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高津宮(こうづぐう)は、難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇、后の葦姫皇后、長子の履中天皇を祀っているが866年に難波高津宮の遺跡に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったことが始まりとのこと。1945年の大阪大空襲によって焼失したが1961年に再建されている。<br />古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられ落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席では五代目桂文枝一門が「高津の富」を演じており文枝が亡くなった翌年の2006年、境内に桂文枝の石碑が建立されている。<br />(写真は難波高津宮)<br />

日本の旅 関西を歩く 大阪市中央区の難波高津宮(こうづぐう)周辺

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2011/09/27 - 2011/09/27

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

高津宮(こうづぐう)は、難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇、后の葦姫皇后、長子の履中天皇を祀っているが866年に難波高津宮の遺跡に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったことが始まりとのこと。1945年の大阪大空襲によって焼失したが1961年に再建されている。
古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられ落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席では五代目桂文枝一門が「高津の富」を演じており文枝が亡くなった翌年の2006年、境内に桂文枝の石碑が建立されている。
(写真は難波高津宮)

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 難波高津宮参道周辺の光景。

    難波高津宮参道周辺の光景。

  • 難波高津宮参道周辺の光景。

    難波高津宮参道周辺の光景。

  • 鉄格子波丸の歌碑の説明。<br />鉄格子波丸 (てつごうし-なみまる 生年不明−1181年)は江戸時代中期-後期の狂歌師。<br />大坂で鉄物商をいとなむ。混沌軒国丸の門人で,丸派6群中の1群に属す。のち鉄格子社をおこした。戯作(げさく)ものこしている。姓は西浦で通称は木津屋周蔵。別号に糟長者,似蜂軒波丸。狂名は「はまる」ともよむ。編著に「狂歌友の垣穂」。読み本に「葦牙(あしかび)草紙」など。<br />

    鉄格子波丸の歌碑の説明。
    鉄格子波丸 (てつごうし-なみまる 生年不明−1181年)は江戸時代中期-後期の狂歌師。
    大坂で鉄物商をいとなむ。混沌軒国丸の門人で,丸派6群中の1群に属す。のち鉄格子社をおこした。戯作(げさく)ものこしている。姓は西浦で通称は木津屋周蔵。別号に糟長者,似蜂軒波丸。狂名は「はまる」ともよむ。編著に「狂歌友の垣穂」。読み本に「葦牙(あしかび)草紙」など。

  • 鉄格子波丸の歌碑周辺。<br />

    鉄格子波丸の歌碑周辺。

  • 難波高津宮拝殿の光景。

    難波高津宮拝殿の光景。

  • 難波高津宮拝殿の光景。

    難波高津宮拝殿の光景。

  • 高倉稲荷神社。

    高倉稲荷神社。

  • 高倉稲荷神社。

    高倉稲荷神社。

  • 高倉稲荷神社。

    高倉稲荷神社。

  • 相合坂。

    相合坂。

  • 相合坂の説明。

    相合坂の説明。

  • 相合坂。

    相合坂。

  • 絵馬殿の説明。

    絵馬殿の説明。

  • 絵馬殿の光景。

    絵馬殿の光景。

  • 絵馬殿の光景。

    絵馬殿の光景。

  • 五代目桂文枝之碑。

    五代目桂文枝之碑。

  • 五代目桂文枝之碑の説明。

    五代目桂文枝之碑の説明。

  • 五代目桂文枝之碑。

    五代目桂文枝之碑。

  • 熊野詣の説明。

    熊野詣の説明。

  • 郡戸王子の碑。

    郡戸王子の碑。

  • 仁徳庭園の光景。

    仁徳庭園の光景。

  • 仁徳庭園の光景。

    仁徳庭園の光景。

  • 仁徳庭園の光景。

    仁徳庭園の光景。

  • 比売古曽社の説明。

    比売古曽社の説明。

  • 比売古曽社。

    比売古曽社。

  • 高台の頌碑の説明。

    高台の頌碑の説明。

  • 高台の頌碑。

    高台の頌碑。

  • 高台の頌碑周辺。

    高台の頌碑周辺。

  • 西坂の説明。

    西坂の説明。

  • 『西坂』の説明。明治初期まで坂の形が「三行半」になっていたことから、<br />「縁切り坂」と呼ばれていたそうだ。<br />

    『西坂』の説明。明治初期まで坂の形が「三行半」になっていたことから、
    「縁切り坂」と呼ばれていたそうだ。

  • 『西坂』。明治初期まで坂の形が「三行半」になっていたことから、<br />「縁切り坂」と呼ばれていたそうだ。<br />

    『西坂』。明治初期まで坂の形が「三行半」になっていたことから、
    「縁切り坂」と呼ばれていたそうだ。

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