2011/09/15 - 2011/09/15
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SUR SHANGHAIさん
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ボスニア・ヘルツェゴビナでの最初の数日は一人旅になったSUR SHANGHAI。
旦那と落ち合う数日後まで、首都のサラエヴォに腰を落ち着けて、じっくりあちこちこち歩いてみようと思います。
前日、街の地図や観光資料をもらいに行った観光インフォで見つけたのは、市内・近郊日帰りツアーのパンフレット。
どれもそれぞれに興味深い内容。
ぜひ行ってみたいと思っていたのは、紛争時の物資補給路として造られたトンネルを公開している博物館。それに+市内のツアーがSUR SHANGHAIの希望にピッタリ。
普段は現地ツアーにもあまり参加しないんですが、この日はさっそくそのツアーに参加してみます。
表紙の画像は、トンネル博物館で公開しているトンネルの一部。
このトンネルは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にセルビア人勢力に包囲されていたサラエヴォへの物資輸送手段として掘られたもの。
トンネル博物館になっている元コラル家の住居では、そのトンネルの一部と、当時の物品や写真などを展示・公開しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
-
ここは、サラエヴォの旧市街地の一角。
バシチャルシァ(職人街)を含めた旧市街地は、観光客なら必ず訪れる場所。
徒歩で十分に見て回れるサイズで、モスクや教会、シナゴーグの異なる宗教施設のほか、お土産屋さんやカフェ・食堂もずらりと並んでいます。
少なくとも半日はこのあたりを歩いてみるといいと思います。
観光インフォも二つあるので、市街地地図、市内や近郊のツアーなどの情報を集めるのに便利。
旧市街地を東西に貫くSARACI通りのモリチャ・ハンというレストランの斜め向かいに一軒、もう一軒はラテン橋そばのサラエヴォ博物館のお向かいにあります。
どちらも規模は小さいですが、表に緑地に白のiの字の看板が出ているのですぐ分かります。
この画像右手に看板が見えているのは、サラエヴォ博物館のすぐお向かいの観光インフォ。 -
前日、市内地図や観光資料をもらいに寄ってみたサラエヴォ博物館お向かいの観光インフォ。
今日のSUR SHANGHAIは、観光インフォ主催の市内・近郊ツアーのうち、英語による市内数ヶ所巡りのTIMES OF MISFORTUNEツアーに参加してみようと思います。
所要時間3時間、料金は25ユーロ。催行は毎日11:00で、最少参加人数は2人。
内容は、市内を見下ろす要塞跡、オリンピック跡地近くの丘、トンネル博物館を巡りながら、説明や体験談を聞けるというもの。
結論から言うと、参加してみてよかったと思います
ツアーの集合・解散場所は、この観光インフォすぐそばのラテン橋のたもとだったのも便利。
代金は、ツアー解散時にガイドさんに渡すようになっていました。
市内・近郊ツアーはそのほかにも各種あるので、下記の観光インフォのサイトでお確かめ下さい。
http://www.sarajevoinsider.com/(英語版)
トンネル博物館に重きを置きたい方は、2時間のTUNNEL TOURに参加してみるのもいいかもです。 -
ついでなので、サラエヴォの観光インフォで手に入る地図のご紹介。
上段の画像の市内地図(部分)は、無料のミニ・ガイド&シティ・マップ。
西は中央駅辺りから、東は旧市街地の外れ辺りまでが網羅してあって、一般の観光目的ならこれで十分。
銀行、ホテル、郵便局、駐車場、病院、ショッピング・センター、劇場、映画館、タクシー乗り場、各国大使館…などなどの施設の場所もマークで入れてあり便利。
主な建物には、施設名のほかに外観のイラストも付いていて、あとで写真との照合が簡単です。
トラムの路線や駅までは書き込んでありませんが、徒歩で回ろうと思っている人は手に入れておくと重宝しますよ。
全体の大きさは、約23cm×40cm。折りたたむと約8cm×7cmのポケット・サイズになり、持ち歩きも便利。
下段の画像の地図は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時、セルビア人勢力によって包囲されていたサラエヴォ中心部を示したイラスト地図。
これは有料で7KM(または3.5ユーロ)。全体の大きさは約50cm×1mの横長です。
観光インフォ入口にはサンプルがこんな風に貼り出されていました。
歴史ファンの方へのお土産にしてみては? -
SUR SHANGHAIがサラエヴォ市内数ヶ所巡りのTIMES OF MISFORTUNEツアーに参加したこの日は、夏休みも過ぎ去った平日だったせいか、参加者は全部で9人。アメリカやイギリスの熟年ご夫婦がほとんど。
1日1回だけのツアーだから参加者はもっと多いかと思っていたけど、これで一安心。
これが今日の移動手段になったミニバス。
運転手さん、お疲れ様! -
サラエヴォ旧市街地の東のどん詰まり国立図書館(2011年9月中旬現在工事中)からさらに東は結構険しい丘陵地帯。
その丘陵地帯には、オスマン帝国に統治されていた頃の名残だと言う城壁に囲まれた部分があり、要塞跡もいくつも残っています。
そこから見下ろすサラエヴォ市街地は絶景。
今日参加してみたTIMES OF MISFORTUNEツアーでも、まずその要塞の一つに寄って、サラエヴォ市街地を見下ろしてみます。
後で城壁地図を見てみたところ、この規模の大きい要塞跡は、≪白い要塞≫と呼ばれているようでした。 -
その≪白い要塞≫の場所をちょっとご紹介。
これは、現在のコヴァチ墓地より上の丘に張り巡らされたオスマン帝国統治時代の城壁地図。この丘が城壁によって円状に囲まれていた場所だと言うのがありあり。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
この画像だと、城壁外の地図の左手がサラエヴォの旧市街地方向。
画像右下に見えている青い線で囲まれた部分が、この日訪れた≪白い要塞≫ 。
その他のマークは、前日SUR SHANGHAIが訪れていた場所。
赤い●が付けられたのは、コヴァチ墓地から坂道を上って行った所にある城門の一つのシロカツ・タワー。
オレンジ色の○は、前日行ってみた≪黄色い要塞≫。
黒い☆印は、ボスニア・ヘルツェゴビナ初代大統領となったアリヤ・イゼトベゴヴィッチ氏の記念館です。 -
観光インフォで申し込んだTIMES OF MISFORTUNEツアーで最初に寄ってみた≪白い要塞≫跡。
そこからのサラエヴォ市街地は…、わ! (◎o◎)
周囲を山に囲まれた緩い谷間にある街のせいか霞がかかってますが、いい眺め!
画像をクリックして元画像で見てみると、大きく表示されます。
実は、前日のSUR SHANGHAIはこことは別の≪黄色い要塞≫という要塞跡へ自力で上って行ったんですが、この≪白い要塞≫は高さがある分、さらに遠くまでサラエヴォを見通せました。
画像奥が西にあるサラエヴォ新市街地方向で、ちょっと背の高いビルも見えてます。
左手の住宅地が並ぶ斜面は、市街地の南側の山。
手前の斜面に白く広がっているのは墓地。 -
イチオシ
サラエヴォの旧市街地・新市街地を一挙に見渡せる≪白い要塞≫跡。
手前の斜面向こうが旧市街地、その左奥が西方向の新市街地。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
この画像だと画像右手が北方向で、右奥の丘の近くには1984年のサラエヴォ冬季五輪施設もあるんですが、この画像には入りきれませんでした。
ここではまずガイドさんから「あの建物がホリデイ・イン・サラエヴォ。」などと教えてもらってから、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の様子なども聞かせてもらえます。
事前にちょっと紛争に関してお勉強して行って、質問してみるといいですよ。 -
上に出したサラエヴォ市街地画像の中心部分をアップで。
手前が旧市街地、画像奥が西の新市街地方向。
大きい街には違いないですが、一国の首都としてはこぢんまりと言った印象。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
画像奥の青い矢印は、新聞社のアヴァズ社が入ったアヴァズ・ツイスト・タワーで、2009年落成。目下ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは一番背の高いビルで、てっぺんのアンテナを含めた高さは172m。
36階は屋内+露天の展望台もあって、一般の観光客でも入って行けます。
黄色い矢印は、紛争当時も営業を続けて各国の報道陣が戦況を報告していたホリデイ・イン・サラエヴォ。
赤い矢印は、旧市街地にある創業1882年と言うホテル・ヨーロッパ。
緑色の矢印は、旧市街地の東端にある国立図書館(2011年9月中旬現在工事中)。
青い☆印は、サラエヴォ事件が起こった現場そばのラテン橋。サラエヴォ博物館と、今日の出発点の観光インフォもそのすぐそば。 -
サラエヴォ市街地の東端を出た道は、すぐに山間の道になってさらに東方向へと延びていく。
ガイドさんによると、ここで見えている道やトンネルあたりが紛争中の東側の前線だったそうで、近年になってから新しく整備されたようです。
セルビアとの国境近くにあるヴィシェグラード方面へ続く道かなと思いましたが、ガイドさんが別な質問に答え始めて聞きそびれてしまいました。 -
さて、今度はサラエヴォ冬季五輪が行われた施設方向へと向かいまいます。
上の方でサラエヴォ市街地を見下ろしたオスマン帝国時代の≪白い要塞≫跡のの壁が残る道。
丘のてっぺんにあるこの道は平らですが、坂道部分は結構急。
この画像奥に民家が見えていますが、車が無かったら上り下りは難しそうな感じ。 -
サラエヴォ冬季五輪が行われた設備がいくつか残るサラエヴォ市街地、
スタジアムが見える丘の上まで来たんですが、逆光でそちらは今ひとつの眺め。
で、これはスタジアムとは反対方向の眺め。
丘の中腹に見えるのは広大な面積の墓地。
古い墓地を囲むように拡張されたらしいのが、墓碑の色で分かります。 -
サラエヴォ冬季五輪施設近くの丘の上からの街並み風景。
一国の首都としてはこぢんまりして見えるサラエヴォなのに、墓地や新しい墓碑の数がずいぶん多い。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際に犠牲になった人がそれだけ多かったというのを如実に示している眺め。
実際に墓地を見て回ると、その紛争時期が没年になって彫られた墓碑が異様なほど多かったと思います。
サラエヴォと聞くと、1984年のサラエヴォ冬季五輪を思い出す人と、その後の1992年〜1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を思い出す人に分かれそうな気がする。
SUR SHANGHAIは後者。
ちょうどドイツでドイツ語コースに通っていた頃で、クラスには旧ユーゴから避難して来ていた学生がたくさんいたし、ギリシアからの学生が「紛争のお陰でギリシアへの飛行機はずいぶん遠回りして飛ぶのよ。」と言っていたのが印象的だった。
サラエヴォからの女性の一人は、なぜかいつも髪を金色に脱色していた。
その後、連絡が途切れてしまったけど、みんなどこでどうしているだろう。
ひょっとして、街歩きをしている時に街角のどこかですれ違っていたかも? -
広大な墓地が見えるサラエヴォ冬季五輪設備のある丘の上で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の情勢などのお話をするこの日のガイドさん。
年を聞いてみたら26と言っていたので、紛争時は小学校の中〜高学年。
それでも、日々を生き延びるための仕事が与えられていたそうです。
これがもう一回り以上の年齢の方なら、紛争時の体験談ももっと深刻に重苦しいものになるんでしょうが、このガイドさんは感情に流されずに当時を語れる話術の持ち主でした。話し方も堂に入っていて、とても26とは思えないほど。
この日の市内ツアー参加者からは、当時に関して次々に質問が。 -
お次は、この市内ツアー最後のトンネル博物館へ。
トンネル博物館はサラエヴォの西外れの空港近くにあるので、新市街地を東西に貫くスナイパー通りを通っていきます。
その道沿いには、味気ない外観に無数の弾痕が残る建物もあれば、近年になってできた建物も入り混じってシュール。
スナイパー通り沿いで有名な建物と言えばまずホリデイ・イン・サラエヴォですが、それはこの旅行記の終わり近くでご紹介することにします。
上段の画像に出ているのはテレビ局。
今も使われているらしいんですが、よく見るとあちこちに紛争時に破壊された箇所もある建物。
下段の画像は、スナイパー通りに何軒も新しく出来ているショッピング・センターの一つ。これはもうちょっと外観デザインが古い感じ。
ここ以外にもさらにモダンで大きいショッピング・センターもありますよ。 -
サラエヴォの空港の名はブトミル・サラエヴォ国際空港。
その近くには、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、セルビア人勢力によって包囲されていたサラエヴォへの物資輸送のため造られたトンネルの一部を公開しているトンネル博物館があります。
ここがその博物館と駐車場と言われてもピンと来ないでしょうが…、 -
…この民家がトンネル博物館。
外壁に無数に残る弾痕が、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時の銃撃の激しさを示しています。
元々はコラルという一家の住居だったんだそうですが、空港の真下を掘り進められたトンネルの出口がたまたまここに造られたことから、紛争後にトンネルの一部や武器などの公開展示を始めたのがトンネル博物館の始まりなのだそう。
コラル一家が別の場所に移転したあとも、博物館となったこの家を管理しているのはコラル家の人たちだそうです。 -
その元はコラル家の住居だったトンネル博物館の外壁にはプレートがいくつも取り付けられていました。
一番上のULICA TUNELI 1がこの博物館の番地。その名もトンネル通り1番地。
その下のクリーム色っぽいプレートの言語は分からずお手上げですが…、 -
…このプレートの表示は英語でも併記されてあって、
THE SARAJEVO WAR TUNNEL
HOUSE OF THE KOLAR FAMILY
SALVATION DURING THE WAR
MEMORY FOR PEACE
と出ていました。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
今はトンネル博物館になっているトンネルが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ではどれだけの救いになっていたのかが、短い言葉の中に表わされていると思います。 -
さて、トンネル博物館へと入ってみます。
●注: ここから先の画像は、数日後に再訪した時のものも含みます。
個人でレンタカーで来ると、標識のフォローが悪く道に迷うのでご用心。
トンネル博物館向かいの有料駐車場料金は2KMだったと思います。
個人で行くと、トンネル博物館の見学は5KM。
開館は毎日9:00〜15:30。
個人での訪問だとビデオは見られますが、ツアーで来た時のようなボスニア・ヘルツェゴビナ紛争関連の説明や体験談も無いので、ツアーがお勧めです。
上のほうにも書きましたが、観光インフォ主催の市内・近郊ツアーはそのほかにも各種あるので、下記の観光インフォのサイトでお確かめ下さい。
http://www.sarajevoinsider.com/(英語版)
トンネル博物館に重きを置きたい方は、2時間のTUNNEL TOURに参加してみるのもいいかもです。 -
イチオシ
上の画像に出した、トンネル博物館の入口になっている小屋がけされた部分。
個人で行くと、入口を入った所にあるデスクでチケットを購入します。
ふと床を見ると、紛争時に砲撃された時の物らしき砲弾がコンクリート部分に突き刺さっていました。
今では不発処理はしてあるんだろうと思ってもドキッ!
外壁の無数の弾痕と共に、銃撃・砲撃されるのが日常だったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のサラエヴォ包囲時代に引き込まれます。 -
上述の砲弾が突き刺さっている床のすぐそばにあるのが、トンネル博物館のトンネルの入口。
市内ツアーで行くと、まずこのトンネルをくぐります。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の19993年にセルビア人勢力に包囲されていたサラエヴォへの物資輸送手段として掘られたトンネルで、もともとの長さは800m。
4ヶ月かかって完成したトンネルだそうです。
空港の真下を通ってここまで延々800m続くトンネルだったそうですが、今ではほとんどがふさがれて、このトンネル博物館で公開されているのはそのうちの25mほど。
さっそく木の階段を下りて行ってみると…、 -
イチオシ
…鉱山の坑道を連想させる造りのトンネル。
物資輸送のためのレールも敷設されているので一層そう見えるのだと思います。
左手の柱に見えているプレートは、電線注意の髑髏マーク標識。
上の方で言ったように元々は800mあったというトンネルですが、紛争後はそのほとんどが塞がれてしまい、現在公開されているのは25mほど。
そう聞いても、この画像で見るとずいぶんまだまだ奥へと続いている感じがします。
この後見学したビデオや展示品によると、紛争で負傷した兵士や市民を乗せたストレッチャーもここを通って搬送されていたようです。
長さ以外のこのトンネルの規模はと言えば…、 -
…幅1m、高さは1.6m。
身長160cmあるかないかのSUR SHANGHAIとぎりぎり同じ高さ。
それでも頭を下げなければ通れない高さ。
前を行く見学者の一人は大柄だったので、腰まで深くかがめています。
この後で見学するビデオでは、輸送物資や兵士のほかに一般市民の女性や子ども、家畜までこのトンネルを通って行き来していた様子が見られます。 -
今では25mほどしか残っていない紛争当時使われたトンネル。
それでもその内部を通り抜けて出てくる人は、ホッとした様子。
やっぱりあのトンネルの歴史や雰囲気には、SUR SHANGHAIでなくても息詰まるものが感じられたからかも。
で、地上に出て来たこの場所はと言うと…、 -
…元コラル家の住居(現トンネル博物館)の裏手。
裏庭にはビデオ見学スペースがいくつもしつらえてあって、市内ツアーで来ても個人で来ても、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のサラエヴォの様子や、トンネルを行き来していた人々の様子などが見られます。
ただ、市内ツアー客と個人客とで違うのは…、 -
…市内ツアー客用のビデオ見学スペースには、セルビア人勢力によるサラエヴォ包囲時代の地図もあって…、
-
イチオシ
…ガイドさんによる紛争当時のトンネル状況説明や質疑応答の時間があること。
そういう時間が欲しい方、自分でも直接紛争時の事について聞いてみたい方は、上の方でも書いたように、このトンネル博物館へは市内ツアーで訪れるのがお勧めです。 -
残っているトンネルは短くても、通ってみた後で見学するビデオでは、ずいぶんリアルな追体験も出来ました。
内容は、包囲下のサラエヴォが砲撃・銃撃されるシーン、その中を生き延びようとトンネルで物資を運ぶ人々の様子など。
上映時間は10数分位だったので、これはぜひ見ていくといいですよ。
ヤギがトンネルを通って行く場面では笑いも起こりましたが、サラエヴォの砲撃シーン、女性や子どももトンネルを通って行く様子には全員息を呑みました。
この画像に映っている民家は、当時はコラル家の住居だったトンネル博物館じゃないかと思いましたがどうでしょう。 -
ビデオ見学が済むと、後はトンネル博物館の展示を見たり、裏庭に出てみたりの時間が取ってあります。
その時間にも、熱心に紛争当時のことをガイドさんに聞いていた人もいましたよ。
SUR SHANGHAIは、まずちょっと裏庭へ。 -
トンネル博物館の裏庭は畑に直結していて、その先にはブトミル・サラエヴォ国際空港が見えます。
紛争時の1993年には、あの空港の向こう側から空港の真下を通ってここまで続く800mもの長さのトンネルが造られた。
さっき通り抜けてみたのはそのうちのホンの一部。
砲撃や銃撃に脅かされながらも、サラエヴォへの物資輸送のためにそのトンネルを人々は通り抜けていったのかと想像してみる。
これまで内戦のあった国々も訪れたことはあるけど、どうして人類はお互いに殺し合いが出来るんだろう、と単純に素朴にそう思う。
この日の市内ツアーのガイドさんも、自分が子どもだった紛争当時は、どうしてそれまでのセルビア系隣人が敵になったり、民族は違っても仲のよかった夫婦が別れなければならなかったのか、理解できなかったそう。 -
トンネル博物館の展示も見てみよう、と屋内に入って行くと、このトンネルに関するパンフレットが数ヶ国語に翻訳されて並んでいました。
残念ながら日本語版はありませんでしたが、英語版はあり。一冊5KM。
棚の上の方に筒になって置かれているのは、サラエヴォが紛争中に包囲されていた時の勢力分布図。
ちょっと上の方の画像で、ガイドさんが説明に使っているのと同じ地図の縮小版で、これも同じく5KM。
興味がある方へのお土産にするといいですよ。
画像の左上の方に見えているのは、このトンネル博物館を紹介している各国の新聞の切り抜きコピー。
2000年10月19日付の日本のものもありましたよ。
この時には、このトンネル博物館もまだ今のように整備されていない状態だったようです。 -
トンネル博物館内、と言っても、元々は民家なので規模は小さいんですが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での銃撃や砲撃が日常茶飯事だった頃の写真も展示されていました。
左上の画像は、紛争中も営業を続けていたスナイパー通りにあるホリデイ・イン・サラエヴォ。
報道陣が戦況を伝えていた頃のサラエヴォ市街地は、とても生きている人がいるとは思えないほどの荒廃ぶり。
下段の画像は、2011年9月中旬現在のホリデイ・イン・サラエヴォ。
少なくても外観は、紛争前と同じ色形で復元してあるように見えます。
もちろん今もホテルとして営業しています。
ここには泊まらなくても、近くにはアヴァズ・ツイスト・タワーやサラエヴォ中央駅、それに国立博物館や歴史博物館もあるので、ちょっとコーヒー休憩で寄ってみては? -
トンネル博物館内の写真展示の一つ。
トンネルを通って、サラエヴォ市街地への物資を運ぶ若い兵士。
うつむいたその顔の表情が見えない。
何を思いつつ、このトンネルを往復していたんだろうと思う。 -
トンネル博物館内の展示の一部。
民家を改装した博物館なので大きくはないんですが、サラエヴォが包囲されてトンネルを人々が行き来していた頃に使われていた物品や、当時のトンネル内を再現した様子がびっしりと展示されています。
見る側の目を意識して、こざっぱりと見やすくまとめられた展示方法だったと思います。 -
1992年から1996年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時代に、偶然サラエヴォでその時間を共にした人たちの写真も壁いっぱいに張られていたトンネル博物館。
写真の人物は、兵士だったり一般人だったり、老いも若きも、男も女も…。
このうち何人が生き延びただろう。 -
また一つ、初めて訪れた街の歴史の一端が学べたトンネル博物館。
表に出てくると、大きい団体さんが入れ違いに入って行った。
この人たちもこの小さい博物館で、何か大きい事を学んでいくのかも。
これでSUR SHANGHAIたちの市内ツアーは終わり。
また市街地のラテン橋たもとまで戻ってそこで解散。
運転手さん、ガイドさん、今日はありがとう。
お陰であなたたちの街の歴史の一部が見えて来たと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- worldspanさん 2012/01/08 17:59:25
- 興味深く拝見しました
- SUR SHANGHAIさん
はじめまして。
学生時代卒論のテーマで旧ユーゴの崩壊について取り上げたので、ボスニアの旅行記は大変興味深く拝見しました。私は95年のクロアチア内戦時にザグレブに訪れ、その時に戦争の惨状をボスニアから逃れてきた方から聞いてとても胸が痛んだのを思い出しました。またいつかこの地に再来してみたいと思います。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2012/01/08 20:02:00
- RE: 興味深く拝見しました
- はじめまして。
ご訪問、ありがとうございました。<(_ _)>
卒論のテーマにユーゴの崩壊を取り上げた方から見ると、私の旅行記は幼稚な間違いだらけの内容だったのではないでしょうか。
お気付きの点などがありましたら、お知らせ下さい。
私も内戦を経験した人たちとほんの短い間でしたが交流があったので、サラエヴォはずっと訪れてみたいと思っていました。
今回は市街地を中心に自分の足で見て回れてよかったと思います。
worldspanさんも、近いうちに再訪できるといいですね。
> SUR SHANGHAIさん
>
> はじめまして。
> 学生時代卒論のテーマで旧ユーゴの崩壊について取り上げたので、ボスニアの旅行記は大変興味深く拝見しました。私は95年のクロアチア内戦時にザグレブに訪れ、その時に戦争の惨状をボスニアから逃れてきた方から聞いてとても胸が痛んだのを思い出しました。またいつかこの地に再来してみたいと思います。
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