2011/10/23 - 2011/10/23
2510位(同エリア3036件中)
キヌちちさん
広島平和記念資料館に足を運び、太平洋戦争の終結のために広島が体験した「原爆地獄」を学んできました。東電の福島原発事故もあり、核の恐ろしさがより身近に感じられました。長崎も含めて原爆で亡くなられたすべての人々のご冥福をお祈りいたします。合掌。
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人影の石。爆心地から260m離れた紙屋町の銀行入り口の階段で腰掛けて開店を待っていた人は、原爆の閃光を受けて死亡した。強烈な熱線により周りの石段の表面が白っぽく変化、人が腰掛けていた部分が影のように黒くなって残った。
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熱線による人的被害。原子爆弾の爆発の瞬間、空中に発生した火球は1秒後に直径280mの大きさになり、約10秒間続いた。この火球から四方に放出された熱線は、爆発後100分の1秒から約3秒間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の地表面の温度はセ氏3000から4000度に達した。
右端は爆心地から1500m離れた地点で被爆して死亡した高等女学生の着ていたモンペ。右から2番目は爆心地から1350m離れた地点で被爆して死亡した50歳の国民学校教諭が持っていた雑嚢。 -
左側は爆心地から900m離れた広島城本丸の大杉の一部で、熱線で幹の内部が焼けてしまった。右側は熱線で焼けた松です。
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左側は原爆の熱線により剥がれた仏像の頭部。右側は爆心地から450m離れた誓願寺にあった仏像の頭部で、どちらも砂岩製。
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黒い爪。爆心地から900m離れた赤穂部隊司令部で被爆した男性の爪。左手を窓から外に出していたため、強力な熱線で火傷を負い、爪と皮膚が剥がされ、その後、左手中指と薬指の爪が異常に黒く変形した。
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爆心地から1900m離れた広島駅で被爆した女性の子供のワンピースと8月6日付の国鉄切符。
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爆心地から1200m離れた建物疎開作業現場で勤労奉仕作業中に被爆して4日後に死亡した34歳の女性のシュミーズ(右端)とモンペ(右から2つ目)。
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熱線で焼けた瓦に触れることができる。
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左側は爆心地から800m離れた建物疎開作業現場で被爆して死亡した高等女学生の衣服、右側は爆心地から600m離れた建物疎開作業現場で被爆して死亡した中学生の服です。
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爆心地から2670m離れた広島陸軍被服支廠の2つの建物に挟まれた位置にあったレンガ塀です。強烈な爆圧振動で塀の上部が3角形に持ち上がった。
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左側は爆心地から900m離れた斜屋町(現堀川町)で倒壊を免れた醤油醸造用の鉄筋コンクリート製煙突。右側は爆心地から2670m離れた広島陸軍被服支廠の窓の鉄製扉で、爆風によって押し曲げられた。
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左側は爆心地から2500m離れた比治山南東の山すその家の2階へ上がる階段の壁。爆心地側には比治山があり爆風の直撃を受けなかったものの、巻き込んで吹いてきた強烈な爆風のために割れた窓ガラス片が飛び散り、突き刺さった。
右側は爆心地から300m離れた相生橋の橋桁。フランジ部が強烈な爆風によって変形した。 市街地の中央に位置する相生橋は、原爆投下目標にされたといわれている。 -
爆心地から330m離れた7階建てビルの広島富国館。強烈な爆風の垂直圧で最上階天井の鉄骨が切断され、大きく曲がった。
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爆心地から330m離れた袋町の広島富国館屋上に落下したトタン板。
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左側は土などが付着したアワビ形の鉢、右側は変形したガラス瓶。
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溶けた瓦の塊
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爆心地から1800m離れたインク工場跡から掘り出されたガラス小瓶。小瓶は火災の熱で溶けてくっ付いて塊になっていた。
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変形したガラス瓶やコップ、仏像など。
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8月9日に爆心地から1000m離れた住宅にあった家族の消息が書かれた瓦。
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収蔵資料の紹介
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原爆投下の翌日に広島警備担任司令官船舶司令官名で出された「広島市民に告ぐ」。戦災復旧と米軍への抗戦を呼び掛けている。
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ビラ類
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米軍の散布ビラの届け出を求める、内務省令。
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ビラ類
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ビラ類
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熱線の身体に及ぼす影響
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被害の状況と熱傷の種類
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爆風圧による被害、爆風圧と負圧。
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大火災による被害
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焦土に残されたもの
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