2011/10/25 - 2011/10/25
328位(同エリア428件中)
キヌちちさん
26歳で夭逝し「幻の童謡詩人」と称される金子みすゞ記念館を見学しました。
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金子みすゞ記念館へ
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長門市の街角に飾られている金子みすゞの作品「わたしとことりとすずと」。
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長門市の街角に飾られている金子みすゞの作品「こころ」。
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長門市の街角に飾られている金子みすゞの作品「角の乾物屋の」。
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仙崎みすゞ通りにある金子みすゞ記念館が入居する金子文英堂、記念館本館は裏に。
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金子みすゞ記念館入場券売り場。
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金子みすゞが作品を発表した雑誌「赤い鳥」「童話」などが並べられている。
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金子みすゞが作品を発表した雑誌「童話」などが並べられている。金子みすゞの作品が掲載された雑誌類。
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金子みすゞ記念館案内図。
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金子文英堂1階。作品が紹介されている。
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金子みすゞの作品が掲げられている金子文英堂1階。
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金子みすゞの作品が掲げられている金子文英堂1階。
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金子みすゞの部屋。当時を再現した。
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『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(1903−1930、本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。
4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。
こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています(金子みすゞ記念館公式ウェブサイトより)。 -
金子みすゞの部屋
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金子みすゞの作品「私の髪の」。
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金子みすゞの作品「さみだれ」。
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金子みすゞの作品「叱られる兄さん」。
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金子みすゞの作品「我が家の庭」。
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記念館本館入り口横にある金子家ゆかりのバラ。上の作品「我が家の庭」に登場する。
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金子みすゞ記念館
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金子みすゞの作品「井戸ばたで」。
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金子みすゞの作品「蝉のおべべ」。
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金子みすゞの作品「橙の花」。
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記念館本館入り口。東北大震災後にテレビで盛んに放映されたACジャパンのコマーシャルに引用された作品「こだまでしょうか」が掲げられておりました。本館内は撮影禁止だった。
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金子文英堂と記念館本館との間に置かれている金子みすゞ像。
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昼食で立ち寄った海鮮村北長門に金子みすゞコーナーと歌碑がありました。
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金子みすゞコーナーの歌碑「私と小鳥と鈴と」。
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お店に中の金子みすゞコーナー、関連商品を売っていました。
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ACジャパンのコマーシャルに引用された作品「こだまでしょうか」が掲げられておりました。
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