2007/09/28 - 2007/09/28
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Miyatanさん
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2007年9月21日〜10月1日
中東三カ国の旅(ヨルダン・イスラエル・カタール)
当時はまだ大阪在住。この旅で出会った人たちは、今でもかけがえのない友人です。
9月28日
ペトラ泊
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- カタール航空
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9月28日(金)
早朝、旅の共に別れを告げる。一足先にアンマンに戻っていく。今日帰国の人もいるし。ペトラ遺跡に行く。 -
一人で回ることに。入場料21ディナール。日本円にしても3500円以上という、かなりありえないくらい高い入場料。
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ヨルダンで最初に世界遺産に指定された、紀元前のナバタイ人によって築かれた街。岩山が削られ、彫られ、大きな宮殿や王家の墓が立ち並ぶ。なんとまあ壮絶な風景。インディジョーンズの最後の聖戦の舞台になったところ、らしい。マチュピチュ、までは行かなかったけど、かなり感動する風景。シークと呼ばれる、岩山にはさまれた狭い谷間にある道を進む。
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途中、ガイドのお兄さんと仲良くなって、一緒に写真を撮る。
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ひたすら歩いて、やっと眼前が開けたと思ったら、目の前にはエル・ハズネという神殿風の霊廟が聳え立っている。
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幅30メートル、高さ43メートル。建物の中に入れるが、それほど広くない。インディジョーンズの風景は、嘘っぱちである。(笑)
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大昔に、これだけの岩山をくりぬいて、これだけの都市を築いたというのだから、人間って不思議で神秘的だと思う。
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隊商都市。太陽の光加減によって、岩肌の色が七変化のように変わって見える。
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地震で崩壊して、見捨てられて、一千年以上の間人類から忘れされれて眠っていて、十九世紀初頭に噂を聞きつけた探険家によって発見され、世界にその存在が伝えられたという。
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それまでの間放置されていて、それこそ砂漠の合間の谷間なので、何人も近づくことなく、当時の姿がそのまま残っていたという。
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更に歩いていくと、ローマ円形劇場、凱旋門、柱廊、などなど。かなり生活のあとがあった。
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途中のお土産さんのおじさん、不思議な首飾りを見せてくれた。
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そこには、ちょっぴり恥ずかしい、いわゆる男女結合像が…、描かれていた。
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とにかく、広くて暑い。
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奥のほうに続いている道があった。
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更に険しい山道を抜けると、エド・ディルと呼ばれる修道院跡。下から見るとすごい迫力。こちらは高さ45メートル。言葉では言い尽くせない、壮大さ。同じように、岩山をくりぬいてできていた。
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あんな大昔に、どのようにしてあれだけ高いところまで、彫刻のようにして彫ることができたのだろうか、不思議である。
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帰り際、何故かベドウィンの子供に捕まる。子供、といっても十代後半だろうか。日本の踊りを教えてくれ、といわれたので、かなり適当に盆踊りのまねをする。一応、炭坑節のつもりだけど。
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そういえば、昔アルゼンチンに行ったときも、盆踊りをかなり適当に教えて、楽しんでいたな。なんか、こういうときにビシッと教えることができるものがあれば、世界中どこに行っても楽しめるのにな、といつも思う。でもまあ、堂々とそれっぽく恥ずかしがらずにやれば、日本の踊りとして認識されるのだろう。
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開き直って、「炭坑節」をイメージした自己流日本の踊りを教えた。そのかわり、というほどでもないけど、ベドウィンダンスを教えてくれた。半分暴れているだけのような気もするけど…、とにかくベドウィンダンスらしい。
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さすがに丸一日、しかも急峻な山道まで歩いて、岩山をよじ登って、更に踊りまでしたので、相当疲れた。
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とりあえず、この旅の最後の目的である、ペトラ遺跡に行く、を達成して、一息つけた。
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翌日の朝、同じようにアンマンに行く人達が多かったためか、臨時バスをチャーターしたのかよくわからないけど、とにかく昨日聞いていたよりも一便バスが増えているらしいので、それに乗ってアンマンに戻ることにする。
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