
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池を眺められます。
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振り返って部屋の天井を見ると名前が書かれています。清風地館という名前です。説明板によると、宋の時代の蘇東坡という人の「赤壁賦」という作品の一節「清風徐来、水波不興(おだやかな風がゆっくりとこちらに吹いて来ているが、池にはさざ波も立っていない)」から名づけられているそうです。この位置(たぶん東向きです)で
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左手にはこのような絵が掲げられていて
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右手には飾り窓があります。
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窓から向こうの景色が透けて見えて綺麗です。
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部屋を出たところの通路の窓も同じようになっています。
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さて、部屋を出て、通路を南向きに進むと
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左手に出入口があって、ここから外に出ると
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面白い形をした石が山のようになっています。
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この左手に建物があります。
次の旅行記につづきます。なお、旅行記はこちらから検索できます。
http://mas98765.yokinihakarae.com/index.html
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