2010/08/31 - 2010/08/31
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SUR SHANGHAIさん
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カウナスはリトアニア第二の都市。
15世紀にはハンザ同盟の商業都市として繁栄したり、第一次大戦・第二次大戦中には、ヴィリニュスに代わって一時期首都として機能していたこともあったようです。
そんなカウナスと日本の接点は、第二次世界大戦中にカウナスにあった日本国領事館。
在カウナス大日本帝國領事館(当時)の領事代理だった杉原千畝(すぎはら・ちうね)は、ポーランドからナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人のために大量の通過ビザを発給。
それは日本の外務省の訓令に反した行為だったのだそうですが、約6000人ものユダヤ人がそれによって救われたことで、杉原千畝は≪日本のシンドラー≫とも呼ばれています。
1985年には、イスラエル政府によってヤド・ヴァシェム賞が授与され、≪諸国民の中の正義の人≫に列せられた杉原千畝。
当時の領事館が今では杉原記念館(SUGIHARA HOUSE)になっているというので、現在のリトアニアの首都ヴィリニュスから日帰りで訪れてみようと思います。
表紙の画像は、杉原記念館の内部に展示されている杉原千畝の執務室デスク。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日到着したリトアニアの首都ヴィリニュスから杉原記念館があるカウナスまでは、高速道路になったA1号線(E85号線)を車で1時間半ほど。
2010年8月下旬現在、途中の道筋では拡張工事や高架橋設置工事があちこちで行われていました。
工事が完了すれば、ヴィリニュス⇔カウナス間の所要時間も短縮されるのだと思います。 -
ヴィリニュス⇔カウナスA1号線(E85号線)沿いは緩い起伏の土地だった。
どちらもリトアニア内陸部にある都市だから、もう少し高低差のある眺めかなと思っていたけど外れ。
今日はこれからお天気がよくなりそう。
空が高いと、行く手も一層広々として見える。 -
カウナスや各地への道を示す標識。
この標識ではカウナスはKAUNASと表記されていますが、KAUNOとも表記されるので要注意。 -
カウナスは、ネリス川とネムナス川が流れる街。
杉原千畝の記念館は列車駅がある新市街地にあるんですが、まずは上記の川が交わるあたりの旧市街地へ。
これは、旧市街地の中心の市庁舎広場近くにある聖ペテロ&パウロ大聖堂。
このあたりに一旦車を停めて、ちょっとあたりも歩いてみます。 -
カウナスの紹介が食べ物から始まるようで恐縮ですが、出だしが遅かったこの日はもうお昼時が過ぎようとしている時刻だったのでお許しを。<(_ _)>
普段の旅行記ではあんまり食べ物関連の話題を取り上げないSUR SHANGHAIにしては珍しく、お勧めレストランをアップしておこうと思います。
これは、リトアニア料理のお店≪BERNELIU UZEIGA(ベルネリュ・ウジェイガ)≫。
民家風の外観とインテリアで、スタッフも民族衣装を着けています。
気安い雰囲気なので、お昼時に一人二人で行くのにお手頃。
所在地はM. VALANCIAUS 9で、旧市街地の聖ペテロ&パウロ大聖堂から徒歩2分。 -
イチオシ
リトアニア料理のお店≪BERNELIU UZEIGA(ベルネリュ・ウジェイガ)≫でSUR SHANGHAIたちがトライしてみた料理。
右下の画像は、リトアニアの名物料理の一つツェペリナイ。
ツェペリナイというのは飛行船(ツェッペリン)の意味で、簡単に言うと詰め物がしてあるジャガイモ団子。
お店によっては具が何種類もあるようですが、このお店では豚肉ミンチの詰め物がしてあって、薄めのミートソース+サワークリームで出されました。
一個が女性の手のひらいっぱいにゴロリと横たわる大きさで、なおかつずっしりと重いので、味付けは軽めなのに一個食べるのがやっと。(;^ω^)
旦那が頼んだ右上の画像の豚肉と野菜のソテーも大ボリューム。
最初にサラダも一皿ずつ食べていたので、味はいいのにとても食べ切れませんでした。
二人で行くなら、メインはシェアするのがいいかもです。
お値段は、コーラ+ミネラル・ウォーター+サラダ2種+ツェペリナイ+豚肉と野菜ソテーの合計52リタスで、とてもリーズナブルでした。 -
これはカウナス旧市街地のメイン・ストリートのヴィリニアス通り。
旧市庁舎がある市庁舎広場から、新市街地のライスヴェス通りへと続いています。
かつてはハンザ同盟の商業都市で栄えたり、大戦中はリトアニアの首都になっていたこともあるカウナス。
それを物語るかのように、石畳の道の両側には小粋なお店が入った建物がずらり。
ちょっとその辺を歩いてみます。 -
カウナス旧市街地を通るヴィリニアス通りは、こちゃこちゃと並んだレトロな家並みを見て歩くだけでも結構見応えあり。
杉原記念館見学計画の方に気を取られていたから気付かなかったけど、カウナスは旧市街地にも新市街にも見所が多い!
ああ、最初から気付いていたら、同じヴィリニュスからの日帰り旅行でももっと時間を割り振っておけばよかったね。 -
あれ? こんな所にチェ・ゲバラ氏らしき人物が。
ちょっと革命の士とは違う風貌になっているのが惜しい。
それに、ゴミ箱のそばって言うのはひどいよね。
ゲバラ・ファンのSUR SHANGHAIはちとがっかり。(−−〆) -
ヴィリニアス通りからちょっと方向を変えて、カウナス市街地そばを流れるネムナス川を見に行ってみます。
その途中の道筋にあったのは赤レンガ造りの≪ペルクーナスの家≫。
ペルクーナスというのは古来から雷神として崇められていた神様だそうです。
何となく日本の『遠野物語』に出てくるいろんな神様の話を思い出す。
で、この≪ペルクーナスの家≫は15世紀にその神様の神殿として建てられたという謂れがあります。
そう言われて見てみると、ファサードの装飾が祭壇前に置かれる枝付き燭台みたい。 -
今は図書館になっていると言う≪ペルクーナスの家≫。
ちょっとその脇に回りこんでみたら、ここで見えている階段の下には…、 -
イチオシ
…こんな木馬が置いてあってギョッ!! (@□@;)
一瞬ゾワッと鳥肌が立った。
何でこんな所に木馬なんかが置いてあるんだろ。
≪ペルクーナスの家≫の行事かなにかで使うんだろうか。 -
≪ペルクーナスの家≫からネムナス川のほとりまでは200m足らず。
石畳の気持ちのいい道もある。
日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝のカウナス時代には、やはりこの道を家族と共に通ったことがあるのかも。 -
カウナスを流れる川の一つのネムナス川そばにあるのはヴィタウタス大公教会。
ヴィタウタス大公は、1401年〜1430年の間、当時のリトアニア大公国の大公として在位していた人物。
この教会は、大公がタタール征伐に出かけた先で命拾いをしたことから建てられたと言われています。
それから何世紀も経った今も、周辺は清掃作業の人たちで手入れがされているようでした。 -
ヴィウタウタス大公教会そばから見たネムナス川。向こうに架かる橋はアレクソト橋。
ネムナス川はベラルーシに流れを発し、リトアニアを通過してバルト海に注ぐ川。
リトアニア人には≪父なる川≫と呼ばれているそうです。
内陸にあるカウナスが、15世紀にはハンザ同盟の商業都市として繁栄したのはこのネムナス川のお陰だったんだろうな、と思いましたが、間違っていたらお許しを。<(_ _)> -
ネムナス川沿いには木立が多くて気持ちのいい散歩道も付いてましたが、そろそろ杉原記念館へと移動します。
-
車を停めた聖ペテロ&パウロ大聖堂近くへと戻る道。
ここで見えている白い塔は、市庁舎広場にある旧市庁舎。
このあたりにもいろんな教会や博物館、それにカウナス城もあるんですが、今回のカウナス訪問ではそこまで回る時間無し。
ウ〜ン、残念。
次に来る時には、カウナスに宿を取って、クルシュ海(バルト海の一部)沿岸あたりまで足を伸ばしてみたくなった。 -
さて、この日の本題の杉原記念館は、カウナスの列車駅近くの小高い丘の中腹にあります。
その丘へは車でも上って行けますが、SUR SHANGHAIたちは麓の路上駐車場に車を停めて行ってみます。
こんな駐車チケット販売機があったので、その使い方をご紹介。
と言っても、この販売機は使い方がとても簡単。初めてでも迷わず使えました。
英語でも説明が出てくるようになっていましたよ。
この駐車場が使えるのは8:00〜18:00。
駐車時間30分までが1リタス、1時間までが2リタス。コインは必携です。
コインのほか、カードや電話でも決済できるようなんですが、小額の支払いのために面倒な事になってもイヤなので、コインでの購入。
自分が駐車したい時間分だけコインを入れればよし、というのが単純明快。
2時間分の4リタス入れたところ、一枚で2時間有効のチケットになって出てきました。
あとは、フロントガラスの内側に、外から見えやすいように置いておけばよし。
右のチケットに見えている数字は:
16:28 =16:28まで有効の意。
10.08.31 =2010年8月31日。
LIT 4,00 =4リタス(2時間有効の意)
ドアを閉める時に、風圧で飛んでしまう事が無いようにご用心。
以前、オランダの某都市で、せっかく買ったチケットが床の上に落ちてしまい、違反チケットを喰らった事のあるSUR SHANGHAIの旦那。(;^ω^)
あの時は、身の潔白を証明するために警察を尋ね歩き、大幅に時間のロスだった…。 -
前置きがずいぶん長くなりましたが、いよいよ杉原記念館へと向かいます。
記念館がある丘には何本も歩行者用通路が付いていますが、SUR SHANGHAIたちが上って行ったのはこの画像に出ている道。
画像奥の白いお宅の横に見えているアーチ型ゲートから先は緩い階段になっていました。
上の車道に出た後で、ちょっと道に迷ってしまったSUR SHANGHAIとその旦那。
たまたま通りかかった人に聞いてみようかと呼び止めてみたところ、まだ何も言わないうちに“SUGIHARA HOUSE?”
すぐに道を教えてもらえました。
おじさん、ありがとう。(^◇^) -
杉原記念館がある丘は、一戸建ての民家が並ぶ住宅地になっていました。
その道筋にたくさん見かけたこの物体は郵便箱?
だとすると、何だか郵便物を入れにくい口の形だし、悪天候の時はびしょびしょになりそう。 -
あ、電信柱に杉原記念館への案内標識が付いている。
あと100mだって。
その標識をちょっとアップでお見せすると…、 -
…リトアニア語でSUGIHAROS NAMAI(SUGIHARA HOUSEの意味)と書かれた下に、日本語でも杉原記念館と書かれていました。
第二次世界大戦中の在カウナス大日本帝國領事館印が、その記念館のロゴのモチーフになっているようでした。 -
あ、これが杉原記念館!
第二次世界大戦中はここが日本の領事館で、領事代理だった杉原千畝がユダヤ人を救うための通過ヴィザを書き続けていた場所。
所在地はVAIZGANTO 30で、上の方でも言ったように、カウナスの列車駅近くの丘の中腹。丘の麓からは、道に迷わなければ十数分程度の距離。 -
日本の領事館だった当時はフェンスで囲まれていたという建物前には、今では桜の木が四本植えられていた杉原記念館。
フェンスは無くなっていましたが、門柱は残っていて、≪VILTIES VARTAI VIZOS GYVENIMUI≫、日本語でも≪希望の門 命のヴィザ≫と出ていました。
第二次世界大戦中は、ここに通過ヴィザを求める多くのユダヤ人が連日押しかけていたと言うのが信じられない今の静けさ。
この画像で見えているドアが、杉原記念館入口というわけではなくて…、 -
…左手に回り込んだ所にある小さいドアが、杉原記念館の入口でした。
杉原記念館のサイト http://www.sugiharahouse.lt/index_jp.html (日本語版)
杉原氏の紹介のほか、命のヴィザやそれによって救われた人々にまつわる歴史的背景も紹介されています。
開館は月〜金曜日が10:00〜17:00、土・日曜日は11:00〜16:00(ただし、11月〜4月は15:00まで。冬季は休館になったりもするようなので、確認が必要だと思います。)
見学は寄付制。
寄付金は、杉原記念館の活動推進に使われると言うことです。
SUR SHANGHAIたちが寄付したのは少ない額でしたが、かつての在カウナス大日本帝国領事館印を模した記念スタンプ付き絵葉書をいただきました。 -
杉原記念館では、杉原千畝の半生を紹介する日本語でのビデオが見られます。
ビデオは10分程度にまとめてあるので、これはぜひ見て行くといいですよ。
本国の訓令に背いてまでも、カウナスを列車で去るその時まで、通過ヴィザを書き続けた杉原千畝の葛藤と信念が迫って来る出来栄えでした。
杉原千畝の残した言葉のうち、一番印象的だったのは次の言葉だと思います。
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった。」 -
杉原記念館内の杉原千畝の執務室。
助けを求めて外に押し寄せるユダヤ人のために、ここで通過ヴィザを書いている杉原千畝の姿が見えてくるような錯覚。
次のウィキペディアのページでは、当時の手書きのヴィザの画像が見られます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Transit_visa.jpg -
イチオシ
杉原記念館内の杉原千畝の執務室。
どこまでがオリジナルの品かは分かりませんが、仕事を中断しているといった感じでデスクの上がレイアウトされていました。 -
イチオシ
杉原記念館内の杉原千畝の執務室。
今は静かな光の中のその部屋も、ユダヤの人々が助けを求めて列を成していた頃には、部屋の窓からもその様子が見えたり聞こえたりしたに違いない。
…そう想像すると、一気に緊迫感が押し寄せて来る。 -
杉原記念館内の杉原千畝の執務室。
領事館を閉鎖して、列車でカウナスを出る直前まで、書き続けたという命のヴィザ。
このデスクでは一体何枚書かれただろう。
記録に残っているだけでも、杉原千畝が発給した通過ヴィザのその数は2千枚以上。
これによって約6千人のユダヤ人が救われたのだそうです。 -
杉原記念館内に展示されている杉原千畝紹介パネルの一部。
左上の画像の写真は、執務室デスクに置いてあったもので、在カウナス大日本帝國領事館(当時)の領事代理だった杉原千畝。
次のウィキペディアの杉原千畝のページには、当時の歴史的背景、その生涯、功績などがとても細かく紹介されています。
SUR SHANGHAIは、日本の外務省の訓令に背いてヴィザを書き続けた杉原千畝のその後が気になっていましたが、それについての記述もありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D -
杉原記念館内部にある記念品販売コーナー。
杉原千畝紹介パンフレットや絵はがきなどがあって、リタス、ユーロのほか、日本円でも支払い可。
SUR SHANGHAIたちが訪れた2010年の8月下旬には、パンフレットが25リタス(7ユーロ、700円)でした。 -
これは、杉原記念館でいただいた絵はがき。
カウナス時代の杉原千畝一家や、通過ヴィザを求めて在カウナス大日本帝國領事館(当時)前に集まるユダヤ人の写真のほか、杉原千畝が発給した手書きのヴィザ、シベリア鉄道を経て極東へ逃れるルートの画像がモチーフになっています。 -
こちらは杉原記念館で購入した絵はがきの一枚。これは2リタス(0.5ユーロ、50円)だったと思います。
大きく写っている建物がかつての在カウナス大日本帝国領事館(現在の杉原記念館)。
この写真は道を隔てた所から撮ったもののようで、2000年代初めに行われたと言う桜の植樹直後のように見えます。
リトアニアという小さい国の片隅で、一人の日本人が関わって、歴史が大きく動いていた時代もあったというのが実感できた杉原記念館。
現在の首都ヴィリニュスからも近いので、歴史に興味のある方はぜひ訪れてみるといいと思います。
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