2011/03/11 - 2011/03/12
130位(同エリア259件中)
hiroさん
地震発生から2ヶ月が経ち、やっと気持ちも落ち着いてきました。
被害の酷い地区の方々、お身内を失くされたり家を流されたりと
まだまだ気が休まらないとは思いますが、
お互いに前を向いて頑張りましょう。
これは旅行記ではありませんが
一つ思うところがあり、写真とコメントをUPしました。
写真は仙台空港にて津波で孤立した家族が写したもの、
コメントは震災当時の仙台市内の様子を綴ったものです。
世界中をご旅行なさる機会の多いフォートラベルの皆様へ。
今回の震災では国内からはもとより、
海外の方々からも多大なご支援を頂きました。
海外旅行へお出かけになり、
現地の方とお話なさった際に震災や津波の話が出ましたら
「あなたの国から温かい支援をして頂き、
東北の人がとても感謝をしていました。」と
是非お伝え下さい。
この旅行記をご覧になる方のお力をお借りできたら
幸いと思います。
そして、復興に向かって今まさに頑張っている皆様へ。
一日も早く平和な日が訪れる事を心よりお祈り申し上げます。
hiro
-
震災当日、仙台は夜から雪の寒い日でした。
-
緊急地震速報が流れ、
「地震?どこ?」とTVに近づいた瞬間に
強い揺れに襲われました。
揺れはじめからすぐに停電し、
それ以降は全く情報が入りませんでした。 -
強い揺れは3分以上あったと思います。
「アトランティスとかムーが沈んだ時って
こんな感じだったのか・・・」と。
強い揺れの中、そんな事を考えていました。 -
自宅はあちこちにヒビが入り、余震の度に
バキバキと音を立てています。
NZ倒壊ニュースの記憶が新しかったので
「この家も倒壊するのか・・・」と
恐怖に怯えました。 -
TVは全く見れず、携帯も電話も×。
携帯でネットは見られましたが、
そのうち電池切れに・・・。
集会所のラジオは
電波状況が悪く、ほとんど聞こえず。
震源地や震度は誰に尋ねても判りませんでした。 -
日没までに夜の準備をしました。
懐中電灯・ロウソクで明かりを確保、
重ね着で寒さの対策をしました。
ペットも毛布で包みました。
断水だったのでマンションの貯水タンクから
当面必要な水を運びました。
夜間はとても不安で、
「大きい余震が来るはずだから気を抜くな」と
自分に言い聞かせつつ、
一睡もせずに一晩を過ごしました。
火災の炎が見えガス臭も強くて、
かなりの恐怖を感じました。 -
津波の後、「人命救助をする」のメールを最後に
家族と連絡が取れなくなりました。
翌日の朝刊に家族の居た仙台空港の
津波の写真が載っており、
「写っているかな・・・」と思いました。
※「河北新報」という地元紙だけ震災翌日から配達していました。 -
二日目の夜、家族がドロドロになりながら帰ってきました。
仙台空港が津波により冠水してしまい、
1200人が孤立。
救出を待っていたそうです。
本当に嬉しくて・・・泣けました。 -
近所の方々と助け合い、頑張りました。
挨拶程度だった方々が
とても親切にして下さり、嬉しかった。
だから自分も同じようにしようと
心がけました。 -
一週間以上、普通に買い物が
出来ませんでした。
それでも何とか・・・なりました。
人間の分とペットの分の食料と水を
備蓄しておいて良かったとしみじみ思いました。 -
4日目に電気、6日目に水道、20日目にガスが
通りました。
我が家は復旧が早い地域でした。 -
電気が通り初めてTVを観て・・・・
すさまじい映像に驚きました。 -
仙台空港で愛車が流されてしまったので
残してある車検証等を取りに行きました。
そこで見たものは・・・・
米軍が見たことも無いような重機を使い、
テキパキと作業をしている姿でした。
しかも・・・
酷い現場にもかかわらず
笑顔で作業をしているのです。
考えられません。
全員に「余裕」があるのです。
震災当初、瓦礫の山で危険な空港へ
上空よりパラシュート落下して来てくれたそうです。
空港を見事に復旧していく姿は
とても頼もしかった。
※この後もリビアや北朝鮮に睨みをきかせ続け、
ビンラディンの作戦まで遂行してしまった。
アメリカって、どれだけ余裕があるのでしょう。
規模の違いをしみじみ感じました。 -
瓦礫や車がメチャメチャになっている海岸線。
この辺は内陸部6キロまで
水が来たそうです。
自宅が海から何キロあるかなんて、
考えたこと無かったです。
幸い、我が家は12キロあったので無事でしたが・・・。 -
県外から続々と救援隊の方が入って下さいました。
我が家は「東京ガス」の人が開栓してくれました。
街には「警視庁」「京都府警」「岐阜県警」のパトカー。
救急車は「糸魚川」「石川」「富山」。
消防車は愛知「名古屋」「豊橋」「岡崎」。
給水車は北海道「苫小牧」から。
私が目にしたのは、
来てくださった方々のごく一部だと思いますが
それを目にする度に
「皆が助けてくれるんだ。大丈夫なんだ・・。」と
涙が出て、胸が熱くなり、本当に元気が出ました。 -
一方で、店舗や被災者の家では
大規模な窃盗が横行していました。
我が家も車からガソリンを抜かれてしまいました。
色々な人間がいるのだから仕方ないですが・・・
まったく残念なことです。 -
「非常時でも老人や子供や障がい者を優先し、
人の道を忘れるな。」
阪神大震災を経験した方の言葉です。
まさにその通りでした。 -
正常化までに一番時間を要したのは
「ガソリンの流通」でしょうか?
4月半ば過ぎに、やっと落ち着きました。
海江田さんの計画だと
もっと早かったみたいですが・・・。
緊急車両でも給油に何時間もかかっていました。 -
被災して3日後に
三菱東京UFJ銀行へ行きました。
日曜日でしたが通帳と免許証で
お金を下ろせました。
窓口では慣れない感じの男性が
親切に対応してくれました。
普段はクレジットカード派なのですが
停電中カードが使えず、
近所のATM機も壊れてしまい困りましたが
現金を手にできて一安心。
民間企業の素早い対応に数々助けられました。 -
ヤマト運輸が救援物資の運搬を
無償で行っているとTVで知りました。
仕分けは自衛隊が行い、運搬はヤマト。
「地元への配送なら、役所の方たちよりも
我々の方が詳しいですから!」だそうです。
それにかかるガソリン代や人件費も
ヤマトがご負担なさったとか。
元の生活に戻ったら可能な限り、
今後はヤマト運輸を使いたいと思いました。 -
原発の問題が深刻です。
電気を無駄使いする生活はいけないんだと
反省しました。
鳩山元首相が国連の会合で
温室効果ガスを2020年まで25%削減すると聞き、
「25%〜!?出来るの?」と驚きましたが
ドイツは40%を目標にしていると聞きました。
エネルギー問題は1人1人が前向きに、
真剣に考えなくてはならないです。 -
今回の大型連休では
5月4日までの数字ですが
宮城県だけで、なんと3万人の民間ボランティアの方が
いらして下さったそうです。
本当に本当に有難いことです。 -
震災後、早速お見舞いメールを下さったJINさん。
東北はまだまだ暗いニュースが多いので
たまには明るい気分になりたい。
旅行に行きたいけれど・・・まだ行けないので
代わりに皆さんの旅行記を見て楽しみたいと思います。
マタキングの旅行記、
早くUPして下さいね。楽しみに待ってます。 -
最後に・・・
大きな震災が来る前に
皆さまどうか計画を立てて備えて下さい。
今回は津波で亡くなった方が多かったのですが
正確な情報が早くに入っていれば
亡くならなくて済んだ方も大勢いらっしゃったはず。
万が一の場合は、
信用ある情報源からの正確な情報に耳を傾け
冷静に行動なさって下さい。
【仙台空港でみたM9.0 東日本大震災 −おわり−】
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この旅行記へのコメント (2)
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- 京妓さん 2011/07/12 23:00:35
- 貴重なお写真、じっくり見せていただきました
- hiroさん
はじめまして。コリノリと申します。
仙台空港の貴重なお写真、拝見しました。
私は札幌在住ですが、3/11は仙台の実家へ帰省中でした。
14:46は仙台空港へ向かうため、仙台駅の空港アクセス線車内にいました。
実は、親から1本前のアクセス線で
余裕をもって空港へ向かうよう言われていたので、
親の言うことをきちんと聞いていたら、私も仙台空港で被災していたと思います。
あの時まだ仙台駅にいたことで、
結果的にその後数日にわたり色々な動きがとれたのですが、
だからと言って軽々しく「空港に着いていなくて良かった」などと
言う気にもなれず、今でも複雑な思いです。
hiroさんの御家族はドロドロになりながらも無事お戻りになったとのこと、何よりです。
お怪我やお身体の調子を崩されたりなど、なさいませんでしたか?
何を伝えたいというわけではないのですが、
仙台空港のお写真を拝見して、居ても立ってもいられなくなり、
まとまりないままですが、メッセージを残させていただきました。
コリノリ
- hiroさん からの返信 2011/07/13 12:07:40
- RE: コリノリ様
- はじめまして!
コメント、ありがとうございました。
ご実家が仙台市内とのことですが
ご家族様は大丈夫でしたか?
コリノリさんご自身も、あの後札幌まで戻られたのは
大変なご苦労だったのではないでしょうか。
本当にお疲れ様でした。
仙台空港内は大変な状態でしたが
空港職員やJAL、ANAの職員の方々が
震災直後からお客様に売店の食べ物や飲み物を配り、
寒くないように空港の床に敷物を敷き、
迅速かつ冷静にお客様を保護すべく
ほとんど寝ずの対応を続けていたそうです。
アクセス線は震災当時、走行中の電車はなく
乗客・職員も負傷者はいなかったそうです。
まだまだ各地で余震が続いております。
仙台のご家族様もご心配でしょうが
無理をせずにお互い頑張っていきましょう。
hiro
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