2011/08/28 - 2011/08/28
81位(同エリア890件中)
みにくまさん
広島旅行の3日目、広島から電車に乗って約30分、呉にやってきました。
目的は大和ミュージアム(正式名称は呉市海事歴史科学館)を見るためです。
◎ 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
住所 呉市宝町5-20
電話番号 0823−25−3017
営業時間 9:00〜18:00(7月1日〜8月31日までは19:00まで)
休館日 火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)
観覧料 500円
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呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年4月23日に開館した。
「被爆地・ヒロシマ」に所在し、現在も安全保障問題の現場となっている土地柄、修学旅行生の平和学習の場としても活用されている。
呉市海事歴史科学館が正式名称だが、愛称である大和ミュージアムの方が広く定着している。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
ネプチューン(ギリシャ神話の海神)
ネプチューンは、ギリシャ神話に出てくる海の守り神であり、ギリシャ名をポセイドンといいます。
呉の港に建設された呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)を守り、永遠の発展を祈念します。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
10分の1 戦艦「大和」
建造所 山本造船株式会社 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
この模型は、戦艦大和の海底調査や発見された資料により判明した最新の情報に基づいて制作されており、新たに判明した史実や資料があれば随時それに合わせて改装されている(この変更点には、偵察機の追加搭載などがある)。
また映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影の際、尾道市向島町にあった戦艦大和実寸大オープンロケセットの不足部分を補うため、CGの合成用素材として使用された。
なお映画撮影後に解体されたロケセットの一部は呉市へ寄贈され、2006年6月29日、大和ミュージアムの資料修復保存施設(旧海事博物館推進室敷地内)に搬入され、同館の第2駐車場ビル2階に展示されている。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
この科学館が大和ミュージアムと呼ばれる所以となったこちらの大型模型。
私もこれが見たいためにここにやってきたといっても過言ではありません。
映画「男たちの大和/YAMATO」が上映された当時にこちらの施設のことを知りましたが、やっとのことで見に来ることができました。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
◎ 軍艦大和について
大和(やまと)は、日本海軍が建造した史上最大の戦艦、大和型戦艦の一番艦。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月16日に就役し、1942年2月12日に連合艦隊旗艦となった。この任は司令部設備に改良が施された同型艦「武蔵」がトラック島に進出する1943年2月まで継続した。
1945年4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。
当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の礎となり重要な意味をなす。
艦名「大和」は、旧国名の大和国に由来する。日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる。
同様の名称として扶桑型戦艦がある。
正式な呼称は“軍艦大和”。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について②
起工 1937年11月4日
進水 1940年8月8日
就役 1941年12月16日
沈没 1945年4月7日14時23分
除籍 1945年8月31日 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について③
性能諸元
排水量 基準 64000トン
公試 69000トン
満載 72809トン
全長 263.0m
水線長 256.0m
全幅 38.9m
公試吃水 10.4m
主機関 ロ号艦本式缶12缶
艦本式タービン4基4軸
153553馬力
航続距離 16ノットで7200海里(13334km)
乗員 竣工時 2500名
最終時 3333名(うち1名無断乗艦) 諸説あり -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について④
・兵装(最終時)
45口径46cm3連装砲塔:3基 (詳細は下記参照)
60口径15.5cm3連装砲塔:2基
40口径12.7cm連装高角砲:12基
25mm3連装機銃:52基
25mm単装機銃:6基
13mm連装機銃:2基
・装甲
舷側 410mm
甲板 200mm~230mm
主砲防盾 650mm
艦橋 500mm
・搭載機
7機(カタパルト2基) -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑤
46センチ主砲
正式名称94式45口径46センチ砲。当時世界最大の主砲。射程距離は実に42キロメートルというもので、砲弾は、長さ約2メートル、重さは1.46トンという巨大さであった。一発撃つのに使う火薬の量は330キロ。撃ち出された砲弾は、時速2,808Km(秒速780m)という速さで飛び出し、砲身の内側に刻まれたライフルにより、1分間に60回転しながら飛んでいき、遙か水平線の彼方の敵艦を攻撃する事ができた。
これだけの大口径の主砲は後にも先にも大和型戦艦のみであった。3連装の砲塔一基の重さは2510トンで駆逐艦一隻分の重さにあたる。砲身長は、20.7メートル(45口径・46センチの45倍)もあり、1門あたり165トンにも及んだ。
しかし大和はその生涯で主砲は合計311発しか撃てなかった。使用された46センチ砲弾は、対艦用の91式徹甲弾、そして対航空機用の零式通常弾、3式通常弾の3種類で、徹甲弾は、目標の手前で着水してもそのまま水中を直進して艦腹に当たるような工夫がされていた。
しかし、どんな砲身でも寿命があり、戦艦大和の主砲は1発撃つたびに砲身内に約3300気圧がかかるため、約200発で砲齢が尽きることとなっていた。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑥
装甲
大和の艦体は舷側は厚さ41センチ、そして甲板は厚さ23センチ、砲塔は65センチという甲鉄で覆われ、20キロ位先から打ち込まれる大和なみの砲弾や200キロ爆弾による急降下爆撃にも十分耐えられる防御であった。また魚雷防御の為、舷側に大きくバルジを張りだした。
また、艦体全体に鋼鉄のアーマーを張ると艦の重量が増加してしまうことから、大和においては、弾薬倉庫、機関部、砲塔部等の重要な部分をすっぽり覆ってしまうという集中防御方式が取り入れられた。更にそれ以外の居住区等部分は、できるだけ細かく仕切られて(1,147個)防水区画を作り、爆撃や浸水から身を守った。また、煙突の通路は防御を張れないことから、大和は直径18センチの穴が無数に開いた「蜂の巣甲鈑」と呼ばれる装甲が設置され、排気を遮断することなく防御が可能となった。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑦
球状艦首
大和は巨大戦艦であるが、全長に比較して幅が異常に広い。
これは、巨大な主砲を装備するため、防御や安定性を追求した結果である。幅が広ければ、当然速度が遅くなる。したがって、造波抵抗を軽減し、速力を増すための球状艦首(バルバス・バウ)となっている。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑧
居住区
冷暖房完備、エレベーター付で当時の技術の粋を集めた装備がなされ、居住区は広く、兵員の寝起きに大抵の軍艦が釣床(ハンモック)を使用していたところを大和では寝台を使用していた。居住区一人当たりの床面積は3.2㎡で、駆逐艦の3倍以上の広さである。したがって、他艦の乗組員からは「大和ホテル」と呼ばれていた。
同型艦の武蔵は、「武蔵御殿」と呼ばれていた。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑨
建造
1934年(昭和9年)10月、列強新戦艦に対抗することを目的に軍令部より艦政本部に向けて大型戦艦の建造の要求が出された。
これを受けて1936年(昭和11年)12月26日開会の第七〇回帝国議会に新型戦艦「A140-F5」2隻分(1隻9800万円)の予算が提出される。ただし予算規模から艦の大きさを諸外国から推定されないよう架空の駆逐艦3隻(1350万円)、架空乙型潜水艦1/2隻(609万円)が計上されており、これらを含めた予算1億1759万円が、実際のA140F5艦予算だった。
議会開催中にA140F5は主機械を蒸気タービン専用とした第二次基本計画「A140-F6」に切り替わり、1億793万3075円(実費は1億2898万3091円)で建造が承認された。これに加えて、改装中の金剛型戦艦「比叡」や空母「飛龍」の予算を一部利用している。
列強は大和型戦艦建造については確信していたものの、その規模を40cm砲搭載、4万5000tクラスと推定していた。
※ 大和の予算を現在の金額に換算すると約2600億円。当時の国家予算の3%にあたる金額であった。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑩
艦内通信
軍艦の艦内通信は主に電話で、大和は直通電話491本を有し、外部電話回線1本も装備されていた。
艦内が広く、また防毒の観点から伝声管については146本と少なめで、他に空気伝送管も14本装備されていた。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑪
烹炊所
大和の烹炊所は上甲板に設備され、6斗炊き蒸気釜6個、6斗炊き副食釜2個が設備されていた。1つの釜で500人分の炊飯が可能であった。
なお、栄養価は1人2800~3000カロリー、1日6合(米7:麦3)、野菜300g、肉180g、魚150gと決められていた。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和について⑫
同型艦
大和は、大和型戦艦の一番艦でネームシップであった。
同型艦としては武蔵・信濃の二隻が建造され、信濃については、航空母艦に改造された。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 軍艦大和の戦績①
戦艦「大和」は、艦隊決戦の切り札となるべく、昭和12年11月4日に呉海軍工廠において起工された。大和は対米英開戦直後の昭和16年12月16日に海軍に引き渡されて竣工、第一戦隊に編入された。昭和17年2月には、これまで12年間にわたり連合艦隊の旗艦を務めた「長門」から旗艦の地位を譲り受け山本五十六長官の将旗を掲げる事となった。
太平洋戦争が始まり、日本は破竹の進撃を続けたわけであるが、その間大和は瀬戸内海の柱島基地において訓練に励んでいた。その後太平洋戦争の天王山とも呼ばれるミッドウェイ海戦に参加した。昭和17年6月5日に海戦が始まったが、南雲艦隊は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻の航空母艦を失い、大敗北となった。その時大和は戦場から300海里も離れており、応援のすべもなく、柱島基地に帰投した。 -
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~大和ひろば~
◎ 軍艦大和の戦績②
昭和18年8月、戦場はソロモン海域に移り、大和も南方戦線の最大拠点であるトラック島に進出した。
その後戦局は悪化していき、昭和18年2月に大和は旗艦の座を二号艦の「武蔵」に譲ることとなった。その間大和はトラック島と日本を何度か往復したが、出撃の機会は訪れなかった。
昭和18年12月に大和は米潜水艦スケートの雷撃を受け、魚雷1本が右舷に命中、初めて損傷を被り、呉海軍工廠にて修理と共に高角砲、機銃の増設等の改装工事が行われた。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
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◎ 軍艦大和の戦績③
修理を終えた大和はリンガ泊地に進出し、米軍のサイパン侵攻に備えた。
そして昭和19年6月11日から米機動部隊によるサイパン空襲が行われたことから救援に行き、昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦となる。
この時初めて大和の主砲は実戦で火を噴いたのである。目標は敵艦船ではなく、敵艦載機で27発(3斉射)を撃ったにすぎなかった。 -
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◎ 軍艦大和の戦績④
その後大和は、昭和19年10月23日のレイテ沖海戦に参加した。24日大和はシブヤン海域において米艦載機の攻撃を受け、主砲31発を発射するが、爆弾一発が命中した。
翌25日、サマール沖で偶然敵護衛空母艦隊に出くわし、敵空母に向かって3式通常弾24発、徹甲弾100発の主砲を発射し、敵空母に損傷を与えた。これが水上艦船に対する最初で最後の大和の主砲攻撃となった。この海戦において日本海軍は「武蔵」他多数の艦船を失い、連合艦隊は事実上壊滅した。 -
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◎ 軍艦大和の戦績⑤
大和はその後日本に戻ったが、昭和20年4月1日に米軍が沖縄上陸した事から水上特攻部隊として出撃し、生還を望まない攻撃に出発した。
大和は昭和20年4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上を受け、午後2時23分、九州坊ノ岬沖90海里の地点で3057名(諸説あり)の乗組員と共に海底深く沈没したのである。この時の主砲は27発しか発射されなかった。 -
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◎ 大和は水上特攻の際、片道分の燃料しか搭載していなかったのか?
戦艦大和は、沖縄に集結する敵水上艦艇、輸送船団を撃滅すべく、昭和20年4月6日午後3時20分、柱島基地から出撃した。生還を期しない水上特攻部隊の旗艦として僚艦9隻(軽巡矢矧、駆逐艦雪風、浜風、磯風、朝霜、霞、初霜、冬月、涼月)と共に。制空権は敵にあり、大和が沖縄に到着するまでに敵航空機に撃沈される事は必至であり、作戦というより「大和の死に場所」を求めた特攻隊の美名を冠した出撃であった。
この出撃の際、大和は「片道分の燃料しか搭載していなかった」と言われている。当時連合艦隊参謀長より発せられた作戦計画は、搭載燃料2000トン以内というもので、大和が沖縄を往復する為には4000トンの燃料が必要なので、この作戦通りであれば、片道分の燃料しか搭載していなかった事になる。 -
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◎ 大和は水上特攻の際、片道分の燃料しか搭載していなかったのか?②
当時基地の重油タンクは殆どが空で、訓練もできない状態であった。軍令部からの作戦命令も水上特攻である事と重油の枯渇により片道分の燃料としたのである。しかし、実際は往復できるだけの4000トンを搭載して出撃した可能性が大である。
現場である軍需部の独自の判断で当時「武士の情けを知らないような事はできない。」との事で軍令部の指示した2000トンは帳簿から出したが、それ以外の2000トンは空タンクに残っている重油を手押しポンプで揚げて搭載したとの事である。
このように命令に反するとわかりつつも、参謀ではなく一個人の大佐として往復燃料を搭載すべく尽力したのは、連合艦隊参謀小林儀作海軍大佐であり、同氏は、戦後自身の手記にそのことを書き残している。
燃料が往復分搭載された確たる文書は存在しないものの、同氏の手記を読むと、切々たる思いと確かに往復分の燃料が搭載された事実が伝わってくる。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
★ トップ写真 ★ -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
◎ 現在の大和
戦闘詳報による沈没地点は北緯30度22分 東経128度04分。だが実際の「大和」は、北緯30度43分、東経128度04分、長崎県男女群島女島南方176km、水深345mの地点に沈没している。
艦体は1番主砲基部と2番主砲基部の間を境に、前後2つに分かれていた。
右舷を下にした艦首部より2番主砲塔前(0 - 110番フレーム付近、約90m)までの原型をとどめた部分は、北西(方位310度)に向いている。
転覆した状態の2番主砲塔基部付近より艦尾までの原型をとどめた後部(175 - 246番フレーム付近、約186m)は、東(方位90度)方向を向いている。あわせると276mとなる。
原型をとどめぬ艦中央部は3つの起伏となり艦尾艦首の70m南に転覆した状態で、根元から脱落した艦橋は艦首の下敷きとなり、各々半分泥に埋まった状態で沈んでいる。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 現在の大和②
主砲と副砲塔はすべて転覆時に脱落した。特に3基の主砲は、砲塔の天蓋を下にして海底に塔のように同一線上に直立している。これは主砲の脱落が、転覆直後に起こったことを意味している。主砲の砲身自体は泥に深く埋もれており、観察できていない。
また艦首切断部付近で発見された2番主砲塔は、横倒しとなった状態で基部が酷く破損しており、沈没時に2番砲塔の弾薬庫が爆発したことを示す証拠とされている。
1番(艦首から70m)と3番主砲塔(艦尾部スクリュー付近)には著しい損壊は認められていない。副砲は砲身が視認されており、損傷もない。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
~大和ひろば~
◎ 現在の大和③
4本のスクリューのうち、3本は船体に無傷で付いているが、1本は脱落して、海底に突き刺さっている。沈没時の爆発でスクリュー軸が折れて、脱落したものと思われる。主舵には損傷はなく、正中の位置となっている。艦首部分には左右に貫通している魚雷命中穴があり、その他にも多数の破孔がある。
2009年1月になって「大和」の母港であった呉市海事歴史科学館・呉商工会議所・中国新聞・日本放送協会広島放送局等、広島の経済界やマスコミが中心となって寄付を募って引き揚げる計画を立ち上げ、数十億円規模の募金を基に船体の一部の引揚げを目指している。一方で、遺品の引き揚げに立ち会った大和乗組員が複雑な気持ちを抱いたという証言もある。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
◎ 歴代艦長(階級はいずれも大佐)
1.宮里秀徳:1941年9月5日 - (艤装員長)
2.高柳儀八:1941年11月1日 -
3.松田千秋:1942年12月17日 -
4.大野竹二:1943年9月7日 -
5.森下信衛:1944年1月25日 -
6.有賀幸作:1944年11月25日 -
最も新しい艦長である有賀が最初に没し(戦死)、先輩艦長は全員が戦後まで存命した。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大和ひろば〜
◎ 大和の戦死者数について
大和の戦死者数について戦史では確定していない。
これは乗組員数に様々な説(2716名〜3332名)があるためだ。
生還者数に関しては276名と、いずれも動かない数字とされている。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
戦艦「長門」軍艦旗
軍艦期とはその国家を表象すると同時に、海軍将校を指揮官とする艦船であることを示すものです。
この軍艦旗は3.6mX5.4mの大きさで、終戦時の戦艦「長門」にて使用されていたものです。
「長門」を接収したアメリカ海軍艦長の娘さんからテレビ東京系列番組「海運!なんでも鑑定団」へ出品され、石坂浩二氏が購入(1000万円)。「縁のある呉の大和ミュージアムへ」と呉市へ寄贈いただきました。
終戦時「長門」は、日本海軍戦艦のなかでも唯一活動可能な艦でした。
終戦後はアメリカ軍に接収され、昭和21(1946)年7月1日の南太平洋ビキニ環礁における原爆実験(空中爆発実験)にもほぼ無傷で残り、同月25日の2回目の水中爆発実験から4日後、静かに沈没しました。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
1階展示室
日本の幕末から太平洋戦争終結までの戦史と呉海軍工廠の歴史、戦艦大和について、当時の記録映像の上映、海軍兵器の実物、戦没者の遺品などの歴史的資料の展示を通じて解説。
呉軍港空襲や広島市への原子爆弾投下に関しても、呉の人々の視点から見えた当時の様子などが詳細に展示されている。
随時、ガイドや学芸員による解説を受けながら展示物を閲覧する機会も設けられている。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
戦艦「大和」初代航海長 植村正夫氏の軍刀
戦艦「大和」初代航海長だった植村正夫氏が所持していた軍刀です。
就任時は、海軍中佐(のちに海軍大佐)でした。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
戦艦「大和」初代航海長 植村正夫氏の軍刀
※ こちらの展示室は基本的には写真撮影が可能なのですが、一部の遺品などに撮影禁止のものがあるので注意が必要です。
またフラッシュ撮影、ビデオ撮影は禁止されていました。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
軍艦大和の乗組員 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
海底の大和から引き揚げられた遺品 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
海底の大和から引き揚げられた遺品 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
海底の大和から引き揚げられた遺品 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
89式飛行艇(手前)
広海軍工廠の岡村純少佐を主務設計者に開発した複葉式の双発飛行艇で、昭和7(1932)年3月8日に制式採用されました。
艇体は全金属製セミ・モノコック構造とし、底部は強度の増加と運動性の向上を図りV型としました。
翼の骨組みも強度・耐久性を考慮し金属製とし羽布張りとしました。
広工廠では川西航空機(株)と協力し13機を製造しました。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
91式飛行艇 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
呉海軍工廠で建造された全艦艇133隻とその他
◎ 主な艦艇
通報艦:宮古(呉で初めて建造された軍艦)
戦艦:安芸、摂津、扶桑、長門、大和
巡洋戦艦:筑波、生駒、伊吹
重巡洋艦:那智、愛宕、最上、伊吹(未成)
防護巡洋艦:対馬
軽巡洋艦:大淀
航空母艦:赤城、蒼龍、雲鷹(改装)、冲鷹(改装)、神鷹(改装)、葛城、阿蘇(未成)
水上機母艦:千歳、千代田、日進
敷設艦:勝力、八重山 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
呉海軍工廠で建造された全艦艇133隻とその他 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
一等巡洋艦「青葉」進水記念の斧 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
着底した航空戦艦「伊勢」音戸沖
昭和21(1946)年10月1日 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
◎ 県内産業
世界的な緊張が高まる中、満州事変以降に軍備拡充が進んだこともあり、広島県では呉海軍工廠の下請けとして軍需向け製品を製造する企業が相次ぎ創業しました。
昭和13(1938)年に軍需向けのポンプや高圧弁を製造する(株)新興金属工業所(現:シンコー)が創業、また同年、(株)日本製鋼所広島製作所の下請けとして軍需用の精密機器を製造する(株)久保田鉄工所が創業しました。
現在、自動車部品や機械機器などを製造している企業・工場の多くが、この時期には軍需向けの製造を行っていました。
これらの企業は、戦後の県内産業の発展に大きな影響を与えることになります。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
マツダ号GB型三輪トラック -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
英連邦進駐記念アルバム
英連邦朝鮮派遣軍として呉に駐留していた兵士の記念アルバムです。
表紙を開くとオルゴールが鳴る仕掛けになっています。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
タンカー「日精丸」(縮尺1:100)
建造にあたっては、従来の足場を組んで作業する方法から、自動溶接機などの機器を搭載した「作業ユニット」で自動的に作業する方式に変更し、大幅な省力化が測られました。
建造当時世界最大で、現在も日本船籍史上最大のタンカーです。
竣工1975年6月26日(2003年解体)
総トン数 238,518 トン
載貨重量トン数 484,377 トン
全長 378.85 m
垂線間長 360.0 m
型幅 62.0 m
型深 36.0 m
吃水 28.202 m
機関 蒸気タービン 1基
主機出力 45,000馬力
航海速力 14.7ノット (27 km/h)
最高速力 15.55ノット (29 km/h)
積載量 585,047 m³
乗員 45名 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
零式艦上戦闘機62型、人間魚雷「回天」などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。
呉で培われた材料をつなぐ技術や目標へまっすぐ進む技術などは、現在の宇宙ロケット製造技術にも引き継がれています。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 九三式魚雷 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 九三式魚雷・九五式二型魚雷
九三式魚雷は、それまでの魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いていました。この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは日本だけでした。
開発に成功したのは呉海軍工廠魚雷実験部で、水雷部がおもに製造を担当していました。
九五式二型魚雷は、これを小型化したものです。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特攻兵器「回天」十型(試作型)
呉海軍工廠を中心に研究開発された特攻兵器「回天」は、海軍の青年士官から提案されたものです。平均年齢21歳の100名以上の尊い命が失われました。
全長9メートル、重量2.5トン、乗員1名 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特攻兵器「回天」十型(試作型) -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特攻兵器「回天」十型(試作型) -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特殊潜航艇「海龍」後期量産型
「海龍」は世界初の有翼潜水艇です。水中を飛行機のように自由に潜航・浮上することをめざして開発されたもので、操縦装置も飛行機と同じものを使用していました。
呉海軍工廠などでは潜航実験や研究・開発が行われ、横須賀海軍工廠と海軍工作学校を中心に建造されました。後期量産型では艇首に600キログラムの炸薬を装備し、両脇に抱えた魚雷発射後、目標の艦艇に突入する水中特攻兵器となっていました。
当館展示の「海龍」は、昭和20(1945)年、静岡県網代湾で艇尾部にアメリカ海軍航空機のロケット弾(不発弾)の直撃をうけて沈没し、昭和53(1978)年5月27日に引き揚げられたものです。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特殊潜航艇「海龍」後期量産型 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 特殊潜航艇「海龍」後期量産型 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型 中島82729号
昭和15(1940)年に海軍の制式機として採用された「零式艦上戦闘機」は、その機動性・装備・航続距離において当時世界に類を見ないもので、太平洋戦争などで活躍しました。
しかし戦域の拡大と連合国側の新戦法による攻撃、新型戦闘機の登場などで次第に消耗も激しくなり、昭和19(1944)年10月からの「神風特別攻撃隊」編成以降、爆弾とともに飛行機ごと体当たりする攻撃法によって、若く尊い生命が数多く失われました。
当館展示の機体は、明治基地(現・愛知県安城市)第210海軍航空隊の所属機でした。昭和20(1945)年8月6日夕刻、吾妻常雄海軍中尉(当時)が操縦飛行中、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着水し、昭和53(1978)年1月に引き揚げられたものです。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型 中島82729号 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型 中島82729号 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型 中島82729号 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型 中島82729号 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 栄三一甲型エンジン
このエンジン形状は、航空機用の空冷エンジンに見られる独特の形式で、クランクシャフトを中心に各汽筒を放射状に配置していることから「星形エンジン」と呼ばれます。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 各種砲弾
戦艦「大和」などで使用された46センチ主砲弾や、戦艦「陸奥」などで使用された41センチ主砲弾をはじめとした各種砲弾や火薬缶などを展示しています。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜大型資料展示室〜
◎ 零式艦上戦闘機六二型の部品
三式13ミリ機銃 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜やまと広場〜
1/10大和模型は、いろいろな角度から見られるようになっています。
こちらは建物の上の方から見たもので、かなり離れないと全体を撮影することができないくらい大きかったです。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜屋外展示品〜
◎ 戦艦「陸奥」41センチ主砲身
戦艦「陸奥」に搭載された41センチ砲は、呉海軍工廠で開発したもので、「陸奥」の建造当時は世界最大の艦載砲であった。
呉海軍工廠砲コウ部が大正7年に量産初号砲を完成させて以降、74門製造した。
大正9年からは北海道室蘭において日本製鋼所も生産を開始し、24門製造した。
ここに展示されている砲は、日本製鋼所の2号砲として大正10年に完成したもので、戦艦「陸奥」には昭和11年に搭載された。 -
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)
〜屋外展示品〜
◎ 戦艦「陸奥」41センチ主砲身
◎ おしまい
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この旅行記へのコメント (6)
-
- わんぱく大将さん 2011/09/06 18:39:47
- 大和
- みにくまさん
9月1日、恥ずかしながら日本から帰ってまいりました。
戦争ものになるのでしょうが、日本史学科卒ということもあり、こいったところ見て回るの大好きです。 流石に遺品には頭を下げてしまいますが。
船、飛行機等、スケールのでかいものはいいですね。
余談ですが、 姫路駅にあったラーメンの店、“宝、なんたらかたら(よーわかるな)閉めてしまったようですよ。結構流行ってましたが。
大将
- みにくまさん からの返信 2011/09/07 22:28:59
- RE: 大和
大将さん、こんばんは〜。
日本ではジャパンレールパスを使ってかなり精力的に活動されていたようですね。
お疲れ様でした。
ちょうどこの旅行の前に、太平洋戦争について勉強していたところだったので、その一主役である大和にもとても興味があって、行ってきました。
ここにはどでかい大和の模型の他に、潜水艦などの実物展示もあって、けっこう楽しめました。
あら、姫路駅の宝ラーメン、無くなってしまいましたか、進出も撤収もめっちゃ速いですね。
ちょうど広島旅行に行く前に、新大阪駅でここのラーメン食べましたよ。
美味しかったのになー。
では〜(^O^)/
-
- 大目付さん 2011/09/03 22:24:27
- 精巧に作られていますね〜
- ☆実に精巧に細かい部分まで作られていますね〜。眼鏡を掛けたおじさんの船員はご愛嬌ですが・・・。
- みにくまさん からの返信 2011/09/04 11:33:18
- RE: 精巧に作られていますね〜
大目付さん、こんにちは〜。
昨日はDVD「男たちの大和」を観ました。
その動画と写真をいろいろ見比べていると、この1/10模型がどれだけ精巧に作られているかが分かります。
この模型は新たに分かった事実をも忠実に再現しているようで、今でも進化を続けているらしいですよ。
眼鏡のおじさんは知りませんが(^_^;)
では〜(^O^)/
-
- しょーきちさん 2011/09/03 16:39:12
- 力作ですね
- みにくまさま
しょーきちです。
大和ミュージアム旅行記拝見しました。
きれいに撮影されたお写真とともに詳しい解説、超力作ですね。
旅行記の域をでて、写真を使ってわかりやすく歴史を説明する貴重な資料ですね。
ありがとうございました。
また立ち寄らせていただきます。
- みにくまさん からの返信 2011/09/04 11:27:34
- RE: 力作ですね
しょーきちさん、こんにちは〜。
大和ミュージアムの旅行記を見ていただき、ありがとうございます。
私も戦艦大和には非常に興味があったので、旅行記を作ると同時に私自身勉強のつもりでコメントを書きました。
いろいろなところからデータを集めているので、統一感には欠けますが、できる限り文章を修正したりして、分かりやすくしてあります。
また大和のことが気になったら、こちらの旅行記を見ていただけると嬉しいです。
では〜(^O^)/
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