2011/03/08 - 2011/03/08
404位(同エリア640件中)
杏仁豆腐さん
先日、竜泉・吉原を巡り、樋口一葉に触れました。
http://4travel.jp/traveler/19563147/album/10550529/
その後、やはり本郷も訪れなければいけないと思い、本郷散策となりました。
散策の初めに、文京ふるさと歴史館に立ち寄り、ここでまず知識を得ます。
本郷は、坂の町。路地も多く、地図を片手に、迷路に入り込んだかのような所です。
時代の迷路にも入り込み、散策を楽しみました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
地下鉄の出口を出て、本郷三丁目交差点角に「かねやす」というお店があります。
洋品雑貨の店です。 -
「かねやす」は1735年に歯科医兼康祐悦が乳香散という歯磨き粉を売る店として開店してから小間物屋として現代まで営業を続けており、1730年の大火の再興の際大岡忠相がここ以南の江戸城に近い側を土蔵造りの塗屋にすることを命じたためこれを指して「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という川柳が残されています。
-
春日通り面している桜木神社(天神)です。
桜木神社は、太田道灌が江戸城を築城の際、城内に北野天神を勧請、創建したといいます。二代将軍徳川秀忠の代に旧櫻の馬場の地へ遷座、元禄3年(1690)その地に昌平坂学問所が設立されることになったため当地へ遷座したといいます。 -
文京ふるさと歴史館です。
http://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/ -
収蔵品展「子どもの遊びと学び−おもちゃ絵を楽しむ−」を開催していました。
-
ふるさと歴史館の中です。
-
-
駒込土物店(やっちゃば)
-
かねやすの暖簾
-
団子坂菊人形
江戸・東京郊外の景勝地の一つであった団子坂で、幕末から明治期にかけて行われた菊人形は、東京の秋を彩る観光イベントでした。 -
樋口一葉のコーナーです。
-
-
「子どもの遊びと学び ―おもちゃ絵を楽しむ―」の入口です。
おもちゃ絵とは、江戸時代から明治時代にかけて作られた子ども向けの錦絵です。現在のようにたくさんのおもちゃがなかった時代、子どもにとっておもちゃ絵は大切な遊び道具の一つでした。 子どもはおもちゃ絵で遊ぶだけでなく、文字や物の名前など、さまざまなことを学びました。 -
「算題墓石」です。
「算題墓石」とは、算題(数式)が彫られた墓石のことです。国内でも数例しか見つかっておらず、大変貴重な資料だそうです。 -
ふるさと歴史館の入口付近に階段があり、下に降りると記念碑などがありました。
庚申塔です。 -
庚申塔の説明です。
-
富士講の碑です。
-
富士講の碑の説明です。
-
板碑です。
-
板碑の説明です。
-
水盤です。
-
水盤の説明です。
-
神田上水の石です。
-
神田上水の石の説明です。
-
文京ふるさと歴史館の隣りには、歴史のありそうな家がありました。
-
春日通りから、東京スカイツリーが見えました。
-
本郷三丁目の交差点に戻りました。本郷薬師です。
-
交差点付近に「別れの橋跡・見送り坂と見返り坂」の説明があります。
-
ここから菊坂です。
-
樋口一葉マップがありました。
-
菊坂を下ると本妙寺坂と交わります。
-
菊坂の説明です。
本郷のこの辺り一帯には菊畑があったようです。菊を作る者たちが多く住んだこの界隈にある坂だかがら、菊坂という名が付いたとようです。 -
旧菊坂町の説明です。
以前ここに本妙寺というお寺がありました。ここが、「振り袖火事」といわれる明暦の大火(明暦3・1657)の火元と言われているところです。 -
宮沢賢治旧居跡の説明です。
-
炭団坂に出ました。
-
炭団坂の説明です。
名前の由来は、「ここは炭団などを商売する者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということから付けられたと言われいます。 -
上から見た炭団坂。
-
脇から見た炭団坂。
-
鐙坂(あぶみざか)です。
名前の由来は、「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、その形が「鐙に似ている」ということから名付けられた(『改選江戸志』)などといわれています。 -
金田一京助・春彦旧居跡です。
-
狭い路地を入っていくと、樋口一葉菊坂旧居跡に出ます。
階段の下が旧居跡です。 -
共同の井戸があります。当時はつるべ井戸であったが、一葉も使ったようです。あまりにも有名な井戸です。
-
菊坂でも一番低い「菊坂下町」と呼ばれたところです。
-
正面の階段を上がって狭い道を進むと鐙坂に出ます。
-
樋口一葉菊坂旧居跡の井戸が今回の散策の一番の目的です。
-
近くには銭湯、菊水湯があります。
-
菊水湯の煙突。
-
歴史のある家屋が所々で見ることができます。
-
一葉ゆかりの旧伊勢屋質店です。
-
樋口一葉は本郷界隈に約10年間暮らしましたが、晩年は生活が貧窮し、明治29年に24才で亡くなる間際まで伊勢屋質店に通ったことが日記に記されています。伊勢屋質店は昭和57年に廃業しましたが、今でも蔵や見世などの建物が大切に保存されています。毎年、一葉忌の11月23日のみ、一般公開しています。
-
伊勢屋質店の説明です。
-
本妙寺跡と明暦の大火、私立女子美術学校菊坂校舎跡の説明です。
-
第四(本妙寺)校跡の説明です。
-
本妙寺坂を上から見た景色です。
-
本郷菊富士ホテル跡です。
-
「菊富士ホテル」は、大正から昭和10年代にかけて、多くの文学者、学者、芸術家、思想家たちが滞在し、ここを舞台に数々のエピソードを残しました。
-
石川啄木ゆかりの蓋平館(がいへいかん)別荘跡です。
-
蓋平館(がいへいかん)別荘跡の説明です。
石川啄木が止宿した「ゆかりの宿」です。
金田一京介に紹介され、明治41年9月6日東京本郷にあった蓋平館別館(現・太栄館)に来館。三階の3畳半の部屋に入ったところ「富士がみえる 富士が見える」と外の風景を大変喜んだといいます。この部屋で、小説「鳥影」を書き、東京毎日新聞社に連載される。また「スバル」が創刊され、啄木は名義人となり、北原白秋・木下杢太郎や吉井勇などが編集のためたびたび訪れるようになった。蓋平館(現・太栄館)には9ヶ月投宿する。 -
現在は旅館「太栄館」です。
http://homepage3.nifty.com/taieikan/ -
太栄館脇には新坂があります。
-
新坂の説明です。
-
菊坂と言問通りがぶつかった交差点です。
-
旧田町の説明です。
-
白山通りをすこし歩くと、樋口一葉終焉の地があります。
-
小説家・歌人として明治期に活躍した樋口一葉(1872〜1896)の旧居跡。
本郷の住居を離れた一葉は当時の下谷区竜泉に10か月住んだ後、明治27年(1894)にこの地に移った。
うなぎ屋の離れで、6畳2間と4畳半の3間で、庭にはがけの湧水で造られた池があったという。
ここの隣り合わせの銘酒屋の女性をモデルに名作『にごりえ』が生まれた。
また、『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『十三夜』など代表作が数々生まれた。
しかし、一葉は結核のため24歳の若さでこの地で生涯を閉じた。 -
-
-
樋口一葉終焉の地は、紳士服のコナカの店の前にあります。ちょっと興ざめです。
-
旧丸山福山町の説明です。
-
新坂(福山坂)を上ります。
-
新坂(福山坂)の説明です。
-
旧駒込西片町の説明です。学者町と言われた西片です。
-
西片に公園がありました。
-
清水橋です。文京区本郷6丁目と西片2丁目の
それぞれの台地の上を結ぶ橋です。 -
清水橋の下は、言問通りです。
-
旧森川町の説明です。
-
旧森川町で梅の花の写真を撮る女性。
-
このあたりも歴史を感じさせる家が残っています。
-
万定フルーツパーラーです。
大正3年創業の老舗。
元々はフルーツパーラーでしたが、今はカレーライスがメインの店です。 -
喫茶ルオーです。
東大の向かいにあります。 -
東京大学正門です。
-
旧本郷の説明です。
-
樋口一葉ゆかりの桜木の宿の説明です。
-
「法真寺」です。
お寺の左側には、樋口一葉が4歳から9歳まで過ごした通称「一葉桜木の宿」がお寺のすぐ東隣にあり、この時代が一葉にとって最も豊かな安定した時代だったとのことです。 -
「一葉塚」です。
-
-
法真寺の梅。
-
-
法真寺内の一葉会館です。
-
法真寺を出ると、目の前は東大赤門です。
ここで、本郷散策は終了です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
90