青梅旅行記(ブログ) 一覧に戻る
奥多摩に通じるJR青梅線・東青梅駅下車、徒歩約15分の武蔵勝沼城(かつぬまじょう、東京都青梅市東青梅)を訪問しました。<br /><br />築城者は室町時代における関東管領山内上杉氏に被官の三田氏と伝えられ、築城時期は定かではありませんが鎌倉時代後期と言われております。<br /><br />三田氏は現在の青梅市・羽村市を含む奥多摩全域を支配、全盛期には入間市方面にまでその勢力を伸ばし多摩地方の有力領主のひとつに挙げられるほどまでになります。<br /><br />やがて小田原北条氏の武蔵南部進出により三田氏も一時的に北条氏の支配下に置かれますが、永禄3年(1560)上杉謙信の関東への出陣に呼応、謙信の小田原城包囲に随陣します。ところが北条氏の長期籠城作戦に耐えられず謙信は包囲を解き越後に戻ることになります。<br /><br />これを機に再び勢いを得た北条氏の進攻が活発となり武蔵国の豪族諸氏は所領安堵の為再び北条氏の軍門に下ります。これに対し三田綱秀(みた・つなひで、1491?~1563)は北条氏の支配を嫌い徹底抗戦の姿勢を採りますが、滝山城主北条氏照(ほうじょう・うじてる、1542~1590)軍勢の攻撃を受けたまらず当城を放棄することになります。その後転々と逃げ大田氏の岩槻城に落ち延びますが遂に自刃して三田氏は滅亡に至ります。<br /><br />三田氏滅亡後は氏照の命を受けた師岡将景(もろおか・まさかげ)が城代として入城し周辺地域の経営にあたりますが天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原合戦後に廃城となったと思われます。<br /><br />尚今回訪問の中で北条氏照より当地経営を任された師岡将景に関しては光明院の一角に師岡神社が建立されていること、また当寺周辺の住所は「師岡町」であることで彼の在城中は当地域で一定の影響を及ぼしたと思われます。<br /><br />実は自分は4年ほどに当城訪問すべく近くまで来ましたが冬季夕暮れ時でもあり闇雲に歩き回るだけでとうとう断念した記憶があり、今回地図等で下調べをしましたので問題なく訪問でき満足しています。更に本城の他三田氏の支城も近隣にある由、今後関連の城跡訪問をしたいと思っています。<br /><br /><br /><br /><br />2022年3月7日追記<br /><br />訪問時の城郭に配されT案内板には下記の通り説明が記されています。<br /><br /><br />「勝沼城跡<br /><br />勝沼城の築城年代や築城者の名前は不明である。<br /><br />平将門の末裔と称し多摩川上流地域を領していた三田氏の居城であったが永禄6年(1563)滝山城の北条氏照によって滅ぼされた。<br /><br />勝沼城にはその後北条氏照の家臣師岡山城守将影が入って城の改変を行なったため師岡城ともいわれている。<br /><br />天正18年(1590)八王子城落城とともに廃城となった。<br /><br />現在は三つの曲輪が現存しており、空堀や土塁などの遺構が良好に保存されている。<br /><br />昭和50年東京都の歴史的環境保全地域に指定され、現在青梅市が管理している。<br /><br />   平成6年3月31日<br />                 東京都教育委員会 」<br /><br /><br /><br /><br />

武蔵青梅 多摩の豊富な森林資源を背景に独自領地経営を貫いた結果小田原北条氏照に粉砕された三田氏本拠『勝沼城』訪問

10いいね!

2011/09/23 - 2011/09/23

398位(同エリア733件中)

0

21

滝山氏照

滝山氏照さん

奥多摩に通じるJR青梅線・東青梅駅下車、徒歩約15分の武蔵勝沼城(かつぬまじょう、東京都青梅市東青梅)を訪問しました。

築城者は室町時代における関東管領山内上杉氏に被官の三田氏と伝えられ、築城時期は定かではありませんが鎌倉時代後期と言われております。

三田氏は現在の青梅市・羽村市を含む奥多摩全域を支配、全盛期には入間市方面にまでその勢力を伸ばし多摩地方の有力領主のひとつに挙げられるほどまでになります。

やがて小田原北条氏の武蔵南部進出により三田氏も一時的に北条氏の支配下に置かれますが、永禄3年(1560)上杉謙信の関東への出陣に呼応、謙信の小田原城包囲に随陣します。ところが北条氏の長期籠城作戦に耐えられず謙信は包囲を解き越後に戻ることになります。

これを機に再び勢いを得た北条氏の進攻が活発となり武蔵国の豪族諸氏は所領安堵の為再び北条氏の軍門に下ります。これに対し三田綱秀(みた・つなひで、1491?~1563)は北条氏の支配を嫌い徹底抗戦の姿勢を採りますが、滝山城主北条氏照(ほうじょう・うじてる、1542~1590)軍勢の攻撃を受けたまらず当城を放棄することになります。その後転々と逃げ大田氏の岩槻城に落ち延びますが遂に自刃して三田氏は滅亡に至ります。

三田氏滅亡後は氏照の命を受けた師岡将景(もろおか・まさかげ)が城代として入城し周辺地域の経営にあたりますが天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原合戦後に廃城となったと思われます。

尚今回訪問の中で北条氏照より当地経営を任された師岡将景に関しては光明院の一角に師岡神社が建立されていること、また当寺周辺の住所は「師岡町」であることで彼の在城中は当地域で一定の影響を及ぼしたと思われます。

実は自分は4年ほどに当城訪問すべく近くまで来ましたが冬季夕暮れ時でもあり闇雲に歩き回るだけでとうとう断念した記憶があり、今回地図等で下調べをしましたので問題なく訪問でき満足しています。更に本城の他三田氏の支城も近隣にある由、今後関連の城跡訪問をしたいと思っています。




2022年3月7日追記

訪問時の城郭に配されT案内板には下記の通り説明が記されています。


「勝沼城跡

勝沼城の築城年代や築城者の名前は不明である。

平将門の末裔と称し多摩川上流地域を領していた三田氏の居城であったが永禄6年(1563)滝山城の北条氏照によって滅ぼされた。

勝沼城にはその後北条氏照の家臣師岡山城守将影が入って城の改変を行なったため師岡城ともいわれている。

天正18年(1590)八王子城落城とともに廃城となった。

現在は三つの曲輪が現存しており、空堀や土塁などの遺構が良好に保存されている。

昭和50年東京都の歴史的環境保全地域に指定され、現在青梅市が管理している。

   平成6年3月31日
                 東京都教育委員会 」




交通手段
JRローカル 徒歩
  • 妙光院<br /><br />城山通り沿いの妙光院から入ります。自分は妙光院からですが、結果として左側にある光明寺から急峻なお墓を登る道が便利かなと思います。<br /><br /><br />

    妙光院

    城山通り沿いの妙光院から入ります。自分は妙光院からですが、結果として左側にある光明寺から急峻なお墓を登る道が便利かなと思います。


  • 妙光院・本堂<br /><br />落着いた雰囲気がいいですね。お彼岸で先祖墓参の人々が集まってます。<br />左手駐車場から登ってゆきます

    妙光院・本堂

    落着いた雰囲気がいいですね。お彼岸で先祖墓参の人々が集まってます。
    左手駐車場から登ってゆきます

  • 歴史環境保全地域・案内図<br /><br />この先の妙光院の墓地の先を行くとまもなく勝沼城跡が現れます。<br />

    歴史環境保全地域・案内図

    この先の妙光院の墓地の先を行くとまもなく勝沼城跡が現れます。

  • 勝沼城・土塁<br /><br />登る途中に多数の土塁が見えます。

    勝沼城・土塁

    登る途中に多数の土塁が見えます。

  • 勝沼城・登り口<br /><br />道の左端の偽木が通路の目印でしょうか。

    勝沼城・登り口

    道の左端の偽木が通路の目印でしょうか。

  • 勝沼城跡・案内板<br />                                                    案内板には書かれてませんが「勝沼」の由来は当地周辺は沼地でこの沼にかつみ草(まこも)が茂り「かつみ沼」と呼ばれていましたが築城後は「勝沼」と呼ばれるようになったそうです。<br /><br />勝沼城の周囲は多摩川及び沼地といった自然を利用した要害を形成していたことがわかります。<br />

    勝沼城跡・案内板
                                                        案内板には書かれてませんが「勝沼」の由来は当地周辺は沼地でこの沼にかつみ草(まこも)が茂り「かつみ沼」と呼ばれていましたが築城後は「勝沼」と呼ばれるようになったそうです。

    勝沼城の周囲は多摩川及び沼地といった自然を利用した要害を形成していたことがわかります。

  • 勝沼城郭跡<br /><br />広びろとした城郭です。周辺の土塁に囲まれてます。

    イチオシ

    勝沼城郭跡

    広びろとした城郭です。周辺の土塁に囲まれてます。

  • 勝沼城・土塁

    勝沼城・土塁

  • 勝沼城・土塁

    勝沼城・土塁

  • 勝沼城・深い空堀<br /><br />樹木や薮に覆われてますが深い空堀が見えます。

    勝沼城・深い空堀

    樹木や薮に覆われてますが深い空堀が見えます。

  • 勝沼城・土塁<br /><br />画面奥に土塁が確認できます。

    勝沼城・土塁

    画面奥に土塁が確認できます。

  • 勝沼城・空堀

    勝沼城・空堀

  • 勝沼城・深い空堀<br /><br />落ちると上がってこれません。

    勝沼城・深い空堀

    落ちると上がってこれません。

  • 勝沼城・見事な土塁

    勝沼城・見事な土塁

  • 勝沼城・土塁

    勝沼城・土塁

  • 勝沼城・本丸(丘陵地南端)<br /><br />現在は市街が一望できる展望台となってます。

    勝沼城・本丸(丘陵地南端)

    現在は市街が一望できる展望台となってます。

  • 展望台<br /><br />ここから正面が青梅市街、左手に福生市街が展望できます。周辺の環境に配慮した偽木が印象的です。

    展望台

    ここから正面が青梅市街、左手に福生市街が展望できます。周辺の環境に配慮した偽木が印象的です。

  • 青梅市街<br /><br />展望台からの街並みを見ます。見晴らしがとてもいいですね。

    イチオシ

    青梅市街

    展望台からの街並みを見ます。見晴らしがとてもいいですね。

  • 隣の光明寺側から丘陵を見上げる<br /><br />展望台は当寺の墓地の奥にある事がわかります。

    隣の光明寺側から丘陵を見上げる

    展望台は当寺の墓地の奥にある事がわかります。

  • 逞しい土塁

    逞しい土塁

  • 堀切<br /><br />城郭からの帰路は光明寺の奥から降りました。画面奥に同寺の墓地最上端が窺えます。

    堀切

    城郭からの帰路は光明寺の奥から降りました。画面奥に同寺の墓地最上端が窺えます。

この旅行記のタグ

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP