2008/11/02 - 2008/11/06
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takkerさん
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イスラエルに行くこととなりました。
僕にとっては初めてのイスラエルとなります。
イスラエルは1948年建国で、人口わずか650万人ですが、労働力数との比率でみると、自然科学、工学、農業、医学の分野における論文執筆者の数は世界一です。生物工学の分野では極めて進んだ技術を持ち、軍需製品の性能・品質は世界でもトップクラス。
イスラエルはものすごいハイテクと、まだ未開の地がモザイクのように交わった場所でした。
6月に停戦協定があり、比較的安全な時期に渡航したつもりだったのですが、ちょうど僕が出国した4日に夜にはイスラエル軍がパレスチナ自治区・ガザ地区を空爆。
まさに間一髪でした!
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気になったのがこの黒いコートと黒い帽子をかぶった人たち。
イスラエルにはこんな人が沢山いるのです。考えれば当たり前なのですが、実際自分の目の前に何人もこうした装いの人を見ると、自然と目が吸い寄せられます。この服装が、ユダヤ教徒の正装なのです。
ユダヤ教の成立は紀元前6世紀頃だと言われています。聖典はキリスト教の「旧約聖書」と同じ書物です。
唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを持つ宗教なのですが、日本人の考える宗教とは少し意味合いが違います。
ユダヤ教を信じる民族がすなわちユダヤ人であり、血縁よりもむしろ教徒としての行動が重要視されることも多いといいます。つまりイスラエルに住むユダヤ人が、ユダヤ教を改宗した瞬間に厳密な意味ではユダヤ人ではなくなってしまうのです。
民族の定義が血縁によるのか、もしくは宗教によるのかという問題にかかわっていると、高校の時に世界史で習った記憶があります。
紀元前13世紀にモーゼが、エジプト新王朝の支配下にあったへブル人をエジプトより脱出させ、シナイ山でヤハウェ神と契約を結びました。
これが「モーゼの十戒」です。
モーゼたち集団が移動した、約束の土地とされた「カナンの地」に定着した民族がユダヤ人の起源というわけです。
紀元前1020年ごろ、イスラエル王国が成立し約400年の繁栄の後、南に分裂したのがユダ王国でした。
紀元前597年。ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人の政治宗教のエリート層が全員バビロンに捕虜として連行されるという「バビロン捕囚」の約50年間に、ユダヤ人の中で芽生えたアイデンティティが、ユダヤ教を作り上げたといえるのです。
ちなみにこのバビロン捕囚が終ったのは新バビロニアがアケメネス朝ペルシャに敗れた起元前537年のこと。ペルシア王キュロスの命令でユダヤ人たちは解放され、故国エルサレムに帰る許可を得たのです。
しかしながら、その後、ユダヤ人たちには自国を持たずに世界を放浪する運命が待っていました。彼らは国を持たない世界で生き抜くために、中国の華僑とは違った形で世界と歴史を生き抜いてきたと言えるのです。
土地に依存せず生きていく。
その方法論として、
1 子供たちの教育に投資をする → 博士号の保持率は世界有数です。
2 金融を生業とする → ほとんどすべての米国の銀行には、ユダヤ系の資本が入っているといわれています。
3 諜報機関を充実させる → イスラエルのモサドはアメリカのCIAや、イギリスのSIS、旧ソ連のKGB(現ロシアではSVR)と比較して、それ以上(世界最強との声ある)の特殊工作および諜報活動を行うといわれています。
・・・という努力を行ってきたのです。現在でも特に生物医学系の技術は世界一だと言われていますし、アメリカの多くの企業はユダヤ系がトップを務めていると言われていますよね。新聞やTV、雑誌などのメディア、流通、不動産・・・など、知恵とアイディアだけで移民からのし上っていったユダヤ人の生き方からは学ぶことがたくさんあります。
紀元前5世紀にこの地を追われたのち、2500年の月日を経て、1950年にイスラエルが建国されたということは、ユダヤ人=ユダヤ教徒にとっては特別の思いがあったのでしょうね。 -
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大一神宗教の聖地です。
ユダヤ教の成立は紀元前6世紀頃だと言われています。聖典はキリスト教の「旧約聖書」と同じ書物です。
唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを持つ宗教なのですが、日本人の考える宗教とは少し意味合いが違います。
ユダヤ教を信じる民族がすなわちユダヤ人であり、血縁よりもむしろ教徒としての行動が重要視されることも多いといいます。つまりイスラエルに住むユダヤ人が、ユダヤ教を改宗した瞬間に厳密な意味ではユダヤ人ではなくなってしまうのです。
民族の定義が血縁によるのか、もしくは宗教によるのかという問題にかかわっていると、高校の時に世界史で習った記憶があります。
紀元前13世紀にモーゼが、エジプト新王朝の支配下にあったへブル人をエジプトより脱出させ、シナイ山でヤハウェ神と契約を結びました。
これが「モーゼの十戒」です。
モーゼたち集団が移動した、約束の土地とされた「カナンの地」に定着した民族がユダヤ人の起源というわけです。
紀元前1020年ごろ、イスラエル王国が成立し約400年の繁栄の後、南に分裂したのがユダ王国でした。
紀元前597年。ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人の政治宗教のエリート層が全員バビロンに捕虜として連行されるという「バビロン捕囚」の約50年間に、ユダヤ人の中で芽生えたアイデンティティが、ユダヤ教を作り上げたといえるのです。
ちなみにこのバビロン捕囚が終ったのは新バビロニアがアケメネス朝ペルシャに敗れた起元前537年のこと。ペルシア王キュロスの命令でユダヤ人たちは解放され、故国エルサレムに帰る許可を得たのです。
しかしながら、その後、ユダヤ人たちには自国を持たずに世界を放浪する運命が待っていました。彼らは国を持たない世界で生き抜くために、中国の華僑とは違った形で世界と歴史を生き抜いてきたと言えるのです。
土地に依存せず生きていく。
その方法論として、
1 子供たちの教育に投資をする → 博士号の保持率は世界有数です。
2 金融を生業とする → ほとんどすべての米国の銀行には、ユダヤ系の資本が入っているといわれています。
3 諜報機関を充実させる → イスラエルのモサドはアメリカのCIAや、イギリスのSIS、旧ソ連のKGB(現ロシアではSVR)と比較して、それ以上(世界最強との声ある)の特殊工作および諜報活動を行うといわれています。
・・・という努力を行ってきたのです。現在でも特に生物医学系の技術は世界一だと言われていますし、アメリカの多くの企業はユダヤ系がトップを務めていると言われていますよね。新聞やTV、雑誌などのメディア、流通、不動産・・・など、知恵とアイディアだけで移民からのし上っていったユダヤ人の生き方からは学ぶことがたくさんあります。
紀元前5世紀にこの地を追われたのち、2500年の月日を経て、1950年にイスラエルが建国されたということは、ユダヤ人=ユダヤ教徒にとっては特別の思いがあったのでしょうね。 -
「エルサレム旧市街とその城壁群」は、ヨルダンの申請により世界遺産にも登録されている地です。
わずか1km四方の土地に、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、そしてアルメニア人地区があり、それぞれの市街に歴史的・宗教的建造物が多く残っています
ちょっと路地に入りこむとこのようなお店がたくさん。
お土産屋も多かったですが、生活必需品を売っている店も多かったですよ。
他の都市のように、押し売りがないのが不思議でした。 -
“嘆きの壁”。ここは、古代ヘブライ王国のエルサレム神殿のうち、現在まで残されたヘロデ神殿を囲む西側の壁の一部なのです。
こちらの人は「Western Wall(西側の壁)」
と呼んでいました。
西暦70年にローマ帝国によって破壊されたこの神殿は、ユダヤ教徒にとっての聖地でした。
1967年の第三次中東戦争でこの神殿の跡地である旧市街地を占領するまでの1900年間。ユダヤ教徒はこの「嘆きの壁」に来て、自由に祈りをささげることができなかったのです。
向かって右側が女性用、左側が男性用と分かれています。
壁に到る門には、聖地に入るための紙の帽子が用意されています。
壁は見上げるように高いものです。多くのユダヤ教徒たちが祈りをささげる中、写真を撮っている観光客も沢山いました。
こういった聖地に入ると、厳かな気持になります。 -
嘆きの壁から旧市街の小さな小道を歩きながら、今度はイスラム教の聖地である「岩のドーム」を目指します。
ヨーロッパのような綺麗な街並みが続くユダヤ教地区。そしてしばらく歩くと隣接するイスラム教地区に入ります。この街を歩いていると、あたかもインディージョーンズの映画の中にいるよう…。
たどり着いた「岩のドーム」は、イスラム教の教祖であるムハンマドが、一夜のうちの昇天する旅(ミウラージュ)を体験した場所とされています。
さらに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての共通の預言者アブラハムが、息子のイサクを神にささげようとした場所と信じられている「聖なる岩」を取り囲むように西暦692年に建設されました。
この「岩のドーム」、残念ながら僕がこの地に着いたときは時間が遅くて、中を見ることはできませんでした。次にもし来られたらぜひ見たいですね。 -
岩のドームから、再びキリスト教区を聖墳墓教会にむかって歩いてゆきます。
この教会はキリスト教徒にとって記憶すべきいくつかの場所を祭っているのです。聖墳墓教会(Holy Sepulchre)は、その名の通り、キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に建っています。
そして、この教会の内部には、キリストの遺体が埋葬されたお墓があるのです。教会に入り、右手の階段を登ると、その場所は、かの有名な「ゴルゴタの丘」でした。
ゴルゴタの丘という名前から、僕は野原ある丘のようなものを想像していたのですが、今は教会の内部にあるのですね。
すぐ左のイエスの十字架が建てられたとされるこの場所には、祭壇がありました。祭壇の下には小さな穴があるそうで、この穴に十字架が建てられたのだそうです。
多くの人たちが祭壇の下にもぐっています。
おそらくキスをしているのでしょうが、長い行列で僕は穴を見ることが出来ませんでした。 -
階段を降りると、十字架から降ろされたイエスの遺体が、アリマタヤ出身のユダヤ人ヨセフによって降ろされた場所とされる石が祭られています。
このヨセフは、イエスの処刑を行ったローマ帝国のユダヤ属州提督のピラトゥスに願い出て、イエスの遺体を引き取ったと新約聖書の4つのすべての福音書に記載があります。
12人の愛弟子すらも全員が逃げ出した状況下で、イエスの遺体を引きとり、香料とともに亜麻布でくるんでイエスの埋葬を引き受けた行為は、当時さぞかし勇気があったのでしょう。アリマタヤのヨセフは、聖人として今も祭られています。
さらに左手に進むと、イエスの埋葬された「復活の御堂」があります。
この写真がそうです。
この中にイエスの墓があるのですが、こちらも小さな部屋に入るために長い行列があり、残念ながら中に入る時間はありませんでした。
僕の母はクリスチャンなのですが、まだ僕が小学校に上がる前に、このイエスの最後の日の聖書の記載について、話してくれた記憶があります。
僕は仏教徒でクリスチャンではありませんが、この教会は、どうしても訪れてみたかった場所だったのです。クリスチャンであれば、きっと涙を流したことでしょう。
この日もひっきりなしに人が訪れていました。
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