2011/06/05 - 2011/06/05
542位(同エリア5416件中)
またぬきさん
何の下調べもせずに、ナビ任せでやって来た奈良。法隆寺を見た後は「何処にするベェ〜?」『奈良といったら鹿でしょう!』何とも単細胞の思考回路には、この程度の発想しか浮かびません (*^^*)
そこで、またまた秘密兵器をセッティング・・・。奈良公園まで15km位あります、4時頃までには着けるでしょう ヽ(^◇^*)/
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ナビの指示するとおり奈良公園へとやって来ました。
『車何処へ停める?』「あそこの会館の地下駐車場へ止めるか」という事で奈良県の公会堂に駐車、奈良公園を散歩で〜す (*^_^*) -
鹿がいました!
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こちらにも団体でいますよ♪
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綺麗な芝生が広がっています。でも、みんな芝生を突っ切らないで歩道を歩いています?
実は、ここは地雷原なので〜す (◎_◎;)
自衛隊に要請して除去してもらっても、次の日にはまた新たに敷設されるから諦めて放置されていま〜す w(*゚o゚*)w -
南大門への参道を歩きます。
国宝。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。(wikipediaより抜粋) -
参道横にも鹿がお休みしています。
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『何かくれ〜!』
『おい、メタボタヌキ!今後ろに隠したのはナンや〜?』 -
『チエッ、食いモンちゃうんか (`з´) 早よ行け、門閉まるぞ!』
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中門へと進みます。その向こうには大仏様のお家が見えま〜す。
重要文化財。金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)頃の再建。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。(wikipediaより抜粋) -
正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。
東大寺の伽藍の中央に位置し、境内で最大の建物である。現存する大仏殿は、正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている。(wikipediaより抜粋) -
最初の大仏殿の建設は大仏の鋳造が終わった後に始まり、758年(天平宝字2年)に完成した。
1181年(治承4年)1月15日(旧暦12月28日)、平重衡などの南都焼討によって焼失。その後、1190年(建久元年)に再建され、落慶法要には源頼朝なども列席した。
1567年(永禄10年)11月10日(旧暦10月10日)から11月11日(旧暦10月11日)にかけて、東大寺大仏殿の戦いによって焼失。
さらにその後、公慶上人の尽力や、徳川綱吉などの寄進により、現存する大仏殿の建設が始まり、1691年(元禄4年)に完成、1709年(宝永6年)に落慶した。
また、1879年(明治12年)から1915年(大正4年)までと、1973年(昭和48年)から1980年(昭和55年)まで、それぞれ修理が行われているほか、1952年(昭和27年)3月29日には国宝に指定された。(wikipediaより抜粋) -
大仏殿の正面には、国宝に指定されている金銅八角燈籠がある。
金銅八角燈籠(国宝)
大仏殿の正面に立つ燈籠。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋には楽器を奏する菩薩の浮き彫りがある。(wikipediaより抜粋) -
燈籠上部の飾り物、何を意味するのかオイラには判らないけれど、妙に気になる (^-^)v
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大仏殿の中へと入ります。
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東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、一般に「奈良の大仏」として知られる仏像(大仏)で、東大寺大仏殿(金堂)の本尊である。
聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部など、ごく一部が残るにすぎない。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。(wikipediaより抜粋) -
内部はワンルーム、でもオイラの巣穴よりは遥かに広いで〜す ヽ(^◇^*)/
賃料不明、多分滞納か、でも未だに追い出されないのは大仏様の行いが良いからなのです。 -
連弁のレプリカ。
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表面には釈迦如来像を中心に、蓮華蔵世界を表した図様が線刻され、奈良時代仏画の遺品としても貴重である。(wikipediaより抜粋)
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虚空蔵菩薩坐像(重文)
大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。宝暦2年(1752年)の完成。(wikipediaより抜粋) -
広目天像(金堂西北隅)
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多聞天像(金堂東北隅)
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山神様(特別参加?)
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屋根裏(?)へ上がる階段、「池田屋」の階段落ちのスタントマンでもこれは無理か?
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土産物も売っています。
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毎日俗人共がワイワイ、ガヤガヤと訪れても、悟りを開かれた大仏様は平常心です。
『ポン吉や〜、お前もいつまでもフラフラしていないで早く落ち着いた生活を送るのですよ』(bay大仏様)
『ヘヘ〜ッ、ポン吉、肝に銘じやす!』 -
手! この上にお坊さんが乗ってお掃除しているのを見たことがあります。
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大仏殿の外へ出てきました。もう閉門時刻です、観光客もいなくなったようです。
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回廊をパチリ!
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この像の身体の部分を触ると、触った箇所の自分の悪い所が直るそうで〜す (*^^)v
オイラ頭と顔に触りたいけれど、手が届かな〜い (ノ_・。) -
最後にもう一度、大仏殿を眺めて。
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エンタシスの柱もパチリ!
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『はあぁ〜、重たいよ〜!』
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『もう少しの辛抱だ! 閉門したら、この重たいやつ下ろして休憩できるぞ♪』
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『もうアカン、限界やぁ〜 (><;) コラァ、そこのタヌキ! ウロチョロせんと早よ出て行け。こんなん一日中担いでいるんやから、早よ下ろしたいねん。お前が出て行かんと休まれへんやろ ゛(`ヘ´#) 』
『エライ気の利かん事ですんまへん、早々に退却いたしますです、ハイ m(_ _)m』
という事で、オイラ達は大仏殿を後にして神戸へと帰りました。 おしまい。
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