2014/12/26 - 2014/12/26
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ANZdrifterさん
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平将門は15歳ころから平安京に出ていた。京では藤原氏が栄華を誇っていたが地方官僚は善政を忘れて民の膏血を絞り、自然災害もあって庶民の窮状は言語に絶し、体制への反感は全関東に広がっていた。
父の死により東国に帰った将門は父の遺領を占有した叔父との争いを制し、次いで関東一円を制した。将門は騎馬隊の編成、反りのある日本刀など、武士の時代を先駆けただけでなく、茨城県坂東市に政庁を置き、朱雀天皇に対する「新皇」を自称して東国の独立を標榜した。
しかし、即位の2か月後の940年3月、藤原秀郷(俵藤太)らとの戦いで流れ矢に当たり、38歳で亡くなったが、関東・江戸では悪政に苦しむ東国の民を命を懸けて守ったと敬慕されている。
同じころ瀬戸内で反乱を起こした藤原純友も941年に討伐された。
これらの乱は「承平天慶の乱」とよばれ、巨大官僚組織で個別人身支配を行った律令制度の崩壊の象徴であり、武士の発生の端緒でもあった。
この旅行記は東京都内の平将門の首級の伝説地をまわったものですが、2016年に静岡県掛川市を旅して、掛川に将門の首塚があることを知りました。首を持って上京の途次、この地で京都から下ってきた検死役人と会い、検死を受けた後でこの地に葬ったということです。東海道53次のうち掛川がほぼ中央(25番目)ということも納得に一役買っています。
あいにく、小夜の中山峠の急坂で転倒し怪我をしてしまったので現地を見ることはできなかったのですが、これが一番本物らしいと思うのでパンフレットから写真をピンボケながらコピーして末尾にいれました。
英雄伝説ゆえ首の行方には諸説がある。
伝説1)将門の首級は京都で晒されたが、何か月たっても生きるが如く目を見開き「五体はどこか、首をつないでもう一戦すべし」と叫び続けたという。やがて(三日後ともいう)首は関東へ飛び去り、空也上人が膏薬辻子(別旅行記:あきもせず京都3/3)に神田神宮を建てて供養した。
伝説2)空を飛んだ首は、一説に美濃の南宮神社の隼人神に射落とされ、大垣に御首神社(みくびじんじゃ)として祀られているという。
伝説3)一方、晒されて三日後に空を飛んできた首が武蔵国豊島郡芝崎に落ちて、大地鳴動し太陽は光を失い暗夜となったので村人は塚を築いて葬ったのが千代田区大手町の首塚であるという。
伝説4)また、戦前まで骨や首桶などが継承されていた築土神社では首は密かに持ち帰られたとされるが、説明では将門の霊を豊島郡上平川に祀り津久戸明神としたに始まる、とあった。
伝説5)2016年に掛川市に旅した時に平将門十九首塚が掛川市にあると知った。この十九首塚は、藤原秀郷が将門以下19名の首を持って上洛の途次、掛川で勅使と会って検死が行われた後に埋葬されたとされ、美しく整備されている。十九首(じゅうくしょ)公民館近くである。
これは、前記の伝説に比べて、首を運んだ人物が明らかであり、また東海道の中央の掛川宿(品川宿から25番目)で京都から下向した勅使と会っているなど、最も具体的で説得力があり、これが本命のように思われる。
この旅行記では都内の平将門伝承地の三か所を、右回り一筆書きで回りました。新宿>御茶ノ水=神田明神=新御茶ノ水>大手町=将門首塚=大手町>九段下=築土神社=九段下>新線新宿 でした。(=は徒歩)
神田明神は、千代田区大手町の首塚あたりにあった730年創建の神社に、1309年に時宗の真教上人が将門の霊を合祀し、1616年に徳川秀忠により塚を残して社殿を現在地に移して江戸城鬼門の抑え、江戸総鎮守とされたものである。関ヶ原の戦いの前に家康に勝守をさずけて以来、幕府の信仰が篤かったため、江戸期には将門は朝敵にあらずとされたが、明治期には再び朝敵とされるなどで、将門は神田明神の御祭神になったり、除かれたりした。
首塚は、戦前には取り壊しを計画した大蔵省の幹部14名が亡くなり、戦後は駐車場にしようとした米軍のブルトーザが突如横転して死者がでたなどで、今も畏怖・畏敬されている。隣の三井物産は塚に尻を向けぬよう机を配置しているそうである。
築土神社は、京都から密かに持ち帰った首を観音堂に祀り、津久戸明神と称したのが始まりという。太田道灌は江戸城の守護神として尊崇し、山王日枝神社、神田明神とともに江戸三社に数えられた。つまり、平将門は江戸三社のうち二つの神社の御祭神になっている。そのご、江戸城の拡張とともに転々としたが1616年に現在地(今はビルの一角であるが)に落ち着いた。
なお、成田山新勝寺は朱雀天皇の密勅をうけた僧正寛朝による、将門調伏の護摩の祈りの場が開山起源とされるため、1070余年後の今も、平将門一門の子孫のほか、神田明神の氏子も産土神の加護を受けられなくなるとして、成田山には参詣しないという。
また、NHKの将門を描いた1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」の出演者も恒例となっていた成田山の節分豆まきを辞退したという。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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伝説の始まりの地です。2014年5月に訪ねました。
京都、四条西洞院そばの膏薬辻子(こうやくのずし)入り口の案内です。
空也上人が平将門の首が晒されて以来、天変地異が相次ぎ、将門の怨霊の仕業とされた。この地では空也上人が供養したので空也供養から膏薬、小路を表す辻子(ずし)をつけて、この名前だそうです。 -
通りを行くと、左側の民家の中に ガラス越しに神田神宮が見えました。
なぜ 神田 となったのか不明ですが 将門の首が「私の五体はどこか・・・・」と何か月も叫び続けたので カラダ が 神田になったとも言われるそうです。
それで ここが東京の神田明神の本家とも言われるそうです。
しかし東京の首塚には、三日後に大地鳴動して首が落ちてきたそうです。
ともあれ、ここから伝説が始まります。 -
御茶ノ水駅の東口を出て、聖橋(ひじりばし)を渡って、湯島聖堂を過ぎた交差点で右向かいにこの鳥居が見えます。東京都心の108町の総鎮守神・神田明神です。
関ヶ原の戦いのときに家康に勝守の札を授けてから徳川家の信仰篤く、江戸城の鬼門の抑えとして幕府から尊崇を受けました。
将門を御祭神としているのは朝廷の幕府への干渉、介入を防ぐという意味もありそうです。神田神社(神田明神) 寺・神社・教会
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将門伝説とは関係ありませんが、門前の有名な甘酒やさんです。
ローム層(赤土)を6メートル掘り下げた室で麹を作っているそうです。 -
立派な隋身門です。総檜造りで、文化財に指定されていました。
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神田明神の御由緒。
一ノ宮は天平二年奉祀のオオナムジ命
二ノ宮は明治七年奉祀のスクナヒコナ命
三ノ宮が平将門命(まさかどさま)
明治期に将門を朝敵として排斥する動きに抗すべく、アマツカミの少彦名命を合祀したという。 -
鉄骨鉄筋コンクリートの本殿。
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本殿に向かって左奥に、江戸神社 があった。
もっとよく拝観してくればよかった。 -
力石・チカライシ の説明ですが、石の信仰についても書いてあった。
東北地方や日本海側では丸い石がご神体になっている神社がある。 -
何の誰兵衛が持ち上げた などと説明されていた。
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大手町に移動して地下鉄から地上に出たら、将門塚などの案内道標があった。
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将門首塚は ビルに囲まれて樹木が茂っていた。
関係ありませんが、伊達騒動で原田甲斐が殺されたのがこの地だそうです。 -
わかりやすい 入り口の石柱。
まるで小公園のようにきれいに手入れされていた。 -
奥の突き当りに 大蔵大臣名の故跡保存碑があった。
明治期に、取り壊しを計画した大蔵省の大臣以下、14名の幹部が亡くなったので、このような保存碑があるのだろう -
端的に説明しているので 撮ってきました
次の写真も説明されています。 -
これが将門塚の御本体です。
石塔婆は真教上人が供養され、焼損の度に再建されたという -
境内を出て 振り返ったら 裏文字ですが 神田明神旧蹟地とありました。
徳川秀忠のころには、ここに神田明神があったが、江戸城の拡張でなぜか塚だけを残して 社殿は江戸城鬼門にあたる御茶ノ水へ移転した。
当時から首塚は アンタッチャブルだったのかもしれない。 -
地下鉄九段下駅にきました。
3b出口を出て九段北一丁目の交差点近くにこんな石柱がありました。
少しわかりにくいので 乳業会館を目指してゆくとよいと思います。 -
ビルの一階を刳りぬいたように築土神社の参道が作られています。
この右が乳業会館だと思います。築土神社 寺・神社・教会
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安永九年(1780年)に寄進された狛犬。
台座を含めて150? ある。 -
狛犬にあった説明。寄進された当時は神社が別の所にあったらしいが、氏子は信心を失はずにいたとされる。
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ここで参拝してきました。
将門は菅原道真の没年に生まれたので、道真の生まれ変わりという説があり、ここではともに相殿に祀られている。
この左側が通り抜けられるので 地下鉄への近道でした。 -
途中で振り返ったら ビルの中の神社がそびえていました。
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2016年に静岡県掛川市を旅しました。
小夜の中山峠で怪我してしまって、十九首の将門の首塚を訪れることができませんでした。
ガイドブックの写真をコピーしたら、ピンボケでした。
それでも美しく整備されていることは、判っていただけると思います。
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