2002/09/01 - 2002/09/30
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kazhideさん
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古い旅行記ですいません。某サイト閉鎖に伴い亡命してきました。
高校の世界史資料集の片隅にあった「青の都サマルカンド」その神秘的な響きとレギスタン広場の美しさに心を捉えられたまま時は過ぎ、今では直行便すら飛ぶようになったウズベキスタンへ積年の思いを叶えに行ってきました。
no photo画像は以下よりお借りしています。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=1047201
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 風の旅行社
-
文明の発達は便利さの一方でロマンを消し去るもののようで、かつて人々が命がけで渡ったシルクロードのど真ん中へも今やジェット機で一っ飛びである。
関空を発ったウズベキスタン航空の直行便、てっきり機体は旧ソ連製のツポレフかイリューシンと思いきや、意外にも新型のエアバス。安心する一方でちょっと残念でもある。もっとも機内サービスの手際の悪さや愛想のなさはさすがにアエロフロートの血を感じさせる。
旧ソ連の面影はタシケント空港の何とも言えない陰気くささにも感じる。モスクワのシェレメーチェヴォ空港の小型版といった雰囲気。ターンテーブルで荷物を待っていると係員が近づいてきて「お前の荷物はどれだ」官憲に目を付けられるような格好はしてない筈だがと思いつつクレームタグを手渡すと、荷物を探し出してこちらへ持ってきた。「鞄を開けろ」とでも言われるかと思いきや、要求されたのは「チップ」。やれやれ、いきなり旅の洗礼を浴びてしまった。仕方なく1ドル札を手渡し空港の外へ出る。本日の宿は「ポイタート」旧ソ連らしからぬ小奇麗なホテルで一安心だ。 -
翌日はいよいよ世界遺産の町ヒヴァへ。タシケントからウルゲンチへは国内線を利用する。ここでいよいよ憧れ?の旧ソ連製旅客機を体験。席は一応指定のはずなのだが、券面に手書きで書かれた席番はあってなきが如し、実際は早い者勝ちで決まってしまうのだ。さすがに席がないということはない筈だが、たまにオーバーブッキングであえなく登場拒否されることがあるとか・・・何とか席を確保し一安心。
ウルゲンチから広い道を市電と平行に走りつつヒヴァへ向かう。ソ連時代は旅行者の宿泊禁止だったヒヴァにも次々と宿がオープン、本日はアルカンチホテルへ投宿。民家を改造した趣のある宿だ。日中は強烈だった日差しも日没後は急に涼しくなり、風通しの悪い室内よりバルコニーのソファで寝たほうが気持ちよさそうである。夕暮れのヒヴァの旧市街はタシケントやウルゲンチと違ってシルクロード情緒満点、ようやく「旧ソ連」から「西域」に足を踏み入れた実感が湧いてくる。 -
早朝、宿の屋上よりヒヴァの日の出を拝む。中世そのままを思わせる町並みから昇る御来光は感動的だ。思わず時間の経つのを忘れてしまう。
中世から時間の経っていないようなヒヴァの町だが、カルタ・ミナルを始めとする主要な建物が建てられたのは意外と新しく19世紀のものが多い。それらの建物が立ち並ぶメインストリートの名前にしてからが「カール・マルクス通り」。「資本論」や「共産党宣言」が書かれた時代の建物と思えば違和感も多少は払拭されるだろうか。
そのカルタ・ミナル、建造途中で放棄された短い塔でいわば「出来損ない」の筈なのだが、不思議な美しさがある。青いタイルで覆われた端正な姿は「未完成交響楽」とでも言おうか、ある種の不完全の美というものを感じさせるようだ。
ヒヴァで一番高く新しい(1910年)塔はイスラーム・フッジャの塔。イスラーム・フッジャは開明派の大臣で数々の近代化政策を推し進めたが、守旧派によって生き埋めにされたという。中央アジアにはどうもこの手の陰惨な話が多いようだ。118段の階段を上りきるのはさすがに太ももにこたえる。
ヒヴァで最も印象に残るのはタシュ・ハウリ宮殿かもしれない。中庭を囲む建物は青を基調としたタイルで装飾されており実に美しい。この直線と幾何学的模様だけで構成されたイスラムの美は、日本人にとってはなじみの薄いものだが、緑の潤いというものがまるで乏しい砂漠の町では、こういう美がたしかに映えるのである。どこか安易に近づくことを拒絶するような、めでるよりひれ伏すことを要求するようなその美は、まさに乾燥の大地と峻厳な一神教の生み出したものといえよう。 -
ヒヴァからブハラへは丸一日、キジル・クム砂漠を突っ切っていく。「赤い砂漠」というその名の名の通り、どこまで行っても赤茶けた荒涼とした大地が続く。その赤い大地を覆っているのがラクダ草とよばれる葉のないいばらのような草。この赤土とブッシュのコントラストはどことなくオーストラリアのアウトバックを思い出させる。
ラクダ草は地下100メートルまで達する根を張っており、砂漠の砂を食い止める役割を担っているんだとか。旧ソ連時代に燃料として大量に刈り取ってしまい、おかげでウルゲンチの市街地近くまで砂漠化が進行、あわてて種を空中散布したという話。この手の話は世界中どこへいっても聞かれるが、破壊してしまってからでないと自然の有難味に気づかないのが人間というものの性のようだ。
アムダリア川沿いの道をしばらく走る。かつては滔々と水をたたえる大河だったが、砂漠を綿花畑にしようと無制限に水を引いた結果、水量が乏しくなり往時の姿は見る影もない。結果としてアラル海へ注ぐ水量も激減し、アラル海は今やアラル池と化してしまったのである。砂漠と変わり果てたかつての湖底に打ち捨てられた漁船の写真をご存知の方も多かろう。
道はトルクメニスタン領に一旦入り、すぐまたウズベキスタン領内へ戻る。道路の敷設時は単なる行政区分の違いでしかなかったのが、今や国境線になってしまったのだ。
かつての隊商たちは何の補給もなく命がけでこの砂漠を渡ったが、現代の我々は道中のガソリンスタンドで給油と昼食をとれる。とはいえ無人の荒野のど真ん中にポツンと孤立しているこのスタンド、普通の日本人なら一週間もいると孤独感に押しつぶされるのではと思える環境だ。先の国境警備兵といい、この生命を拒否するかのような荒野の真ん中で働く彼らの気持ちはどんなものなのだろうか。 -
ブハラに入るとどことなく空気が変わるのを感じる。乾ききったヒヴァに比べて、町のあちこちにみられる貯水池と木立が潤いをもたらすのだ。この町はまさにオアシスなのだなと実感する。かつてはこのハウズと呼ばれる貯水池が200以上もあり、生活用水を供給していた。もっとも衛生状態は劣悪で伝染病の温床ともなっていたという。
ブハラのシンボルともいえるのがカラーン・ミナレット。ヒヴァのイスラーム・フッジャより1m高い46m。何とかは高いところが好きというが、このミナレットにも早速登ってみる。足場は悪いが最上部からの眺めは最高だ。おかげで翌日からは太ももの筋肉痛に悩まされることになってしまったが。昔はこの塔の上から袋詰めにされた死刑囚が投げ落とされていたのだそうな。アルク城にも当時の地下牢や処刑の様子などが展示されている。ヒヴァといいブハラといいこういう血なまぐさいエピソードの多いこと。社会主義時代の誇大宣伝もあるのだろうが・・・・
アルク城の屋上ではコーランの古書を売りつけようとする物売りが。触れただけで崩れてしまいそうな代物だが、実は掘り出し物なのかもしれない。比較的保存状態のよさそうなのを一冊買おうかと思ったが、大きさと重さに断念。
夕方はメドレセの中庭でチャイを飲みつつ民族舞踊鑑賞。いやしくも旧神学校の敷地内で観光客用の踊りなど、サウジあたりなら鞭打ちの刑だろうがこの国では無問題のようだ。木陰の下でチャイを楽しみながら美女の踊りを楽しむのはいいものだが、踊り自体は特筆するようなものではない。バリ島のレゴンダンスのような芸術的に昇華されたものは別として、やはり民族舞踊は「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」観客席でかしこまって鑑賞するより一緒になって参加するのが本来のありようなのだろう。 -
ブハラからサマルカンドへ向かう道中、次第に木々の緑が増していく。途中でティムールの生誕地シャフリサーブスに立ち寄るのが定番コースなのだが、米軍のアフガン侵攻の影響で治安が悪化、シャフリサーブスを避け陶器の町ギシュドゥヴァンへ向かう。工房に立ち寄り見学がてら昼食をいただくことに。ここの陶器は印象的な深い黄色の地に緑の唐草模様が特徴だ。オーナーは日本語で工程の説明をしてくれる。
見学後には中庭を見渡す開放的な広間で昼食。床にじかに座って食事するのはイスラム圏に多いスタイルだ。絨緞というのは日本人にとっての畳のようなものなのだなと、この生活スタイルの中ではしみじみ感じる。やはり絨緞はじかに座り寝転がってなんぼ、応接セットの下敷きにするのは宝の持ち腐れなのだ。日本では「西洋vs日本」という狭い視野でばかり比較してしまうが、床に坐る文化は何も日本だけのものではなく、むしろ世界的には西洋式の足の裏しか床に触れない生活の方がマイナーなのかもしれない。中国にしても椅子とテーブルの生活は唐代になってからで、それ以前は床に坐って生活するスタイルだったという。 -
サマルカンドに入ると緑がいっそう濃くなる。乾燥しきった砂漠の町ヒヴァはもちろん、ブハラに比べても空気が瑞々しいと感じる。豊葦原の瑞穂の国から来た人間にとっては、大げさでなく生き返ったような心地になった。ティムールがこの地を愛し世界一の都を築こうとしたのもむべなるかなというところだ。
宿はレギスタン広場近くの旧市街のため、すでに夕刻ではあったがいてもたってもいられず荷物を解くのもそこそこにレギスタン広場へ向かう。天安門広場やイスファハンのイマーム広場に比べればごく狭い空間にすぎないが、その美しさはなんと形容すればいいのだろうか。広場をコの字形に囲む3つのメドレセは、基本的には似た構造でありながらもそれぞれの特徴を持ち、統一された中にも異なるデザインがアクセントとなっているようだ。そして全体を締めくくるサマルカンド・ブルー。ドームの青色は見つめていると吸い込まれていきそうな錯覚すら覚える。広場のコンパクトさもかえって3つのメドレセに統一感をあたえインパクトを強くしているのだろう。ここは広大な空間で見るものを圧倒する広場ではなく、巨大な建造物で威圧するのでもない。ひたすらその美しさで視るものを酔わせる場所なのだ。
旧市街の宿、フルカットの別館は古い屋敷を改築したなかなか趣のある宿だが、なんとキャンプ場にあるようなプレハブのシャワーブースが各部屋の中にドンと鎮座している。湿気の少ない土地だからいいのかもしれないが、排水も悪そうでどうにもカビ臭い感じがして落ち着かないのだ。確かに「シャワー付の部屋」ではあるのだが・・・・ -
ティムールが愛する妃ビビハニムのために建設したといわれる巨大なビビハニムモスク、同時期に建てられたミラノのドゥオーモと大きさもほぼ同じだとか。モスクを造った建築家はビビの美しさにすっかりのぼせあがり、ティムールが遠征で留守にした隙に命知らずにも妃に強引にキスを要求。かたくなに拒んでいた妃だが当代きっての美男の情熱的な求めに屈して頬へのキスを許してしまう。ところがその痕が残ってしまい(いったいどんなキスをしたのやら?)激怒した征服王により建築家は哀れにも打ち首、妃はミナレットから投げ落とされたという・・・・・まるで千夜一夜物語の一挿話かと思わせる神秘的な話であるが、実はこれ全て作り話。ビビなる美女は実在しない伝説上の人物なのだそうだ。一部が崩れかけたモスクの裏側を見ると処刑された建築家の呪いを信じたくもなるのだが、これも単なる欠陥工事によるものだとか。現実とは味気ないものである。
モスクそばの露天でサマルカンド名物ナンを食す。これが実に美味い!日本のインド料理屋で食べるものとは一味違う深みがあるのだ。日本ではナンといえばインド料理の専売特許のように思われているが、中央アジアと北インドは歴史的にも交流が深く、ムガール帝国の始祖バーブルにしてからがティムールの子孫なのだ。 -
サマルカンド郊外の「死者の通り」シャーヒズィンダ廟群。ティムール一族の墓が立ち並ぶ場所だ。日本人にとっては外人墓地やアーリントン墓地などキリスト教徒の墓はイメージできても、「イスラム教徒の墓」というのはなかなか想像もつかないのではないだろうか。基本的にはモスク様式の建物の中央に石の棺が埋め込まれているもので、偶像崇拝を徹底的に否定するイスラム教の教義に従い、美しいが簡素な造りとなっている。
「死」の臭いはここよりもむしろアフラシャブの丘に似つかわしいだろう。今は何もない荒野だが、かつて世界でも有数の美しい都、旧サマルカンドがそこにあったのだ。紀元前、アレクサンドロスの時代から世界に知られた栄光の都に滅びの日が訪れたのは1220年、チンギス・ハーンのモンゴル軍来襲であった。モンゴル軍の破壊と殺戮がどれほどのものであったかは地上から跡形もなく消えうせてしまったサマルカンドの悲劇からも伺えるが、シルクロード全域はもちろん遠くキエフやバグダッドに至るまで彼らに抹殺されてしまった都市は多いのだ。もし日本が同じ運命を辿っていたらと思うと、元寇とはまさに未曾有の国難であったのだなあと今さらながらに実感する。
現在のシルクロードそれ自体も死者の街ならぬ死者の道といえなくもないだろう。もちろん今なお人々の交易は行われており旧ソ連崩壊後むしろ活発になってはいる。しかしもはやそれはかつてのような文明の十字路ではなく、世界交易の中心からは外れた辺境の道でしかないのだ。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。奢れる者久しからず、ただ春の世の夢の如し。猛き人も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。」
・・・シルクロードの東の果て、日本への機中で平家物語冒頭の一節が唐突に頭の中に浮かんだのであった。
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