小千谷・川口旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2004年10月23日17:56<br />中越地震が起きた日。<br /><br />その日は、一週間延期した、祖母の喜寿の祝いの日でもありました。<br />東京に住む私は前日に、弟は当日に小千谷へ帰省。<br />祖母の長寿を祝うためのちょっとした週末旅行。<br />まさか、あんな地震が襲ってくるなんて・・・<br /><br />中越地震に襲われた我が家と、その日の私たちの行動を記しました。<br />いつ地震に遭うかわからない現代。<br />何かみなさんのお役にたてることもあるかもしれません。<br />振り返るとたくさんの奇跡に救われた体験でもありました。<br /><br />祖母の喜寿の祝いは、お店で祝うのをやめ、叔母の家で祝うことになっていました。<br /><br />叔母の家までは我が家から徒歩10分。17時スタートに合わせて出発。<br />他の家族は車で、私と弟は歩いて向かうことに。<br />秋晴れの気持ちのいい日でした。<br />日が沈みかけた空に、異様に美しい雲がかかっていました。<br />「あの雲すごいね。地震雲じゃないの?」と言いながら、携帯で写真を撮る弟。<br />ぞっとするほどきれいな雲を眺めながら、叔母の家へ向かったのです。<br /><br />叔母の家の二間続きの和室に大人数入れるようにと、家具一切は別室に移し、部屋にはテーブルのみ置かれていました。<br />何事も早めの我が家。17時に宴会がスタート。ビールにワインに、オードブル。お寿司。どんどん進みます。<br /><br />食事も一息ついて、母と叔母が出し物をすると言って、廊下で何やら着替え中。<br /><br />その時!大波が襲ったような激しい揺れが!<br />同時に、電気が消え、真っ暗に。<br />床にしがみつき、「死ぬかもしれない」と思いました。<br />波が何度も押し寄せてくるような揺れが続きました。<br /><br />私の隣には、90歳のいとこの祖母と77歳の祖母。揺れてはいつくばる二人の頭に布団を乗せて、揺れに身をまかせるしかありませんでした。<br /><br />すると、がちゃーん「いたーい!」いとこのお嫁さんの叫び声。<br /><br />蛍光灯の傘が頭に落ちてきたようです。彼女の隣にはまだ小さい子供が。子供の当たらなくてよかった。<br /><br />揺れが収まったとき、「どうする?」「外に出るか?」「外に出たら危ないぞ」「出なきゃだめだ」と方々で声が。<br /><br />結局暗闇の中を手さぐりですすみ、揺れでゆがんで開かなくなったふすまをこじ開け、なんとか靴をはいて外に出ました。<br /><br />夕方6時といっても、10月下旬はもう暗く、夜。<br /><br />揺れが続く中、外には逃げてきた近所の人が集まっていました。<br /><br />次に恐怖を感じたのは、電信柱。あれが倒れてきたら・・・<br /><br />どこにいても危ない・・・<br /><br />ちょうど道の向いに稲刈りの終わった田んぼがあり、みんなそこに避難することに。<br />ここなら、電信柱の恐怖もありません。<br /><br />人も、犬も、みんな恐怖の中、少しでも安全な場所を求めて田んぼにやってきました。<br /><br />今日はもう外で過ごすしかないことは、雰囲気でわかりました。<br />路上の車内も不安・・・<br /><br />誰からとなく、田んぼにテントを張る話がでて、近所の方が木材やブルーシートを取りに家に戻り、女性や子供は田んぼの中で集まってお互いの安否を話しました。<br /><br />続きは写真と共にどうぞ・・・<br /><br /><br /><br /><br /><br />

悪夢の帰省 2004.10.23中越地震の記録

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2004/10/22 - 2004/10/30

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wai

waiさん

2004年10月23日17:56
中越地震が起きた日。

その日は、一週間延期した、祖母の喜寿の祝いの日でもありました。
東京に住む私は前日に、弟は当日に小千谷へ帰省。
祖母の長寿を祝うためのちょっとした週末旅行。
まさか、あんな地震が襲ってくるなんて・・・

中越地震に襲われた我が家と、その日の私たちの行動を記しました。
いつ地震に遭うかわからない現代。
何かみなさんのお役にたてることもあるかもしれません。
振り返るとたくさんの奇跡に救われた体験でもありました。

祖母の喜寿の祝いは、お店で祝うのをやめ、叔母の家で祝うことになっていました。

叔母の家までは我が家から徒歩10分。17時スタートに合わせて出発。
他の家族は車で、私と弟は歩いて向かうことに。
秋晴れの気持ちのいい日でした。
日が沈みかけた空に、異様に美しい雲がかかっていました。
「あの雲すごいね。地震雲じゃないの?」と言いながら、携帯で写真を撮る弟。
ぞっとするほどきれいな雲を眺めながら、叔母の家へ向かったのです。

叔母の家の二間続きの和室に大人数入れるようにと、家具一切は別室に移し、部屋にはテーブルのみ置かれていました。
何事も早めの我が家。17時に宴会がスタート。ビールにワインに、オードブル。お寿司。どんどん進みます。

食事も一息ついて、母と叔母が出し物をすると言って、廊下で何やら着替え中。

その時!大波が襲ったような激しい揺れが!
同時に、電気が消え、真っ暗に。
床にしがみつき、「死ぬかもしれない」と思いました。
波が何度も押し寄せてくるような揺れが続きました。

私の隣には、90歳のいとこの祖母と77歳の祖母。揺れてはいつくばる二人の頭に布団を乗せて、揺れに身をまかせるしかありませんでした。

すると、がちゃーん「いたーい!」いとこのお嫁さんの叫び声。

蛍光灯の傘が頭に落ちてきたようです。彼女の隣にはまだ小さい子供が。子供の当たらなくてよかった。

揺れが収まったとき、「どうする?」「外に出るか?」「外に出たら危ないぞ」「出なきゃだめだ」と方々で声が。

結局暗闇の中を手さぐりですすみ、揺れでゆがんで開かなくなったふすまをこじ開け、なんとか靴をはいて外に出ました。

夕方6時といっても、10月下旬はもう暗く、夜。

揺れが続く中、外には逃げてきた近所の人が集まっていました。

次に恐怖を感じたのは、電信柱。あれが倒れてきたら・・・

どこにいても危ない・・・

ちょうど道の向いに稲刈りの終わった田んぼがあり、みんなそこに避難することに。
ここなら、電信柱の恐怖もありません。

人も、犬も、みんな恐怖の中、少しでも安全な場所を求めて田んぼにやってきました。

今日はもう外で過ごすしかないことは、雰囲気でわかりました。
路上の車内も不安・・・

誰からとなく、田んぼにテントを張る話がでて、近所の方が木材やブルーシートを取りに家に戻り、女性や子供は田んぼの中で集まってお互いの安否を話しました。

続きは写真と共にどうぞ・・・





  • 近所に大工さんや木材屋さんなどが揃っていたおかげで、力のある男性が、木材を柱に広いテントを作ってくれました。<br /><br />床は底冷えします。段ボールを敷き、持ってこれるだけの毛布を敷き、高齢者や子供が横になれるように作ってくれました。<br /><br />10月末の夜は冬のような寒さ・・・<br />暖をとるために焚火をたきました。<br /><br />はたから見れば、まるでキャンプファイヤーをしているように見えるでしょう。<br />でもそれを囲む人に笑顔はなく、大きな不安しかありません。<br />

    近所に大工さんや木材屋さんなどが揃っていたおかげで、力のある男性が、木材を柱に広いテントを作ってくれました。

    床は底冷えします。段ボールを敷き、持ってこれるだけの毛布を敷き、高齢者や子供が横になれるように作ってくれました。

    10月末の夜は冬のような寒さ・・・
    暖をとるために焚火をたきました。

    はたから見れば、まるでキャンプファイヤーをしているように見えるでしょう。
    でもそれを囲む人に笑顔はなく、大きな不安しかありません。

  • (写真:翌朝見た私の部屋。エアコンがぶら下がっています。)<br /><br />余震はずっと続いていましたが、隙をみて、家に物を取りに行く人がでてきました。<br /><br />ちょうど宴会料理だったので、お寿司などのみんなでつまめるものがたくさんあって助かりました。<br /><br />まだ夕食前の人もいたので、みんなで食べ物を分け合いました。

    (写真:翌朝見た私の部屋。エアコンがぶら下がっています。)

    余震はずっと続いていましたが、隙をみて、家に物を取りに行く人がでてきました。

    ちょうど宴会料理だったので、お寿司などのみんなでつまめるものがたくさんあって助かりました。

    まだ夕食前の人もいたので、みんなで食べ物を分け合いました。

  • (写真:父の部屋。本が詰め込まれた本棚の威力はすごい!壁が壊れていました。この部屋にいたら・・・と思うとぞっとします。)<br /><br />少し高い所にある場所だったので、小千谷の街が一望できるのですが、停電で恐ろしいほど真っ暗・・・<br /><br />時間は20時・・・<br /><br />長い夜の始まりです。

    (写真:父の部屋。本が詰め込まれた本棚の威力はすごい!壁が壊れていました。この部屋にいたら・・・と思うとぞっとします。)

    少し高い所にある場所だったので、小千谷の街が一望できるのですが、停電で恐ろしいほど真っ暗・・・

    時間は20時・・・

    長い夜の始まりです。

  • (写真:居間の茶ダンスの上部が落ちています。祖母が家にいたらいつも座っている場所。)<br /><br />停電と同じく、電話もつながりません。<br />どんな風にニュースになっているかもわからないので、漠然と<br />「会社に連絡しなくては!」と思い焦ります。<br /><br />すると、奇跡的にIPフォンでかけてくれた友達と会話ができたのです。<br />元同僚の彼女。地震で被害にあったので、月曜に会社へ行くのは無理だということを伝えてもらうことに。<br /><br />これで少し安心しました。

    (写真:居間の茶ダンスの上部が落ちています。祖母が家にいたらいつも座っている場所。)

    停電と同じく、電話もつながりません。
    どんな風にニュースになっているかもわからないので、漠然と
    「会社に連絡しなくては!」と思い焦ります。

    すると、奇跡的にIPフォンでかけてくれた友達と会話ができたのです。
    元同僚の彼女。地震で被害にあったので、月曜に会社へ行くのは無理だということを伝えてもらうことに。

    これで少し安心しました。

  • (写真:3階のサッシが落ちて車に直撃・・・もし人にぶつかったら、大怪我していたでしょう。車の破損で済んでよかった。)<br /><br />彼女から会社の社長へ連絡がいき、事態が落ち着くまで出勤できないことは伝わりました。<br />それでも心配だったのでしょう・・・<br />社長は、わざわざ安否確認の番組に連絡したようで、テレビで「○○さん、大丈夫ですか?連絡ください。●●」的なメッセ―ジが流れたそうです。<br />テレビでそれを見て、私の実家が小千谷だと知ったという方もいました。<br /><br />当時は「ちょっと社長〜、心配かけないために、すぐに連絡してもらったのに」と思いましたが、それだけ心配してくれたんだと思うとありがたいですね。

    (写真:3階のサッシが落ちて車に直撃・・・もし人にぶつかったら、大怪我していたでしょう。車の破損で済んでよかった。)

    彼女から会社の社長へ連絡がいき、事態が落ち着くまで出勤できないことは伝わりました。
    それでも心配だったのでしょう・・・
    社長は、わざわざ安否確認の番組に連絡したようで、テレビで「○○さん、大丈夫ですか?連絡ください。●●」的なメッセ―ジが流れたそうです。
    テレビでそれを見て、私の実家が小千谷だと知ったという方もいました。

    当時は「ちょっと社長〜、心配かけないために、すぐに連絡してもらったのに」と思いましたが、それだけ心配してくれたんだと思うとありがたいですね。

  • (写真:私の部屋。デスクトップのPCは落下。タッチおじさんのまぬけな顔がむなしい。机の上に置いていたメガネは奇跡的に壊れず、助かりました。)<br /><br />時間がたつにつれ、落ち着くと同時に、「家は大丈夫なのか?」という不安がわいてきました。<br /><br />真っ暗な夜。<br />道がどうなっているかもわかりませんが、歩いていける距離なので、懐中電灯を頼りに家に向かったのです。

    (写真:私の部屋。デスクトップのPCは落下。タッチおじさんのまぬけな顔がむなしい。机の上に置いていたメガネは奇跡的に壊れず、助かりました。)

    時間がたつにつれ、落ち着くと同時に、「家は大丈夫なのか?」という不安がわいてきました。

    真っ暗な夜。
    道がどうなっているかもわかりませんが、歩いていける距離なので、懐中電灯を頼りに家に向かったのです。

  • (写真:実際歩いた道。夜歩くのは本当に怖かった。)<br /><br />道を歩くと、被害の大きさが分かります。<br /><br />地面はいたるところ、ぱっくり口を開けていました。<br /><br />地割れ・・・<br /><br />暗闇の中、地割れに足を取られないようゆっくり進みました。<br /><br />家に着くまで30分はかかったと思います。

    (写真:実際歩いた道。夜歩くのは本当に怖かった。)

    道を歩くと、被害の大きさが分かります。

    地面はいたるところ、ぱっくり口を開けていました。

    地割れ・・・

    暗闇の中、地割れに足を取られないようゆっくり進みました。

    家に着くまで30分はかかったと思います。

  • (写真:コンクリートが崩れ、道幅も狭くなっている場所がたくさんありました。)<br /><br />懐中電灯で入る家は、自分の家とは思えないよそよそしさを感じました。<br /><br />車はサッシが当たって破損しているようでした。<br />何より、サッシが落ちてガラスが道路に散らばっているのも恐ろしく。<br /><br />ただ、余震におびえる今はどうすることもできません。<br /><br />

    (写真:コンクリートが崩れ、道幅も狭くなっている場所がたくさんありました。)

    懐中電灯で入る家は、自分の家とは思えないよそよそしさを感じました。

    車はサッシが当たって破損しているようでした。
    何より、サッシが落ちてガラスが道路に散らばっているのも恐ろしく。

    ただ、余震におびえる今はどうすることもできません。

  • (写真:弟の部屋。タンス、テレビは落ちていました。)<br /><br />まだ余震のある中、揺れが収まった時に、土足で家に入り、懐中電灯で部屋を照らします。<br /><br />タンスが倒れ、ひどいことになっています。<br /><br />さすがに2階へは上がることができませんでした。<br /><br />また明日出直すことにして、叔母の家へ戻りました。

    (写真:弟の部屋。タンス、テレビは落ちていました。)

    まだ余震のある中、揺れが収まった時に、土足で家に入り、懐中電灯で部屋を照らします。

    タンスが倒れ、ひどいことになっています。

    さすがに2階へは上がることができませんでした。

    また明日出直すことにして、叔母の家へ戻りました。

  • 次の問題は、母。<br />当時母は病院勤務だったため、こういった緊急時は病院に行かなければならないと言いだしたのです。<br /><br />正直、家族としては、自分の命も危ない時に行く必要があるのか?と引き留めたい気持ちでしたが、病院に入院している方のことを考えると留めることはできません。<br /><br />しかも、その病院に祖父が入院中だったので、余計に心配に・・・

    次の問題は、母。
    当時母は病院勤務だったため、こういった緊急時は病院に行かなければならないと言いだしたのです。

    正直、家族としては、自分の命も危ない時に行く必要があるのか?と引き留めたい気持ちでしたが、病院に入院している方のことを考えると留めることはできません。

    しかも、その病院に祖父が入院中だったので、余計に心配に・・・

  • (写真:いたるところに地割れがみられました。)<br /><br />病院までは少し距離があるのと、どういう状況か心配だったため、弟と私も一緒に病院へ行くことに。<br /><br />病院の様子は・・・<br /><br />ドラマで見た、野戦病院のよう。<br />たくさんの方が大声をあげ、走り回っていました。<br /><br />自家発電のライトに照らされ、病院だけが真っ暗な中で非現実的に浮かび上がっていました。<br /><br />

    (写真:いたるところに地割れがみられました。)

    病院までは少し距離があるのと、どういう状況か心配だったため、弟と私も一緒に病院へ行くことに。

    病院の様子は・・・

    ドラマで見た、野戦病院のよう。
    たくさんの方が大声をあげ、走り回っていました。

    自家発電のライトに照らされ、病院だけが真っ暗な中で非現実的に浮かび上がっていました。

  • (写真:私の部屋。片付けたエアコン。時計は地震の時間で止まっていました。)<br /><br />病院の玄関から奥まで、入院患者さんが所狭しと並べられていました。<br /><br />迷惑にならないように、祖父を探します。<br /><br />酸素マスクをはずされた祖父を発見。<br />もともと老衰で意識がほとんどなかった祖父でしたが、手を握ると握り返してくれました。<br />言葉が話せなくても、この恐怖はきっとわかったんじゃないかな。

    (写真:私の部屋。片付けたエアコン。時計は地震の時間で止まっていました。)

    病院の玄関から奥まで、入院患者さんが所狭しと並べられていました。

    迷惑にならないように、祖父を探します。

    酸素マスクをはずされた祖父を発見。
    もともと老衰で意識がほとんどなかった祖父でしたが、手を握ると握り返してくれました。
    言葉が話せなくても、この恐怖はきっとわかったんじゃないかな。

  • (写真:崩れた崖)<br /><br />病院の玄関周辺はリフォームされて耐震設計になっていたので、一安心。<br /><br />重病患者さん達が気になります。<br /><br />家族のことも心配でしょうに、たくさんのスタッフが必死に助け合っている姿は胸を打たれました。<br /><br />祖父を入院させている者として、感謝の言葉しかありません。

    (写真:崩れた崖)

    病院の玄関周辺はリフォームされて耐震設計になっていたので、一安心。

    重病患者さん達が気になります。

    家族のことも心配でしょうに、たくさんのスタッフが必死に助け合っている姿は胸を打たれました。

    祖父を入院させている者として、感謝の言葉しかありません。

  • (写真:浴室。タイルがはがれ落ちています。)<br /><br />同じ頃、同郷の友人たちはどうしていたのでしょう。<br /><br />ある友達は、車の中で地震に遭い、ちょうど後ろを走っていた見ず知らずのおばさんと二人、1台の車の中で過ごしたそうです。<br /><br />友達の旦那さんは、入浴中でタイルが落ちてきて怪我をしたとか。<br /><br />運転中だった人は、何かにハンドルを取られて、一瞬???と思ったのが地震だったと。<br /><br />事故が起きなくて本当によかった!

    (写真:浴室。タイルがはがれ落ちています。)

    同じ頃、同郷の友人たちはどうしていたのでしょう。

    ある友達は、車の中で地震に遭い、ちょうど後ろを走っていた見ず知らずのおばさんと二人、1台の車の中で過ごしたそうです。

    友達の旦那さんは、入浴中でタイルが落ちてきて怪我をしたとか。

    運転中だった人は、何かにハンドルを取られて、一瞬???と思ったのが地震だったと。

    事故が起きなくて本当によかった!

  • (写真:我が家の物置・・・ぐちゃぐちゃで何がなんだかわかりませんが。これを機会に物を捨てようと誓いました。)<br /><br />病院に母を残し、弟と二人叔母の家に戻りました。<br /><br />深夜。いつも温かい空間に守られていることを実感する夜。<br />恐ろしいほどの寒さ。<br />まるで冬のようでした。<br /><br />静けさと暗闇が、これからまだ何か起こるのではないかという不安を掻き立てます。

    (写真:我が家の物置・・・ぐちゃぐちゃで何がなんだかわかりませんが。これを機会に物を捨てようと誓いました。)

    病院に母を残し、弟と二人叔母の家に戻りました。

    深夜。いつも温かい空間に守られていることを実感する夜。
    恐ろしいほどの寒さ。
    まるで冬のようでした。

    静けさと暗闇が、これからまだ何か起こるのではないかという不安を掻き立てます。

  • (写真:物置)<br /><br />祖母らはテントの中に横になっていましたが、子供の泣き声、下から湧き上がる冷えに、眠ることができない様子。<br /><br />テントの中は結露もひどくずいぶんつらかったと思います。<br /><br />

    (写真:物置)

    祖母らはテントの中に横になっていましたが、子供の泣き声、下から湧き上がる冷えに、眠ることができない様子。

    テントの中は結露もひどくずいぶんつらかったと思います。

  • (写真:朝日橋の手前の写真。家がぺしゃんこにつぶれています)<br /><br />人でいっぱいのテントに入っても落ち着かないので、焚火を囲んで朝がくるのを待つことに。<br /><br />途中、頭上をヘリコプターが旋回していました。<br /><br />どうも、焚火を火事と間違われたようです。ご迷惑をおかけしました。

    (写真:朝日橋の手前の写真。家がぺしゃんこにつぶれています)

    人でいっぱいのテントに入っても落ち着かないので、焚火を囲んで朝がくるのを待つことに。

    途中、頭上をヘリコプターが旋回していました。

    どうも、焚火を火事と間違われたようです。ご迷惑をおかけしました。

  • (写真:こんな風に家がつぶれるなんて想像できますか?)<br /><br />焚火を囲みながら、この田んぼが稲刈り後でよかったとつくづく思いました。<br /><br />他の時期だったら、ここに避難することは難しかったでしょう。<br /><br />田んぼの土が乾いていて、湿り気が少なかったのは救いでした。

    (写真:こんな風に家がつぶれるなんて想像できますか?)

    焚火を囲みながら、この田んぼが稲刈り後でよかったとつくづく思いました。

    他の時期だったら、ここに避難することは難しかったでしょう。

    田んぼの土が乾いていて、湿り気が少なかったのは救いでした。

  • (写真:飛び出すマンホール。桜町周辺で見られた光景)<br /><br />何回時計を見ても、進まない時間。<br /><br />それでも明けない夜はない。<br /><br />朝の訪れと共に、ひとまず家に戻る人がちらほら。<br /><br />私のコンタクトも限界。1日使い捨てコンタクトレンズなので、早くメガネにしたい!<br /><br />でもメガネが無事か不安。<br /><br />携帯の充電も怪しい。停電の今、充電どうしよう?

    (写真:飛び出すマンホール。桜町周辺で見られた光景)

    何回時計を見ても、進まない時間。

    それでも明けない夜はない。

    朝の訪れと共に、ひとまず家に戻る人がちらほら。

    私のコンタクトも限界。1日使い捨てコンタクトレンズなので、早くメガネにしたい!

    でもメガネが無事か不安。

    携帯の充電も怪しい。停電の今、充電どうしよう?

  • 祖母は叔母の家に残し、私たちは家に。<br /><br />明るい中で改めて見た家。<br />外見はあまり変わってなかったけど、道路に散らばるガラスは昨日の地震の大きさを物語っていました。<br /><br />それにしても、不気味なほど静かな朝。<br /><br />理由は・・・<br />鳥が鳴いていないのです。<br /><br />ただそれに気がついたのは、3日後。再び鳥の鳴き声を聞いた時でした。<br /><br />自然の生き物は、きっとわかっていたんだと思います。

    祖母は叔母の家に残し、私たちは家に。

    明るい中で改めて見た家。
    外見はあまり変わってなかったけど、道路に散らばるガラスは昨日の地震の大きさを物語っていました。

    それにしても、不気味なほど静かな朝。

    理由は・・・
    鳥が鳴いていないのです。

    ただそれに気がついたのは、3日後。再び鳥の鳴き声を聞いた時でした。

    自然の生き物は、きっとわかっていたんだと思います。

  • (写真:二荒神社)<br /><br />そのせいか、今、我が家に巣作っているスズメ達が、朝元気に鳴いているのを聞くとほっとします。<br /><br />今日は大丈夫だと言われているようで。<br /><br />地震から二日後の朝、大きな地震があった時も、まだ鳥は戻ってはいませんでした。<br /><br />その翌日から鳥は戻っていました。<br />安全を確認して帰ってきてくれたのでしょう。

    (写真:二荒神社)

    そのせいか、今、我が家に巣作っているスズメ達が、朝元気に鳴いているのを聞くとほっとします。

    今日は大丈夫だと言われているようで。

    地震から二日後の朝、大きな地震があった時も、まだ鳥は戻ってはいませんでした。

    その翌日から鳥は戻っていました。
    安全を確認して帰ってきてくれたのでしょう。

  • (写真:二荒神社)<br /><br />余震があるので二階へ上がるのは勇気が必要でしたが、ダーっと階段を上がり、とりあえず必要なものを探しました。<br /><br />メガネは床に落ちていたものの、割れずに無事。<br />目に貼りついたコンタクトをはずし、メガネに・・・<br />この解放感は忘れられません・・・<br /><br />トイレも、水が流れませんが、お風呂に水がはってあったので、それをバケツに汲んで流すことができました。<br /><br />トイレで用を足せる・・・そんな些細なことが幸せに感じます。

    (写真:二荒神社)

    余震があるので二階へ上がるのは勇気が必要でしたが、ダーっと階段を上がり、とりあえず必要なものを探しました。

    メガネは床に落ちていたものの、割れずに無事。
    目に貼りついたコンタクトをはずし、メガネに・・・
    この解放感は忘れられません・・・

    トイレも、水が流れませんが、お風呂に水がはってあったので、それをバケツに汲んで流すことができました。

    トイレで用を足せる・・・そんな些細なことが幸せに感じます。

  • (写真:地割れで家と道路が離れています。)<br /><br />とりあえず、家の片付けをしながらも、余震が来るたび外に逃げることの繰り返し。<br /><br />そして、驚いたことに、すぐに給水車がやってきました。<br /><br />更に、市外に住む同級生に会い、食べ物などをいただいたのです。<br />彼女に会ったのは高校卒業以来。こんな形で再会するなんて人生って不思議。<br /><br />

    (写真:地割れで家と道路が離れています。)

    とりあえず、家の片付けをしながらも、余震が来るたび外に逃げることの繰り返し。

    そして、驚いたことに、すぐに給水車がやってきました。

    更に、市外に住む同級生に会い、食べ物などをいただいたのです。
    彼女に会ったのは高校卒業以来。こんな形で再会するなんて人生って不思議。

  • (写真:崖が崩れ道をふさいでいます)<br /><br />街中の様子を見てみようと、出かけてみると、コンビニやスーパーは屋外で商品を売っていました。<br />みんなここぞとばかりに購入。<br /><br />ラッキーなことに、車で充電できる携帯充電器を購入。これで一安心。その後、いとこが買いに行ったらもう売り切れ。<br /><br />何が必要かって、実際体験した時にしかわからない。<br /><br />実際、我が家も防災袋があったけど、それは押し入れに入ったままでした。<br /><br />あの地震の中、あの袋を持って逃げようなんて、絶対思わない。<br /><br />用意しておくなら、車の中とか、後ですぐ取り出せる場所がおすすめです。<br /><br />

    (写真:崖が崩れ道をふさいでいます)

    街中の様子を見てみようと、出かけてみると、コンビニやスーパーは屋外で商品を売っていました。
    みんなここぞとばかりに購入。

    ラッキーなことに、車で充電できる携帯充電器を購入。これで一安心。その後、いとこが買いに行ったらもう売り切れ。

    何が必要かって、実際体験した時にしかわからない。

    実際、我が家も防災袋があったけど、それは押し入れに入ったままでした。

    あの地震の中、あの袋を持って逃げようなんて、絶対思わない。

    用意しておくなら、車の中とか、後ですぐ取り出せる場所がおすすめです。

  • 祖母らは結局家では無理だろうということで、避難所にお世話になりました。<br /><br />ご近所のおばあちゃんもいたりして、さみしくなかったようです。<br />こういうつながりがある世代でよかった。<br /><br />そして、最高の再会がありました。<br />小学から中学までお世話になっていた習字の先生も避難していたのです。ご近所ながら、東京に行ってから疎遠になっていたので、再会を喜びました。<br />そして、先生が97歳になった現在も、縁が続いています。<br />当時90歳。一人暮らしの先生にとって、この地震は人生を変える大きなものとなってしまいました。<br />先生の家は半壊だったため、本人が惨状を見たらショックだろうということで、そのまま取り壊しへ。<br />住み慣れた家を90歳で失ったことの悲しみはうかがい知れません。<br />でも、今は、新しい環境で、元気に暮らしていらっしゃいます。<br />人はいくつになっても、変わることができる。<br />先生に会うたび勇気をいただいています。

    祖母らは結局家では無理だろうということで、避難所にお世話になりました。

    ご近所のおばあちゃんもいたりして、さみしくなかったようです。
    こういうつながりがある世代でよかった。

    そして、最高の再会がありました。
    小学から中学までお世話になっていた習字の先生も避難していたのです。ご近所ながら、東京に行ってから疎遠になっていたので、再会を喜びました。
    そして、先生が97歳になった現在も、縁が続いています。
    当時90歳。一人暮らしの先生にとって、この地震は人生を変える大きなものとなってしまいました。
    先生の家は半壊だったため、本人が惨状を見たらショックだろうということで、そのまま取り壊しへ。
    住み慣れた家を90歳で失ったことの悲しみはうかがい知れません。
    でも、今は、新しい環境で、元気に暮らしていらっしゃいます。
    人はいくつになっても、変わることができる。
    先生に会うたび勇気をいただいています。

  • (写真:2歳の子供が救出された妙見を対岸から。平日の同時間帯だったら、たくさんの通行があったのではないでしょうか。)<br /><br />母は地震当日以降もほとんど病院へ行ったっきり。<br />夜は車を広い駐車場へ移動し、そこで眠りました。<br />たしか25日の早朝。まばゆい朝日の中、大きな揺れが。<br />そして、少し経ってグシャグシャーと、建物が崩れる音が聞こえてきたのです。恐怖の音でした。<br /><br />家の片付け、給水、買い出し、自転車に乗って避難所の祖母の状況を見に行ったりの数日。<br /><br />トイレ、ガスは止まったまま。<br /><br />余震が落ち着いてきたので、車で長岡へ。健康ランドで5日ぶりの入浴。<br />お風呂がこんなに気持ちがいいものだったなんて・・・感動でした。<br /><br />人は不便を経験して、ようやく日常の当たり前のことに感謝できるのかもしれません。<br />

    (写真:2歳の子供が救出された妙見を対岸から。平日の同時間帯だったら、たくさんの通行があったのではないでしょうか。)

    母は地震当日以降もほとんど病院へ行ったっきり。
    夜は車を広い駐車場へ移動し、そこで眠りました。
    たしか25日の早朝。まばゆい朝日の中、大きな揺れが。
    そして、少し経ってグシャグシャーと、建物が崩れる音が聞こえてきたのです。恐怖の音でした。

    家の片付け、給水、買い出し、自転車に乗って避難所の祖母の状況を見に行ったりの数日。

    トイレ、ガスは止まったまま。

    余震が落ち着いてきたので、車で長岡へ。健康ランドで5日ぶりの入浴。
    お風呂がこんなに気持ちがいいものだったなんて・・・感動でした。

    人は不便を経験して、ようやく日常の当たり前のことに感謝できるのかもしれません。

  • (写真:車庫で生活。ガスコンロや古い石油ストーブのおかげで温かいものを食べ、暖をとることができました。)<br /><br />家が片付くにつれ考えるのは東京に戻ること。<br />新幹線の復旧は時間がかかるのでどうしようかと悩んでいたら、新潟空港から羽田へ臨時便が飛ぶことがわかりました。(通常は飛んでいません。)<br /><br />電話で予約をし、日曜の便を押さえました。<br /><br />帰る日が決まると、それまでにしておきたいことが次々と思い浮かびます。<br />気になっていたお墓へも行ってみました。見事に倒れる墓石。<br /><br />ところが、我が家の墓石は、少しずれている程度で原型をとどめていました。墓石が倒れる墓地にあって、その姿は奇跡をみるようでした。<br />

    (写真:車庫で生活。ガスコンロや古い石油ストーブのおかげで温かいものを食べ、暖をとることができました。)

    家が片付くにつれ考えるのは東京に戻ること。
    新幹線の復旧は時間がかかるのでどうしようかと悩んでいたら、新潟空港から羽田へ臨時便が飛ぶことがわかりました。(通常は飛んでいません。)

    電話で予約をし、日曜の便を押さえました。

    帰る日が決まると、それまでにしておきたいことが次々と思い浮かびます。
    気になっていたお墓へも行ってみました。見事に倒れる墓石。

    ところが、我が家の墓石は、少しずれている程度で原型をとどめていました。墓石が倒れる墓地にあって、その姿は奇跡をみるようでした。

  • (写真:ピアノがずれて、壁に穴をあけています)<br /><br />ご先祖様に守られたのかな・・・<br />もし、予定通り一週間前にお祝いが行われていたら・・・<br /><br />東京にいる私は、家族と連絡が取れなくて不安な日々を過ごしたでしょうし、祖母は台所にいても居間にしても怪我は免れなかったでしょう。<br />家族親戚が一緒にいて、しかも地震を予知したかのように、家具を取り除いた部屋にいることができて。<br />早い食事とお酒は、体を温めてくれエネルギーをくれました。<br /><br />叔母の家でなかったら、火をおこしたり、テントを張ったりすることはできなかったでしょう。<br /><br />周りからは、「地震の日に帰るなんてついてなかったね」と言われましたが、ついてないどころか強運だったと思います。<br /><br />誰も怪我なく、壊れながらも家は残り、何より孤独な不安を感じることはなかったのですから。

    (写真:ピアノがずれて、壁に穴をあけています)

    ご先祖様に守られたのかな・・・
    もし、予定通り一週間前にお祝いが行われていたら・・・

    東京にいる私は、家族と連絡が取れなくて不安な日々を過ごしたでしょうし、祖母は台所にいても居間にしても怪我は免れなかったでしょう。
    家族親戚が一緒にいて、しかも地震を予知したかのように、家具を取り除いた部屋にいることができて。
    早い食事とお酒は、体を温めてくれエネルギーをくれました。

    叔母の家でなかったら、火をおこしたり、テントを張ったりすることはできなかったでしょう。

    周りからは、「地震の日に帰るなんてついてなかったね」と言われましたが、ついてないどころか強運だったと思います。

    誰も怪我なく、壊れながらも家は残り、何より孤独な不安を感じることはなかったのですから。

  • 東京へ戻る日。<br /><br />長岡駅から新潟へは電車で向かいました。<br />新潟市は、いつもの新潟市。<br />自分の服装がすごく汚れているように感じて。たしかにブーツには取りきれない土汚れがあり、私自身相当くたびれていました。<br /><br />服を一新して東京へ戻りました。<br /><br />あれからもうすぐ7年。<br />今年は東日本大震災もあり、想像を絶する多くの方が被害にあい、大切な方、大切な物を失った年。<br /><br />誰にいつ起こるかわからない災害。それでも教訓から学べることはたくさんあると思います。<br /><br />中越地震のおかげで、私の生活スタイルはシンプルなものにシフトし、大切な方への連絡はこまめにとるようになりました。<br /><br />残念なことに入院していた祖父は、地震の影響もあってか同年の年末を待たず亡くなりました。<br />そういった方は多かったと思います。<br /><br />それでも最後に多くの時間を共にできたことに今も感謝しています。

    東京へ戻る日。

    長岡駅から新潟へは電車で向かいました。
    新潟市は、いつもの新潟市。
    自分の服装がすごく汚れているように感じて。たしかにブーツには取りきれない土汚れがあり、私自身相当くたびれていました。

    服を一新して東京へ戻りました。

    あれからもうすぐ7年。
    今年は東日本大震災もあり、想像を絶する多くの方が被害にあい、大切な方、大切な物を失った年。

    誰にいつ起こるかわからない災害。それでも教訓から学べることはたくさんあると思います。

    中越地震のおかげで、私の生活スタイルはシンプルなものにシフトし、大切な方への連絡はこまめにとるようになりました。

    残念なことに入院していた祖父は、地震の影響もあってか同年の年末を待たず亡くなりました。
    そういった方は多かったと思います。

    それでも最後に多くの時間を共にできたことに今も感謝しています。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • キョロさん 2011/09/23 10:53:00
    天災は突然に…
    ロンヅーさん、おはようございます!

    そう、災害って自分の身に起こるまでは、実感ないんですよね。
    私も阪神大震災を経験するまでは、あんなことが起こるなんて、思ってもみませんでした。
    そして、今回の東日本大震災、半年経ってもまだ多くの方が避難されている現実に心が痛みます。

    私は現在両親とは別に住んでいますが、当時は家族と同居していましたので、本当に心強かったです。
    もし、一人で住んでいたら…、とても心細かったでしょうし、両親や兄弟のことも気になるしで、気が気でなかったように思います。
    幸い、我が家は家具が倒れた程度で済みましたが、
    本震よりも今度こそ家が潰れるんじゃないかと思いながら余震に怯えながら過ごしたことは忘れられません。
    (本震の時は、あまりに突然のことで、何が何だか分からない状態でした。(^^ゞ)

    そして、そんな中、冷静に行動していたのは母でした。
    ストーブを消し、玄関のドアを開け、水が出るうちに…とお風呂に水をはりと、大活躍でした。
    一方、父はボ〜っとしているだけで、全然役にたちませんでした。(笑)
    やっぱり女は強いですね!

    私が震災から学んだことは、「やりたいことは今やる!」です。
    で、旅行に行ってばかりでいつもスッカラカンなんですけどね。(笑)

    自分のことばかり書いてしまいましたが(^^ゞ
    ロンヅーさんのご家族にお怪我がなくて本当に良かったです。

    wai

    waiさん からの返信 2011/09/23 23:07:04
    RE: 天災は突然に…
    キョロさん、ありがとうございます♪

    キョロさんは阪神大震災を経験されたんですね・・・
    忘れもしないセンター試験の日でした。何か恐ろしいことが起きていることはわかっても、正直、離れていると実感がわきません。
    今回の東日本大震災は、日本の半分くらいの地域が何かしらの被害を受け、更に豪雨といった水害で、いつ何があってもおかしくないと誰もが思ったでしょう。

    地震の時、本に埋まった父の部屋が一番大変なことになっており、それを機にかなりの本を捨てましたが、それでも父は本をまた買ってきて、懲りないというか・・・。

    地震以来、心に刻んでいるのは、「本当の幸せは、物を持たなくてもできることにある」
    私は物の執着から解放されました。(結婚後は、断捨離の日々ですが・・・)

    やっぱり女性のほうが強い!私も同じ意見です。変化への対応が早く、何か学んでいるように感じます。

    旅行記というより、人生の節目の記録になってしまいましたが、お付き合いくださりありがとうございます♪
    次は、素敵なバンコクをアップしようかな。

    ロンヅー


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