三軒茶屋・駒沢旅行記(ブログ) 一覧に戻る
東急世田谷線に乗って松蔭神社(しょういんじんじや、東京都世田谷区若林)を訪問、ルートとしては京王線下高井戸駅で三軒茶屋駅行の小振りでカラフルな2輌編成の東急専用車両に乗換え、約10分しますと松蔭神社前駅に到着します。<br /><br />自分としては東京都内及び周辺の電車利用している中で東急世田谷線の途中下車はほとんど無く今回が始めての下車となりました。<br /><br />ご存知との通り幕末の思想家・教育者である吉田松陰(よしだしょういん、1830~1859)を祀る神社で学問の神として崇敬されています。松蔭は1830年9月20日長州藩士杉百合之助の二男として生まれ幼名は虎之助、6歳の時叔父で山鹿隆兵学師範吉田大助の養子となり大次郎と改名しますが通称は虎次郎、その後同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けたそうです。<br /><br />当時西洋列国がアジアに進出する中、松蔭は清がアヘン戦争で西洋列国に大敗する事を知り、従来の兵学では対抗できないとし西洋兵学を学ぶ事に認識を変えます。他方東北地方遊学の際通行手形持たず他藩に赴くという脱藩行為により士籍家禄を失うことになります。各藩の有識者と交流が進むに従い、外国留学の意思を固めてぺリー艦隊の来航を捉え密航を訴えますが受け入れられず結果幕府へ自首し長州藩に檻送され獄に幽囚されます。<br /><br />生家で預かりの身となった松蔭は叔父が開いていた松下村塾を引き受け、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の指導者となる人材を育て上げます。<br />1858年、幕府が勅許を得ずに日米修好通商条約を結んだことに異議を唱え、幕府の存在がわが国の障害であるとの認識から倒幕の道を進み、幕府老中暗殺計画を立てますが頓挫し、幕府の知るところとなり松蔭は捕らえられ野山獄に収監されます。<br /><br />やがて大老井伊直弼(いい・なおすけ)による安政の大獄が始まりますと松蔭は江戸の伝馬町牢屋敷に送られ、尋問に対し松蔭は老中暗殺計画を自供し自らの考えを語り直弼の断により1859年10月27日同所にて斬首刑されます。(享年30歳)<br /><br />混沌とした江戸末期に生まれ、日本の方向性を見定め時の権力に立ち向かう純粋な姿には頭が下がり、同時に新しい夜明けを担う多くの人材を輩出させた教育者としての資質にも敬服するばかりです。<br />尚当神社からすぐ近くの豪徳寺は安政の大獄を起こし、松蔭を刑死させた井伊直弼の菩提寺であります。<br />

武蔵世田谷 幕末の思想家・教育者で安政の大獄にて刑死、後に門下生であった高杉晋作並びに伊藤博文らが創建した吉田松陰を祀る『松蔭神社』散歩

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2011/09/01 - 2011/09/01

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滝山氏照

滝山氏照さん

東急世田谷線に乗って松蔭神社(しょういんじんじや、東京都世田谷区若林)を訪問、ルートとしては京王線下高井戸駅で三軒茶屋駅行の小振りでカラフルな2輌編成の東急専用車両に乗換え、約10分しますと松蔭神社前駅に到着します。

自分としては東京都内及び周辺の電車利用している中で東急世田谷線の途中下車はほとんど無く今回が始めての下車となりました。

ご存知との通り幕末の思想家・教育者である吉田松陰(よしだしょういん、1830~1859)を祀る神社で学問の神として崇敬されています。松蔭は1830年9月20日長州藩士杉百合之助の二男として生まれ幼名は虎之助、6歳の時叔父で山鹿隆兵学師範吉田大助の養子となり大次郎と改名しますが通称は虎次郎、その後同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けたそうです。

当時西洋列国がアジアに進出する中、松蔭は清がアヘン戦争で西洋列国に大敗する事を知り、従来の兵学では対抗できないとし西洋兵学を学ぶ事に認識を変えます。他方東北地方遊学の際通行手形持たず他藩に赴くという脱藩行為により士籍家禄を失うことになります。各藩の有識者と交流が進むに従い、外国留学の意思を固めてぺリー艦隊の来航を捉え密航を訴えますが受け入れられず結果幕府へ自首し長州藩に檻送され獄に幽囚されます。

生家で預かりの身となった松蔭は叔父が開いていた松下村塾を引き受け、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の指導者となる人材を育て上げます。
1858年、幕府が勅許を得ずに日米修好通商条約を結んだことに異議を唱え、幕府の存在がわが国の障害であるとの認識から倒幕の道を進み、幕府老中暗殺計画を立てますが頓挫し、幕府の知るところとなり松蔭は捕らえられ野山獄に収監されます。

やがて大老井伊直弼(いい・なおすけ)による安政の大獄が始まりますと松蔭は江戸の伝馬町牢屋敷に送られ、尋問に対し松蔭は老中暗殺計画を自供し自らの考えを語り直弼の断により1859年10月27日同所にて斬首刑されます。(享年30歳)

混沌とした江戸末期に生まれ、日本の方向性を見定め時の権力に立ち向かう純粋な姿には頭が下がり、同時に新しい夜明けを担う多くの人材を輩出させた教育者としての資質にも敬服するばかりです。
尚当神社からすぐ近くの豪徳寺は安政の大獄を起こし、松蔭を刑死させた井伊直弼の菩提寺であります。

交通手段
私鉄 徒歩
  • 東急世田谷線下高井戸駅<br /><br />京王線下高井戸駅下車、すぐ隣に同電車が発着する2面のホームで待機しています。運転手の他車掌(女性)が乗務しています。<br />

    東急世田谷線下高井戸駅

    京王線下高井戸駅下車、すぐ隣に同電車が発着する2面のホームで待機しています。運転手の他車掌(女性)が乗務しています。

  • 松蔭神社前駅と横断道路<br /><br />下高井戸駅から6番目(終点は10番目)となります。都電荒川線同様、東京都内に残っている路面電車形式でゲージは1372mmで標準軌(新幹線)と狭軌の中間の位置です。路線総延長は5.0km、所要時間は17~18分です。<br />現在の世田谷線は1925年1月に三軒茶屋~世田谷が玉川電気鉄道 (玉電)の支線として開業、同年5月に残りの世田谷駅~下高井戸が開業します。<br />1938年3月、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)に併合され玉川線となり、1969年5月に玉川線の渋谷駅~二子多摩川園駅が廃止され、残る支線部分が世田谷線に改称し現在に至ります。<br /><br />

    松蔭神社前駅と横断道路

    下高井戸駅から6番目(終点は10番目)となります。都電荒川線同様、東京都内に残っている路面電車形式でゲージは1372mmで標準軌(新幹線)と狭軌の中間の位置です。路線総延長は5.0km、所要時間は17~18分です。
    現在の世田谷線は1925年1月に三軒茶屋~世田谷が玉川電気鉄道 (玉電)の支線として開業、同年5月に残りの世田谷駅~下高井戸が開業します。
    1938年3月、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)に併合され玉川線となり、1969年5月に玉川線の渋谷駅~二子多摩川園駅が廃止され、残る支線部分が世田谷線に改称し現在に至ります。

  • 松蔭神社全景<br /><br />駅前の商店街を暫く歩きますと交差点の左前方に神社が現れます。<br />松蔭の生地である山口県萩市には誕生地、投獄された野山獄、松下村塾の他明治23年に建立された松蔭神社があります。

    松蔭神社全景

    駅前の商店街を暫く歩きますと交差点の左前方に神社が現れます。
    松蔭の生地である山口県萩市には誕生地、投獄された野山獄、松下村塾の他明治23年に建立された松蔭神社があります。

  • 松蔭神社案内板<br /><br />安政の大獄に連座し30歳で刑死した松蔭は4年後に門下生の高杉晋作、伊藤博文らによって藩主の所領である当地に改葬されました。1882年松蔭門下生によって松蔭の御霊を祀る神社が創建されたそうです。

    松蔭神社案内板

    安政の大獄に連座し30歳で刑死した松蔭は4年後に門下生の高杉晋作、伊藤博文らによって藩主の所領である当地に改葬されました。1882年松蔭門下生によって松蔭の御霊を祀る神社が創建されたそうです。

  • 神社参道前面<br /><br />過日の台風被害を受けてカバ?されており、通行できずやむなく左側側道から入場しました。

    神社参道前面

    過日の台風被害を受けてカバ?されており、通行できずやむなく左側側道から入場しました。

  • 神社に向かう参道<br /><br />参拝客が少なく静寂なたたずまいです。

    神社に向かう参道

    参拝客が少なく静寂なたたずまいです。

  • 御社殿<br /><br />1882年(明治15年)の創建で吉田松陰を祀っています。

    御社殿

    1882年(明治15年)の創建で吉田松陰を祀っています。

  • 松下村塾(模擬)<br /><br />山口県萩の松下村塾を模したものだそうです。このちっぽけな小屋が新しい時代を作り上げる人材を輩出したとは不思議でなりません。<br />

    イチオシ

    松下村塾(模擬)

    山口県萩の松下村塾を模したものだそうです。このちっぽけな小屋が新しい時代を作り上げる人材を輩出したとは不思議でなりません。

  • 松下村塾案内板<br /><br />案内板の右には主だった塾生の写真と名前が掲載、その中に高杉晋作、伊藤博文、山県有朋等の写真が見られます。<br />松下村塾出身者の何人かが明治維新後の政府中枢で活躍したことを考え合わせると松蔭の思想上の影響は少なからずあった事でしょう。

    松下村塾案内板

    案内板の右には主だった塾生の写真と名前が掲載、その中に高杉晋作、伊藤博文、山県有朋等の写真が見られます。
    松下村塾出身者の何人かが明治維新後の政府中枢で活躍したことを考え合わせると松蔭の思想上の影響は少なからずあった事でしょう。

  • 徳富蘇峰植樹の碑<br /><br />明治41年自身の著述「吉田松陰」発刊にあたり植樹を行い碑を建立しました。

    徳富蘇峰植樹の碑

    明治41年自身の著述「吉田松陰」発刊にあたり植樹を行い碑を建立しました。

  • 植樹案内板<br /><br />徳富蘇峰は明治時代の言論人で徳富蘆花の実兄です。

    植樹案内板

    徳富蘇峰は明治時代の言論人で徳富蘆花の実兄です。

  • 松蔭神社入口交通標識<br /><br />世田谷通りからの入口です。

    松蔭神社入口交通標識

    世田谷通りからの入口です。

  • バス停松陰神社前<br /><br />バスも頻繁に通り利便性は良いです。

    バス停松陰神社前

    バスも頻繁に通り利便性は良いです。

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