2011/06/20 - 2011/06/20
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tsunetaさん
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6月20日、午後0時50分過ぎに需要家訪問の序に浅草橋付近より靖国通りに出てから、国道14号線(京葉道路)沿いに歩いて両国橋へ行き、隅田川を渡った。
両国橋を渡るときに建設中の東京スカイツリーを眺めることができた。
○両国橋について・・・説明文による
両国橋(りょうごくばし)は隅田川にかかる橋で、国道14号(靖国通り・京葉道路)を通す。
西岸の東京都中央区東日本橋二丁目と東岸の墨田区両国一丁目を結ぶ。橋のすぐ近くには神田川と隅田川の合流点がある。
現在は武蔵国内にあるが、1686年(貞享3年)年に国境が変更されるまでは下総国との国境にあったことから、両国橋と呼ばれる。
現在の橋は1930年竣工、1932年完成
橋長:164.5m 橋幅:24m
*写真は両国橋を渡るときに見られた東京スカイツリー
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国道14号線を歩いて両国橋に出た
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両国橋からは東京スカイツリーが見られた。
橋は総武線の鉄橋である。 -
ズームアップして見る
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ズームアップして見る
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両国橋より神田川方面を眺める。
柳橋が見える。 -
両国橋より神田川方面を眺める。
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両国側の川岸
花壇が置かれていて公園化されている -
総武線の鉄橋が見える
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両国橋を渡りきったところ
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両国橋と百本杭の説明・・説明文による
隅田川の両岸は今ではコンクリートでガッチリと護岸されているが、以前は荒川、中川、 綾瀬川などすべてが隅田川に流れ込み激しい水流を受けていたので、護岸のため両国橋北 河岸に杭が打ち込んであり、百本杭といわれていた -
表忠碑
本所あたりに住んでいた芥川龍之介は、昭和2年の新聞社向けの見聞録で
「両国橋の袂に ある表忠碑も昔に変らなかつた。表忠碑を書いたのは日露役の陸軍総司令官大山巖侯爵で ある。日露役の始まつたのは僕の中学へはひり立てだつた。明治二十五年 に生れた僕は勿論日清役のことを覚えてゐない。 」・・・と書いている -
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両国橋の両国側の川岸
隅田川の下流側を眺める -
両国側の川岸には小学校、中学校の生徒による集合絵が飾られていた。
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遠くからでも小学校、中学校生徒の集合絵がわかる。
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両国橋を両国側より東日本橋側に渡りきった、東日本橋側の川岸
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隅田川の下流側を眺める
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両国橋の橋の欄干の飾りは隅田川の花火と両国国技館の大相撲の軍配を表した図柄で出来ていた。
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