
2011/01/01 - 2011/01/01
4位(同エリア153件中)
Yattokame!さん
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地中海と東方世界を結ぶ交易路の中継点として繁栄した沙漠のオアシス都市・パルミラ。その繁栄は、美貌と教養を兼ね備えた戦う女王ゼノビアが率いるパルミラ王国の時代に頂点を迎える。しかし、オリエント制覇という美の女王が抱いた野望も、ローマ皇帝アウレリアヌスの前に潰える。陥落したパルミラは廃墟と化し、以後再び蘇ることはなかった。
~シリア・ヨルダン旅行日程~
12月28日(火)エディハド航空・成田発
12月29日(水)アブダビ経由ダマスカス着。バスでアレッポへ移動。アレッポ観光・宿泊。
12月30日(木)アレッポ観光。午後タクシーでデッドシティを経由しながらハマへ移動。ハマ泊。
12月31日(金)ハマ発クラック・デ・シュバリエ観光。夕方ホムスからパルミラへバスで移動・宿泊。
★1月1日(土)パルミラ観光。夕方ダマスカスへ移動。ダマスカス泊。
1月2日(日)ダマスカス観光。ダマスカス泊。
1月3日(月)ダマスカス観光。夕方セルビスでアンマンへ移動。アンマン泊。
1月4日(火)死海観光。アンマン泊。
1月5日(水)朝バスでアンマンからペトラ(ワディ・ムーサ)へ移動。午後ペトラ観光。ワディ・ムーサ泊。
1月6日(木)ペトラ1日観光。ワディ・ムーサ泊。
1月7日(金)ワディ・ムーサからバスでワディ・ラムへ移動。ワディ・ラムで沙漠ツアー。沙漠のテントで宿泊。
1月8日(土)ワディ・ラムからアカバまでタクシーで移動。アカバからアンマンまでバスで移動。アンマン泊。
1月9日(日)午前中アンマンでだらだら過ごす。午後アンマンからアブダビ経由で成田へ。
1月10日(月)午後成田着。
~通貨単位~(2010年12月末現在)
シリア・ポンド(SP):1SP=約2円
ヨルダン・ディナール(JD):1JD=約120円
※旅行記では通貨価値を便宜上円換算しておりますが、シリア、ヨルダンでは一部を除いて銀行・両替所で日本円から現地通貨への両替はできません。今回の旅行ではドルを持って行きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2010年最後の晩は、ベドウィン・テントでのどんちゃん騒ぎで過ぎていった。
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次の朝、初日の出を見るため眠い目を擦って遺跡に出かける…。
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遺跡はまだ眠りの中。
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東の空が白み始めた。
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イチオシ
2011年初日の出。
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明けましておめでとうございます。
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遺跡が朝日に赤く染まる。
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ホテルに戻って荷物を整えた後、再び遺跡を見に行きました。
パルミラの遺跡のはずれにある墓の谷。ここには富裕な一族の墓が残っていますが、その中でも保存状態のいいエベラール家の塔墓と三兄弟の地下墓室を訪れます。
これらの墓は、見学時間が午前中の決められた時間に限られているので、訪れる場合は、最新のガイドブックやホテルで時間を確認しておく必要があります。 -
エベラール家の塔墓。その名の通り墓が塔のようになっている。
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墓の内部にはコリント式の柱や家族の胸像などが残る。
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墓の中でこんな遊びをしている人発見。
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墓の周りは沙漠。
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この後、三兄弟の地下墳墓を見に行きましたが、撮影禁止。こちらも美しい彫刻が並んでいたので残念。
今回パルミラ遺跡は、泊まったイシュター(Ishtar)ホテルでチャーターしたガイドの案内で見て回りました。これら墓の谷の墳墓を観るには、遺跡の入り口にあるパルミラ博物館でチケットを買わなければいけないのが、ガイド思いっきりそのことを忘れる。当然墓の入り口でチケットを求められましたが、ガイドは「その人知り合いだから大丈夫、そのまま進んで」と言う。言われるまま中に入りましたが、入り口の係員何も言いません。あれ、タダで見られるの? -
次に向かったのはベル神殿。ここの入り口にあるチケット売り場で、ガイドに遺跡内の有料施設をすべて見られるチケット(500SP=約1000円)を買いなさいと言われる。チケットを見るとさっき訪れた墓も含まれていました。あ、さっきのタダじゃないわけね。
ベル神殿は、ギリシアのゼウス、ローマのジュピターに相当するパルミラの中で一番重要な神ベルを祀る神殿。 -
神殿とそれを取り囲む柱廊。
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本殿の入り口の門は、こんなにデカイのです。
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本殿以外の建物はほとんど崩壊してしまっています。
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ベル神殿からは列中道路など、遺跡のメインの部分が見渡せます。延々と連なる柱が壮観!
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パルミラの入り口を飾る記念門。
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記念門をくぐって、壮大な列柱道路の中を歩きます。
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柱が青い空に向かって突きぬけます。
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かつて何十頭ものラクダのキャラバンが歩いた列柱道路を、今はベドウィンの観光用のラクダが歩く。
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イチオシ
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ほぼ完全な状態で残る円形劇場。
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美しい柱で飾られた舞台。
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悲劇に涙し、喜劇に心の底から笑い明日への活力とするのは、今も昔も変わらないのだなあ。
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列中道路の柱には持ち送りが設けられ、町の功労者の彫像が置かれていました。
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そして現代では、ここに人が乗っている…、ってどうやって乗ったの?
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彼女はスウェーデンからやってきた旅行者。兄弟に肩車してもらって上に乗ったんだとか。とはいえ、よく登れたねえ。
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パルミラの中心にある四面門。もともと台座の上には大きな彫像が置かれていましたが、今は失われています。
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現代のベドウィンは、ラクダだけでなくバイクも乗りまわす。遺跡の中心から墓の谷やアラブ城にお客を連れていく商売をしているのですが、その合間に彼らは遺跡のあちこちを仲間と駆け抜けて遊んでいました。
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パルミラは、現地では「タモドール」という名で知られ、その名は紀元前2000年紀の記録にも現れます。その後紀元前1世紀から3世紀までは、ローマとパルティアという両大国の狭間にあってシルクロードの中継都市として発展。発展を維持するためローマの属州になり、2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期を迎えました。さらにローマ皇帝がササン朝ペルシアに囚われるなどローマが混迷した3世紀にはパルミラ王国が成立し、女王ゼノビアの時代にはエジプトからアナトリアまでを支配下に置くようになります。
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ゼノビアは、パルミラ王国を支配したオダエナトゥスの妻であり、オダエナトゥスの死後息子ウァバッラトゥスを擁立して国の実権を握ります。彼女は、パルミラ語のほかにエジプト語やギリシア語などを話し学問にも優れた才人であるばかりでなく、みずから軍装し戦争の時には陣頭に立つ勇気を持ち、また「肌は浅黒く、目は黒く、信じられないほどの美しさで、歯は真珠のように白く、全西アジアの女性の中で最も気高く美しかった」というほどの美貌の持ち主だったようです。
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イチオシ
このような優れた才能と美貌を持つ女王は、ローマの混乱に乗じてローマ領だったエジプトへ侵攻し、さらにアナトリアへと領土を拡大して野心を露わにします。しかし、270年にローマ皇帝に即位したアウレリアヌスはゲルマンの侵入を撃退するとパルミラへと親征してこれを破り、273年にパルミラ王国は降伏、ゼノビアも捕らえられます。戦争後ゼノビアはローマへと運ばれましたが、彼女はただの捕虜では終わりません。アウレリアヌスがローマに凱旋した時に、ゼノビアは女王のように着飾り自らを金の鎖でくくって、その美貌と威厳を誇示したといいます。
類まれなる女王のもとで一瞬の輝きを見せた都市はその後一挙に衰退し、女王の野望とともに風化していきました。 -
遺跡の奥のほうは、柱が崩壊したところが多く、美しい柱の飾りがごろんと道端に落ちていたりします。
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遺跡の奥まで来ると、墓の谷が見えます。この風景を見ると、本当にここは沙漠のただ中にあるのだなと実感します。
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沙漠のなかにはベドウィンのキャンプが。ここには昔ながらのテント暮らしをしているベドウィンが今でも住んでいるのです。
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イチオシ
お土産を売るベドウィンの兄弟。中東では写真を撮られることを嫌う女性が多いですが、ここのベドウィンの人たちはみな撮られることをためらう様子はありませんでした。
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遺跡の最奥、ディオクレティアヌスの城塞。
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ディオクレティアヌス城塞は、パルミラ陥落後ローマが軍の駐屯地として建設した城塞で、もともとここにはゼノビアの宮殿があったといいます。
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城塞の中の塔からは、遺跡を見渡すことができました。
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ディオクレティアヌス城塞の後に控える丘に上がってみました。ここからは、遺跡全体が一望できます。
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パルミラの市街と反対方向には、墓の谷が続くのが見え…
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イチオシ
また、アラブ城が沙漠のなかに佇むのが見えます。
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この辺りまで来る観光客は少なく、丘に上がった旅行者は静かに座り、それぞれの時間を楽しんでいました。
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丘の上でのんびり眺めていたら結構な時間が過ぎてしまいました。そろそろ遺跡の入り口に戻ろうと思います。
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帰り道に見える風景も美しい。
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陽が傾いてきて柱の影が長くなってきました。
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再び記念門。
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午後の陽ざしに照らされる記念門。
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この陽の当たり方も好きです。
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夕暮れ時、車に乗ってアラブ城に来ました。ここから見るパルミラの姿もいいね。
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墓の谷が夕陽の中で幻想的な姿を見せます。こんな美しい景色が見られるとは思ってもみなかった。
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イチオシ
霞たなびく空気の中に浮かび上がる山のシルエット。
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イチオシ
アラブ城も夕陽色に染まりました。
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沙漠に日が落ちてゆきます。
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日が落ちてなお空が赤く染まります。遺跡を歩いて美しいパルミラの姿を見た一日の最後を飾るにふさわしい空の色。その空は、戦う美貌の女王が見た夢の残照のようでした。
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