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山口県下関市の“城下町長府”観光の旅行記です。<br /><br /><br />門司港と組み合わせて観光しましたので、観光した時間は約4時間。<br />小旅行でこの長府を散策される方の参考になればと思います。<br /><br />長府には、JRの普通列車で長府駅まで行きました。<br />コインロッカーはなく、バッグパックを背負いながらの散策となりました。<br /><br />しかも、長府駅から観光スポットまでは、かなりの距離。<br />バスに乗ろうとしましたが、駅の看板にはバス停の表示がなし。<br />このため、タクシーで観光スポットへ。<br /><br />帰りはバスで駅まで。<br />バス停は、JR長府駅正面の道を進む(南東へ)と、国道2号線(9号線)沿いにバス停があり、城下町長府バス停まで行けばよいのです(本数多い)。<br /><br /><br />長府で見た主なスポットと順序は、<br />忌宮神社→乃木神社→乃木将軍旧邸→横枕小路→吉岡家長屋→覚苑寺→古江小路→菅家長屋門→長府毛利邸→功山寺→(休憩:アンティーク・アンド・オールディーズ)→長府藩侍屋敷長屋<br />です。<br />

城下町長府 0039

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2011/07/15 - 2011/07/15

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Ungstein

Ungsteinさん

山口県下関市の“城下町長府”観光の旅行記です。


門司港と組み合わせて観光しましたので、観光した時間は約4時間。
小旅行でこの長府を散策される方の参考になればと思います。

長府には、JRの普通列車で長府駅まで行きました。
コインロッカーはなく、バッグパックを背負いながらの散策となりました。

しかも、長府駅から観光スポットまでは、かなりの距離。
バスに乗ろうとしましたが、駅の看板にはバス停の表示がなし。
このため、タクシーで観光スポットへ。

帰りはバスで駅まで。
バス停は、JR長府駅正面の道を進む(南東へ)と、国道2号線(9号線)沿いにバス停があり、城下町長府バス停まで行けばよいのです(本数多い)。


長府で見た主なスポットと順序は、
忌宮神社→乃木神社→乃木将軍旧邸→横枕小路→吉岡家長屋→覚苑寺→古江小路→菅家長屋門→長府毛利邸→功山寺→(休憩:アンティーク・アンド・オールディーズ)→長府藩侍屋敷長屋
です。

  • 忌宮神社本殿<br />タクシーで最初に着いたのが、この忌宮神社(いみのみやじんじゃ)。<br />

    忌宮神社本殿
    タクシーで最初に着いたのが、この忌宮神社(いみのみやじんじゃ)。

  • 忌宮神社の数方庭祭(すほうていさい)の場<br /><br />数方庭祭は、山口県無形民族文化財。<br /><br />第十四代仲哀天皇のとき、新羅の塵輪が九州の熊襲を扇動して、豊浦宮に攻め寄せてきた。<br />大変な苦戦をさせられたが、最後に仲哀天皇自ら弓を引かれ、敵の大将(塵輪)を打倒されましたので、賊軍は色を失って退散。<br />人々は矛をかざして旗を振り、歓喜のあまり踊り廻ったといわれる。<br />これが数方庭の由来とされている。<br />

    忌宮神社の数方庭祭(すほうていさい)の場

    数方庭祭は、山口県無形民族文化財。

    第十四代仲哀天皇のとき、新羅の塵輪が九州の熊襲を扇動して、豊浦宮に攻め寄せてきた。
    大変な苦戦をさせられたが、最後に仲哀天皇自ら弓を引かれ、敵の大将(塵輪)を打倒されましたので、賊軍は色を失って退散。
    人々は矛をかざして旗を振り、歓喜のあまり踊り廻ったといわれる。
    これが数方庭の由来とされている。

  • 荒熊稲荷神社

    荒熊稲荷神社

  • さか松<br /><br />説明看板には、「三韓出兵に際し、七日七夜天地の神々に御加護を祈願され、1本の稚松を逆さまに植えて戦勝を占われた。<br />逆さまに植えられたが、活着して繁り栄えたので「さか松」と呼ばれた。<br />古木の一部が安置され、そばに子孫の若松がいまも栄えている。」と書かれていました。<br />

    さか松

    説明看板には、「三韓出兵に際し、七日七夜天地の神々に御加護を祈願され、1本の稚松を逆さまに植えて戦勝を占われた。
    逆さまに植えられたが、活着して繁り栄えたので「さか松」と呼ばれた。
    古木の一部が安置され、そばに子孫の若松がいまも栄えている。」と書かれていました。

  • 茅の輪くぐり<br /><br />説明書きには、「①左足より入って左へ②右足より入って右へ③左足より入って前へ」と書かれていました。<br />

    茅の輪くぐり

    説明書きには、「①左足より入って左へ②右足より入って右へ③左足より入って前へ」と書かれていました。

  • 御神水<br /><br />石碑には、「乃木大将が幼き時代より家族と共に使用した井戸「梅の井」からくみ上げた水です」と書かれていました。<br />

    御神水

    石碑には、「乃木大将が幼き時代より家族と共に使用した井戸「梅の井」からくみ上げた水です」と書かれていました。

  • 乃木大将夫妻の像

    乃木大将夫妻の像

  • 乃木旧邸<br /><br />質素でした。<br />

    乃木旧邸

    質素でした。

  • 乃木神社内に咲いていたアジサイ<br /><br />アジサイは終わりの時期でしたが、かろうじて咲いていました。

    乃木神社内に咲いていたアジサイ

    アジサイは終わりの時期でしたが、かろうじて咲いていました。

  • 二○三高地の松<br /><br />いまや203高地を知っている人が少ないのでは^^;<br />

    二○三高地の松

    いまや203高地を知っている人が少ないのでは^^;

  • 土塀の見られる小路<br /><br />この雰囲気が大好き。<br />のんびり行こう。<br />

    土塀の見られる小路

    この雰囲気が大好き。
    のんびり行こう。

  • 横枕小路<br /><br />横枕とは、条里制の割りはずれの地名のことか?<br />

    横枕小路

    横枕とは、条里制の割りはずれの地名のことか?

  • 吉岡家長屋<br /><br />ギャラリーになっています。<br />

    吉岡家長屋

    ギャラリーになっています。

  • 吉岡家長屋<br /><br />趣と歴史を感じますね。<br />

    吉岡家長屋

    趣と歴史を感じますね。

  • 和同開珎(わどうかいちん)鋳銭城跡<br /><br />わが国最初の金属貨幣「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」を鋳造した長門鋳銭所の跡地<br />覚苑寺(かくおんじ)の境内にあります。<br />

    和同開珎(わどうかいちん)鋳銭城跡

    わが国最初の金属貨幣「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」を鋳造した長門鋳銭所の跡地
    覚苑寺(かくおんじ)の境内にあります。

  • 覚苑寺にあった乃木希典(のぎまれすけ)像

    覚苑寺にあった乃木希典(のぎまれすけ)像

  • 覚苑寺本尊の観世音菩薩像<br /><br />覚苑寺は、長府毛利藩3代当主の綱元(つなもと)が1698年に建てた黄檗宗の寺。<br />

    覚苑寺本尊の観世音菩薩像

    覚苑寺は、長府毛利藩3代当主の綱元(つなもと)が1698年に建てた黄檗宗の寺。

  • 町のところどころにこのタイプの碑が建っていました。<br /><br />龍馬の大親友長州藩士:三吉慎三生家跡と書いていました。<br />

    町のところどころにこのタイプの碑が建っていました。

    龍馬の大親友長州藩士:三吉慎三生家跡と書いていました。

  • 土塀が続く切通し<br /><br />切通しは、山や丘を掘削して、人馬が通れるようにした道。<br />

    土塀が続く切通し

    切通しは、山や丘を掘削して、人馬が通れるようにした道。

  • 民家の門<br /><br />昔は財力があったのかなあ<br />

    民家の門

    昔は財力があったのかなあ

  • 古江小路<br /><br />古江とは、昔、この辺りまでが入江となっていたことから名づけられたそうです。<br />手前は切通し<br />

    古江小路

    古江とは、昔、この辺りまでが入江となっていたことから名づけられたそうです。
    手前は切通し

  • 菅家長屋門と古江小路<br /><br />この小路には、長府藩初代藩主毛利秀元(ひでもと:毛利元就の孫)が、京都から招いた侍医兼侍講職を務めた格式のある家柄であった菅家長屋門があります(写真左手)。<br /><br />この景観がたまらなくいい。<br />

    菅家長屋門と古江小路

    この小路には、長府藩初代藩主毛利秀元(ひでもと:毛利元就の孫)が、京都から招いた侍医兼侍講職を務めた格式のある家柄であった菅家長屋門があります(写真左手)。

    この景観がたまらなくいい。

  • 長府毛利邸の門

    長府毛利邸の門

  • 長府毛利邸<br /><br />「殿、立派でござる!」の一言です。<br /><br />14代長府毛利藩藩主の元徳(もとのり)が東京から長府に戻った際に建てた邸宅。<br />1902年、明治天皇がしばらく滞在していたこともある。<br />

    長府毛利邸

    「殿、立派でござる!」の一言です。

    14代長府毛利藩藩主の元徳(もとのり)が東京から長府に戻った際に建てた邸宅。
    1902年、明治天皇がしばらく滞在していたこともある。

  • 正面入り口に置かれていた屏風

    正面入り口に置かれていた屏風

  • 長府毛利邸内<br /><br />明治36年(1903)長府毛利家第14代藩主毛利元敏(もととし)によって建てられた邸宅です。<br />書院造り庭園<br />

    長府毛利邸内

    明治36年(1903)長府毛利家第14代藩主毛利元敏(もととし)によって建てられた邸宅です。
    書院造り庭園

  • 長府毛利邸内<br /><br />池泉回遊式庭園<br />

    長府毛利邸内

    池泉回遊式庭園

  • 長府毛利邸を出ると、こんな感じの道もありました。

    長府毛利邸を出ると、こんな感じの道もありました。

  • 功山寺の門<br /><br />功山寺は、1327年創建の曹洞宗の名刹。<br />長府毛利家の菩提寺となっています。<br />

    功山寺の門

    功山寺は、1327年創建の曹洞宗の名刹。
    長府毛利家の菩提寺となっています。

  • 功山寺の総欅造りの山門<br /><br />秋、すばらしい紅葉が楽しめそうです。<br />

    功山寺の総欅造りの山門

    秋、すばらしい紅葉が楽しめそうです。

  • 功山寺の韋駄天像<br /><br />入り口では、この韋駄天像のことをかなりアピールしていました。<br />

    功山寺の韋駄天像

    入り口では、この韋駄天像のことをかなりアピールしていました。

  • 功山寺の苔むす中庭<br /><br />ビロードのような苔<br />

    功山寺の苔むす中庭

    ビロードのような苔

  • 庭が見える書院の小部屋

    庭が見える書院の小部屋

  • 功山寺にある高杉晋作像<br /><br />1864年、功山寺で高杉晋作挙兵<br />

    功山寺にある高杉晋作像

    1864年、功山寺で高杉晋作挙兵

  • 功山寺仏殿<br />鎌倉時代創建の唐様禅宗式建築で国宝に指定。<br />

    功山寺仏殿
    鎌倉時代創建の唐様禅宗式建築で国宝に指定。

  • 功山寺仏殿<br /><br />上の写真がちょっと見にくいのでもう一枚<br />

    功山寺仏殿

    上の写真がちょっと見にくいのでもう一枚

  • 功山寺を出て、ひと休みにこの店に入りました。<br /><br />アンティーク・アンド・オールディーズ<br />車庫の上にあります。<br /><br />詳細は、下記で。<br /><br />http://www.aando-since1993.com/<br />

    功山寺を出て、ひと休みにこの店に入りました。

    アンティーク・アンド・オールディーズ
    車庫の上にあります。

    詳細は、下記で。

    http://www.aando-since1993.com/

  • 2階の入り口<br /><br />入り口を入るとアンティークなどが売っています。<br />そして、奥が喫茶店。<br />

    2階の入り口

    入り口を入るとアンティークなどが売っています。
    そして、奥が喫茶店。

  • 紅茶シフォンケーキとコーヒーのセットを注文。

    紅茶シフォンケーキとコーヒーのセットを注文。

  • 壇具川(だんぐがわ)<br /><br />神功皇后が出陣の際にここに壇を築いて祭事を行い、これに使った道具類を流したという故事にちなんで「壇具川」と呼ばれているようです。<br />ほたるの里としても知られています。<br />

    壇具川(だんぐがわ)

    神功皇后が出陣の際にここに壇を築いて祭事を行い、これに使った道具類を流したという故事にちなんで「壇具川」と呼ばれているようです。
    ほたるの里としても知られています。

  • 川には鯉が泳ぎ、所々に花も咲いています。

    川には鯉が泳ぎ、所々に花も咲いています。

  • 壇具川沿いに咲いていたアジサイ

    壇具川沿いに咲いていたアジサイ

  • 長府藩侍屋敷長屋<br /><br />この長屋は、保存のために壇具川沿いに移築されたもの。<br />一見長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造りなどは、上級藩士の住居の趣を残しています。<br />建築規模や格子窓の形態から、江戸後期の建築物と推測されているようです。<br />

    長府藩侍屋敷長屋

    この長屋は、保存のために壇具川沿いに移築されたもの。
    一見長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造りなどは、上級藩士の住居の趣を残しています。
    建築規模や格子窓の形態から、江戸後期の建築物と推測されているようです。

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