2011/04/08 - 2011/04/12
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鹿野健太郎さん
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出発までの間、カイロ市内を中心に大統領の退陣を求めたデモが過熱していた模様をニュースで見ていた。けれど、マスコミの情報だけで必要以上に恐れて、観光客が遠のいてしまうことは、観光で成り立つエジプトをさらに窮地に追い込んでしまう。去年のタイ(そして今年の日本も?)がそうであったように・・・。予約をしていたカイロのホテルに電話をして事情を聞くと、「今は支障なく旅行できる」と言うので、敢えて旅行を決行することとした。
なお、今回は、トルコと合わせての旅行なので、エジプトはカイロ周辺と砂漠でのキャンプに的を絞った。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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エジプト航空でカイロに到着。飛行機は新しい機材で快適。到着ロビーは何だか分からないけど、ものすごい数の人でごった返していたので、できれば市内までの足を事前に確保しておいた方が余分な気力を使わずに済むような気がする。
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ホテルが空港までの送迎者を手配してくれていたので、市内への移動も楽だった。優しいおじさんで、周囲よりも心持ち安全運転だった。
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ホテルに到着。部屋の窓に近づくと何やら叫び声が聞こえる。この日は金曜日なので集会があるのだと言う。
デモの様子(動画)はこちら
この状態でよく眠れたと今更ながらに思う。
↓
http://youtu.be/S3iS6SpL5Mc -
ホテルの正面のピンクの建物がツタンカーメンの黄金のマスクなどがある考古学博物館。その向こうには無残に焼け落ちた女性協会のビルが。博物館にもデモ隊が乱入し、貴重なミイラなどが壊滅的な被害に遭ってしまったらしい。到着早々だが、博物館がいつ閉鎖されるかも分からないような状況だったので、すぐに入ることにした。(→大正解。この翌日博物館は閉鎖されていた。)
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ツタンカーメンの黄金のマスクはどこから見ても均整の取れた完璧な美しさだった。パリで見たミロのビーナス、京都で見た広隆寺・弥勒菩薩と同様、しばらく見入ってしまった。
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その後、ナイル川沿いを散策しながら、ピラミッドに行くバスに乗るため、タフリール・バスターミナルへ向かう。
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ナイル川。これが世界で一番長い川か・・・。と思っていたが、実は最近ではアマゾン川の方が長かったことが判明していると後で知った。
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ガイドブックでは、市内から357番のバスに乗ると書いてあったのだが、地元の人に尋ねると「これに乗れば行ける!」と言われそのまま人の流れに任せてローカルなバスに乗り込むことに。地元の人たちから物珍しそうな視線を感じながらも、乗り換え場所が近づくと、みんな手を頭の上で△にして「ピラミッドはこっちだ!」と案内してくれた。その後ギザ市内のバスターミナルのような様相の場所からさらにローカル色の濃いミニバスに乗り込む。
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ピラミッド群はちょっとした丘の上にあるので、手前にギザ、遠くにカイロの都心が見渡せる。砂埃の色の町。
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本来は一番高かったクフ王のピラミッド。140m級というから、高層ビルにしたら30数階相当だろうか?霞ヶ関ビルと同じくらいの高さだろう。
大きなピラミッドの周辺はラクダ乗りの客引きやお土産物売りがとてもしつこい。きっと例年より外国人観光客が減っているので、お客の争奪戦も熾烈なのだろう。あの客引きさえいなければ、もっと感慨深くピラミッドと対面できるのだが・・・。 -
頂上に向かうにつれて先の尖った三角形なので、実際に近くまで行っても高層ビルのような威圧感はない。けれど人が一緒に写った写真では、その大きさがよく分かる。
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こちらは頂上の化粧岩が残っているカフラー王のピラミッド。
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3つ並んだピラミッドのうち、一番小さなメンカウラー王のピラミッドまで来ると客引きもめっきり減る。
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バスの乗り換えの時に地元の人がこの△ポーズでピラミッドへの行き方を教えてくれた。
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このようにピラミッドが整然と並んでいるように見えるスポットは、ピラミッド群から南西の方向へ20分くらい砂漠の中を進んだ地点。事前にプロの写真家の撮った素晴らしい写真をもとに、Google Earthでこの地点を探してみた。
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これくらい周りに誰もいなければ、ピラミッドと静かに対面できる。何と贅沢な時間。
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イチオシ
日の照り方によって、こんなにも色に変化が出る。この一帯は日の入り前に閉まってしまうのだが、夕日に映えるピラミッドを見るにはどうすれば良いか・・・次回までにその方法を探してみよう。
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暑い時期に来て歩くのが大変な場合、ラクダ乗りに「9つのピラミッドのビューポイント」と言えば、この場所が分かるようだ。
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ラクダの隠し撮り。飼い主が見ていると、すぐにお金をせびられる。黙ってニコニコしていればお礼のチップを渡そうとも思うのだが。
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観光ルートから外れた場所にも遺構が多い。ここは位置的にはマスタバ岩窟墳墓群あたりではないか?間違いでなければ、古代の貴人たちのマスタバ(長方形の墳墓)。
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完全に観光ルートから外れた足場の悪い砂漠の中を戻る。ピラミッドはこうして少し離れて眺めるとその大きさを実感できる。
そうだ、まだスフィンクスを見ていない! -
鼻やあごひげがもぎ取られてしまっていて、ずいぶんと威厳を失ってしまっている感が・・・。大英博物館にあごひげの一部があり、エジプト政府の返還要求に応じないと言う。
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お腹が空いたが、入りやすそうなお店と言えばゲート前のKFCくらい。ピラミッドを眺めながらエジプト限定メニューをいただく。アラビア語表記のペプシがいい味出してる。
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その後、タクシーで一気にカイロ市内のハーン・ハリーリへ。
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水タバコの器具がいっぱい。
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ハーン・ハリーリにて。ここも客引きが多くて自分のペースで商品を吟味するのは無理だ。ここでの買い物は、ラクダの形をした香水瓶と地元の人が着ているガラベーヤ、ラクダ革の財布くらいに留めよう。
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ハーン・ハリーリの香水屋さん
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ジュース屋さん
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ハーン・ハリーリからムイッズ通りを北上すると、いかにもアラブ世界!というような街並みになる。観光地としてきれいに整備されたのだろうが、足場の悪い道にくだびれた建物ばかり見てきたので、このエリアは比較的散策しやすい。
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夜はこの一帯、ライトアップされイマジネーションの中の「アラビアン・ナイト」の世界が広がるそうだ。この時期、結構日が長くて、ライトアップを待たずしてこの場を去ることに。
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正面の特徴的な建物は、昔1階が共同井戸、2階が寺子屋として使われていたそうだ。
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ふと横に目をそらすと、こうゆう引き込まれそうな風景があちこちに。
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小ぶりなメロンがあちこちで売られていた。ミルク入りのシェークにしたら美味しいだろうな。
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アイスクリーム屋の兄貴。こっちの方の人は目線が深いというか、目がラクダ系?と思う。マンゴアイス、美味しかった。大盛りにしてくれてありがとう。
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知らない路地に入ってみた。
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子供たちの声、生活の匂いがするとほっとする。
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東西を結ぶ幹線道路、アズハル通り
この町の渋滞は、車が多いことよりも、車線を無視することに原因があるように思った。音を伝えられないのが残念だが、みなが4本指がハンドル、親指は常にクラクションの上で運転しているので、ずーっとクラクションが鳴り響いている。しばらくして慣れてしまうと、クラクションを鳴らさないタクシー運転手に妙に感心してしまったり、「いや、実はクラクション鳴らしすぎて壊れたか?」と思ったり・・・。
歩道橋が意味を成していないアズハル通りの動画(エジプトのポップスをBGMに)はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=WY7fhkxcm20 -
ムイッズ通りを南下するとより庶民的な市場になる。まずは布地、さらに南に行くと食べ物が多かった。
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中は何だろう?
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イッ・スルギーヤ通りとムハンマド・アリ通りの交差点にあるコシャリ屋さんにて
地元の人で大変賑わっていたので、きっと美味しいお店として知られているのだろう。 -
Koshary and Sweet 「MOAMEN」というお店のようだが、住所を判明させなくては・・・。
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そして、陽気な店員さんたちに写真を送ってあげよう。会計を頼んだら、一人前が25円くらいだったような気がするが、間違いだったのかな?
→いや、庶民的なお店の相場らしい・・・。 -
ホテルはデモ隊の拠点の目の前。ホテルの窓の外には考古学博物館の入り口に押し寄せる群集。以前にも数千年前のミイラが略奪にあったそうだ。数千年の歴史を破壊するのはいとも簡単。大統領を退陣に追い込んだ多くの国民だって、博物館の破壊行為には心を痛めていることだろう。
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乾いた銃声の中、再びいつの間にか熟睡。
翌日からは1泊で中部の砂漠へ小旅行。 -
砂漠へ出発する朝。外が騒々しい。バスターミナルまでたどり着けるか?
続きは、砂漠編の旅行記へ。
http://4travel.jp/traveler/kentarojapan/album/10560339/ -
Noobody can't change. Everyone can change.
というメッセージが書かれているとエジプト人から教わった。 -
夕食をとるレストラン探しに出かける。集会の影響があるのはほんの一部のエリアで、ちょっと外れれば全く平常通りの生活をしているようだ。去年のバンコクもそうだった。
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タラアト・ハルブ広場はヨーロッパの町のような作り。
知り合いからはブエノスアイレスにもとても似ていると・・・。 -
本やウェブサイトで評判の良い「Felfela」というお店に行く。何を頼んでも美味しかったので、滞在中2度お世話になった。
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カイロの銀座?マフムード・バシウーニ通り
ジャージの叩き売りを路上でしているのだが、無理やり通行人に投げつけてキャッチさせるという面白い売り方を見かけた。要らなければ返せばよいのだが、その時にも何か会話のキャッチボールを楽しんでいるようだった。 -
翌朝、カイロ最古のガーマ(寺院)、ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンへ向かう。この長い名前を覚えて、タクシーの運転手に通じた時に「ここでも生きてゆける」と思った。
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靴カバー。タージマハルは赤だったけど、ここは緑。バクシーシ(喜捨)を求められる。
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ここには螺旋状のミナレットがあって、上まで登ることができる。出入口が一つしかなくて、これまた無理やり案内人おじさんにバクシーシをせびられる。いい歳をして仕事にも就かずに「持たざる者への喜捨」を求めるという性質。これを異文化として許容すべきなのか考えさせられる。
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背後にはガーマ・ムハンマド・アリがそびえる。
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このガーマは過剰な装飾もなく、西側の回廊が特に美しい。
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螺旋ミナレットの上から。膝くらいまでしか塀のない箇所もあり、高所恐怖症の人は無理だと思う。
それにしても観光客が少ない。世界中の人たちがよほど政情不安を怖がっているのだろう。来てしまえばこの街で1000万人の人たちが普通に暮らしているのに。 -
頂上からの眺め。
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アンテナ屋は儲かっていることだろう。
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サルビーヤ通りを東へ、シタデル方面に向かう。
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ガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイー
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ハイビスカスが咲いていた。そういえば、エジプトはハイビスカス・ティーの名産地だったはず。(その後大量購入!職場でも飲んでいるが、周囲にも大変好評。)
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ガーマ・モハンマド・アリは、トルコ様式の建築。この後イスタンブールに行くので、予行練習という気分。でも、ここは高台にあるので、ここから眺めるカイロ市内の景観が素晴らしい!
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アフリカ大陸最大の都市という側面も納得。
カイロの街中にアザーンが鳴り響く動画はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=AD_ZJuwkWek -
西側には古いカイロの町並みと、その向こうに高層ビル立ち並ぶ。
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彼方にギザのピラミッドをのぞむ。
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今日はカイロ最終日。欲しい物もそろえたいので、郊外の新市街ヘリオポリスにあるシティ・スターズに行ってみる。
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マック・アラビアをいただく。美味しかった!
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こうゆうものもある。背後に写っている「MOBACO」は最高品質のエジプト綿を使った地元のブランド。ラクダ印のポロシャツがとても気に入ったので何着か買ってきた。
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これが購入した「MOBACO Cottons」のポロシャツ。タイの象ポロと同じくらいラクダのポロ印が気に入った。
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ラクダは良いとして、実物のラクダ乗りはそんなに可愛くないけど・・・。
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かなりの買い物をしたので、一度ホテルに戻り荷物を置く。最初は「金曜日だから集会・・・」と聞いていたのだが、毎日デモが続いていて、道路も閉鎖されている。
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みなが比較的平然と歩いているので、ナイル川沿いまで行く途中にタフリール広場を通ってみた。スローガン入りのTシャツや国旗がたくさん売られていた。いろいろな人から「どこから来たか?」「エジプトは好きか?」と声をかけられた。いたってフレンドリーで、特に来てはいけない場所に入ってしまったという感じではなかった。
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その時買ったTシャツのうちの一着。これなら政治色や血生臭さのないデザインなので、いつでも着られそうだ。
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カイロ最後の夜。ナイル川の夜景も見納め。
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タフリール橋にて。
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この後イスタンブールへ移動!エジプトに早く平穏な日が訪れますように。
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