2011/04/22 - 2011/04/22
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kskspiyoさん
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台湾総督府警察官だった祖父の足跡を尋ねて、4月21日から28日まで一週間、高雄州各地を回りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス レンタカー タクシー 飛行機
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鳳山駅12:48発 潮州着13:19の自強号に乗りました。
成人が68TWDだったと思います。
台湾鉄道の特急・急行は全席指定で、当日買うと「座席がないので、無座(席)でいいですか」といわれることが多い。
でも、乗ってみると、空席が多い。
なぜだろうと思っていたのですが、たぶん走行距離が長い列車で、一区間でも座席が売れると、その席が売り切れて無い、ということになるのではと推測しました。
だから、座席が無いといわれても、めげずに特急に乗ったほうがいいですね。そして、座席指定切符を持った人が乗ってくれば、席を譲ればいいのです。 -
これが自強号の車両です。冷房が良く効いていました。父は、台湾の冷房が強すぎて、その後、体調を崩してしまいます。
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屏東の手前の下淡水渓(現在の高屏渓)にかかっている有名な鉄橋。今は、中央が流されてありませんが、日本統治時代を代表する歴史的建造物です。
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潮州駅です。駅周辺には、バイク(機車)の駐車場の他は、あまり施設がありません。
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駅前の道を、街の中心へ向かって東へまっすぐ歩いていきます。
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現在の潮州警察署です。
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交差点にあるロータリー。統治時代の三角公園です。
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潮州は古い町並みがそのまま残っていて、どこを見ても戦前の建物のように思えます。
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この建物は、戦前では「養生医院」という名前の病院が建っていた場所にあります。建物をそのまま使っていないにしても、連続性を感じます。
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この美容院も、戦前の地図『大日本職業別明細』によると、勝田医院か、同仁医院だったようです。
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大通りに面した店舗。店の前の部分の装飾が、いかにも戦前の日本風です。
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このあたりは、戦前の潮州市場ですが、現在も同じ用途で使われているようです。
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これも大通りに面した建築です。
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大通りの突き当たり? の位置にある潮州市庁舎。
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これが同じ場所にあった昭和11年5月の潮州郡役所。
あとで警察署長さんに聞いた話だと、十年前まではこの建物が使われていたそうです。モダニズムの美しい建築ですね。 -
市役所の北では、旧郵便局の建物を保存する補修工事が行われていました。
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市役所を北側から眺める。
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市役所の周辺です。この辺は昔、官舎が立ち並んでいたあたり。
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旧日本家屋でしょう。
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こういう観光地でない場所で盛んに写真を撮っている地元民でなさそうな人を怪しんだのか、自転車に乗った壮年の男性に声をかけられました。
なんと、その人は、潮州出身で現在アメリカに住んでいる男性でした。彼は自分の所有する土地に不法占拠者がいるので立ち退き交渉を引き受けてくれる弁護士を探していたのです。
わたしたちの事情を聞いた彼は、「なぜもっと早く、60年前に来なかったのか!」と、いいました。 -
この時点では、よくわからなかったのですが、その後、高雄市街で、古い建物の写真を撮っていたとき、住民に怒鳴られて(その後、誤解はとけたのですが)このあたりの事情がわかってきました。
つまり、戦後、無主になった建造物を占有したとき、日本人の所有物だったものなら、所有権が獲得できますが、それがいったん中国人に譲渡されていた場合、あるいは日本人の持ち物だと思って占有したところ、実は中国人の不在地主の所有物だった場合、不法占拠になってしまうのです。そうやって所有権が錯綜した地域が出現してしまうと、その後、そこを開発しようという人は二の足を踏むようになるでしょう。 -
このあたりは広い道路が造られて、正確な特定は難しいのですが、もし警察課長官舎だったとすると、昭和21年正月に仲井警部が拉致された現場です。
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昭和16年頃、政府転覆の陰謀を企てたとの嫌疑で、東港や鳳山の有力者が多数逮捕投獄され、拷問で自白を強要され、有罪になり処刑されたり、獄中で死亡する疑獄事件、東港・鳳山事件が起こりました。
日本の降伏後、その報復として、その事件に関わった仲井警部が元旦に偽k憲兵に誘き出されて、惨殺されたのです。 -
昭和20年9月以降、日本の警察は治安維持のために一階級下げて、留用されていました。だから仲井警部は、以前として当時の警察課長官舎に住んでいたわけですね。
わたしの祖父の一家は昭和13年にこの付近の警察官舎に住んでいたはずです。
祖父は前述したように昭和14年6月で総督府警察を辞めているので、鳳山・東港事件とは無関係なのですが、敗戦後、高雄州の警察官は報復を恐れて身を隠している人が多かったようです。 -
事件に関わった総督府警察官・検事・判事・州知事までもが、報復の対象になっていたようです。仲井警部暗殺事件以後、不穏な空気を察知した国民党政府は、彼らの身柄を保護します。
その大部分は逮捕・留置後、台北で裁判にかけられて、有罪になり国外追放になるわけです。それらの経験は彼らにとっては過酷だったとは思いますが、私刑を免れたという意味では幸運だったのではないかと。 -
日本では、国民党政権は、「犬が去って、豚が来た」という台湾人の意見がよく引用されるように、汚職まみれで無能だった、という印象が強いようです。しかしわたしには、これらの措置を見る限り、けっして無能だったとは思えないのです。
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祖父の官舎は、このあたりだったのかしら。
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ほぼ間違いなく、73年前に住んでいた場所に来ても、当時5歳だった父は何も思い出せませんでした。
幼児の記憶ですから、しかたないですね。 -
大通りに対して、斜め北側に平行して走る古い通りを通って、駅に戻ることにしました。
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ここにも道教のお寺があり,夜にはこの周辺に夜市が立つようです。
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この近くのロータリーに面して、全国的に著名な甘味屋があります。
熱いぜんざい?の上にカキ氷をかけた「熱冷氷」というスィーツです。 -
おなかを壊すのを恐れた父と叔父は、熱いぜんざい?を頼みました。わたしはその上にカキ氷がかかったもの。どちらも35TWDです。
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これ、今回の旅行で食べた甘味のなかで、いちばん美味しかったです。
評判はダテではなかった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- さつきさん 2018/11/27 09:13:34
- 質問
- 私の祖父が屏東出身であるため興味深く拝読しました。ライターが岐阜出身の粟田さまのご関係者ではないかと祖父が関心を持っているため、ご連絡とれたら有難いです。因みに祖父は終戦後甲府市に引き揚げ、警察官を定年まで勤め、現在95歳です。記憶がしっかりしていて、子供時代の屏東に纏わることを知りたがっていますので、少しでも情報を頂けたら助かります。よろしくお願い致します。
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