2011/10/01 - 2011/10/01
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しんちゃんさん
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栃木県芳賀郡(はがぐん)茂木町(もてぎまち)城山公園の彼岸花を見学に行きました。一週間前に来たときは満開ではないため。「もてぎ里山アートフェスタ2011」と「荒橿(あらかし)神社三重塔」を見学しました。今回は「九割五部咲き! 天気は曇り時々晴れ、95点!」でした。おまけがあります。次なる場所へ移動中に「木造馬頭観音像」と「木戸不動尊」の道標があり、貴重な文化財を見学できました。まるでお遍路さんになったようでした。おまけ豊富な“行った気になるしんちゃんさんの旅行記”です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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城山公園の坂道をぐんぐん登り、駐車場から今来た道を10m戻ると「彼岸花」絶景地を巡る「城山遊歩道」があります。
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城山公園の南側斜面に咲き乱れています。
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まだ、つぼみがありました。10月8日位までは咲いているでしょう。
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日が差した瞬間
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「城山遊歩道」上り口のお堂。説明版が無く残念。
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城山公園から南側、茂木町と逆川(さかがわ)栃木県の多くは川は北から南へ流れていますが、この川は南から北へ流れているため“さかさがわ”→“さかがわ”逆川となりました。逆川は1986年の大雨で氾濫し町は大打撃を受けました。最高2mに達し、今も町の電柱には黄色いテープの印があり、その時の水位を示しています。
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「正明寺」の土留めの岩に説明版がありました。【フズリナ(Fusulina)
佐野市葛生(くずう)地域には石灰岩の地層が分布して、セメントや消石灰をはじめとして工業・建築・農業などに幅広い用途として掘らねています。この土手に積んである岩は葛生(くずう)から運んできたものです。この石灰岩の表面をよくみると。今から2億7千万の(古生代ペルム紀の中頃)の海に住んでいたフズリナなどの化石がみられます。また、フズリナはり単細胞の生き物(原生動物)の有孔虫という仲間で、形から紡錘虫(ぼうすいちゅう)よばれます。提供:塚本美代次 協力:片岡康夫・赤羽記年 施工:岩波石材店】 -
「正明寺」の石塀兼土留めの岩
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町の中では茂木小学校の運動会が行われていました。
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白い彼岸花
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黄色い彼岸花
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城跡に池がありました。説明版からです。【鏡が池 桔梗城の中心部にあるこの池にも長い歴史が秘められている。戦い利あらず、武士達が籠城の折には池の水は生命水となった。またある時、城主に美しい姫君が誕生。ところがその姫が流行病に罹り酷い痣が残ってしまう。殿はそれを哀れみ城内の鏡を全て処分させる。しかし後日姫がこの池の水面に自分の顔を見て驚く。そして悲嘆のあまり池に身を投げてしまう。人々はこの池を鏡が池と言うようになった。】
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見学最後に記念撮影しました。
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茂木町を後にして北上中、道標を発見「木造馬頭観音像」見学するしかない!!
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南側に大きな竹やぶがあり、日陰であった。
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少々であるがここでも彼岸花が満開であった。
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観音堂
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説明のコピーです。【茂木町指定有形文化財 一、彫刻 木造馬頭観音像 一、所在 茂木町大字小井戸字猪田1399 一、由来 古記録や口碑(こうひ*1)によると、朱雀天皇の延長八年(930)に信教法師が蛇谷山に蛇谷山金剛院観音寺を中興(ちゅうこう*2)した。その翌年この寺において、田原藤太秀郷が母と対面し、この時に馬頭観音像を安置したといわれている。木造馬頭観音像は、観世音菩薩の前頭に小さな木造の馬をつけている。木造彫刻としては珍しく、この地方では貴重にして価値の高いものである。 昭和四十三年一月十八日指定 茂木町教育委員会】
*1 石碑のようにながく後世にのこる意》古くからの言い伝え。伝説。
*2 いったん衰えた物事や状態を、再び盛んにすること。
Goo辞書より_読み仮名と説明はしんちゃんが付けました。 -
「田原藤太秀郷」とはいかなる人物か?①藤原 秀郷あるいは俵藤太(田原藤太)とも言う②平将門を打った人物である。③近江の国で百足(むかで)を退治した。②の平将門を打った事は事実で口惜しい
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「木造馬頭観音像」いままでじっくりと観察したことがありませんでした。
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「木造馬頭観音像」
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拡大です。町村合併で「馬頭町」という町はなくなりましたが「栃木県那須郡那珂川町馬頭」という地名が残っている町があります。第2代水戸藩主徳川光圀公(水戸黄門)がお寺の名前を「馬頭院」町の名前を「馬頭」に変えました。次回探索してみようと思います。しかもこの町は“砂金”が産出し、日本で一番目(*1)に奈良東大寺大仏に使用されたそうです。休日は忙しくなりそうです。しんちゃんは砂金探しに転職か!(*1については「http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2004/07/04_07_04.pdf」地質調査総合センターHPより)
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拡大です。
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またまた道標「木戸不動尊」発見。遠くに見える市境の標識、ここから「那須烏山市」の手前の道標なので茂木町と思いきや、帰宅後googleの地図で調べると…一番最後にGoogleのコピーを載せました。
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車を止めて歩いてゆくと…こんな場所にあるの?
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カーブの先にうっそうとした木々の中にお堂がありました。
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崖にくっつくように建てられており、懸造り(かけつくり)といいます。
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路傍の灯篭とお地蔵さん
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路傍のお地蔵さん
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懸造り(かけつくり)も立派です。
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戸板が破損して中に入れるようなっており失礼しました。足跡だけが残りました。物品には一切手を付けてはおりません。撮ったのは写真だけです。
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不動明王
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ネットで検索しても中々説明が見つからず、唯一「http://furusatotabi.com/」に木戸不動尊の説明がありました。【大同元年(806)開山の古刹。災難除けの不動として信仰されている】
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回廊ではなく舞台といった感じの廊下
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なぜか天狗が
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お堂の変額の場所にも天狗が、災難除けは天狗かな?不動明王かな?
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お堂の向こう側には岩の塊(かたまり)
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探索終了して再度撮影。那須烏山市から茂木町方向ではこんな感じで発見できます。
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市境の標識は那須烏山市が大きく茂木町へ食い込んでいたのでした。下側茂木町、上側那須烏山市。「木戸不動尊」は那須烏山市の標識手前でも那須烏山市にありました。土地争いで勝ったのでしょうか?
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