2011/05/05 - 2011/05/05
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frau.himmelさん
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大事なプラグをミュンヘンに忘れてしまったので、急遽ミュンヘンまで行かなければならなくなった私、思わぬ時間のロスでスケジュールが大幅に狂ってしまいました。
今日予定していたバンベルク、バイロイト行きは取りやめて、ともかくドク・ツェントルムを見学することにします。
1933年以降、ヒトラーの第三帝国時代にナチス党大会がたびたび開催された場所がニュルンベルクの近郊にあります。戦後50年以上たった2001年から「帝国政党議会記念センター(ナチス党大会跡の記念センター、つまりドク・ツェントルム)」として公開され、ヒトラー及びナチスの負の歴史が展示されています。
最近ドイツ現代・近代史に興味がわいてきた私は今回の旅の目的の一つとしてここを選びました。
残念なのは新しいデジカメはバッテリーが切れていて使えなかったこと。
仕方なく、発色が悪い古いカメラで撮影しましたが、本当に見難い写真のオンパレード、ごめんなさい。
なお、見難い写真に代えて一部をパンフレットの写真から拝借しました。あしからず…。
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ミュンヘンからニュルンベルク行きに乗りました。
プラグが手元に戻った安心感からか、車窓の満開の菜の花畑がことのほか輝いて見えます。 -
菜の花畑のすぐ傍にもかわいい町や村が…。
長い厳しい冬が終わりを告げ、ようやく到来した春5月。
その喜びを祝うために町の広場にはマイバウム(5月の木)が立てられます。
車窓からその写真を撮ろうと頑張りましたが、私の技術では難しそう…。 -
車窓から見える濃い黄色は菜の花畑、ちょっと薄く見える黄色はタンポポや日本のキツネノボタンに似た野の花の群生です。
車窓には清らかな水を湛える小川も姿を現します。ドイツの典型的な風景ですね。
思わずシューベルトの「鱒」のメロディーが私の口元から…。 -
列車はインゴルシュタット周りの地域快速(RE)です。
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ニュルンベルクに着きました。
駅前にデーンと構えるケーニヒ門には目もくれないで、私が急いだ先は…。 -
駅前から9番のドク・ツェントルム行き路面電車で、ナチス党大会跡地に向かいます。
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駅から15分くらい、終点で降ります。
停留所に停まっていた路面電車、真っ赤にペイントされています。
何かイベントでもやっているのでしょうか。 -
ドク・ツェントルムの周囲は森や湖が広がる静かな雰囲気です。
この先にはニュルンベルクのサッカー場があります。
2006年ドイツでワールドカップが開催された年、私も夫とここまで来たんですよ。日本対クロアチア戦がここニュルンベルクでありましので…。
その時はSバーンでやってきたので、サッカー場までとんでもなく遠かったのを覚えています。路面電車だったらこんなに近かったのですね。 -
ナチス党大会跡記録センターの石造りの建物は、近代的って言うか奇抜な造りです。
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案内板。
1933年にナチスが権力を掌握してから1945年終戦までの記録が展示してあります。 -
入場料5ユーロを払い、モダンなガラスの入口を入ります。
ドイツ語か英語のレシーバーを貸してくれます。
私は借りてもどうせ解からないからと思い借りませんでしたが、やはり借りればよかったと後で思いました。 -
モダンな入口から一転して古いレンガの壁が現れます。
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内部は巨大な空間のとても斬新な展示場です。
見学客は、古いレンガの壁に配置された音が出る映像資料や、趣向が凝らされたパネルを追いながら移動します。 -
みんな驚くほど真剣にヒトラーの負の遺産と向き合っていました。
映像の場面ではレシーバーから当時の緊迫した音声が聞こえていたのだそうです。
言葉が理解できなくてもレシーバーを借りればよかったと思いました。 -
天井部分もこのように奇抜な飾りつけ。
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展示されている資料のいくつかを私なりに調べてみました。解釈が間違っていましたらどうかご教示ください。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領により、ヒトラーはドイツ首相に任命され、ドイツの政権を掌握しました。
ベルリンのブランデンブルク門ではそれを祝してSA(ナチス突撃隊)のパレードが開催されました。 -
熱狂的なヒトラーの崇拝者達。
いい年をしたおば様達が、若いアイドルの追っかけみたいにこんなにもヒトラーに熱くなれるものなんですね。 -
崇拝者に囲まれた独裁者アドルフ・ヒトラー。
(ピンボケ写真でごめんなさい。) -
ところで、ニュルンベルクでは…。
1929年にナチス党大会がニュルンベルクで開催されてから、ニュルンベルクはナチスのメッカとなって行きます。
写真は1929年のナチス党大会で中央広場に集まった大勢の群集。 -
将にニュルンベルク市がナチスの象徴であるといったポスター。
ニュルンベルク市の上にナチスのハーケンクロイツが、またその上にドイツ帝国の鷲の紋章が…。
1937年にドイツ博物館に展示されたポスターです。 -
1934年、ニュルンベルク市上空を飛んでいるナチスの偵察機
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1933年から1938年まで、毎年ニュルンベルクでナチ党大会が開催されました。
1933年 党大会に出席するために、ケルンからも大勢の親衛隊員がニュルンベルク駅に到着しました。
口々に「ハイル・ヒトラー」と叫んでいるようです。
1933年の党大会はナチ党政権樹立後の最初の党大会だったため、40万人近くの群集が集まりました。 -
1933年、党大会でのナチス親衛隊(SS)の行進。
かっこいい軍服に身を包んだ若者の一糸乱れぬ行進の様子、こんなパレードを目の当たりにしたニュルンベルクの市民はさぞや熱狂したことでしょう。
雰囲気を盛り上げるには最高の行進です。 -
1934年 党大会
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1934年 党大会 ルイトポルト・アリーナで
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1934年党大会(たぶん?)
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1935年党大会。ツェッペリン広場での車輪部隊(バイク、自転車)の入場行進。
ヒトラーは、整然と整列して行進するパレードを謁見するのが好きでした。 -
1935年の党大会において「ニュルンベルク法」が制定されました。
これはユダヤ人から市民権を剥奪すための法律です。
これ以来ますますユダヤ人に対する締め付けは厳しくなっていきました。 -
1936年にはドイツ・ベルリンでオリンピックが開催された。
ナチスが政権を掌握していたこのベルリンオリンピックはヒトラーの祭典とも言われた。
写真はオリンピック会場でハーケンクロイツのマスゲームの練習をしている様子。
なお、オリンピックの期間中に限り、ユダヤ人迫害政策は緩和されたそうです。 -
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1936年 党大会 ルイトポルト・アリーナで。
党大会で、ヒトラーは自分がデザインした突撃隊旗をSSやSAの各隊長に渡していました。
この式は、のちの党大会でも慣例となりました。 -
1937年 光の列柱で演出された党大会
1934年より、ヒトラーお気に入りの建築家「アルベルト・シュペーア」が党大会の演出をするようになりました。
彼は、神秘性と力強さを最大限にアピールするために光と闇をたくみに利用しました。「光の大聖堂」と称されました。 -
1937年党大会での45,000人のヒトラーユーゲントの入場行進。
ドイツ人の10歳から18歳までの青少年はヒトラーユーゲントに強制的に加入しなければならなかった。
1937年には580万人のユーゲントがいました。 -
ナチスのプロパガンダとして使われたポスターの数々
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内部は大変広いです。
この展示場もシュペーアよろしく「光と闇」を効果的に使われています。 -
その頃、ヨーロッパ各地にある強制収容所では、ユダヤ人に対する残酷な行為や、集団虐殺なども行われていました。
また、SS特殊部隊からなる「アインザッツ・グルッペン」は東欧の占領地帯の治安のため不穏分子の検挙や処刑にあたりました。
彼らの標的は、リーダー的役割を担いうる知識人の検挙、処刑でした。
写真は今将に、ウクライナのユダヤ人が射殺されようとしているところです。 -
その頃にはヒトラーの独裁体制に疑問を抱く人々も多く出てきました。
このままヒトラーの悪政が続けばドイツ中が狂ってしまうのではないかと…。
ヒトラーを暗殺しようとしたシュタウフェンベルク大佐や、ナチスの抵抗運動を続けた白バラのグループはその代表的なものでした。 -
第二次大戦終盤になると、ドイツ国内への連合国軍の爆撃も熾烈を極めてきました。
特にニュルンベルクはナチス党のメッカでしたから、空爆の最優先目標でした。
1945年1月2日のニュルンベルクへの爆撃により旧市街は大半が焼け野原になりました。 -
ニュルンベルク市を占拠した連合国兵。
ハーケンクロイツとドイツ帝国の鷲の紋章が掲げられている建物、どこだかわかりませんが、国家的重要な建物に間違いないと思われます。 -
戦争は終わり、追い詰められたヒトラーはベルリンの防空壕で自殺します。
そして、1945年から1946年にかけて、ニュルンベルク近郊のフュルト地方裁判所600号法廷で、「ニュルンベルク裁判」が始まります。
これは、米英仏露の戦勝国が、ナチス政権下で指導的立場にあった戦争犯罪人を裁くための裁判です。 -
判決が下される
1946年9月30日から10月1日にかけて被告人に判決が言い渡されました。
ゲーリッツ、ヘスなど12名に死刑が言い渡されました。
ヒトラーお気に入りの建築家シュペーアは、裁判で戦争犯罪を認めた唯一の被告として禁錮20年の刑、またヒトラーの後任大統領のカール・デーニッツは禁錮10年の刑でした。
面白いのは、エッセン重工業の企業家グルッペ社代表、グルッペ氏も戦争犯罪人として被告席に座っていたのですね。
写真は判決を伝える新聞 -
館内はとても広くて見応えがあります。
どれくらい時間が経ったことか…。
レシーバーを持たないでこれですから、私の事ですからレシーバーを聞きながらだったら1日かかったかもしれません。
出口に続く100メートルもある長い渡り廊下。 -
渡り廊下の手すりの向こう側には膨大な数の札が置いてありました。
よく見るとそれらには名前と国名、それに亡くなった日付が入れてありました。犠牲者の追悼のモニュメントなのでしょうか? -
強制収容所に収容されていた囚人により描かれた絵。
見せしめなのでしょうか、囚人が見ている前で絞首刑に処されている絵です。 -
過酷な労働は囚人達に押し付けられました。
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出口の方に向かいます。
もう5時過ぎだと言うのに、まだ見学客は集まっています。 -
館内から外を見ると、見学を終えた若者たちが芝生の上でくつろいでいました。
平和な時代だなー。
彼らはどういう思いで展示物の数々を見たのかな? -
この建物をぐるーっと回って、党大会場跡に行きましょう。
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隣は静かな湖が広がっています。
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のんびり散歩している人たちも見かけます。
ここで70年以上前何があったかなんて関係ないですね。
平和が一番です。 -
博物館と対を成す建物にはニュルンベルク・シンフォニーの建物が…。
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二つの建物の間にあるアーチをくぐると…。
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レンガ色の建物は博物館の一部です。その奥は…。
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まるでローマの円形劇場跡地のようです。
ここが党会場跡。
ローマの円形劇場より広いと思われるこの会議場に、大勢のヒトラーの崇拝者がつめかけ、ヒトラーの演説に酔いしれたのでしょうか。
ヒトラーはここに大きなコングレスホール(会議場)を建てて、大戦に勝利した後はより盛大な党大会を開催する予定でした。 -
こういう巨大なコングレスホール(会議場)が建つはずでした。
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外に張り出したテラス。ここから党大会跡を一望できます。
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ドク・ツェントルムの閉館時間は6時です。
さて、お腹もすいてきました。旧市街に出てニュルンベルクソーセージをいただきましょうか。
それにまだ明るいうちに、ニュルンベルクの旧市街も急いで見て回らなければ…。
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この旅行記へのコメント (8)
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- ジバゴさん 2014/07/01 00:54:50
- マイバウム
- frau.himmelさん、こちらでは初めましてです。 あちらの草原の乱で大荒れの時に偶々見つけた動画を見てコレ何だろうと不思議に思ったことがこちらの旅行記を読んでマイバウムだと分かりました。 今後共よろしくお願いします。
ジバゴ
http://www.alpenwelt-karwendel.de/sommerurlaub-bayern-karwendel
1:20位から始まります。
- frau.himmelさん からの返信 2014/07/01 23:46:14
- RE: マイバウム
- ジバゴさん こんにちは。
先日は大変お世話になりました。
返信遅くなってごめんなさい。
ステキな画像を見つけましたね。しばし見とれました。
あんな風景を見ると、あの祭りの時期に行きたくなりました。
マイバウムが立つころですから5月ごろかしら。
もちろん私が行きたいのは草原(谷)のほうではなく町のほうです。
谷のほうだけクローズアップされていますが、町はもっとステキなのですよ。
そうそう、マイバウムはバイエルン州のほとんどの町の広場には5月になると立てられます。
5月を過ぎればいつの間にか見えなくなります。
マイバウムを1年中見ることが出来るのが、ミュンヘンのヴィクトアーリエン・マルクトです。
こちらこそこちらでもよろしくお願いいたします。
himmel
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- wiz さん 2011/08/20 22:22:26
- 同感・・
- ほんとうにfrau.himmelさんのコメントどおり
「彼らはどういう思いで見たんだろう?」と同感です。
その後の 静かな湖 の写真を見て心が安らぎました。。。
私もアップしている写真の中で1枚だけ
ヒトラーの写真を載せています・・。
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/18268472
(またまたリンクURLすいません・・・・・)
wiz
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/21 15:06:05
- RE: 同感・・
- wizさん こんにちは。
たった今、wizさんの
詩でも読んでいるような Schwarz-Waissの世界に酔いしれてきました。
ステキですね、モノクロの世界。
確かな写真技術がないと 出来ない芸当だとつくづく思いました。
写真オンチには決して真似できないことです(泣)。
私もwizさんのようにゆっくりウィーンに滞在して、いろんなところに訪れたい…。
以前リンツでヒトラーのことを調べているとき、ウィーンでの彼の足跡を調べてみたいと思ったことがありました。
今回いくつかの手がかりを下さってありがとうございます。
> 私もアップしている写真の中で1枚だけ
> ヒトラーの写真を載せています・・。
> http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/18268472
> (またまたリンクURLすいません・・・・・)
いえいえ、wizさんの旅行記は素晴らしいので、ヒントをいただいたほうがいいのです。
でないと、あれこれ目移りして、悩むこと必須ですから…。
himmel
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/21 15:09:03
- 失礼! Schwarz-Weiss でした。
- タイトル=本文。
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- 近鉄バッファローズさん 2011/07/31 10:08:04
- 先を越されてしまいました(^^;)
- frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
Nuernbergの旅行記を拝見致しました。有り難う御座いました。
先日もお話ししましたように、私も全く同じところへ行きました。
とても勉強になるところですよね。
私は、オーディオガイドを借りて回りました。
基本的には自分で番号を入力して聞くのですが、
VTRがあるところへ行くと、自動でそのVTRの音声が聞こえてきます。
NSDAPのプロパガンダ映画だったり、生き証人のインタビューだったり、
再現3D映像だったりが音声入りで見ることが出来ました。
私は時間の都合から、ドク・ツェントルムの周りは歩けませんでした。
周りを一周すればTeichやZeppelinfeldや-tribueneも見れたのですが。
私も出来るだけ早く拙旅行記を上梓したいと思っています。
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/02 23:27:58
- 返信遅くなり申し訳ありません。
- 近鉄バッファローズさん、今晩は。
コメントいただいていましたのに、ここ2,3日忙しくて4トラベルを覗く暇もなく返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
ドク・ツェントルム見ていただいたのですか?
お恥ずかしいです。何か間違ったことを書いていませんでしたかしら?
老骨(老頭?)に鞭打って、私としては渾身の思いで書き上げたものでしたが、歴史を写真から調べるのってホントに難しいですね。
近鉄バッファローズさまのニュルンベルク編早く拝見したいです。
私の方はここのところ忙しくてなかなか先に進まず、もどかしい思いをしております。
忘れないうちに早く書き上げなければと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
himmel
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2011/08/03 16:12:50
- 遅くありませんよ
- frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
返信が遅いなんてことはありませんよ。
私はもっと遅くなることが縷ので、恐縮してしまいます。
Doku-Zentrumの旅行記を拝見しました。
僭越ながら、私の拝見したところおかしなところはなかったと存じます。
今、ニュルンベルグの前に行ったヴュルツブルグの旅行記を作成中です。
それからになりますので、しばらくお待ち下さい。
frau.himmelさんもお時間があまりないようですが、
私も旅行記の作成がなかなか進みません。お互い頑張りましょう。
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