2011/09/30 - 2011/09/30
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ぱっしょんKさん
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10月1日前後の国慶節のお休み。
今年は彼女がいけないので、1人旅に出発。
2008年に瀋陽に行った際に故宮と昭陵は訪問済み。どうせ1人ならきつい日程でも大丈夫だとの判断で、東北地方残りの世界遺産と長白山。帰り際に長春によって偽満皇宮博物館にいってきます。
では予定
9/29
飛行機移動 広州→瀋陽
瀋陽泊
9/30
福陵(世界遺産)
午後新賓満族自治県永陵鎮にバス移動
永陵鎮泊
10/1
永陵(世界遺産)
ヘトゥアラ古城
永陵鎮泊
10/2
バス移動 永陵→桓仁
五女山城(世界遺産)
桓仁泊
10/3
バス移動 桓仁→集安
高句麗遺跡群(世界遺産)
集安泊
10/4
午前中 高句麗遺跡群
列車移動 集安→通化
玉皇山公園
通化泊
10/5
午前中 列車移動 通化→白河
バス移動白河→長白山
長白山泊
10/6
長白山
長白山泊
10/7
飛行機移動 長白山→長春
偽満皇宮博物館
夜飛行機移動 長春→広州
ポイントは列車移動の切符。9/26に広州東駅で取れるかどうかです。まぁがんばってみます。
とここまでが、行ってきます!に書いていた内容。
結局販売初日に列車の切符が取れず。というよりシステムに列車の席が全く出てこない。通化から集安なんてローカル線の最たる物で売り切れはおかしい。と思い、これは、別地区では販売しない列車か?との予想を立て、現地で購入できないか確認することに。
通化から白河までの代替えのバスも調べると少ないようです。
不安を抱えながら、出発することになりました。
結果、予定とは全く違う旅行になりましたが、心配していたのとは別の原因でそうなることなど、29日の出発時点では予想すらしていませんでした。
9/30
6時には起き、瀋陽駅枢紐バスターミナル(新瀋陽南バスターミナル)へ行って、新賓行きのバスの時間を確かめ、情報通り夕方のバスがあれば、チケットを買って戻り、駆け足で瀋陽を観光する。予定でしたが、前日の飛行機の遅れで4時に眠るはめになった僕は朝は8時半に起床。すぐにバスターミナルに出発。時刻表を確認すると、永陵を通化する新賓行きのバスは1時間に1本の割合で出ている事を確認。
「結構本数あるんだなぁ。しかも最終は17時出発じゃん!!」
安心して完全に気がゆるみました。ふだんなら絶対にしない判断をここで行ってしまいます。
バスターミナルは結構な人。夕方、当日出発のバスがすくなくなって利用客が減ったころに切符を買いに来て、明日朝出発。この日はもう一泊遼寧賓館に宿泊しよう!
結果この旅行2番目に大きなミスをしでかしました。
翌日が10月1日。中国の国慶節だということを完全に忘れていたのです。
まさに波乱の旅行が幕を明けた9/30スタートです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日4時に寝るはめになった僕は朝6時に起きるというそもそもの予定を大幅に越えた8時に起床。
撫順市新賓行きのバスの時間確認と切符の購入の為に8月にオープンした瀋陽駅枢紐バスターミナルにタクシーで向います。
出発前にインターネットでバスを調べたら、朝6時台と7時台に1本づつ。夕方16時に1本と出ていました。ただこの検索サイトが結構あてにならないので、夕方の便が本当にあるのかを確かめに行くのが一番の目的です。
遼寧賓館の向かい、中山広場には毛沢東の銅像があります。
おはようございます! -
瀋陽駅枢紐バスターミナルに到着。バスターミナルの外に新賓行きバスの時刻表があり、時間を確認すると、1時間に1本の割合で、バスがあり、途中行きたい永陵鎮を経由するようです。
これはいい!
と喜び中に入ってみると、かなりの人が窓口に。
「朝8時台は各方面へのバスが出発する時間だから人が多いな。1時間に1本あるならあわてなくてもいいか。それに昨日遅くに着いたから正直またバスに乗るのは嫌だな。遼寧賓館でもう一泊しよう。
出発するバスの少なくなった夕方にもう一度来て、翌日の朝のバスの切符を買う事にしよう。」
と考え、ホテルに歩いて戻る事に。
僕はここで重大なミスをしていることに気付きませんでした。
翌日は10月1日。国慶節であることをすっかり忘れてしまっていたのです。前日の飛行機の遅れで寝不足なため、当日の移動をしたくないという気持ちがなにより優先してしまっていたのです。
この判断が今回の旅行全体を揺るがす大事件となるのです。 -
瀋陽駅枢紐バスターミナルから歩いて100メートルほどで、瀋陽駅(旧奉天駅)の前に出ます。
大連駅が上野駅をモデルにしているのに対して、旧奉天駅は東京駅がモデルになっています。
後ろに最近の中国の高速鉄道発着駅に見えるアーチ状の屋根が作られているのが見えます。まさか駅舎を変えたりはしないでしょうね。それだけはナシにしてほしいです。 -
駅を過ぎて、中山広場まで延びる中山路に入ります。
-
古い建物が立て直されているのでしょうか。低い建物と高い建物が混在していて、他の通りとは趣が違います。
-
2度目の登場。毛沢東同志は中山路に向って手を上げています。
遼寧賓館に戻ってきました。
まずフロントでもう一泊したい事を伝え、OKをもらったところで食事へ向います。 -
朝食の場は1階。
バイキングスタイルです。
一番奥で自分で選んで部屋に移動して席につきます。 -
ドアの開いている、右側の部屋が朝食を取る部屋。
左が結婚式などを行う広い部屋。
廊下には来店したえらい人の写真が飾られています。 -
マントウと包子を中心に玉子と炒め物を頂きます。
コーヒーがあるのがうれしいです。
食事を終え、福陵(東陵)に出かけます。 -
南京南路を歩く事10分。地下鉄1号線太原街駅に着きます。
ここから地下鉄に乗ります。
3年前に来た時は、まだ地下鉄がなく、バスで信号と混む道路にいらいらしましたが、地下鉄ができたのは大きいです。 -
とりあえず終点黎明広場まで向います。
東陵まで建設中って3年前に聞いたのですが、途中までで開通したようです。 -
黎明広場に到着しました。
-
周り、なぁんもありません。
和睦路の様子です。
東陵西路まで歩いて向います。 -
新東一街を通って東陵西路に向います。
-
新東一街を歩くと大きな二0一病院があります。
-
その向かいがわにはマンションが建ち並び、できたばかりの地下鉄駅の周りとは大分違う雰囲気になってきました。
-
東陵西路に出てきました。
-
大きな通りです。
東陵を過ぎて、撫順市へと続く道です。
ここから218路バスに乗って東陵に向います。バス停名は二0一。 -
バスの中。
エアコンなし。夏は涼しいからいいけどさ。。
冬これはきついぞ!きっと。
ちなみに一乗り1元。 -
終点の東陵公園に降り、何人か福陵に向いましたが、みんな東陵西路をあるいて正門のほうに。
僕はなんとなくバスの駐車場方面へ進み、そこからたまたま見つけた細い道を進みます。
すると石牌を発見。
よく見ると、下馬の文字が。
ここで、皇帝ですら馬を降りなければならないという下馬牌のようです。 -
福陵の正門、正紅門の正面左右にある牌坊です。
下馬牌から徒歩で皇帝がこの下を通って福陵に入って行ったんだと思いますが、柵で下には入れない様になっています。 -
獅子と正門というべき正紅門です。
-
正紅門に向って右側に連なる、城壁と清福陵の碑。
すぐ隣にチケット販売所があります。金額は40元(だった気がします) -
正紅門です。
一番右のゲートから中に入ります。
ここでチケットの確認があります。 -
華表というらしいです。
一番上の獅子?が空を見上げています。
華表というのが何を表すかは知りません。 -
清朝、明朝の皇帝の陵墓にはつきもの神道の両脇の石像生。
一番手前は駱駝。 -
神道からえらい遠いところに駱駝さんいらっしゃいます。
望遠レンズつかわないとこんな向うに見えます。 -
駱駝の次は馬。
-
これも同じく遠い。
-
3匹目もあんなに向うに。
-
犬かな?
-
最後は
-
やっぱり獅子がいます。
福陵の石像生は4種類。今まで見てきた陵墓の中では一番少なかったです。 -
そして、獅子の隣には再び華表が。
石像生をはさんで2本2対計4本が立っています。 -
歩いてきた神道。正紅門方面を振り返ります。
-
山にできている福陵はここから上り坂の橋になります。
途中から階段が始まり、108段階段になっています。この108段という数はここの風水から割り出した数だとか。
そして、その108段が終わるとまた上りの橋になっています。
この橋は臥波橋(レインボーブリッジ)というそうです。 -
臥波橋の終りに最後の階段が出てきて、その上に大牌楼が見えてきます。
-
大牌楼の中には石牌があります。
-
なになに斉班房?
皇帝のお供が休憩につかった。
どれ? -
ああ。この奥の建物かいな?
パシャ。
近くに行ってみよう。 -
ん?建物の前に説明書きがあるぞ。
漆器房。
漆器を洗ったり、保存しておく部屋。
ってことはこの建物は(上の写真の建物)は漆器房。 -
ってことは?
このガラスで守られてる建物跡が斉班房ってことかいな!! -
その隣の跡地はボウボウ(食へんに孛)房。
祭事に食べる食事を作る部屋だったそうです。 -
大牌楼の後ろ、左側にある膳房。
別名東方房。食事を用意したところ。 -
膳房の奥。
果房。
果物を用意した部屋。
今はお土産屋さんに利用されていました。 -
そして果房の向かい側茶房。
お茶やお菓子を用意したところ。
現在は清福陵珍品展会場。入場に10元が必要でした。
覗きましたが、故宮などで見れる、陶器や生活用品などが展示されていました。 -
大牌楼の真後ろ。
陵墓の中心方城の門にあたる隆恩門。
ここから延びる城壁で中の建物は囲われています。 -
隆恩門をくぐって行きます。
-
方城の中に入ってきました。
皇帝の象徴黄色い瓦がかぶされた建物がいくつも並びます。 -
この城壁と角楼に囲まれているから方城といいます。
方城は登れますが、まずは方楼の中を歩いて進みます。 -
本殿というべき隆恩殿の手前左右に同じ形の建物があります。
右側が、東配殿。 -
左側が西配殿です。
両方とも、中には、清朝の歴代皇帝(ヌルハチからラストエンペラー溥儀まで)とお妃の人形と葬られているお墓が紹介されています。 -
ヌルハチとイエホナラ氏。ここ福陵に眠っています。
-
こんな感じで皇帝の人形とそのお墓のパネルが展示されています。
-
乾隆帝とその妃の一人容妃。ウイグル族の民族衣装と花帽が一人違う感じをしめしています。
-
乾隆帝のお墓は清東陵の裕陵。
説明がされています。
東陵事件で当時の軍閥が西太后のお墓とともに盗掘、略奪したお墓です。溥儀が日本に接近する原因になったといわれています。 -
そして隆恩殿。
本殿です。 -
隆恩殿の正面の階段の中心には、皇帝の象徴、龍の彫り物があります。
-
隆恩殿の梁。
立派です。 -
隆恩殿の額牌。
漢字、ウイグル語、満州語で書かれている様です。 -
隆恩殿から隆恩門を望みます。
-
隆恩殿をチベット仏教のルールに則って時計周りに裏に進みます。
(勉強してるでしょ!) -
裏には二柱門。その前には、石五供という石造りのお供え物が。
3年前行ったの昭陵にも同じ物がありましたが、中身は調べていないので不明です。
お酒の入った壷みたいなのはありますがね。 -
大明楼の下をくぐると方城の一番奥に到着。
こんな物があります。
これこそ勉強不足。なんだかわかりません。
ただ、これも昭陵にもありました。 -
さてここから方城の城壁の上に上がります。
角楼と大明楼の間に階段があります。 -
この階段から後ろに見える大明楼に上がります。
-
城壁の上から隆恩殿と隆恩門の方向を望みます。
その後更に奥、ヌルハチ皇帝の眠る宝頂のある月牙城に進みます。 -
これが宝頂。
この下でヌルハチとイエホナラ氏が眠っています。
ただ、昭陵のように手入れされていませんね。草ボウボウです。 -
方城の角楼に戻ってきました。
方城の一番奥、宝頂の一番前にあたる城壁が三日月型に反っている事が分かります。
このことから、福陵の宝頂のあるところは月牙城(中国語で三日月城の意味)と呼ばれているそうです。 -
城壁の上を隆恩門の方向に戻ります。
やっと大明楼を写真に納められるところを見つけました。
この福陵で一番高い建物だそうです。 -
僕が行ったんだという証拠も一枚くらいはupしておかなくては。
西配殿の裏から、隆恩殿と大明楼を望んで記念撮影です。 -
今度は逆に隆恩門を望みます。
西配殿の屋根に獅子が座っています。 -
西配殿、東配殿、隆恩殿、大明楼を望みます。
このときにスタッフの人が隆恩殿の中から、黄色い祭壇の用な物を出してきたのが見えました。 -
隆恩門の上の楼閣です。
どことなく日本のお城にも通じるような。。。 -
隆恩門から大牌楼を望みます。
-
隆恩門の脇にある階段を降り、出口に向います。
その前に祭壇が出されていた、隆恩殿を再度写真に納めます。 -
売店の人が今日は人がすくない。
と愚痴っていましたが、旅行者にはラッキーです。
一番混む正紅門の石碑で三脚を使ってゆっくりと記念撮影ができました。 -
獅子の後ろ姿もあんまり見ないから、人がすくないこんなときに撮っておきましょ。
いかつい顔とギャップがあるかわいい後ろ姿です。 -
左右の牌坊の前に4本ずつ満州八旗がはためいていました。
ゆっくりと福陵を見て大満足でした。
この日はもう一泊瀋陽に泊まる事を決めたので、予定になかった張氏帥府博物館に行くことにして、バスで二0一に戻ります。 -
乗ってきた218路はここ東陵公園が始発です。
東陵公園のとなりにバスの停車場がありますが、そこでは乗れません。
東陵西路に出てバス停で乗ることになります。 -
我が社の中国本社の隣にある、大連一汽バスの旧型バスです。
行き同様ぼろぼろです。料金は1元。
二0一バス停まで戻り、そこから再び歩いて地下鉄の黎明広場駅に向います。 -
地下鉄黎明広場駅。ここが始発です。
中街まで向います。 -
まだ開通したばかりの瀋陽地下鉄1号線。
列車もきれいです。 -
瀋陽の中心街中街。ビルに囲まれた歩行者天国のど真ん中に駅があります。
-
中街です。
大きな百貨店が並んでいて、さすがは省都と感じます。 -
時間は2時を回っていました。
地下鉄出口のすぐ横に有名な老辺餃子館の本店があります。
ここの蒸し餃子は皇帝御用達だったのです。
もう2時だから空いているだろうと思い、ここで遅めの昼食を取る事にしました。 -
ところが、やっぱり有名店は時間は関係ないんですね。
ほぼ席はいっぱい。
一人ならと一番隅っこの狭いテーブルに通されました。
一人ならこれでも十分です。 -
まずはビール。
瀋陽といえば雪花ビール。
ということでこれを注文。
ただ、このビール、武漢で作られていました。日本同様どこの工場で作られてるかは中国でも実物見ないと分からなくなってきています。 -
まぁ、これは間違えなくここで作られています。
羊肉の蒸し餃子とブタ肉とニラの蒸し餃子。
蒸し餃子はめずらしいですが、味はすごくおいしかったです。
皇帝はこれを食べていたんですね〜。
ビールと合わせて60元くらいでした。 -
食事を終え3時過ぎに張氏帥府博物館に到着。
地元の人には大帥府のほうが通りがいいです。
門の前に張学良の銅像があります。
張学良は中華人民共和国では英雄です。
父張作霖を日本軍に爆殺され、協力していた日本の裏切りを恨みに思っていた張学良は西安事件で第二次国共合作を成功させ、まず共産勢力撲滅を考えていた蒋介石を対日戦争に向けさせた人です。その後彼は監禁されます。
張学良は最終的には国民党敗走にともなって台湾に移り引き続き軟禁生活する事になり、1990年の名誉回復まで軟禁状態がつづきました。その後ハワイに移住しそこで2001年に100歳でなくなっっている人です。
肝心の台湾では西安事件で息も絶え絶えの共産党を救って、結局台湾に敗走する原因を作ったとして評価は高くないようです。
一方、内戦で危機的状況にあった中国共産党を間接的に助け、現在の中華人民共和国建国に繋げた彼は、現在中国にとっての英雄です。
母国の評価は低く、その敵対勢力からの評価が高い。
なんとも悲しい偉人です。 -
80元の入場券を購入。
大帥府と趙一荻故居と金融博物館のセット券で、小帥府と呼ばれる、張氏帥府博物館の西院には入れません。
参観経路でやじるしが入っている案内が見つからなかったので、ひょっとしたら非公開になったのかも知れません。
(別の場所に別の入場券売り場があるかもしれませんが) -
正門です。ここから入って行きます。
-
門入ってすぐ右側の建物。
使用人の部屋だと思います。
今は事務所になっているようで、人の出入りはありましたが、参観ルートからははずれていました。 -
中院に入ると正門が有ります。
ここからしばらく四合院で建物が奥に続いていきます。 -
正門をくぐり、一進院に入ると、張作霖の子供が学校へ行く送り迎えに使用された馬車が最初に目に飛び込んできます。
子供の通学なんか歩きで行かせろ!!と思いますが。。 -
馬車のあるすぐ隣に承転処があります。
文官は文職承転員に、武官は武職承転員にそれぞれ、連絡してもらい張作霖に謁見する事ができました。
人形でそれを再現しています。
こちらが文職承転員 -
こちらが武職承転員です。
-
二進院への門です。
四合院ですので、門が連続して出てきます。 -
二進院には内帳房があります。
張氏帥府と張作霖の家族の財務管理を担当していたところです。
ここも人形で再現されています。 -
室長室とでも言えばいいのでしょうか。
偉い人がいた部屋のようです。 -
門を入って左側。
張作霖の秘書が勤めていた、秘書処があります。 -
二進院残りの建物は張作霖の私邸兼官邸だったところ。
おそらくこちらは官邸の議事庁。 -
こちらは書斎。
1916年から1922年まで使用したようです。 -
四合院の最後、三進院に進みます。
-
張作霖の家族の居住区が一番奥。三進院。
張学良と于鳳至の居住した建物が入って左側にあります。 -
張学良の書斎ではないかと。。。。
-
奥さん于鳳至の寝室。
お茶をのんだりするスペースと -
ベッド。
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この建物の北屋には張作霖の4番目の奥様許夫人が住んでいて、南屋には子供達がすんでいたそうです。
-
この建物の東屋には第二夫人廬夫人が、西屋には第三夫人載夫人が住んでいたそうです。
-
三進院を後にして東院にある假山を目指します。
假山とは太湖石を使って作った山でした。
假山の後ろにひときわ大きな洋館大青楼が見えてきます。 -
威風堂々とした大青楼。
中に入って行きます。
1922年以降、張親子はここで、寝居と政治を行いました。 -
事務所ですね。
中は写真撮影禁止ですが、ちょっとだけ撮らせて頂きました。 -
寝室です。誰のかは覚えていませんが。。
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玄関です。ここを入った1階の左側が大きな応接室になっていました。
-
西側から見た大青楼
-
大青楼の西奥に関羽廟があります。
商売の神様です。 -
小青楼の裏に公園にあるようなコンクリートのテーブルを発見。
そこを利用して記念撮影。 -
小青楼の東側から大青楼を望みます。
-
手前小青楼、奥大青楼。
-
小青楼の前は庭園になっています。
-
小青楼です。
1928年に列車を爆発された張作霖はこの建物に担ぎ込まれて息を引き取ります。
関東軍の思惑ははずれ、息子の張学良は反日の急先鋒になっていきます。
まさにここで歴史が動いたんですね。 -
五間房。
張作霖が建てたこの部屋は使用人や近兵の住居だったそうです。
が、日本軍がその後取り壊したそうです。
現在の建物は設計図に基づいて2010年に再建されたもの。 -
参観チケットにセットされていた趙一荻旧居の見学をします。
趙一荻は張学良に長く連れ添った女性であるようですが、それ以外は僕はよく知りません。 -
だからさらっと見て終りです。
中はここも写真撮影禁止でしたが、このタイプライターと -
ベッドだけは気に入って写真を撮らせて頂きました。
-
正直いたって普通の家です。
-
あと一カ所。金融博物館がセットになっています。
この建物は張親子が始めた邊業銀行の跡をそのまま博物館にしています。 -
中に入るとぎょっとします。銀行の窓口が再現されているのですが、蝋人形がたくさんいる中に参観者も混ざってすごく変な感覚におちいります。
-
中にいて働く人もリアルな蝋人形。
写真に撮っちゃうと分かるんですけどね。その場ではリアルすぎて本当に人形かどうか分からなかったです。 -
窓口で取引するお客。
-
椅子に座って待つお客も再現。
人形だと思ってた人が突然しゃべって飛び上がるくらいびっくりしたりしました。 -
地下金庫からお金を運び出すのを再現した物がありました。
-
この中に本当の地下金庫があります。
他には、満州国のお金や歴代の人民元。各国の貨幣が展示されています。
ここを見終わったら張氏帥府博物館の見学は終り。地下鉄で瀋陽駅まで行って、瀋陽駅枢紐バスターミナルに向かい、明日朝の切符を買いに出かけます。 -
朝陽街を歩いていると、満鉄奉天公所旧祉の表札を発見。
今は瀋陽市少年児童図書館になっている様です。
時間が遅く、中を見る事はできませんでした。
さらに地下鉄駅を目指します。 -
瀋陽路との交差点で撫近門が見えました。
旧瀋陽城の城門です。 -
地下鉄に乗って、瀋陽駅枢紐バスターミナルに行くと5時半過ぎでした。もうそんなに発車するバスは残っていないはず。切符を楽に買えると思ってバスターミナルに入ると、
なんだ!!朝と比べられないほど人が多い
状況が飲み込めず、とりあえず列に並ぶ僕。
その時に携帯を見て重大ことに気付きます。
今日は9月30日。明日は9月31じゃなくて。。。10月1日かいな!!
しまった国慶節当日かい!!
そう朝切符買うのが正解だったのです。
あげくの果てに僕の番になったら、明日の切符はもう販売してません。
どういうこと?
総合案内所に行くと、
前売りは5時までです。明日また来てください。
朝は何時から開いているんですか。
5時半です。
5時半に来て、朝8時のバスで新賓に行く決心をして引き上げる事に。
明日は早い。昼ご飯も遅かったし、夕飯もいらないから、早く寝よ!と考えながら、中山路を歩いて戻りました。
中山路97路が見えて、遼寧賓館に戻ってきました。
そのまま部屋に帰り、10時前に布団に入りました。
すべては翌日朝、早起きするために。
そして衝撃の日になることはまったくこのとき考えずに。
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