2011/01/10 - 2011/01/20
3900位(同エリア4804件中)
鯨さん
1、1月13日、午前9時、Oさんの運転するトヨタカムリでホテルを出発。
チェンマイ中心部から、国道108号線を約30キロ南下、サンバートーンの町で右折して、国道1013号線に はいる。メー湾に向かって約8キロ行った時、頭上に『ビルマ戦没者慰霊碑』の日本語看板を発見。
交差点の10枚くらいの看板に、日本語で『バンガード ウイターヤー校』の文字にしたがって、校内に入り、通 過したところで、ニホン式梵鐘を発見。
梵鐘の手前を右に進むと、目的の慰霊碑がありました。
持参したお菓子と、タイウイスキーを飾り、日本から持っていった線香を立てて、祈りました。
無謀な作戦に参加し、ここまで逃げ延びながら、亡くなった18,000名もの方の無念さを思うと、涙が溢れて きました。
芝生を清掃していた40歳位の女の方が、日本語のプリントを渡してくれました。
そこには、
「平成元年に、インパール作戦の生き残りや僧侶が、カンボジャヘ慰問に行った帰りに、この地を通った時、現地 の僧侶に、「この地に多数の日本人の遺骨を残し、そのままにして恥ずかしくないのか。」と言われ、慰問団にイ ンパール作戦従軍者がいて、「ここに多数の戦友を埋めた。」と、なきながら打ち明けたことで、彗燈財団が出 来、この碑が出来たとかかれていました。
毎年、チェンマイを訪れる日本人は、20万人以上いても、ここを訪れる日本人は100人にも成らないそうで す。
次の時代になって、果たしてインパール作戦や、「白骨街道」の言葉を知る人がどれだけいるでしょうか?。
再度、合掌して、立ち去ろうとすると、Oサンが、「チェンマイ市内にも日本人の墓があります。日本人のお客さ んに頼まれて行った事が有ります。」と言い出し、ぜひ、そこにも連れて行ってもらうことにして、チェンマイ市 内に戻りました。
案内されたのは、銀細工の壁画で有名な「ワット ムーンサーン」で、ここは戦時中、野戦病院だった場所であ り、ここでも大勢の日本兵が亡くなったと思われます。
てらの敷地に、「戦友よ、安らかに眠れ」とかかれた碑が建てられていました。
しかし、当時の遺品を保管している建物は、ホコリニ塗れ、とても見るに堪えられませんでした。
タイラーメンの昼食の後、チェンマイ国立博物館、ワーロット市場を見物し、ホテルに戻りました。
ナイトバザールを見物後、近くのちゅうかレストランで夕食。
2、1月14日。
もう、見物する所も無くなり、女性3名の希望により、2箇所の植物園を回り、ピン川クルーズで船に乗りまし た。
ここで不思議なことを発見しました。
クルーズの乗船場は、お寺の中にあり、皆さん、泥鰌やタニシを川に放し、功徳を施しておられるのですが、その すぐ横で沢山の人が鯰を釣っているのです。
いかにも、タイらしい風景でした。
3,1月15日。
この日は、自由行動日とし、Oさんにも休んでもらいました。
私たち夫婦は、ゆっくり朝寝をして、午前10時にホテルを出て、セントラルデパートへ行きました。
昼食は、プリンセスホテルの2階にあるちゅうかレストラン「ジャスミン」で、飲茶を頂きました。
何時行っても、美味しく、そして安くいただけるレストランです。
午後6時に、グループ4名が揃い、ホテル横にある日本料理店「だるま」で、生姜焼き定食を食べました。
店の前では、日本人男性が10人ほど集まり、情報交換をしていました。
この日でチェンマイを離れ、200キロ北のチェンライへ移動します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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