2011/11/01 - 2011/11/01
145位(同エリア260件中)
koiさん
京都府下で初めての本格的な「竹取翁博物館」が開館されました。
プレスプレビューが2012年1月31日9時に行われ盛大に開催され、また開館式は2012 2月1日(水) 9時から行われました 主催:竹取翁博物館
〒610-0313京都府京田辺市三山木直田9-2
9:00 開会のテープカット(本館内) 尺八演奏(京都府文化功労者の三好芫山)
開館の挨拶(館長、来賓、京都地名研究会の吉田金彦様)
※人形劇・音楽コンサート・入館料込500円
後援 京田辺市・京田辺市教育委員会
京都府内初の私設博物館『竹取翁博物館』は、20年ほど前に京田辺市郷土史会員らによる研究の成果によって京田辺が「竹取物語の舞台」となったところとして発表された!! 奈良時代より遙かに古い歴史がある筒木(筒城)を背景に”かぐや姫の里”と発表! 古事記の開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」の名をはじめ、「竹取の翁の家は山本の近くにある」ことなど地元の絵図や古文書などから実証。その成果を広く皆さんに公開する為に設けられました。
竹取翁博物館は、民家の良さを生かし天井の小屋組を見せて古材の木や竹を駆使し、別館は本格的土蔵作りの内部を利用した展示室となっている。
場所:〒610-0313 京都府京田辺市三山木直田10
JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分
近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
TEL・FAX 0774-62-2522
HP http://taketori.koiyk.com/
Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
代表者 館長 小泉芳孝
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
京都府内初の私設博物館『竹取翁博物館』とは
「”かぐや姫の里”京田辺」は、20年ほど前に京田辺市郷土史会員らによる研究の成果によって発表!! 奈良時代より遙かに古い歴史がある筒木(筒城)を背景に”かぐや姫の里”と発表! 古事記の開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」の名をはじめ、「竹取の翁の家は山本の近くにある」ことなど地元の絵図や古文書などから実証。その成果を広く皆さんに公開する為に館長の小泉芳孝さんが退職金に更にプラスして資材をなげうって設けられました。
※2012年4月1日追加原稿
館長の小泉さんは、「フェイスブック」の「竹取物語を語る会」のグループの中で次のようなメッセージを書いておられます。
今年2月に博物館を開館して発見したことは、予想していない方々が訪問されたことです。何かを求めて来られた方。古代史に凄く詳しい方。物語や空海さらに地元京田辺を知り尽くした方。何故8月15日?の満月に月へ、間違いでは? 日本は「餅つき」だが中国は「生薬」を作っている。お伽噺で無く起承転結の日本初の物語と聞き驚く親子連れ。源氏物語の作者が「竹取物語を親として書いた」のか!?など。博物館の存在価値を痛感している。 -
竹取翁博物館の入口横には、展示窓があってどの様な博物館であるのか一目でわかる工夫がされていました。さすが博物館学芸員の資格を持つ館長だと実感しました。
竹取翁博物館開館式が2012 2月1日(水) 9時に開かれました。
主催:竹取翁博物館
〒610-0313京都府京田辺市三山木直田9-2
9:00 開会のテープカット(本館内) 尺八演奏(三好芫山)
開館の挨拶(館長、来賓、吉田金彦様)
※人形劇・コンサート・入館料込500円
後援 京田辺市 ・ 京田辺市教育委員会
まちづくり市民ねっと京田辺
きゅうたなべ倶楽部・(株)バンネット・システム
協力団体人形劇団ぷくぷく・朗読の会萠え・山城松明講社長松村茂
宮本順三記念館・かぐや姫の里を考える会 他
・本館の常設展 「京田辺『竹取物語』」「郷土史歴史散歩」「一休さん」
「継体天皇の筒城宮」「竹取人形」「竹取物語の襖絵」等
・本館の特別展「作者は空海か」
・別館①「かぐや姫館」常設展『竹取物語』
「劇の人形」「竹取物語襖絵」「茶道具」等
・別館②の常設展土蔵「マスコミ一代記・生と死の民俗」
9:20 開館 招待者と来賓の館内見学
9:30 一般入場開始
10:00~11:00 別館① 音楽コンサート
・尺八演奏(都山流の三好芫山)「お祝いの曲」等
・ピアノ(松居利佳)と歌(高木一美)演奏「初恋」「宵待草」等
・コラボ 都山流の三好芫山とピアノと歌
11:00~11:50 別館① 人形劇(ペープサート)公演「竹取物語」
人形劇団ぷくぷく・朗読の会萠え
人形劇と語りの竹取物語
13:00~ シンポジウム『竹取物語』総合司会~臼井
基調講演、地名研究会会長(吉田金彦)姫路獨協大名誉教授
題名「京田辺の『竹取物語』発祥地説などについて」
13:30~ シンポジウム司会 小泉館長(日本民俗学・郷土史研究家)
報告者曽根誠一(20分 ) 題名「国文から見た『竹取物語』」花大教授)
玉井芳泉(10分) 題名「『竹取物語』絵巻の制作について」染色作家
14:00~ 吉田金彦(専門国文)曽根誠一(専門国文)三好芫山 (尺八演奏家)玉井芳泉(染色作家)
16:00 終了 (16:05 スタッフ関係者立食パーティー)
竹取翁博物館場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10
代表者小泉芳孝
JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分 近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分 Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090-6961-9391
竹取物語の舞台と考えられる京田辺市は、山本駅跡をはじめ継体天皇の筒城宮や月読神社などかぐや姫に関する地が沢山あります。皆さんに「かぐや姫の里京田辺」の歴史と、日本や世界の民俗資料等を見て頂き、生活に役立てたり、それぞれの感性を高めて頂くために設置されました。 -
ク.施設の現状 本館は民家の良さを生かし天井の小屋組を見せて古材の木や竹を駆使し改築。
ケ 施設の運営予定
竹取物語の舞台となった山本駅跡や筒城宮、月読神社など「かぐや姫」に関連するもの。
本や世界の民俗・考古資料などを展示。年間200人の 観覧者を見込んでおられる。 -
本館
ア 名称 竹取翁博物館
イ 所在地 京都府京田辺市三山木直田9-2
ウ 構造 木造瓦葺平屋建 昭和始めの建物
エ 敷地面積 157.80平方メートル
オ 建築面積等 61.43平方メートル
建築面積 平方メートル延床面積 平方メートル
カ 開館日 平成24年2月
キ 主な施設内容 (常設展示室)、特別展示室(多目的室)、特別展示室(和室)竹取の庭
駐車場(30台収容)※別館と共用 -
『竹取翁博物館』別館①
ア 名称 かぐや姫館
イ 所在地京都府京田辺市三山木直田4-2
ウ 構造
木造瓦葺平屋建、明治41年築
エ 敷地面積 272.84平方メートル
オ 建築面積 103.58平方メートル
カ 開館日平成23年11月 -
キ 主な施設内容
和室展示室(多目的室)、 姫の間(茶室・床の間)・竹の間(展示)・翁の間(神棚)・媼の間(控室)。音楽室(グランドピアノ・エレクトーンオルガン他)ミニコンサートホール。台所・風呂・洗面台、かぐや姫の庭
ク施設の現状 古民家を改造、広く利用頂けるように楽器生活道具を入れた。
ケ 施設の運営の予定
竹取物語と京田辺に関する展示の他に音楽室を使用した -
別館①かぐや姫館(西へ30㍍)
1:和室展示室(多目的室)、 姫の間(茶室・床の間)・竹の間(展示)・翁の間(神棚)・媼の間(控室)。
2:音楽室(グランドピアノ・オルガン他)
ミニコンサートホール。
3:台所・風呂・洗面台、
4:かぐや姫の庭 -
ミニコンサート、茶室・台所もあるので地域コミュニティーの場として貸し出しをしておられる。特別展、物語を読む会、親子会を予定 使用者年間 1000人以上を見込んでおられる。
この建物は、明治42年の故民家の建物で、既にこの様な古風な建物はなくなっているだけに京阪奈地域の大変貴重な故民家となっています。 -
音楽室(グランドピアノ・エレクトーン・オルガン・ギター他)明治の故民家を生かした本格的なミニコンサートホール。
文化活動にも格安で会場が貸し出され大変な人気となっています。
現在小学生のためにピアノの先生が、ピアノのお稽古として使用されています。毎週金曜日の午後からあり、募集中とのことでした。
お問い合せ。竹取翁博物館へ
また、お茶のお稽古にも使用されていて京阪奈学術研究都市の中核としての位置を占めつつあります。まさに一休さんの薪に於ける「サロン」平成の文化サロンとなりつつあります。 -
立派な枯山水の庭があり石組みも工夫が子にされていて、お茶席にもふさわしく、待合いもあり滝のように流れる大きな石もあり、結構楽しめる庭であった。
お茶会やお茶のお稽古会場として沢山の方が利用され大変な人気を博していて、今後どの様に活かされるのか大変楽しみです。 -
別館②土蔵展示室 (本館のすぐ左側)
1階:「マスコミ一代記の展示」
館長がマスコミ時代に使用した古いカメラなどが沢山展示されています。開館と同時に『マスコミ一代記』という自分史がを出版されました。
本格的な土蔵造りの建物となっていて内部の骨組みや白壁の雰囲気など他で見られなくなっただけに貴重な存在だと思いました。
2階:世界の民俗「生と死の民俗」
館長が世界100カ国余り民俗調査された所蔵品が展示されています。
一見の価値があります。大阪の民族博物館にもない物が多数展示され ていました。収蔵庫に沢山の海外で購入された宝物があるそうです。 今後、順次展示されるようです。
館長談、「人間は、この世に生まれて何時かは死んでいく…」当たり前の事だが、これをここで感じ取って頂けたらと話されておられました。本当に現代人はこの言葉を大事にしなければならないと思いました。
屋内外:民俗資料展示室(民具・農具を展示) -
管理棟
1階:事務室、台所、研究室、書庫、茶室、図書室
2階:館長室、管理室、資料管理室、収蔵庫、倉庫、宿直室
館長の話によると生前に博物館を建てられた方はいない? ようで「自分はアホやから出来た…」と話されていました。また、「これは道楽で、ほとんどの博物館は赤字です」とも話されていました。この間は故にボランティアで運営されています。館長の心意気と竹取の里にかける熱意を聞きに行くだけでも入館料500円の値打ちがありました。 -
“かぐや姫の里”京田辺であるという竹取翁博物館館長の小泉芳孝さんは、定年退職間際に体調が悪くなり、その後も冬眠生活をして世間からかけ離れた生活をしていましたが、このままではいけないと悟った同館長は2011年4月頃、長年の懸案であった博物館構想で社会に還元できればと自宅をミニ博物館とすることにして準備しておられました。
その後西隣の借地民家と三軒隣りの旧民家が偶然手に入り、これらの古民家を生かした“竹取物語発祥地”京田辺にふさわしい“かぐや姫の里”京田辺「竹取翁博物館」というものを運営することとなったようです。
今回、館の案内パンフレットを作成され
http://taketori.koiyk.com/okina-hakubutu.html
「竹取翁博物館」の開館は、2012年2月1日でしたが、プレイベントとして毎月各曜日に下記の口座を開校されています。
①毎月第一金曜日午後7時~9時に「竹取物語を語る会」を同博物館で開催。
毎回のテーマを決めずに皆さんで語りあって気軽に参加できる会を発足されました。時々テーマにそったゲストの先生もボランティアでこられるようです。
当博物館は私設の博物館なので、ボランティアスタッフを募集しておられました。学生、市民を問わず、博物館の活動に興味や関心のある方を募集しておられます!
詳細は、 http://taketori.koiyk.com/okina-hakubutu.htmlをご覧下さい。
連絡先 電話・FAX 0774-62-2522
HP http://taketori.koiyk.com/
Mail koiy@leto.eonet.ne.jp -
『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺 (その3) 館長の発表から抜粋
一、 はじめに
『竹取物語』は平安時代初期にできた日本最古の物語りで、作者不詳。物語りは、ある日竹取の翁が竹の中にいた光り輝く一寸余りの少女を授かり「かぐや姫」と名づけて育て成人する。そして五人の貴公子から求婚を受けるが無理難題を出して次々にしりぞけ、時の帝の求めにも応じず八月十五日の夜に月から迎えが来て昇天するという求婚・昇天説話である。
物語の最初は、いまはむかし、たけとりのおきなというものありけり。野山にまじりて、たけをとりつつ、よろづのことにつかひけり。・・・とある。
この竹取の翁がいたのは、この京田辺市ではないかと考え平成三年度発行の『筒城』第三十六輯に「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」の中で少し書き、その後も研究を重ねるうち、『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王之女、迦具夜比売命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)が記されていて「かぐや姫」は実在の人物であったことがわかり、京田辺が『竹取物語』発祥の地であり「かぐや姫」伝説地という結論に達した。
私は、京田辺市普賢寺の「大筒木垂根王」か山本駅の駅長それに佐牙神社の太夫が『竹取物語』に登場する翁であり、この山本駅一帯が”竹取物語の里”と考えている。 -
続き
『竹取物語』に登場する「…竹取の翁…名おば、さかきのみやつこまろ…」は、この山本駅の駅長か、当時の山本郷の長老である太夫ではないかと考えている。この「さかきのみやつこまろ」とは、「榊」(神に仕え)、「造麻呂」(朝廷に仕える人物)といえば、この山本駅の駅長または太夫ではないかと考えられる。
ところが最近発行の中学校の教科書やウィキペディアは、「讃岐のみやつこまろ」となっていて間違っています。「さめき」であるのに「さぬき」と変えて大手出版社が発行しているからです。
『竹取物語』かぐや姫の父は「大筒木垂根王」で、舞台は京田辺「筒木」
文献学の権威 故門脇禎二名誉教授は「王女かぐや姫」の京田辺市郷土史会の講演会で、筒木には神功皇后や仁徳天皇・継体天皇が居住していて記紀などに明記されている。今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王・迦邇米雷王などの時代は、平安時代に作られた『竹取物語』に「迦具夜比売命(かぐや姫)」がいて実在の皇后である、と発表された。
門脇氏紹介−文献史学の第一人者。京都大学文学部史学科卒業。専攻:日本古代史。奈良女子大学教授、京都府立大学文学部教授、京都府立大学長、京都橘女子大学長など歴任。京都府立大学名誉教授。 文学博士。著書:『日本古代共同体の研究』『日本古代政治史論』『「大化改新」史論』上巻下巻『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」』上下『葛城と古代国家』・『古代出雲』他多数。 -
『竹取物語』に登場する「…竹取の翁…名おば、さかきのみやつこまろ…」は、この山本駅の駅長か、当時の山本郷の長老である太夫ではないかと考えている。この「さかきのみやつこまろ」とは、「榊」(神に仕え)、「造麻呂」(朝廷に仕える人物)といえば、この山本駅の駅長または
太夫ではないかと考えられる。 この京田辺市山本村周辺には、竹取物語にちなむ地名として前記の「山本」 の他「山崎」「筒城」 「筒城宮」「甘南備山」 「月読神社」 が存在し、神仙思想が溢れていて天女伝説を兼ね備えた地域であった。一方、多々羅には、フイゴによる和鉄製鉄炉・製鉄所の鍛治部や、また西方にある交野市「天の川」付近の仙女伝承地にも近く、山本周辺はまさに「神仙の地」でもあった。さらに平安時代には、京田辺市三山木にある寿宝寺の十一面千手千眼観音立像(重要文化財)や五大明王像(平安時代中期)が造られている事などから、奈良時代から平安時代にかけての長い期間に渡って栄えていた地域でもあった。
かぐや姫は『竹取物語』より以前に編纂された『古事記』に「迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」として登場、さらにその父は「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」と記されています。地名から、かぐや姫の父は「筒木」に住んでいたと考えられ、京田辺市多々羅地区にある継体天皇の「筒城宮(つつきのみや)」があった近くといわれ現在の綴喜(つづき)郡のもとになっているところです。 -
竹取の翁の名は「きかきのみやつこ」
『竹取物語』の最初のでだしは、
「いまはむかし、たけとりのおきなというものありけり。野山にまじりて、 たけをとりつつ、よろづのことにつかひけり。名をば、さかきのみやつことなむいひける。そのたけのなかに、もとひかるたけなむ一すぢありける。あやしがりて、よりてみるに、つつのなかひかりたり。それをみれば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。
・・・」 とあり。
竹取の翁は、竹を取り籠をはじめ竹細工などをしていて、本名は「さかきのみやつこまろ」と言われていた。この「さかき」(榊)つまり「神に仕え」「朝廷に仕える人物」といえば、山本の駅長と言える。また「さか」 は、延喜式内佐牙神社や延喜式内社酒屋神社に関係した酒造りの「さか」
(酒)に関係があって、この様に名前をつけたのかもしれない。しかし最近出版されている本は「さかき」をべつに「さるき」「さぬき(讃岐)」として大和国広瀬郡散吉郷(現在の北葛城郡広陵町)に住んだ讃岐氏の一族かとしているが、私は、最初の呼び名を「さかきのみやつこ」の方が正統と考えている。
『竹取物語』の 「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」
『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王之女、迦具夜比売命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)が記されている。この「大筒木垂根王」の弟に「讃岐垂根王」が記されている(「垂仁天皇関係図」と「開化天皇の子孫と筒木」を参照)が、私は「讃岐垂根王」より「大筒木垂根王」 の方が「迦具夜比売命」と親子関係にあり近い存在であると考える。 また『日本書記』には迦具夜比売命は、垂仁天皇の妃となっている。
最近になって地元の方が旧記を写したという『普賢寺之遺跡』と書いた綴りを保存していたコピーを入手することができた。それによると
王居谷古墳(地名 御所内山々頂有)
大筒木垂根王、墳也ト云使フ
西方 山麓 王居谷ト云フ
と記されていた。
この旧記の写しから『古事記』に出てくる「大筒木垂根王」』の古墳は、普賢寺御所内の山頂にある王居谷古墳だと言い伝えられていて、その場所は西方山麓の王居谷という場所であることがわかる。この場所は、現在では小字名の「御所ノ内」の西方に「王子谷」と言う地名があり、「王居谷」と「王子谷」は同様と考えられる。では、この「王子谷」の山麓に「王居
谷古墳」があるのではと思い、現地を歩き地元の人達に聞いて見た。すると「御所ノ内」の西方に慶照寺があり、山頂へ急な坂を登ったところに「白山神社」があった。この白山神社は、平安時代末期の近衛基道邸の鎮守社で、もと御所山権現といっていたようである。よく神社や寺のあった場所がかつて古墳であったという例があり、ここに「大筒木垂根王」』の古墳があったのかもしれない。しかし遠い昔のことであるため現在その場所は今のところ確認がとれず調査を続けて行く必要が有るが、いずれにしても「大筒木垂根王」の娘である「迦具夜比売命」は、この普賢寺御所ノ内の近くに住んでいたと私は考える。ところで「大筒木垂根王」は、その名前から京田辺市の朱智荘(普賢寺周辺)佐賀荘(三山木周辺)の「大筒木郷」の長だった思われ「竹取の翁」と推定できる。あるいは前記した山本駅の駅長と佐牙神社の太夫も竹取の翁と考えられる。『古事記』『日本書紀』に記されていることがすべて真実とは言えないが、何かの根拠があって記録されたものであり、明らかに「大筒木垂根王」と「迦具夜比売命」は、『古事記』に登場する実在の人物であり「大筒木郷」に住んでいたことが明らかである。
日本各地にかぐや姫の伝承地があるようですが、殆どが難の根拠もなく「天女伝説地だから…」「地名に竹の時があるから…」「こじつけのみ…」などで上記のような根拠がないところばかりと館長がお話しされていました。また、名誉教授以外の大学の先生は、筒木の歴史を勉強しておられないので「京都と奈良の通過地点だ」しかご存じないとも話されていました。
私は、古代史ファンなので館長が話されていた内容が真実であると確信しました。 -
天然記念物(しだれ桜)の「近松門左衛門印入り"献額"」発見
京都府井手町の地蔵禅院には京都府指定天然記念物 樹齢約270年の「枝垂れ桜」がある。京都円山公園のしだれ桜はこの桜の親木より株分けされたもの。JR玉水駅より東へ約2.0km。徒歩約30分。その先代の桜が朽ちた時に桜の木で作られた近松門左衛門の名前入りの大変貴重な「献額」が竹取翁博物館に展示され「何故ここに…」と話題になっている。
さらに数日前に突然木津川市の物知り博士の青木さんが竹取翁博物館館に見えられ館内の「欄間」や「献額」に大変興味を示された。
これらは館長こだわりの品で欄間は、京の茶室に掲げられていたもの。
特に献額は、京都府井手町の地蔵院の天然記念物の桜である先代の朽ちた桜の木で作った物で近松門左衛門の名前が印されている。何故に近松門左衛門の名前が印されているのか不明であるが、井手町には無仮近松門左衛門が来ていたという情報もある。
この有名なしだれ桜は、地蔵禅院の桜玉津岡神社の南隣、井手の里を一望できる高台に建っている。
「しだれ桜」は京都府の天然記念物に指定されており、京都・円山公園の「しだれ桜」の兄弟木にあたる。 -
特別展 国際平和に向けて「戦争と平和展」開催について 竹取翁博物館
竹取翁博物館の本格的な特別展「戦争と平和展」を下記日程で開催します。この特別展は、今年2月開館後の本格的な特別展です。「物語を語る会」メンバーや博物館の研究員や市民らが持寄った品物や研究の成果を展示するものです。
タイトル 国際平和に向けて
「戦争と平和展」なぜ戦争(武力紛争)は起こるのか!?
開 催 日 2012年8月1日(水)〜 土・日・祝祭日(平日予約制)
お盆・年末 正月は休み
開催時間 午前10時から午後5時まで
入場料金 500円 (常設展を含む)
開催場所 竹取翁博物館 京都府京田辺市三山木直田10番地
0774-62-2522 090-6961-9391 問合せ 館長小泉芳孝まで
※事前取材は、7月27日(金)〜31日(火)10時〜18時可能です。
■展示内容の趣旨
私たち現在生きている日本人は、先人、英霊達の尊い犠牲の上に成り立っていると言うことを知り感謝、追悼の念を送る事は大事である。
第二次世界大戦は「真珠湾攻撃」により始まり、東京湾での戦艦ミズーリ船上で降伏文書調印式が行われ終決しました。そのミズーリが現在ハワイのパールハーバーで国際平和のために展示されています。
第二次世界大戦は、ナチのホロコーストによるユダヤ人無差別虐殺。アメリカの空爆は日本人無差別虐殺。広島はあの日アウシュビッツと化したのである。
これらさまざまな展示を皆様に見て頂ければ、現在でも繰り広げられている戦争のむごたらしさや、「人間がここまで変貌してしまうのか」という事が理解して頂けるものと思います。
館員らが過去に現地へ赴き撮影したり取材して感じた悲惨さを、博物館の展示を通して訴える事が出来たものと確信しています。是非多くの人達にお越し頂き「二度と戦争を起こしてはならない」という事のためにも、マスコミの皆様に記事にして頂きお知らせ頂ければと思っています。
■展示内容の一部紹介
1.パールハーバー Attack on Pearl Harbor
「アリゾナ記念館」第2次世界大戦のきっかけとなった、真珠湾攻撃(アリゾナ記念館)。潜水艦ボウフィン号、降伏文書調印式の戦艦ミズーリ号。
2.日米の激戦地(南太平洋・トラック諸島)
3.東西ドイツ統一のシンボル・ブランデンブルグ門とベルリンの壁
4.アウシュビッツ強制収容所 ポーランド南部独:Das Konzentrationslager Auschwitz
5.ベトナム戦争の「クチ」トンネルC? Chi tunnel Vietnam War
6.その他、
舞鶴の引揚げ港、徳之島の戦艦大和慰霊碑、「第二次世界大戦の記録」、米軍による「太平洋戦争の記録」、現在の舞鶴自衛隊基地(最新鋭の軍艦)など多数。
メッセージ標語
人類の歴史は戦争の歴史。決して忘れてはいけない歴史の真実がここにある。
第二次世界大戦で、アメリカの主張は「原爆投下は太平洋戦争を終決させ、結果として100万人の命を救った」とされる。大本営海軍報道部「大本営発表」は、本当の事を伝えていなかった。戦争は人間をここまで変貌させてしまった。 -
「竹取物語」“かぐや姫の里”は、京都府京田辺が舞台とされた所です。古事記に登場する実名のかぐや姫(迦具夜比売命)の父である大筒木垂根王は、その名前から京都府京田辺市の普賢寺(朱智荘)・興戸・飯岡・三山木(佐賀荘)の村々を合わせた「大筒木郷」の地方の長ではなかったかと思われ、「竹取の翁」と推定出来ます。あるいは山本の駅家の長や佐牙神社の太夫の一人とも考えられます。また、「垂根」とは「竹の根」をさすと思われますし、「筒木」の「筒」は竹を、「つつき」は月を連想させます。京田辺市には、平安時代からある真竹・破竹が大住隼人によって奈良時代に持ち込まれました。
筍として食べている孟宗竹は、江戸時代頃からで竹取物語ができた頃の竹ではありません。 -
「“かぐや姫の里”京田辺」
日本最古の物語『竹取物語』の舞台となった場所は、奈良時代よりも古い歴史のある京都府京田辺市です。かぐや姫伝説発祥の地とされるまちは日本全国に存在しますが、全てウソです。日本最古の史書『古事記』に記されている竹取物語に登場する地名など数々の史料や出土品から、京田辺が舞台であると言うことが確定しています。大学の名誉教授(考古学・文献学・地名学・言語学)らの権威と言われる先生方から全面的に認めて頂いています。 -
“かぐや姫の里”京田辺市は確定された!!
現在「竹取翁博物館」(京都府京田辺市三山木直田10)の館長は、地元郷土の歴史に興味を持ち、延喜式内佐牙神社の宮座で「十七の頭(男子が17歳位になると当たる宮座の役)」という行事に参加された。その時に何故この様な古い行事を村の人達が行っているのかという疑問から日本民俗学の勉強が始まった。
仕事は、地元の放送局「京都放送」の放送記者で京都や滋賀の年中行事など多くの現場を取材された。ところが日本の神社行事には、宮座という組織があり太夫・中老・若座という不思議な存在のあることがわかり、その後一冊の本『稲作民俗の源流』文理閣にまとめられた。そして民俗学を勉強するうちに、田辺町郷土史会の理事となり『田辺町郷土史社寺篇』『京都府田辺町史』を読破して地域を調査し各種の研究発表をされ2012年2月に『京田辺の史跡探訪』という本を出版された。
一方、長年疑問であった「山本駅」の存在についても調べていた所、中国の古代駅制を取り入れた重要な駅(うまや)のあることがわかり、郷土史会の会誌(「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」平成5年3月発行)に山本駅と竹取物語なども合せて掲載された。しかし周囲の学識経験者の人達からは、京田辺は京都と奈良の通貨地点だけで「そんな古い歴史は無くて、ただ継体天皇の都が置かれただけ…」などと笑われ続け批判的な目にさらされていた。その後、平成13年に京都府埋蔵文化財調査研究センターによる三山木駅周辺の区画整理事業で駅周辺の三山木遺跡発掘があり、奈良時代の平城京から最初の駅である「山本駅」に関連する施設と遺構が出土。田んぼの地下3メートルから、奈良時代の遺跡から硯や和銅開宝、勾玉、祓い串、井戸跡などが次々と出土したため公共的な建物であったことがわかり、山本駅の遺構と確定された。 -
この京都府京田辺市は、元の地名が「筒城」で、京都府綴喜郡の「綴喜」でした。竹取物語の本文で、竹取の翁の名を全国の出版社は「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と印刷して販売されていますが間違いです。最初は「さかきの造」と呼ばれており、三山木の佐牙神社は古代酒造りの地であり「さか」と呼びました。また、「榊」から朝廷に仕える人であったとも考えられます。現存する竹取物語の本には,他に「さるきのみやつこ」と書いているのも在ります。この「さるき…」では意味が判らないので、こじつけで勝手に「讃岐」だろうとして奈良県の広陵町が部立てだとされているだけです。讃岐の本場は、四国です。ゆえに竹取物語の里だという広陵町説は、間違いです。
-
“かぐや姫の里”京田辺市は確定された!!
現在「竹取翁博物館」(京都府京田辺市三山木直田10)の館長は、地元郷土の歴史に興味を持ち、延喜式内佐牙神社の宮座で「十七の頭(男子が17歳位になると当たる宮座の役)」という行事に参加された。その時に何故この様な古い行事を村の人達が行っているのかという疑問から日本民俗学の勉強が始まった。
仕事は、地元の放送局「京都放送」の放送記者で京都や滋賀の年中行事など多くの現場を取材された。ところが日本の神社行事には、宮座という組織があり太夫・中老・若座という不思議な存在のあることがわかり、その後一冊の本『稲作民俗の源流』文理閣にまとめられた。そして民俗学を勉強するうちに、田辺町郷土史会の理事となり『田辺町郷土史社寺篇』『京都府田辺町史』を読破して地域を調査し各種の研究発表をされ2012年2月に『京田辺の史跡探訪』という本を出版された。 -
京田辺の”かぐや姫の里” 伝承として、大々的に発表するため、平成12年11月3日から4日の「第35回京田辺市民文化祭」で『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺と題して展示を行った。
展示では、大筒木(おおつつき)が継体天皇の「筒(つつ)城宮(きのみや)」の「筒城」となり、現在の綴喜郡になったと認めてもらえなかった。
さらに京田辺市郷土史会では、平成13年に「シンポジウム」を開催した。チベットの『斑竹姑娘』と日本の『竹取物語』、大住隼人と月読神・ 甘南備山、日本及び世界各地「天女伝説」との関係、5人の求婚者と「壬申の乱」、大友皇子を祀る山崎神社、説話・民話・万葉集の竹取翁、天皇とかぐや姫の「歌垣」(古代の恋愛)、作者は誰か・・など多彩な分野に渡って発言があった。
このシンポジウムには、地元を初め全国紙の新聞社やNHK・京都放送などのマスコミ各社の取材があり大きく報道された。
その時、山城の地名に詳しい日本語源研究会代表で姫路獨協大学名誉教授・大阪外国語大学名誉教授の吉田金彦先生が会場にこられていて、間違いなく「筒木」は、この地のことであり「これは凄い発見であるので研究を進めてほしい…」と助言された。それまでは周囲の教育関係者から「大筒木垂根王」なる人物は、古事記に記されているだけで「その時代はなかった」と言われ続けていただけに大変な事になった。 -
平成15年5月25日には、元京都府立大学長(名誉教授)・元橘女子大学学長(名誉教授)の門脇禎二氏(文献学の権威)を講師に招き「−甦った大筒木(綴喜)「王女かぐや姫」−」を同郷土史会主催で開催した。門脇氏は、講演で「文献の大筒木は、山代の古代史系図にある。そして王女かぐや姫は、この山代にいた・・」ということを話された。
これらについては、郷土史会機関誌『筒城』第36輯・第38輯・第45から49輯、それに郷土史会シンポ用の冊子『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺」、京都地名研究会編集発行のシンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」に記されている。 -
2012年2月には、全てを網羅その後の研究も付け足した『竹取物語 現代考』大筒木出版と『京田辺市の史跡探訪』大筒木出版 著者 小泉芳孝が出版された。竹取物語研究者には、この本を読まなければ竹取物語の本質を理解出来ないだろう。また『竹取物語 現代考』には、愿文・現代語訳・注・解説も付けられ、物語の展開や弘法大師・空海作者説、それに日本の歴理を塗り替える内容が多数含まれているのでお読み頂きたい。古代史研究や物語研究、天女伝説、蓬莱山の不老不死、除服伝説など多方面から竹取物語を分析した名著である。
この著者は、現在、退職金などの全財産を拠出して「竹取翁博物館」を建てて館長に就任された小泉芳孝氏である。「竹取翁博物館」では、竹取物語に関する詳細な展示を始め、邪馬台国に終止符! と題した「邪馬台国は徳之島!?」を発表!! これが認められるのは、竹取物語の里と同様に20年から30年かかるだろうと話されている。
また、日本神道の元は、イスラエルの「エルサレムにある」と現地を訪れて確信を得られた。さらに「天皇家の祖先」である「菊の御紋」も神殿の門の入口にあり、ユダヤ教の一番古い「シナゴーグ(教会にあたる物)」から五世星・六世星を確認され、弓月君や景教の詳細な展示をされ解説もされている。入館料は大人500円。ホームページのヤフーやグーグルで「竹取翁博物館 竹取物語 京田辺」と検索すれば場所や内容が判る。
奈良女子大学の本田義憲さんは『序説』「かぐや姫の家」で、山本や大住の京田辺あたりを指摘された。 -
「かぐや姫の家」(叙説 昭和54年)で、かぐや姫の故郷である「月」と関わりのある「月神」を祀る式内社が山城国に三社あり、その内の「月読神社」が綴喜郡に祀られている。南山城地域は「月神信仰」が盛んであったので「綴喜」が相応しいと報告されている。
本田氏紹介−奈良女子大学教授、京都外国語大学教授など歴任。奈良女子大学名誉教授。
くわしくは、
☆京田辺市郷土史会 機関誌『筒城』参照
1. 第36輯 「山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」平成3年3月発行 山本駅と竹取物語について 小泉芳孝を参照されたい。
■現在2012年2月「竹取翁博物館」の館長をされている小泉芳孝氏は、上記記事を知った時に本田義憲さんにお話しを聞かれたのであるが、「それ以上のことは若い時に書いたので判らない」と話されたという。地元の古代駅制の「山本駅」を研究発表されてた小泉さんは、山本という地元に住んでおられ、その後「竹取物語が京田辺である」証拠を地元の歴史や古文書、考古学、民俗学などあらゆる分野から調査研究して次々に発表され、多数の名誉教授の先生方から「竹取物語の舞台とされたところに間違いない!!」と認められたのである。 -
かぐや姫に求婚する5人の貴公子は、いづれも日本最大の乱である「壬申の乱」の功労者であり、その乱で自殺した大友皇子が京田辺市三山木の山崎神社に祀られている。「壬申の乱」で滅ぼされた一族の子孫である功労者への批判や報復のために物語をてんかいさせたものと見られる。これらを批判的に見られるのは、奈良でなく奈良に近い地域を舞台として京田辺市のあちこちに残されていた伝承をもとに弘法大師・空海が「竹取物語」を書き記したのである。
-
車持皇子の蓬莱の玉の枝を造った6人の鍛冶工匠は、普賢寺の多々羅に住んでいた製鉄集団をモデルにしたのであろう。この製鉄集団は、かぐや姫の「かぐ」すなわち「火の神」と関係している。
かぐや姫の名付け親の「御室戸斎部の秋田(みむろどいんべのあきた)」の「みむろ」とは神の宿るところ「三室」であり、京田辺市でそう呼ばれるところは薪の甘南備山であり、屡銘額からは宇治市三室戸の「三室」とも考えられる。 -
かぐや姫(迦具夜比売命)の父である大筒木垂根王は、その名前から「大筒木郷」(京田辺市の普賢寺・興戸・飯岡・三山木を含む地域)の地方の長であり「竹取の翁」と推定できる。あるいは、山本の駅家の長や佐牙神社の太夫の一人とも考えられる。また、「垂根」とは「竹の根」、「筒木」の「筒」は竹、「つつき」は、月を連想させる。奈良時代に大隅隼人が京田辺の大住にやってきて竹を植えている。
-
大隅隼人は、『隼人司』にトルされているように「竹細工にたけてていた」。山崎の山崎神社所蔵の古図には大筒木垂根王の居館と思われる「大筒城佐賀冠者旧館地」が記されている。ここは、物語の中に出てくる「翁の家は山本近く…」にあたり古代駅制の「山本駅」の中心であった。
日本の古代文献学の権威である門脇禎二さんは、京田辺市で開催された「講演会」山代の古代史と民族(的)文化−甦った大筒木(綴喜)「王女かぐや姫」でかぐや姫は京田辺にいたと話された。−主催:京田辺市郷土史会 開催日:平成15年5月25日(日)。 -
門脇禎二の公演趣旨から、「筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していたといわれ、記紀などに明記されている。また、今まで神話と言われていた大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王などの時代においては、平安時代に作られた『竹取物語』に迦具夜比売命(かぐや姫)がいて実在の皇后である」と発表された。
門脇氏紹介−文献史学の第一人者。京都大学文学部史学科卒業。専攻:日本古代史。奈良女子大学教授、京都府立大学文学部教授、京都府立大学長、京都橘女子大学長など歴任。京都府立大学名誉教授。 文学博士。著書:『日本古代共同体の研究』『日本古代政治史論』『「大化改新」史論』上巻下巻『古代日本の「地域王国」と「ヤマト王国」』上下『葛城と古代国家』・『古代出雲』他多数。 -
■京田辺市郷土史会 機関誌「筒城」の『竹取物語』かぐや姫の里を紹介した初出記事
1. 『筒城』第36輯・・(平成3年3月発行)
「山背国綴喜郡山本駅と古代駅制について」山本駅と竹取物語について・・小泉芳孝
2. 『筒城』第38輯・・(平成5年3月発行)
「出垣内村のこと-大筒木旧館跡-」竹取の翁と大筒木旧館跡について・・水山春男
3. 『筒城』第45輯・・(平成12年3月発行)
「竹取物語を考える」地元資料や文献から「かぐや姫」京田辺を推定・・水山春男
4.『筒城』第46輯 (平成13年3月発行)
「『竹取物語』発祥の地は”京田辺”」小泉芳孝
5.『筒城』第47輯・・(平成14年3月発行)
『竹取物語』”かぐや姫の里” 京田辺
「シンポシウムで「物語の発祥地」強調!」文化部会
「シンポジウム『竹取物語』”かぐや姫の里”京田辺を開催」
・かぐや姫が生まれたタケを考える・内村悦三
京田辺市市民文化祭の展示と上演
『竹取物語』かぐや姫の里は、やはり京田辺だった・文化部会 「竹取物 語』発祥の地は”京田辺”その二」・小泉芳孝
「飯岡トヅカ出土の神人車馬画像鏡は中国製か」・小泉芳孝 内容:道教の神 仙・西王母と従者、四頭立て車馬出行などの画像がみられる銅鏡「神人車 馬画像鏡」が出土している。西王母は、中国の神話上の中心的人物とさ れ、不老不死の薬をもって永遠の若さを保ちながら人の世の生命を司って いるとされる。
6.『筒城』第48輯・・(平成15年3月発行)
『竹取物語』発祥の地は”京田辺”
・インドネシアの民話、中国『後漢書』『斑竹姑娘』から・ 小泉芳孝
・「私と竹取物語」・玉井芳泉
・「竹製の民族楽器アンクルン」と「ミニミニ展」・文化部会
・「『竹取物語』かぐや姫の里”展を京都信用金庫で開催!」・文化部会
・「かぐや姫の町」広陵町を訪ねて・藤本富雄
7.『筒城』第49輯・ (平成16年3月発行)
「『竹取物語』“かぐや姫の里”京田辺の活動経過」・小泉芳孝「竹取物 語ゆかりの筒木について」・京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」会長 小泉芳孝「今、京田辺がおもしろい」かぐや姫ゆかりの里散策 マップ・京田辺市郷土史会「かぐや姫の里を考える会」会員 太田文代
8.『筒城』第49輯・・(平成16年3月発行)「かぐや姫の里」・小泉芳孝
9.『筒城』創立五十周年記念誌 (平成17年7月発行)
「”かぐや姫の里”と京田辺について」・小泉芳孝
「キトラ・高松塚古墳」被葬者の貴公子説について・太田文代
『竹取物語』かぐや姫の里を紹介した書籍など
■稲作民俗の源流-日本・インドネシア-』小泉芳孝著(文理閣)
第4章.古代駅制・山本駅と『竹取物語』平成12年2月20日発行
■『竹取物語』かぐや姫の里 "京田辺"小冊子 京田辺市郷土史会編集 平 成13年9月発行
■『地名探求』創刊号「『竹取物語』かぐや姫の里 "京田辺"」 小泉芳孝
内容:京都地名研究会 平成14年3月発行
1.『竹取物語』の発祥地について
2.「竹取の翁」の家は、「山本」の近く
3.『竹取物語』の「かぐや姫」と『古事記』の「迦具夜比売命」
4.「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」
5.『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物
6.「大住隼人」の天孫降臨神話
7.「不死の山」は「甘南備山」
8.『竹取物語』の舞台は京田辺 -
■別冊1号 シンポジウム「秘められた南山城の地名を探る」 平成15年
10月10日発行「竹取物語ゆかりの筒木について」小泉芳孝 発行:京都地名研究会
■『ぴゅあはうす』特集「不思議のクニ」京田辺市 隼人の民がルーツ!? かぐや姫の里 ぴゅあはうす編集室 東方出版(株)平成15年8月号。
記事内容:記事内容:かぐや姫と竹取の翁は実在の人物。古事記、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比売命」。要衝「山本駅」の存在が焦点に。竹取の翁は「山もと」の「山本村」周辺が発祥の地。「竹取物語」の原型は隼人の民の伝承?。考古学者の森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないかとしている。
■学研都市の"わ"Wa. 2004.May VOl.22 編集:都市公団 関西支社
平成16年5月記事から。
記事内容: 古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王」とその娘 「迦具夜比売命」の名が記されていたり、竹取の翁は「山もと」とあり、また竹取の翁は最初「さかきの造」と呼ばれていたなどから、京都府京田辺市三山木の通称名「山本村」周辺が発祥の地であるとしている。
■『エプタ』Vol.23 エプタ編集室 2005年9月号。「日本昔話の世界」
1.浦島太郎(京都伊根町・浦島神社)、
2.桃太郎(岡山・吉備津神社)
3.かぐや姫発祥の地 日本民俗学・郷土史研究家 小泉芳孝 京田辺市郷土史会 会長 藤本富雄 内容:京田辺の地名が「竹取物語」の多くと一。翁の家のある「山本」は古代の駅だった。古事記、日本書紀にかぐや姫のモデルが。「竹取物語」の作者はだれか?
■京田辺市郷土史会 かぐや姫の里を考える会
その他関連のもの
中西 進さん・・古事記は日本の史書である。決して神話や物語ではない。万葉集』は、史書ではない。『古事記』は、史書である。
編纂者の 政治的立場が、いたるところに見え隠れしている。"史書"を研究する際 には、特別な注意が必要である。『古事記』上巻は、神話ではない。徐福集団の日本渡来(紀元前210年)と、その子孫の"歴史"を描いた史書である。この仮説が、私の『古事記』観の基本をなしている。『真福寺本古事記』こそ『古事記』本来の姿を伝える唯一の写本と判断する。この立場からすれば、本居宣長の『訂正古訓古事記』は贋作と考えられる。『古事記』を曲解、改竄した偽物である。あらゆる"歴史"は、常に書き替えられる宿命を持っている。それが、"歴史"の本質である。『思索過程』2002年7月24日より
中西氏紹介−東京大学大学院修了。文学博士。成城大学教授を経て、アメリカ・プリンストン大学客員教授 筑波大学教授、国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授、大阪女子大学学長、帝塚山学院学院長に就任。奈良県立万葉文化館長、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター名誉教授。
『万葉集』など古代文学の比較研究を主に、日本文化の全体像をおさめた研究・評論活動で知られる。読売文学賞、日本学士院賞、大佛次郎賞、和辻哲郎文化賞ほか受賞多数。著書:『中西進万葉論集』(全8巻)『万葉集全訳注』『中西進 日本文化をよむ』ほか。
☆『京都新聞』記事 平成12年10月15日
朝刊「山城版」語り手 考古学者・森浩一さん
「いま南山城の古代がおもしろい」竹取物語のルーツ
原型は隼人の伝承 -文学的に集約-
森浩一さんは、「京田辺市は自身を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない」 -
■森 浩一さん・・京田辺は『竹取物語』が熟成した場所・・原型は隼人の伝承 -文学的に集約- 。」
歴史シンポジウム「いま南山城の古代史がおもしろい」で、「京田辺は『竹取物語』が熟成した場所として自信を持っていい」と発表、主催:京都新聞社、平成12年9月23日。竹取物語のルーツ「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない」。森浩一氏は、この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないかとしている。
森氏紹介−考古学研究の第一人者。考古学界の第一人者。同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。同志社大学名誉教授。専攻:日本考古学。日本文化史学。著書:『日本神話の考古学』『記紀の考古学』『語っておきたい古代史―倭人・クマソ・天皇をめぐって』他多数。 -
■第36回京田辺市民文化祭で成果発表、平成13年11月3日〜4日
展示『竹取物語』絵巻物の展示 京田辺市薪の手書き染色作家 玉井芳泉さんの作品 天皇家の図面(大筒木真若王の入った開化天皇家系図)拡大して『旧記普賢寺之遺跡』の「大筒木垂根王」の古文書天女伝説の大住隼人の天孫降臨関係資料(隼人の盾)など特設ステージ 人形劇(ペープサート)『竹取物語』を上演。脚本・制作・出演メンバー・・・
人形劇団「ぷくぷく」、朗読の会「萌え」代表者 太田恵美さん 演者7人(女性)
会員らの竹に関する珍品を展示。
竹の道具 茶・花道具「茶せん・茶杓・花器・蓋置き・結界・など」
その他会員から
竹の楽器 中口ひとみさん インドネシアの竹の楽器「アンクルン」1.8mX1.7m
ベトナムの(竹の木琴)チャルン、ペルー・メキシコ・チリの楽器
竹工芸 岩本俊彦さん 作品名「かぐや姫の誕生」 畳一畳の大きさ -
◎紙人形劇と語りで綴る「竹取物語」の上演活動。2006年(京田辺市在住の人形劇団「ぷくぷく」朗読の会「萌え」)
「竹取物語の里 "京田辺"」での2006年公演
2/21 京田辺市立桃園小学校/6年生授業
6/6 京田辺市中央図書館/京都子供文庫連絡会南部研究会
12/3 京田辺市福祉センター/児童青少年演劇まつり;やましろのくに
12/18 京田辺市立薪小学校/6年生授業
他に12/2.3開催の「児童青少年演劇祭り〜やましろのくに今年のテーマ「きずの竹」で企画しています。
•出演作品/ミュージカル「竹取物語」、紙人形劇 と語りで綴る「竹取物語」;展示作品/人形劇「かぐやひめ」(八幡)
かぐや姫の「かぐ」は、「火の神」であり、天王の朱智神社には迦爾米雷命(かにめいかづちのみこと)を主神に「火明命(ほあかりのみこと)」などが祀られています。 古事記には、開化天皇の孫「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)」とその娘「迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」の名が記されています。 -
■「かぐや姫の里」京田辺
写真は、京田辺市文化祭で展示中のかぐや姫の里"京田辺"のスナップ写真。
また、京都府のホームページ「京都eラーニング塾」でもビデオで詳しい内容が公開されています。但し作者は紀長谷雄となっているが、2010年後から弘法大師・空海がふさわしくなった。この空海説については、2012年2月発行の『竹取物語 現代考』と『京田辺市の史跡探訪』著者 小泉芳孝に記されているので参照して下さい。竹取物語研究者には、この本を読まなければ竹取物語の本質を理解出来ないだろう。またこの『竹取物語 現代考』は、解文・現代語訳・注・解説付である。 -
日本最古の物語『竹取物語』は京田辺が舞台!!
「かぐや姫伝説」発祥の地とされるまちは日本全国で名乗りを上げているが、本命は京田辺市である。上記の『竹取物語 現代考』は、作者が20数年に渡って研究を続けて来られた大著である。市販されている竹取物語の本には書いていない最新情報が多数網羅されているので研究者には必ず必要な本である。本では『古事記』をはじめとする数々の史料や昔話、出土品をもとにした考古学や民俗学、文献学などあらゆる立場から分析していて、京田辺とかぐや姫伝説のつながりについて解説もある。
本の詳細目次やないようは、ヤフー・グログルで「竹取物語 竹取翁博物館 著者 小泉芳孝」と検索すると出て来ます。 -
竹取翁博物館で「戦争と平和展」大人気! 開催中!!
探訪 環礁の海に眠る連合艦隊 トラック諸島
環礁に広がる深く濃く青い海。強い日差しが降り注ぐ海底には翼を広げた機体が眠っていた。ミクロネシア連邦・チューク諸島。本紙連載中の小説「ダン吉」の舞台になったこの-地は「トラック諸島」と呼ばれ、日本と深い歴史を持つ。第一次大戦後から日本委任統治領となり、現在も多くの日本語が現地語として残っている。
■太平洋戦争で空母は初めから居ない事は分かっていた。暗号はアメリカに開戦前-に、漏れていたことも、知らぬとはなんとお粗末なことか。 -
「“かぐや姫の里”京田辺」(第1回〜第3回)京都府発見講座、京都府eラーニング塾
日本最古の物語『竹取物語』“かぐや姫伝説”発祥の地とされるまちは日本全国に存在しますが、本講座では『古事記』をはじめとする数々の史料や出土品をもとに、京田辺とかぐや姫伝説のつながりについて解説します。講師:小泉芳孝(日本民俗学・郷土史研究家)提供団体:京田辺市 時間:各27分00秒 -
かぐや姫の里「竹取物語 京田辺の歌」を作詞しました。
このたび「かぐや姫の里を考える会」を立ち上げました。
その中で、「竹取物語 京田辺の歌」を作詞。
1.『竹取物語』の原文である口語訳?を読む講座を開けないかという、提案がありました。
2.かぐや姫の歌を作っては、どうかということも出ました。
そこで、歌について有志が集り作詞を作ってみました。
...音楽の専門家である、プロの先生に見て頂いて作曲をしてはどうかということになりました。。
お忙しいところまことに申し訳ありませんが宜しくお願い致します。
以下は、その歌詞です。
また、会員で意見を戦わせた内容も入れました。
1. 山代川の 竹取翁
山本館(やかた)に かぐや姫
竹から生まれた 幼子が
輝く天子と なりにけり
2.息(おき)長山(ながやま)の 竹取翁
古事記ひもとき かぐや姫
大筒木 垂根の王
古(いにしえ)の里 姿行き交う
3.天降り朱智の 竹取翁
貴公子・帝・かぐや姫
歌垣つどう 都びと
輝き光る 筒城の宮
4.鶴沢池に 竹取翁
迎えの天女 かぐや姫
大住隼人 弓引けず
竹取夫婦 月仰ぐ
5.天(あま)の川(かわ)に 竹取翁
天子さまに かぐや姫
月の使い お出迎え
不死の甘南備 永遠に
「大筒木博物館」 http://taketori.koiyk.com/ -
※ご注意
このビデオ収録は、2010年の10月頃撮影したものです。その後の調査により作者は空海説となり、かぐや姫の誕生シーンも「イエスキリスト」の復活とオーバーラップしているなど、博物館の研究員らによって解明してきております。
-
故に、博物館にお越しになり常設展の冊子『竹取物語 現代考原文・注釈・現代語訳・解説付き 』2012年2月1日発行(博物館のみで販売)をお読み頂きたく思います。
その他、古事記1300年とも関連して、日本古代史のナゾが解明しつつあり。
現在では、「徐福伝説地」展や「卑弥呼の邪馬台国」展を開催していて場所が判明しつつあります。 -
”かぐや姫の里”京田辺「竹取翁博物館」:竹取物語の舞台となった山本駅跡や筒城宮、月読神社「かぐや姫」に関連するもの。日本や世界の民俗・考古資料等。特色:古民家を再生利用!! 土蔵や古材生かした内装!!設立目的:国民の教育、学術、文化発展に寄与する。
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