2011/12/04 - 2011/12/04
2129位(同エリア10452件中)
みにくまさん
横浜の観光にやってきました。
私は横浜は本当に久しぶりで、たぶんしっかりと観光するのはこれが初めてです。
この旅行記では、山手エリアの洋館めぐりの様子をお伝えします。
※ 参考資料
よこはまNavi山手西洋館
http://www2.yamate-seiyoukan.org/
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山手十番館
港ヨコハマを望む外国人墓地前に、山手の象徴的な存在として愛されてきた「山手十番館」は、明治百年祭を記念して昭和42年に開館致しました。
緑に囲まれた高台の眺めを背景にティールームとレストラン、そして時を告げて詩情を誘う時計台からは「赤い靴」のメロディが流れて、訪れる人々を異国情緒への憧れへといざないます。 -
山手十番館
山手十番館公式HP
http://www.yokohama-jyubankan.co.jp/yamate/index.html -
山手十番館
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山手資料館
緑の壁と白い窓枠が印象的なこの建物は、明治42年に旧園田邸として建てられた横浜最古の木造西洋館です。
館内では、開港当時の横浜絵、ポンチ絵、ガス灯明治時代の家具、オルガンなどが展示され、横浜開港期の風俗をしのばせます。 -
山手資料館
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山手資料館
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山手聖公会
この教会へこられる方々を惹きつける大きな要因は、その建物ではないでしょうか。
現在この建物は、横浜山手聖公会と英語会衆のクライストチャーチが使用しています。
現在の山手に教会ができたのは、1901年のことです。そして横浜山手聖公会が組織として成立したのは、1947年(昭和22年)です。二つの教会は、世界中に広がる「アングリカン・コミュニオン」に属しています。 -
山手聖公会
横浜山手聖公会オフィシャルサイト
http://anglican.jp/yamate/ -
山手234番館
エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。 -
山手234番館
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行なうとともに、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等にご利用いただけます。 -
山手234番館
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エリスマン邸
べーリック・ホールと小道を挟んで移築されているのはエリスマン邸です。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。 -
エリスマン邸
昭和57(1982)年マンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。
1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとしてご利用いただけます。 -
エリスマン邸
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ベーリックホール
べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。 -
ベーリックホール
600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。
内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。
平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。 -
ベーリックホール
クワットレフォイルという小窓 -
ベーリックホール
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ENOKITEI
かつて外国人居留地であった横浜山手には大正から昭和初期にかけて建てられたレトロな洋館が今でもあちらこちらに点在しています。
「えの木てい本店」もその洋館のひとつで、昭和2(1927)年日本人建築家朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館で当時を偲ばせる貴重な建築物としても知られています。元はアメリカン人検事が暮らしていましたが、昭和45(1970)年に現オーナーのご両親が自宅用に買い取りました。
歴史的建築物として有名なこの洋館には多くの人が撮影に訪れていました。もともとお菓子やお料理を作るのが大好きだった現オーナーのお母様は、時折そんな人々を招きいれて自家製のケーキとお茶でおもてなしをしていたのが始まりで、昭和54(1979)年、1階のリビングをカフェとしてオープンいたしました。店名は庭にある大きな榎から名づけられました。
木製の上げ下げ窓、冬は薪を焚く暖炉、150年以上も昔のアンティーク家具など、古き良き山手の雰囲気を漂わせるティールームでは、レアチーズケーキや英国風スコーンなどオープン以来のレシピをそのまま受け継ぐ人気メニューが今も健在です。
えのきてい 公式HP
http://www.enokitei.jp/index.html -
エリゼヒカル
世界一美味しいモンブランという看板が気になりました。 -
岩崎博物館(ゲーテ座記念)
この地は「横浜本町通りゲーテ座」(1870/明治3年創立) の創始者、オランダ人ヘフトに続いて、 横浜在住外国人達の発案のもとに、フランス人建築家サルダの設計によって 1885(明治18)年に建てられた商業劇場ゲーテ座の跡地の一部です。(語源:ゲィティ=英語・Gaiety=陽気な)
シェークスピアの『ハムレット』など、 西洋人による生の西洋演劇に 触れることのできる当時唯一の劇場として、 日本の近代演劇史に残した足跡は 大きなものがあり、 小山内薫・北村透谷らが 足茂く通ってきた地でもあります。 -
岩崎博物館(ゲーテ座記念)
1923(大正12)年、関東大震災によって ゲーテ座は崩壊し、 その後昭和50年代 初頭まで、 ゲーテ座の正確な位置・資料等は 散失不明の状況が続きました。
1980(昭和55) 年、横浜山手の丘に建設された現在の建物は、 学校法人岩崎学園 横浜洋裁学院(現:横浜fカレッジ)の 創立50周年記念事業の一貫として、 服飾関係の資料、収集品を中心に展 示する博物館として出発しました。 -
岩崎博物館(ゲーテ座記念)
そして1992年( 平成4)年 1月10日、 愛称を『岩崎ミュージアム』とした当館 は、従来の収蔵品はそのままに、 新たに壁面40mの外光を取り入れた明るい開放的 なギャラリーを開設。 常設展示コーナーも見やすく系統だてたレイアウトを心掛けました。 コンセプトは、美しさを求めて人類は... 、アートとファッションの出会い。
そして、常に動きのある活きたミュージアムとして運営していきたいと考えています。
岩崎博物館 公式HP
http://www.iwasaki.ac.jp/museum/index.html -
イギリス館
イギリス館は、昭和12(1937)年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました。
主屋の1階の南側には西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスから芝生の庭につながっています。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓から庭や港を眺望できます。地下にはワインセラーもあり、東側につく付属屋は使用人の住居として使用されていました。 -
イギリス館
玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージ?世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。
昭和44(1969)年に横浜市が取得し、1階ホールはコンサートに、2階集会室は会議等に利用されています。また、平成14(2002)年からは2階展示室と復元された寝室を一般公開しています。 -
イギリス館
◎ 紋章「GRIV1937」
当時、英国総領事館公邸は地域の重要度に応じて規定が定められ、横浜山手の公邸(横浜市イギリス館)は、その中でも上位に格付けられていた。
その証に、建物の北側玄関の左に、1937年ジョージ6世時代を示す「GRIV1937」と刻んだ紋章が残っている。 -
イギリス館
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イギリス館
◎ 配膳室 -
イギリス館
◎ 台所 -
イギリス館
階段 -
イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
ベッドルーム
手前にはエインズレイの食器が展示されています。 -
イギリス館
ベッドルーム -
イギリス館
サンルーム? -
イギリス館
サンルーム? -
イギリス館
サンルーム? -
イギリス館
サンルーム? -
イギリス館
サンルーム? -
イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
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イギリス館
ポスト
バラの絵が描かれていて、とってもお洒落です。 -
港の見える丘公園 ローズガーデン
港の見える丘公園はバラの名所としてよく知られている。
1989年(平成元年)9月23日にバラが横浜市の花として制定され、その制定記念として1991年(平成3年)5月にバラ園がオープン、以来約70種、1500株ものバラが咲き誇って公園を彩ってきた。そもそも西洋バラの多くは横浜開港期に横浜から日本に上陸したものらしく、このバラ園開園時にも初めて日本に紹介された品種があったのだという。 -
港の見える丘公園 ローズガーデン
その既設のバラ園を併合して公園を拡張し、1999年(平成11年)3月31日に「ローズガーデン」がオープンしている。
この場所はかつてイギリス軍の兵舎があったところであるらしい。2ヘクタール近くの面積のローズガーデンは地形の起伏を巧みに利用して造られ、庭園中央にはソメイヨシノがシンボル樹として保存されている。カスケードと呼ばれる階段状の水路やガゼボと呼ばれる西洋風四阿などが配置された庭園の風景は日本であることを忘れるような風情を持っており、ゆったりとした散策のひとときを楽しむことができる。 -
港の見える丘公園 ローズガーデン
◎ ちびくまJrジャンプ
元々はみにくま一家のみにくま君が行っていた観光地での恒例行事である。
通常であれば手で持ったり、どこかに置いたりして撮影するのが普通であるが、それでは面白くないと考えたみにくま夫婦が2006年、パリのベルサイユ宮殿において、みにくま君がジャンプした瞬間の撮影に挑戦、何度かの失敗の後、非常に面白い絵が撮れたのが始まりである。
その後、いろいろな観光地でみにくま君はジャンプしてきたが、同時にちびくま君などにもその技は引き継がれるにいたった。
現在はみにくま君・ちびくま君がほぼ引退状態にあるため、ジャンプ技は封印されている。
この技をする時には、どうしても地面への落下リスクが伴うため、もうこれ以上みにくま君やちびくま君を損傷させたくないというのが、理由の一つである。
逆にちびくまJrは第1グループだけでも9クマ(第2グループが20クマ)おり、多少の損傷は構わないというやや乱暴な考えから、日本各地でも積極的にジャンプをするようになった。
撮影方法としては、2人がかりというのが最低条件となるだろう。
一人が構図を決定しカメラを構える。そしてタイミングよくもう一人がジャンプをさせ、シャッターを押す。ジャンプの途中で押すと被写体がぶれるため、上空で一瞬止まったところを狙うのがコツだ。
こう書くと簡単そうに見えるが、実際にはなかなか難しく、みにくま夫婦のように熟練したものでも、何度かの失敗をするのが常である。
尚、一眼レフで撮影する場合は、被写界深度を深くする(絞りを絞る:F値を上げる)ことを忘れてはならない。 -
港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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港の見える丘公園
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大佛次郎記念館(おさらぎじろうきねんかん)
アーチ型の屋根と赤レンガの外観がひと際目立つこの建物は、横浜ゆかりの作家大佛次郎の文筆活動の業績と生涯を紹介した記念館です。
彼の5万冊もの蔵書や関連資料、自筆原稿などが展示されています。 -
大佛次郎記念館(おさらぎじろうきねんかん)
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大佛次郎記念館(おさらぎじろうきねんかん)
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大佛次郎記念館(おさらぎじろうきねんかん)
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大佛次郎記念館(おさらぎじろうきねんかん)
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山手111番館
イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの洋館が、山手111番館です。
ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計されました。
設計者は、べーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンです。玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、こちらは天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与えています。大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つと言えるでしょう。 -
山手111番館
赤い瓦屋根に白壁の建物は地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟作りです。
創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。
横浜市は、平成8(1996)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存、改修工事をおこない平成11(1999)年から一般公開しています。館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配し、設計者モーガンに関する展示等もおこなっています。
現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶スペースとして利用されています。 -
山手111番館
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山手111番館
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山手111番館
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山手111番館
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山手111番館
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この旅行記へのコメント (2)
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- あんみつ姫さん 2011/12/13 19:15:41
- 山手西洋館にようこそ!
- みにくまさん、こんにちは。
あんみつのホームグラウンド山手西洋館にようこそ!
お楽しみいただけましたでしょうか。
クリスマスの飾り付けのときに来られたので、
部屋の中も、華やかのときでよかったです。
通られた西洋館のクリスマスの様子は、全部見ていかれました?
- みにくまさん からの返信 2011/12/14 23:56:40
- RE: 山手西洋館にようこそ!
あんみつ姫さん、こんばんは〜。
山手西洋館にちょこっとだけお邪魔させていただきました。
時間が少なかったのであまりたくさんは見られませんでしたが、楽しかったですよー。
本当は建物一つ一つ入って、内装を見させてもらうのが良かったのですが、時間の関係で中に入ったのはイギリス館だけとなりました。
クリスマスの飾りつけもところどころされていましたね〜。
続きはあんみつ姫さんの旅行記で楽しませていただきます(*^_^*)
では〜(^O^)/
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