ヨハネスブルグ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 今回から3回、4トラベルに入会する前のアフリカ紀行ののブログである。時期は2008年の秋でちょっと古い旅行になるが、これから旅行する方の参考になれば幸いである。<br /> 香港で南アフリカ航空に乗り継ぎ、13時間半の夜間飛行で、南アフリカの玄関口、ヨハネスブルグに到着したのは2008年10月17日の朝、7時だった。<br /> その時の旅行はc社のパッケージツアーで18名の団体だった。私は、貧乏旅行の一人旅が好きなのだがアフリカの一人旅は危険なので、このツアーの参加となったのである。<br /> 長時間のフライトと、気疲れと、アフリカの暑さで、到着した時はかなり疲れていた。しかし、c社のスケジュールはハードで、即、バスに乗り込み、観光が始まったのである。<br /> ヨハネスブルグ(英語名はヨハネスバーグ)は南アフリカ共和国最大の産業都市で人口は近郊を合わせると500万を越えるそうだ。中心街の近代的な建物を通り抜けると、白人居住区と黒人居住区がまだ、はっきり区別されているのが目につく。目を覆うような黒人のスラム街、あの、アパルトヘイトの廃止は一体、何だったのだろうかと考えさせられた。(このことについては改めて書く)<br /> 私達の初日のツアーは行政府の首都、ブルトリア(ヨハネスブルグから40キロ)から始まった。市街地に入る前に南アフリカ開拓記念館を訪れた。物凄く巨大な建物だったけれど、あまり、資料はなかった。17世紀にオランダ人が入植すると、18世紀にイギリスがケープを植民地とし、それ以後の両国の闘争の歴史の博物館だった。<br /> ここは、アフリカの地なのに、両国は先住民を無視して、領土を支配するために戦った。そして、1961年に南アフリカ共和国として発足するのだが、現在のアフリカ大陸の大国になるには白人が築いたのだとでもいいたげな記念館だった。<br /> それからブルトリアの市街地に出てジャカランダの花を満喫した。10月中旬は南アフリカはは春でジャカランダの満開時名のである。「紫の桜、ジャカランダを観に行こう」というのがCC旅行社のキャッチフレーズだった。(花は似ててもジャカランダと桜は全然種類が違うのだ。(C社よ、でたらめな宣伝は止めよう) <br /> 私は桜に似ているジャカランダも観たかったが、南アフリカ共和国は緯度では日本の東北に当るのので、本当の桜も咲いているかも知れないと思って参加したのだが桜は見る事が出来なかった。ガイドの話では南アフリカの土壌が桜に適していないのだそうだ。ジャカランダは300年位前アルゼンチンから船乗りが持って来て植えたのが、いまや世界的にジャカランダの名所になったのだそうだ。<br /> ヨハネスブルグとブルトリアでは桜の花は見れなかったが、ケープタウンには世界的名植物園がある。そこも、観光ルートに入っていたので、そこに行けば桜は咲いているだろうと一縷の望みを捨てなかったのである。<br /> <br />   <br />   <br />         4、 ブレトリア最初のジャカランダの樹と子供たち<br /> <br /><br /><br />

アフリカ南部の旅 1 ジャカランダの花

3いいね!

2008/10/16 - 2008/10/23

179位(同エリア242件中)

0

6

ゆらのと

ゆらのとさん

 今回から3回、4トラベルに入会する前のアフリカ紀行ののブログである。時期は2008年の秋でちょっと古い旅行になるが、これから旅行する方の参考になれば幸いである。
 香港で南アフリカ航空に乗り継ぎ、13時間半の夜間飛行で、南アフリカの玄関口、ヨハネスブルグに到着したのは2008年10月17日の朝、7時だった。
 その時の旅行はc社のパッケージツアーで18名の団体だった。私は、貧乏旅行の一人旅が好きなのだがアフリカの一人旅は危険なので、このツアーの参加となったのである。
 長時間のフライトと、気疲れと、アフリカの暑さで、到着した時はかなり疲れていた。しかし、c社のスケジュールはハードで、即、バスに乗り込み、観光が始まったのである。
 ヨハネスブルグ(英語名はヨハネスバーグ)は南アフリカ共和国最大の産業都市で人口は近郊を合わせると500万を越えるそうだ。中心街の近代的な建物を通り抜けると、白人居住区と黒人居住区がまだ、はっきり区別されているのが目につく。目を覆うような黒人のスラム街、あの、アパルトヘイトの廃止は一体、何だったのだろうかと考えさせられた。(このことについては改めて書く)
 私達の初日のツアーは行政府の首都、ブルトリア(ヨハネスブルグから40キロ)から始まった。市街地に入る前に南アフリカ開拓記念館を訪れた。物凄く巨大な建物だったけれど、あまり、資料はなかった。17世紀にオランダ人が入植すると、18世紀にイギリスがケープを植民地とし、それ以後の両国の闘争の歴史の博物館だった。
 ここは、アフリカの地なのに、両国は先住民を無視して、領土を支配するために戦った。そして、1961年に南アフリカ共和国として発足するのだが、現在のアフリカ大陸の大国になるには白人が築いたのだとでもいいたげな記念館だった。
 それからブルトリアの市街地に出てジャカランダの花を満喫した。10月中旬は南アフリカはは春でジャカランダの満開時名のである。「紫の桜、ジャカランダを観に行こう」というのがCC旅行社のキャッチフレーズだった。(花は似ててもジャカランダと桜は全然種類が違うのだ。(C社よ、でたらめな宣伝は止めよう) 
 私は桜に似ているジャカランダも観たかったが、南アフリカ共和国は緯度では日本の東北に当るのので、本当の桜も咲いているかも知れないと思って参加したのだが桜は見る事が出来なかった。ガイドの話では南アフリカの土壌が桜に適していないのだそうだ。ジャカランダは300年位前アルゼンチンから船乗りが持って来て植えたのが、いまや世界的にジャカランダの名所になったのだそうだ。
 ヨハネスブルグとブルトリアでは桜の花は見れなかったが、ケープタウンには世界的名植物園がある。そこも、観光ルートに入っていたので、そこに行けば桜は咲いているだろうと一縷の望みを捨てなかったのである。
 
   
   
         4、 ブレトリア最初のジャカランダの樹と子供たち
 


同行者
社員・団体旅行
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
観光バス 飛行機
航空会社
南アフリカ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • 南アフリカ航空。日本には就航していない。香港乗り継ぎ

    南アフリカ航空。日本には就航していない。香港乗り継ぎ

  • アフリカの大地は赤かった。

    アフリカの大地は赤かった。

  • 南アフリカ開拓記念館

    南アフリカ開拓記念館

  • 市街地のジャカランダの花。(表紙も)

    市街地のジャカランダの花。(表紙も)

  • 白いジャカランダの花

    白いジャカランダの花

  • 南アフリカ共和国の少女たち。

    南アフリカ共和国の少女たち。

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

南アフリカ共和国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
南アフリカ共和国最安 459円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

南アフリカ共和国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP